矢岳高原 (紅葉、ススキ)、吉田温泉、ベルトンオートキャンプ場、霧島連山の展望 (矢岳高原展望台、野口雨情の歌碑、パラグライダー場、えびの市の展望、ぎん水 (矢岳高原の名水)、日枝神社、日本三大車窓 矢岳高原、俳人 種田山頭火、やたけ高原、ループ橋、VLFアンテナ、霧島山、霧島連山、霧島山系)  (宮崎県 えびの市 大字西川北、昌明寺)







<標高、位置>  矢岳高原の展望台は
標高 約670 m
 北緯32度04分58秒  東経130度46分25秒

<標高、位置>  ベルトンオートキャンプ場は
標高 約680 m
 北緯32度05分06秒  東経130度46分29秒

<標高、位置>  日枝神社は
標高 約450 m
 北緯32度04分42秒  東経130度45分53秒

<標高、位置>  吉田温泉は
標高 約250m
 北緯32度04分06秒  東経130度45分55秒


 「矢岳高原」展望台は宮崎県 えびの市 昌明寺にあります。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。
「矢岳高原」の説明板から、
 ようこそ県立公園 矢岳高原へ。 ここ展望台付近は、同高原の中で最も眺(なが)めを楽しんでいただけるところです。 旧国鉄時代より、すぐ下を走る肥薩線の列車の窓から観(み)る景観が、北海道 狩勝峠越えの根室本線、長野県 姥捨山(うばすてやま)越えの篠ノ井線(しののいせん)とともに、日本三大車窓のひとつに数えられてきました。 かって昭和の初期に俳人 種田山頭火や童謡詩人の野口雨情も訪(おとず)れ、この絶景への思いを作品にしました。
 ここは他にもスカイスポーツのテイクオフ、ハイキングコース、ウェスタンスタイルのオートキャンプ場などでも親しまれております。 また両麓には20分たらずでえびの市側へは吉田温泉や京町温泉、人吉側へはSL展示の矢岳駅などがあります。

 「ベルトンオートキャンプ場」は宮崎県 えびの市 大字西川北 1377-2にあります。
矢岳高原にある「ベルトンオートキャンプ場」は2001年に完成しました。 ベルトンはアメリカ合衆国 テキサス州のベルトン市のことです。 ベルトン市はえびの市と姉妹都市です。 ウェスタン風のオートキャンプ場です。

 えびの市の矢岳高原には「野口雨情の歌碑(かひ)」があります。 「雨のしらせか霧島山に雲がまた来てまたかかる 野口雨情」と書いてあります。
「野口雨情 歌碑」の説明板から、
 民謡や童謡の第一人者として、明治大正から昭和のはじめにかけて北原白秋・西条八十とともに三大童謡詩人とうたわれ、一世を風靡(ふうび)した詩人 野口雨情は、50歳台半ばの昭和10年と12年にえびのを訪(おとず)れました。 そして数篇(へん)の歌謡を残しましたが、この詩文はその中のひとつです。 昭和10年冬の訪問時には、2月14日に地元文化人とここ矢岳高原を訪れ、このように詠(よ)みました。
 市内では、他にも京町温泉や西川北菅原神社 牛越祭りや白鳥温泉なども巡(めぐ)り、詩文や書の扁額(へんがく、門戸、室内などにかける細長い額(がく))や軸物(じくもの、床の間、壁などにかける掛軸として表装した書画)が残されています。 牛越祭りを 威徳天神祭の日には 牛も化粧(けしょう)していそいそと と詠(よ)んでいます。

 「吉田温泉」は宮崎県 えびの市 昌明寺にあります。
「吉田温泉」はナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩泉です。
えびの市の「吉田温泉郷」の説明板から、
「おじゃったもんせ (よくいらっしゃいました) 吉田温泉郷へ Welcome Yoshida Hot Spring」
京町温泉の亀の湯、伊藤旅館、鹿の湯、大楠(くすのき) 湯の権現、吉田温泉 公民館、田の神さあ、戦病死者墓地、本場 西諸牛、桜、簡易郵便局、ホタル、流れるプール、京町へや日枝神社、矢岳高原の草スキー、牧場、ハイキングコースなども絵地図に載っています。
吉田温泉の由来(ゆらい)
天文23年(1554年)の頃、突然 霧島が大爆発し地殻の変動が各地に起こり、ここ真幸院 吉田郷 昌明寺 村山王の麓の岩間から、大量の湯が湧出(ゆうしゅつ)した。 口碑(伝説のこと)にいわく、「ある日 矢傷を負(お)った牝鹿(めすじか)が、この湯を浴びて傷を癒(いや)していたので、鹿の湯と名づけた」と、今から約400年前 正親町天皇の時代(足利将軍 義昭 公の頃) 島津家17代の太守 島津義弘 公は真幸院 飯野城主となり、(日向国の)伊東 氏、(薩摩国北部の)菱刈 氏と交戦していた。 その折、戦傷病に倒れる者が多く、この湯で治療させ、自らも常に入浴したという。 天正5年 島津家の命により、これを補修し湯権現を建立し、宅地を賜(たまわ)る。
 島津義弘 公は朝鮮出兵から帰朝後も時々この湯を愛浴したので、その後 島津家累代の諸公が、春秋に利用された。

