一ツ瀬川、一ツ瀬川の散歩コース、山角橋、千田 潜水橋、九州山地の展望 (ひとつせがわ、やますみばし、ちだせんすいはし、潜水橋、潜り橋 (もぐりはし)、中州、さいと温泉、西都変電所、学習等共用施設 千田館、下水流大橋 (しもずるおおはし)、弘法大師 参道)  (宮崎県 西都市 大字調殿、大字南方)







<標高、位置>  一ツ瀬川の「山角橋(やますみばし)」は
標高 約10 m
 北緯32度06分45秒  東経131度25分06秒

<標高、位置>  千田 潜水橋 (ちだ せんすいはし)は
標高 約10 m
 北緯32度07分16秒  東経131度25分00秒


 一ツ瀬川の「山角橋 (やますみばし)」は宮崎県 西都市 大字調殿 字山角にあります。
山角橋は県道24号線にある橋で、昭和57年3月に完成しました。 旧 山角橋も一部コンクリートがそばに残っています。 旧山角橋は現在の山角橋より幅が狭(せま)い橋でした。 旧山角橋は昭和39年2月に竣工(完成)して、昭和57年3月に新しい山角橋が完成するまで使用されました。
山角橋の西端は大字調殿 字山角で東端は大字南方 字城平で、西都市の中心部と新富町、高鍋町、木城町などを結びます。

 一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。

「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真A: 宮崎県 西都市にある一ツ瀬川の右岸(下流に向かって右)の堤防の上の車道です。 県道24号線の青い色の「山角橋 (やますみばし)」が見えます。 北を見たもの。



写真B: 県道24号線の青い色の「山角橋 (やますみばし)」です。 竣工(完成)は昭和57年3月です。 左方向に進むと西都市の中心部、右方向に進むと新富町、高鍋町などに行きます。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真C: 手前の河川敷はゴルフ場になっています。 対岸の右の建物は西都市衛生センターで、左は宴会場(えんかいじょう)の敷島(しきしま)です。



写真D: 一ツ瀬川の西岸から対岸を見た景色です。



写真E: 一ツ瀬川の下流方向を見たもの。 この先に金丸井堰(いせき、金丸頭首工)があります。 その先に新瀬口橋もあります。
井堰(いせき、金丸頭首工)はせき止めて川の水面を上げ、用水路に水を流し田んぼに水を送るためのものです。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真F: 一ツ瀬川の西岸堤防の上です。 南を見た景色です。



写真G: 南西を見たもの。 左寄りの高い尖(とが)った山は国見山(標高 1036.3 m)です。 九州山地の山並み(やまなみ)が見えています。



写真H: 西を見た景色です。 右端の山は大瀬内山(標高 978.6 m)でその左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)、猪田山(標高 741 m)などが見えます。



写真I: 中央右寄りの山は尾鈴山(標高 1405.2 m)です。 左寄りに大瀬内山(標高 978.6 m)でその左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)が見えます。 北西を見たもの。



写真J: 北を見た景色です。 青い色の山角橋の少し奥(北)には千田 潜水橋 (ちだ せんすいはし)があります。
一ツ瀬川の「山角橋 (やますみばし)」は宮崎県 西都市 大字調殿 字山角にあります。
山角橋は県道24号線にある橋で、昭和57年3月に完成しました。 旧 山角橋も一部コンクリートがそばに残っています。 旧山角橋は現在の山角橋より幅が狭(せま)い橋でした。 旧山角橋は昭和39年2月に竣工(完成)して、昭和57年3月に新しい山角橋が完成するまで使用されました。
山角橋の西端は大字調殿 字山角で東端は大字南方 字城平で、西都市の中心部と新富町、高鍋町、木城町などを結びます。



写真K: 河川敷 (かせんじき)にゴルフをやりに来た人たちの車が見えます。



写真L: ゴルフ場の旗も見えます。 パターゴルフ場でしょうか。



写真M: 山角橋の西端の十字路が見えます。



写真N: 西端付近から見た山角橋。  竣工(完成)は昭和57年3月です。 先に行くと新富町、高鍋町に行きます。



写真O: 山角橋の西端の十字路。



写真P: 「やますみばし、埴輪(はにわ)の古代船の絵(西都市にある西都原古墳から出土しました。)」と橋に書いてあります。
山角橋の西端です。



写真Q: 「竣工(完成) 昭和57年3月、埴輪(はにわ)の絵(西都市にある西都原古墳から出土しました。)」と橋に書いてあります。 山角橋の西端です。



写真R: 山角橋の西端から東を見た景色です。 対岸の右の建物は西都市衛生センターで、その左上は宴会場(えんかいじょう)の敷島(しきしま)です。
一ツ瀬川の「山角橋 (やますみばし)」は宮崎県 西都市 大字調殿 字山角にあります。
山角橋は県道24号線にある橋で、昭和57年3月に完成しました。 旧 山角橋も一部コンクリートがそばに残っています。 旧山角橋は現在の山角橋より幅が狭(せま)い橋でした。 旧山角橋は昭和39年2月に竣工(完成)して、昭和57年3月に新しい山角橋が完成するまで使用されました。
山角橋の西端は大字調殿 字山角で東端は大字南方 字城平で、西都市の中心部と新富町、高鍋町、木城町などを結びます。