 「ぎん水」は矢岳高原の中腹にある名水です。 この山水は県道408号線沿いにあります。

 えびの市の「日枝神社」は宮崎県 えびの市 昌明寺 761にあります。
矢岳高原の中腹にある「日枝神社(山王)」の由来の説明板から、
 当神社創建についての由来は、永仁元年(1293年)正月吉日と申しますから、平成5年(1993年)でちょうど700年前に建立と「北原領地神社目録写正安の書記」に記(しる)されてあり、かつ、北原領主時代に創建者、日下部貞継 氏が建てたと歴史に伝えられている。 当時は、吉田郷の最初の神社で宗社としても一番古い神社の鎮守様で大変尊敬されたとあり、その後いつの時代かは不明だが、焼失の事故があり、古棟、札等がなく不詳である。 御祭神は「山の神」で大山祇(おおやまずみ)神が祭られ軍神としても崇拝され、戦国時代は各武将が戦勝の神として祈願参拝し、また、開運厄払の守護神としても広く知られ、第二次世界大戦中は出征兵士の武運長久祈願者の参拝が後を絶たず御神威今日におよんでいる。 祭典は、春祭2月4日、秋祭は11月4日と記されている。

 この「矢岳高原」と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。


写真A: 国道221号線を小林市の方から西に行くと、家電量販店がえびの市にあります。 ここからさらに西に進んでえびの市 京町に行き、JR京町温泉駅付近から右折して、北に県道408号線を進むとえびの市にある吉田温泉、矢岳高原に行きます。



写真B: このあたりは良質の米がとれるえびの盆地の穀倉地帯です。 南には霧島連山が美しく見えます。
車道は国道221号線です。



写真C: えびの盆地の田園風景と背景の霧島連山も見えます。



写真D: えびの市の吉田温泉郷の説明板。
「おじゃったもんせ (よくいらっしゃいました) 吉田温泉郷へ Welcome Yoshida Hot Spring」
京町温泉の亀の湯、伊藤旅館、鹿の湯、大楠(くすのき) 湯の権現、吉田温泉 公民館、田の神さあ、戦病死者墓地、本場 西諸牛、桜、簡易郵便局、ホタル、流れるプール、京町へや日枝神社、矢岳高原の草スキー、牧場、ハイキングコースなども絵地図に載っています。
吉田温泉の由来(ゆらい)
天文23年(1554年)の頃、突然 霧島が大爆発し地殻の変動が各地に起こり、ここ真幸院 吉田郷 昌明寺 村山王の麓の岩間から、大量の湯が湧出(ゆうしゅつ)した。 口碑(伝説のこと)にいわく、「ある日 矢傷を負(お)った牝鹿(めすじか)が、この湯を浴びて傷を癒(いや)していたので、鹿の湯と名づけた」と、今から約400年前 正親町天皇の時代(足利将軍 義昭 公の頃) 島津家17代の太守 島津義弘 公は真幸院 飯野城主となり、(日向国の)伊東 氏、(薩摩国北部の)菱刈 氏と交戦していた。 その折、戦傷病に倒れる者が多く、この湯で治療させ、自らも常に入浴したという。 天正5年 島津家の命により、これを補修し湯権現を建立し、宅地を賜(たまわ)る。
 島津義弘 公は朝鮮出兵から帰朝後も時々この湯を愛浴したので、その後 島津家累代の諸公が、春秋に利用された。

現在地より
流れるプールへ 0.2 km、矢岳高原へ(ハイキングコース) 6 km、えびのインターチェンジへ 5 km
と書かれています。



写真E: えびの市の吉田温泉郷の説明板。
「おじゃったもんせ (よくいらっしゃいました) 吉田温泉郷へ Welcome Yoshida Hot Spring」
京町温泉の亀の湯、伊藤旅館、鹿の湯、大楠(くすのき) 湯の権現、吉田温泉 公民館、田の神さあ、戦病死者墓地、本場 西諸牛、桜、簡易郵便局、ホタル、流れるプール、京町へや日枝神社、矢岳高原の草スキー、牧場、ハイキングコースなども絵地図に載っています。
吉田温泉の由来(ゆらい)
天文23年(1554年)の頃、突然 霧島が大爆発し地殻の変動が各地に起こり、ここ真幸院 吉田郷 昌明寺 村山王の麓の岩間から、大量の湯が湧出(ゆうしゅつ)した。 口碑(伝説のこと)にいわく、「ある日 矢傷を負(お)った牝鹿(めすじか)が、この湯を浴びて傷を癒(いや)していたので、鹿の湯と名づけた」と、今から約400年前 正親町天皇の時代(足利将軍 義昭 公の頃) 島津家17代の太守 島津義弘 公は真幸院 飯野城主となり、(日向国の)伊東 氏、(薩摩国北部の)菱刈 氏と交戦していた。 その折、戦傷病に倒れる者が多く、この湯で治療させ、自らも常に入浴したという。 天正5年 島津家の命により、これを補修し湯権現を建立し、宅地を賜(たまわ)る。
 島津義弘 公は朝鮮出兵から帰朝後も時々この湯を愛浴したので、その後 島津家累代の諸公が、春秋に利用された。

現在地より
流れるプールへ 0.2 km、矢岳高原へ(ハイキングコース) 6 km、えびのインターチェンジへ 5 km
と書かれています。



写真F: えびの市の吉田温泉郷の説明板。
「おじゃったもんせ (よくいらっしゃいました) 吉田温泉郷へ Welcome Yoshida Hot Spring」
京町温泉の亀の湯、伊藤旅館、鹿の湯、大楠(くすのき) 湯の権現、吉田温泉 公民館、田の神さあ、戦病死者墓地、本場 西諸牛、桜、簡易郵便局、ホタル、流れるプール、京町へや日枝神社、矢岳高原の草スキー、牧場、ハイキングコースなども絵地図に載っています。
吉田温泉の由来(ゆらい)
天文23年(1554年)の頃、突然 霧島が大爆発し地殻の変動が各地に起こり、ここ真幸院 吉田郷 昌明寺 村山王の麓の岩間から、大量の湯が湧出(ゆうしゅつ)した。 口碑(伝説のこと)にいわく、「ある日 矢傷を負(お)った牝鹿(めすじか)が、この湯を浴びて傷を癒(いや)していたので、鹿の湯と名づけた」と、今から約400年前 正親町天皇の時代(足利将軍 義昭 公の頃) 島津家17代の太守 島津義弘 公は真幸院 飯野城主となり、(日向国の)伊東 氏、(薩摩国北部の)菱刈 氏と交戦していた。 その折、戦傷病に倒れる者が多く、この湯で治療させ、自らも常に入浴したという。 天正5年 島津家の命により、これを補修し湯権現を建立し、宅地を賜(たまわ)る。
 島津義弘 公は朝鮮出兵から帰朝後も時々この湯を愛浴したので、その後 島津家累代の諸公が、春秋に利用された。

現在地より
流れるプールへ 0.2 km、矢岳高原へ(ハイキングコース) 6 km、えびのインターチェンジへ 5 km
と書かれています。



写真G: えびの市の吉田温泉郷の説明板。
「おじゃったもんせ (よくいらっしゃいました) 吉田温泉郷へ Welcome Yoshida Hot Spring」
京町温泉の亀の湯、伊藤旅館、鹿の湯、大楠(くすのき) 湯の権現、吉田温泉 公民館、田の神さあ、戦病死者墓地、本場 西諸牛、桜、簡易郵便局、ホタル、流れるプール、京町へや日枝神社、矢岳高原の草スキー、牧場、ハイキングコースなども絵地図に載っています。
吉田温泉の由来(ゆらい)
天文23年(1554年)の頃、突然 霧島が大爆発し地殻の変動が各地に起こり、ここ真幸院 吉田郷 昌明寺 村山王の麓の岩間から、大量の湯が湧出(ゆうしゅつ)した。 口碑(伝説のこと)にいわく、「ある日 矢傷を負(お)った牝鹿(めすじか)が、この湯を浴びて傷を癒(いや)していたので、鹿の湯と名づけた」と、今から約400年前 正親町天皇の時代(足利将軍 義昭 公の頃) 島津家17代の太守 島津義弘 公は真幸院 飯野城主となり、(日向国の)伊東 氏、(薩摩国北部の)菱刈 氏と交戦していた。 その折、戦傷病に倒れる者が多く、この湯で治療させ、自らも常に入浴したという。 天正5年 島津家の命により、これを補修し湯権現を建立し、宅地を賜(たまわ)る。
 島津義弘 公は朝鮮出兵から帰朝後も時々この湯を愛浴したので、その後 島津家累代の諸公が、春秋に利用された。

現在地より
流れるプールへ 0.2 km、矢岳高原へ(ハイキングコース) 6 km、えびのインターチェンジへ 5 km
と書かれています。



写真H: えびの市の吉田温泉郷の説明板。
「おじゃったもんせ (よくいらっしゃいました) 吉田温泉郷へ Welcome Yoshida Hot Spring」
京町温泉の亀の湯、伊藤旅館、鹿の湯、大楠(くすのき) 湯の権現、吉田温泉 公民館、田の神さあ、戦病死者墓地、本場 西諸牛、桜、簡易郵便局、ホタル、流れるプール、京町へや日枝神社、矢岳高原の草スキー、牧場、ハイキングコースなども絵地図に載っています。
吉田温泉の由来(ゆらい)
天文23年(1554年)の頃、突然 霧島が大爆発し地殻の変動が各地に起こり、ここ真幸院 吉田郷 昌明寺 村山王の麓の岩間から、大量の湯が湧出(ゆうしゅつ)した。 口碑(伝説のこと)にいわく、「ある日 矢傷を負(お)った牝鹿(めすじか)が、この湯を浴びて傷を癒(いや)していたので、鹿の湯と名づけた」と、今から約400年前 正親町天皇の時代(足利将軍 義昭 公の頃) 島津家17代の太守 島津義弘 公は真幸院 飯野城主となり、(日向国の)伊東 氏、(薩摩国北部の)菱刈 氏と交戦していた。 その折、戦傷病に倒れる者が多く、この湯で治療させ、自らも常に入浴したという。 天正5年 島津家の命により、これを補修し湯権現を建立し、宅地を賜(たまわ)る。
 島津義弘 公は朝鮮出兵から帰朝後も時々この湯を愛浴したので、その後 島津家累代の諸公が、春秋に利用された。

現在地より
流れるプールへ 0.2 km、矢岳高原へ(ハイキングコース) 6 km、えびのインターチェンジへ 5 km
と書かれています。



写真I: えびの市の吉田温泉郷の説明板。
「おじゃったもんせ (よくいらっしゃいました) 吉田温泉郷へ Welcome Yoshida Hot Spring」
京町温泉の亀の湯、伊藤旅館、鹿の湯、大楠(くすのき) 湯の権現、吉田温泉 公民館、田の神さあ、戦病死者墓地、本場 西諸牛、桜、簡易郵便局、ホタル、流れるプール、京町へや日枝神社、矢岳高原の草スキー、牧場、ハイキングコースなども絵地図に載っています。
吉田温泉の由来(ゆらい)
天文23年(1554年)の頃、突然 霧島が大爆発し地殻の変動が各地に起こり、ここ真幸院 吉田郷 昌明寺 村山王の麓の岩間から、大量の湯が湧出(ゆうしゅつ)した。 口碑(伝説のこと)にいわく、「ある日 矢傷を負(お)った牝鹿(めすじか)が、この湯を浴びて傷を癒(いや)していたので、鹿の湯と名づけた」と、今から約400年前 正親町天皇の時代(足利将軍 義昭 公の頃) 島津家17代の太守 島津義弘 公は真幸院 飯野城主となり、(日向国の)伊東 氏、(薩摩国北部の)菱刈 氏と交戦していた。 その折、戦傷病に倒れる者が多く、この湯で治療させ、自らも常に入浴したという。 天正5年 島津家の命により、これを補修し湯権現を建立し、宅地を賜(たまわ)る。
 島津義弘 公は朝鮮出兵から帰朝後も時々この湯を愛浴したので、その後 島津家累代の諸公が、春秋に利用された。

現在地より
流れるプールへ 0.2 km、矢岳高原へ(ハイキングコース) 6 km、えびのインターチェンジへ 5 km
と書かれています。



写真J: 吉田温泉から来た道を振り返ったもの。 右に見えている山は霧島連山の甑岳(こしきだけ)です。 車道は県道408号線。
このあたりは標高 約250 mです。



写真K: 吉田温泉から南を見た景色。 田んぼもあります。 霧島連山も見えます。



写真L: 「吉田温泉」の入り口に吉田温泉の説明板があります。



写真M: 宮崎県 えびの市にある「吉田温泉」です。 亀の湯温泉の看板(かんばん)が見えます。 車道は県道408号線。
このあたりは標高 約250 mです。



写真N: 右の建物は「吉田温泉」の伊藤旅館の建物です。 左は亀の湯温泉です。 「吉田温泉」はナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩泉です。 矢岳高原(やたけこうげん)へは先に登っていきます。 車道は県道408号線。



写真O: 左の建物は伊藤旅館です。 「吉田温泉」はナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩泉です。 先に進むと京町に行きます。
手前に行くと矢岳高原に行きます。 車道は県道408号線。



写真P: 亀の湯温泉の付近の様子(ようす)です。



写真Q: 亀の湯温泉の付近の様子(ようす)です。



写真R: えびの市にある吉田温泉の伊藤旅館です。 「吉田温泉」はナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩泉です。 車道は県道408号線。
このあたりは標高 約250 mです。



写真S: 吉田温泉からさらに登っていきます。 「矢岳高原(やたけこうげん)、ベルトンオートキャンプ場 4.3 km↑」と書いてある標識があります。 車道は県道408号線。



写真T: 「矢岳高原、ベルトンオートキャンプ場 4.3 km↑」と書いてある標識。



写真U: えびの市の矢岳高原(やたけこうげん)へ登る途中の道です。 振り返って南を見たもの。 車道は県道408号線。



写真V: 矢岳高原に登る途中の景色。 南を見たもの。 手前に薄(すすき)の穂が見えます。



写真W: さらに登って行くと、山水があります。 「ぎん水」と書いてあります。 「矢岳高原 2.6 km→」の看板もあります。
矢岳高原の「ぎん水」は名水です。



写真X: 矢岳高原に登る途中にある「ぎん水」です。 飲んでみました。 とても美味(おい)しい山水でした。 矢岳高原の「ぎん水」は名水です。



写真Y: 矢岳高原に登る途中にある「ぎん水」です。 飲んでみました。 とても美味(おい)しい山水でした。 矢岳高原の「ぎん水」は名水です。



写真Z: 「ぎん水」のそばに「水」と書いてある石があります。 上にはお酒が供(そな)えてありました。 矢岳高原の「ぎん水」は名水です。



写真AA: 「県道 408 宮崎」、「一般県道 西川北京町温泉停車場線」、「矢岳高原まで2 km、えびの市 矢岳」と書いてある道路標識があります。 車道は県道408号線。



写真AB: 「県道 408 宮崎」、「一般県道 西川北京町温泉停車場線」、「矢岳高原まで2 km、えびの市 矢岳」と書いてある道路標識があります。



写真AC: 「矢岳高原(やたけこうげん)」に着きました。
「(熊本県)人吉 →」、「ベルトンオートキャンプ場→」、「パラグライダー場←」、「展望台←」の標識があります。



写真AD: 手前は宮崎県 えびの市にある「矢岳高原」の駐車場です。 奥には矢岳高原のベルトンオートキャンプ場が見えます。 北方向を見たもの。
車道を右に行くと熊本県 人吉市(ひとよしし)に行きます。
ここで県道408号線は大きく右に曲がっています。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真AE: 矢岳高原にあるベルトンオートキャンプ場の入り口です。 門と看板(かんばん)が見えます。
車道を右に行くと熊本県 人吉市(ひとよしし)に行きます。
ベルトンオートキャンプ場は2001年に完成しました。 ベルトンはアメリカ合衆国 テキサス州のベルトン市のことです。 ベルトン市はえびの市と姉妹都市です。 ウェスタン風のオートキャンプ場です。



写真AF: 「矢岳高原案内図」です。 絵地図です。 展望デッキ、野口雨情文学碑、休憩所(きゅうけいしょ)、パラグライダー、駐車場、トイレ、ベルトンオートキャンプ場、至る 吉田温泉、至る 人吉市 矢岳駅、などが載っています。



写真AG: 「矢岳高原」の説明板。
 ようこそ県立公園 矢岳高原へ。 ここ展望台付近は、同高原の中で最も眺(なが)めを楽しんでいただけるところです。 旧国鉄時代より、すぐ下を走る肥薩線の列車の窓から観(み)る景観が、北海道 狩勝峠越えの根室本線、長野県 姥捨山(うばすてやま)越えの篠ノ井線(しののいせん)とともに、日本三大車窓のひとつに数えられてきました。 かって昭和の初期に俳人 種田山頭火や童謡詩人の野口雨情も訪(おとず)れ、この絶景への思いを作品にしました。
 ここは他にもスカイスポーツのテイクオフ、ハイキングコース、ウェスタンスタイルのオートキャンプ場などでも親しまれております。 また両麓には20分たらずでえびの市側へは吉田温泉や京町温泉、人吉側へはSL展示の矢岳駅などがあります。
と書かれています。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真AH: 「矢岳高原」の説明板。
 ようこそ県立公園 矢岳高原へ。 ここ展望台付近は、同高原の中で最も眺(なが)めを楽しんでいただけるところです。 旧国鉄時代より、すぐ下を走る肥薩線の列車の窓から観(み)る景観が、北海道 狩勝峠越えの根室本線、長野県 姥捨山(うばすてやま)越えの篠ノ井線(しののいせん)とともに、日本三大車窓のひとつに数えられてきました。 かって昭和の初期に俳人 種田山頭火や童謡詩人の野口雨情も訪(おとず)れ、この絶景への思いを作品にしました。
 ここは他にもスカイスポーツのテイクオフ、ハイキングコース、ウェスタンスタイルのオートキャンプ場などでも親しまれております。 また両麓には20分たらずでえびの市側へは吉田温泉や京町温泉、人吉側へはSL展示の矢岳駅などがあります。



写真AI: 「矢岳高原」の説明板。
 ようこそ県立公園 矢岳高原へ。 ここ展望台付近は、同高原の中で最も眺(なが)めを楽しんでいただけるところです。 旧国鉄時代より、すぐ下を走る肥薩線の列車の窓から観(み)る景観が、北海道 狩勝峠越えの根室本線、長野県 姥捨山(うばすてやま)越えの篠ノ井線(しののいせん)とともに、日本三大車窓のひとつに数えられてきました。 かって昭和の初期に俳人 種田山頭火や童謡詩人の野口雨情も訪(おとず)れ、この絶景への思いを作品にしました。
 ここは他にもスカイスポーツのテイクオフ、ハイキングコース、ウェスタンスタイルのオートキャンプ場などでも親しまれております。 また両麓には20分たらずでえびの市側へは吉田温泉や京町温泉、人吉側へはSL展示の矢岳駅などがあります。



写真AJ: 矢岳高原にあるベルトンオートキャンプ場の入り口です。 ウェスタンスタイルのオートキャンプ場です。
ベルトンオートキャンプ場は2001年に完成しました。 ベルトンはアメリカ合衆国 テキサス州のベルトン市のことです。 ベルトン市はえびの市と姉妹都市です。
車道は県道408号線。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真AK: ベルトンオートキャンプ場の建物が見えます。



写真AL: ベルトンオートキャンプ場の建物。
ベルトンオートキャンプ場は2001年に完成しました。 ベルトンはアメリカ合衆国 テキサス州のベルトン市のことです。 ベルトン市はえびの市と姉妹都市です。 ウェスタン風のオートキャンプ場です。



写真AM: 矢岳高原にあるベルトンオートキャンプ場の入り口にある看板(かんばん)。 「SINCE2001 WESTERN STYLE OUTDOOR RESORT Belton Auto Campground、ようこそ 矢岳高原 ベルトンオートキャンプ場へ、日本三大車窓のひとつ 県立公園 矢岳高原、姉妹都市 えびの市-ベルトン市 アメリカ テキサス州」と書いてあります。



写真AN: 「矢岳高原」と書いてある標識棒があります。 南方向を見たもの。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真AO: 「矢岳高原」と書いてある標識棒。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真AP: 「県立公園 矢岳高原 えびの市」と書いてある標識棒があります。 この坂道を登ると展望台、野口雨情の文学碑、休憩所(きゅうけいしょ)などがあります。



写真AQ: これはトイレです。 奥はベルトンオートキャンプ場です。



写真AR: 来た道を振り返ったもの。 奥に駐車場があります。 北を見たもの。



写真AS: 左奥にベルトンオートキャンプ場の建物が見えます。 右は矢岳高原のトイレです。



写真AT: 矢岳高原の景色です。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真AU: 矢岳高原には芝生(しばふ)もあります。



写真AV: 左の木の間に矢岳高原の休息所が見えます。 ここはゆるい登り坂になっています。 南を見たもの。



写真AW: 東を見たもの。



写真AX: 宮崎県 えびの市にある矢岳高原の休息所です。
このあたりは、標高 約670 mです。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真AY: えびの市にある矢岳高原。 奥に童謡詩人 野口雨情の歌碑(かひ)が見えています。



写真AZ: 矢岳高原の休息所。



写真BA: 矢岳高原の休息所です。



写真BB: これがえびの市 矢岳高原の展望デッキ(展望台)です。 展望台は木製です。 コンクリートのテーブルとベンチもあります。 南を見た景色です。 霧島連山が美しく見えます。
このあたりは、標高 約670 mです。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真BC: えびの市 矢岳高原の展望デッキ(展望台)です。 右に薄(ススキ)の穂が見えます。
このあたりは、標高 約670 mです。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真BD: 矢岳高原の展望台にある説明図。
えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。



写真BE: 展望台から北を見たもの。 休息所、右にベルトンオートキャンプ場の建物も見えます。



写真BF: 矢岳高原の紅葉、オートキャンプ場の建物も見えます。
北を見たもの。



写真BG: 展望台から東を見たものです。 右奥に国道221号線のえびのループ橋が見えます。



写真BH: 矢岳高原の展望台から東を見た展望。 山の中腹に国道221号線の「えびのループ橋」、手前に九州自動車道が見えています。 右端にコカコーラの工場も見えます。 矢岳高原の展望台から。



写真BI: 矢岳高原からの展望。
矢岳高原の展望台からは、えびの盆地(加久藤カルデラ)の向こうに霧島連山が美しく見えます。
左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、飯盛山(標高 846.3 m)、栗野岳(標高 1087.7 m) が見えています。
飯盛山の少し右(西)の斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えます。
えびの盆地(加久藤カルデラ)には川内川(せんだいがわ)が蛇行(だこう)して東(左)から西へ流れています。 えびの市の(右から)京町、加久藤、飯野などの家並(いえな)みが見えています。
左寄りの白い建物は南九州コカ・コーラ プロダクツ株式会社えびの工場 (宮崎県 えびの市大字東川北字有留1321-1)のものです。 矢岳高原の展望台から。
この矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真BJ: 矢岳高原からの眺望(ちょうぼう)。
栗野岳、斜面には陸上自衛隊 霧島演習場が見えています。 京町温泉のある京町、川内川も見えます。
田んぼも見えます。 えびの盆地は美味(おい)しい米のとれる所として有名です。 矢岳高原の展望台から。
この矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真BK: 左端の川内川の左岸(下流を見て左)に京町温泉のある京町が見えています。 矢岳高原の展望台から。



写真BL: 展望台からの景色。 右上にパラグライダーの発進基地が見えます。



写真BM: 左上の草地の所にパラグライダーの発進基地が見えています。 休息所、ベンチ、テーブル、左に野口雨情の歌碑(かひ)も見えます。
このあたりは、標高 約670 mです。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真BN: 矢岳高原の展望台からの景色。 紅葉したハゼの木、矢岳高原ベルトンオートキャンプ場の建物も見えます。



写真BO: ハゼの木の紅葉と矢岳高原ベルトンオートキャンプ場の建物。 矢岳高原展望台から。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真BP: 矢岳高原展望台から東を見た景色。



写真BQ: 国道221号線の「えびのループ橋」が見え、山の上には海上自衛隊のVLFアンテナ 数本と建物が見えています。 矢岳高原展望台から東を見た景色。
VLF(very low frequency、超長波)通信基地は海上自衛隊の電波送信施設です。 VLFは波長 10〜100 kmの非常に長い波長を持つ電波で、潜水艦との通信などに用います。 主に地表波で伝わり、低い山も越えます。 水中でも伝わります。 この基地は1991年(平成3年)にえびの市の国有林に建設され、周波数 22.2 kHz、出力 500 W。 高さ 160 mから270 mの4基2列 計8基の鉄塔間にアンテナワイヤーを張ってあります。 このアンテナは宮崎県 えびの市 大字大明司 字六本原にあります。 矢岳高原の展望台から。



写真BR: 国道221号線の「えびのループ橋」が見えます。 山の上には海上自衛隊のVLFアンテナ 数本と建物が見えています。 矢岳高原展望台から東を見たもの。 矢岳高原の展望台から。



写真BS: 田んぼも見えます。 えびの盆地は美味(おい)しい米のとれる所として有名です。
左の手前の車道は九州自動車道です。 ループ橋は国道221号線です。 右端の白い建物は南九州コカ・コーラ プロダクツ株式会社えびの工場 (宮崎県 えびの市大字東川北字有留1321-1)のものです。 矢岳高原の展望台から。
この矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真BT: 左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)が見えています。 良質の米どころであるえびの盆地の田んぼが見えています。 川内川、コカコーラの工場も見えます。 矢岳高原の展望台から。



写真BU: 左から韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)が見えます。 川内川(せんだいがわ)の両側には味のよいコメが取れる田んぼが見えています。 矢岳高原の展望台から。
この矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真BV: 栗野岳(標高 1087.7 m)です。 手前の斜面に陸上自衛隊 霧島演習場が見えています。 白い建物も見えます。 川内川の左岸(下流を見て左)にえびの市 京町の町並(まちな)みが見えます。 矢岳高原の展望台から。
この矢岳高原と霧島連山は約33万年前にできた加久藤カルデラの外輪山です。
えびの盆地は加久藤カルデラです。
約33万年前の大噴火の加久藤火砕流(かさいりゅう)は宮崎平野、薩摩半島、大隅半島、人吉市付近まで広がりました。 この加久藤火砕流で溶結凝灰岩の地層ができました。
カルデラは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹地です。 多くは直径 1 km 以上で、噴火後に起こる火山の中心部の陥没によるそうです。



写真BW: 川内川が曲がっているところの左岸(川下を見て左)に京町の家並みが見えます。 京町にはJR吉都線の京町温泉駅があります。 矢岳高原の展望台から。



写真BX: 矢岳高原の展望台からの眺望(ちょうぼう)。 京町の西側の景色。 このあたりをえびの市の「真幸駅(まさき駅)」があるJR肥薩線が通っています。 JR吉都線も通っています。



写真BY: えびの市の西側の景色。 矢岳高原の展望台から。 このあたりをえびの市の「真幸駅(まさき駅)」があるJR肥薩線が通っています。



写真BZ: 手前には矢岳高原の薄(ススキ)の穂が多く見えています。



写真CA: 宮崎県 えびの市の矢岳高原(やたけこうげん)。



写真CB: えびの市の矢岳高原(やたけこうげん)。 上の方にパラグライダーの発進基地の草地が見えます。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真CC: 矢岳高原の休憩所(きゅうけいしょ)。 展望台のそばにあります。



写真CD: 展望台から北を見たもの。



写真CE: 展望台から北方向を見た景色。 ベルトンオートキャンプ場の建物が見えます。



写真CF: 展望台から北を見た景色。 紅葉も見えています。



写真CG: 展望台は木で出来ています。



写真CH: 宮崎県 えびの市にある矢岳高原の展望台。



写真CI: えびの市にある矢岳高原の展望台。



写真CJ: えびの市にある矢岳高原の展望台。



写真CK: 矢岳高原の展望台。



写真CL: 矢岳高原の紅葉です。 ハゼの木です。



写真CM: えびの市の矢岳高原。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真CN: 矢岳高原の木製 展望台。



写真CO: 矢岳高原からの眺望(ちょうぼう)。 手前はテーブルとベンチです。 左は展望台。
ベンチからも霧島連山とえびの盆地が美しく見えます。



写真CP: えびの市の矢岳高原。



写真CQ: 左下は野口雨情の歌碑(かひ)です。 右上はパラグライダーの発進基地です。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真CR: えびの市の矢岳高原。 大きな石もあります。 こちらにもテーブルとベンチがあります。



写真CS: こちらにもテーブルとベンチがあります。



写真CT: えびの市の矢岳高原にある野口雨情の歌碑(かひ)です。 「雨のしらせか霧島山に雲がまた来てまたかかる 野口雨情」と書いてあります。
「野口雨情 歌碑」の説明板。
 民謡や童謡の第一人者として、明治大正から昭和のはじめにかけて北原白秋・西条八十とともに三大童謡詩人とうたわれ、一世を風靡(ふうび)した詩人 野口雨情は、50歳台半ばの昭和10年と12年にえびのを訪(おとず)れました。 そして数篇(へん)の歌謡を残しましたが、この詩文はその中のひとつです。 昭和10年冬の訪問時には、2月14日に地元文化人とここ矢岳高原を訪れ、このように詠(よ)みました。
 市内では、他にも京町温泉や西川北菅原神社 牛越祭りや白鳥温泉なども巡(めぐ)り、詩文や書の扁額(へんがく、門戸、室内などにかける細長い額(がく))や軸物(じくもの、床の間、壁などにかける掛軸として表装した書画)が残されています。 牛越祭りを 威徳天神祭の日には 牛も化粧(けしょう)していそいそと と詠(よ)んでいます。
平成4年2月14日 えびの市建立
と書かれています。



写真CU: 矢岳高原にある野口雨情の歌碑(かひ)です。 「雨のしらせか霧島山に雲がまた来てまたかかる 野口雨情」と書いてあります。



写真CV: 野口雨情の歌碑(かひ)です。 「雨のしらせか霧島山に雲がまた来てまたかかる 野口雨情」と書いてあります。



写真CW: 「野口雨情 歌碑」の説明板。
 民謡や童謡の第一人者として、明治大正から昭和のはじめにかけて北原白秋・西条八十とともに三大童謡詩人とうたわれ、一世を風靡(ふうび)した詩人 野口雨情は、50歳台半ばの昭和10年と12年にえびのを訪(おとず)れました。 そして数篇(へん)の歌謡を残しましたが、この詩文はその中のひとつです。 昭和10年冬の訪問時には、2月14日に地元文化人とここ矢岳高原を訪れ、このように詠(よ)みました。
 市内では、他にも京町温泉や西川北菅原神社 牛越祭りや白鳥温泉なども巡(めぐ)り、詩文や書の扁額(へんがく、門戸、室内などにかける細長い額(がく))や軸物(じくもの、床の間、壁などにかける掛軸として表装した書画)が残されています。 牛越祭りを 威徳天神祭の日には 牛も化粧(けしょう)していそいそと と詠(よ)んでいます。
平成4年2月14日 えびの市建立
と書かれています。



写真CX: 宮崎県 えびの市の矢岳高原。 岩も見えています。 テーブルとベンチもあります。
このあたりは、標高 約670 mです。



写真CY: えびの市の矢岳高原。 岩も見えています。 テーブルとベンチもあります。
このあたりは、標高 約670 mです。



写真CZ: 矢岳高原。 後ろの山は霧島連山です。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真DA: 裏から見た野口雨情の石碑と休憩所(きゅうけいしょ)。



写真DB: 野口雨情の石碑のところからパラグライダーの発進基地が見えます。 発進基地の左寄りにポールも見えます。
「矢岳高原」は矢岳(標高 739.0 m)と百貫山(標高 692.9 m)の間にある高原です。 霧島連山の高原町にある矢岳(標高 1131.6 m)とは別のものです。



写真DC: 矢岳高原の木製展望台。



写真DD: 矢岳高原の野口雨情の石碑(せきひ)と左上のパラグライダーの発進基地。



写真DE: 矢岳高原を後にして吉田温泉の方に下(くだ)ります。 神社の鳥居(とりい)と説明板が見えてきました。
車道は県道408号線。



写真DF: 木製の鳥居に「日枝神社」の額(がく)がかけてあります。



写真DG: 鳥居(とりい)に「日枝神社」の額(がく)があります。



写真DH: 鳥居から日枝神社の参道が見えます。 下(くだ)る道です。



写真DI: 日枝神社の鳥居のそばの景色です。 車道は県道408号線。



写真DJ: 「日枝神社(山王)の由来」の説明板。
 当神社創建についての由来は、永仁元年(1293年)正月吉日と申しますから、平成5年(1993年)でちょうど700年前に建立と「北原領地神社目録写正安の書記」に記(しる)されてあり、かつ、北原領主時代に創建者、日下部貞継 氏が建てたと歴史に伝えられている。 当時は、吉田郷の最初の神社で宗社としても一番古い神社の鎮守様で大変尊敬されたとあり、その後いつの時代かは不明だが、焼失の事故があり、古棟、札等がなく不詳である。 御祭神は「山の神」で大山祇(おおやまずみ)神が祭られ軍神としても崇拝され、戦国時代は各武将が戦勝の神として祈願参拝し、また、開運厄払の守護神としても広く知られ、第二次世界大戦中は出征兵士の武運長久祈願者の参拝が後を絶たず御神威今日におよんでいる。 祭典は、春祭2月4日、秋祭は11月4日と記されている。
平成5年11月吉日 再建
と書かれています。



写真DK: 国道268号線沿いの京町にあるディスカウント店(アタックス)から見た「矢岳高原」。
矢岳高原や霧島連山は加久藤カルデラの外輪山です。



写真DL: 中央のなだらかな右下がりの所が先程の矢岳高原展望台、野口雨情の歌碑、その左はパラグライダーの発進基地です。
国道268号線沿いの京町にあるディスカウント店(アタックス)から見た「矢岳高原」。



写真DM: 左寄りに矢岳高原の休憩所(きゅうけいしょ)、矢岳高原展望台、野口雨情の歌碑(かひ)などが見えています。
国道268号線沿いの京町にあるディスカウント店(アタックス)から見た「矢岳高原」。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)