写真S: 南東を見たもの。



写真T: 南を見た景色です。



写真U: 南西を見たもの。 先に行くと西都市の中心部、宮崎市などに行きます。



写真V: 西を見たもの。



写真W: 一ツ瀬川の右岸(下流を見て右)の上の車道です。 上流方向を見たもの。 北を見た景色です。 この先に進むとまもなく「千田 潜水橋 (ちだ せんすいはし)」があります。 道の左に赤いサイレンの塔が見えます。 中央の遠くの山は尾鈴山(標高 1405.2 m)です。



写真X: 北東を見た景色です。 電柱の右に旧 山角橋の一部が残っています。 対岸の集落、手前の河川敷の広場も見えます。
昭和30年(1955年)頃は、山角橋の西岸の少し(数十メートル)上流で子供たちが水遊び、水泳をしていました。



写真Y: 東を見たもの。
昭和30年(1955年)頃は、山角橋の西岸の少し(数十メートル)上流で子供たちが水遊び、水泳をしていました。



写真Z: 先(東)に進むと西都市の大口川の十字路、新富町、高鍋町などに行きます。



写真AA: 手前にコンクリート製の旧 山角橋の両側の一部が2個残っています。 対岸にも同様なものが残っています。 現在の山角橋より幅が狭(せま)い橋でした。 旧山角橋は昭和39年2月に竣工(完成)しました。
新しい現在の山角橋は竣工(完成)が昭和57年3月ですので、その頃まではこの旧山角橋が使われていました。
昭和30年(1955年)頃は、山角橋の西岸の少し(数十メートル)上流で子供たちが水遊び、水泳をしていました。



写真AB: 上流側から見た西都市の山角橋です。 手前にコンクリート製の「旧 山角橋の一部」が見えます。
新しい現在の山角橋は竣工(完成)が昭和57年3月ですので、その頃まではこの旧山角橋が使われていました。
昭和30年(1955年)頃は、山角橋の西岸の少し(数十メートル)上流で子供たちが水遊び、水泳をしていました。



写真AC: 西岸にある旧 山角橋の一部です。 「山角橋」と書いてあります。
新しい現在の山角橋は竣工(完成)が昭和57年3月ですので、その頃まではこの旧山角橋が使われていました。



写真AD: 西岸にある旧 山角橋の一部です。 「昭和39年2月 竣工(完成)」と書いてあります。
新しい現在の山角橋は竣工(完成)が昭和57年3月ですので、その頃まではこの旧山角橋が使われていました。



写真AE: この堤防の上の道を北に進みます。 左に赤い色のサイレンが見えています。



写真AF: 西岸の堤防から見た山角橋です。



写真AG: 山角橋の西端の十字路が見えます。 振り返ったもの。 左に旧 山角橋のコンクリート2個が残っています。



写真AH: 赤いサイレンが塔の上にあります。



写真AI: 「危ない!! ダムの水をながし川の水がふえることがありますのできをつけてください。」の看板(かんばん)がサイレンのそばにあります。 ダムの放流による増水に注意
この川の上流 10.0 km のところに杉安ダムがあり、時々ダムにたまった水を流し、この川の水が増えることがありますので注意して下さい。 また、ダムにたまった水を流すときは、左記のとおりサイレンでお知らせしますので、その時には危険ですから河原に降りないで下さい。
九州電力株式会社
と書いてあります。



写真AJ: 河原に降りる階段があります。



写真AK: 河原に降りる階段。



写真AL: 「入口 さいと温泉」の看板(かんばん)が見えます。 左に降りる道もあります。



写真AM: 「入口 さいと温泉」の看板(かんばん)が見えます。 左に降りる道もあります。



写真AN: 「←入口 さいと温泉、この先 100 m 左側」の看板が見えます。



写真AO: 左の建物が「さいと温泉」です。 奥が本館、手前が別館です。



写真AP: 「さいと温泉」が堤防の西に見えます。



写真AQ: 九州山地の山々が見えます。



写真AR: 古い建物の跡(あと)のようなものがあります。



写真AS: 右奥は「さいと温泉」です。



写真AT: 来た道を振り返ったもの。 山角橋も見えます。



写真AU: 左寄り遠くに尾鈴山(標高 1405.2 m)の上部が薄く見えます。 右寄りの上部に白く西都市の福祉施設が見えます。



写真AV: 左に、西都市にある西都変電所が見えます。



写真AW: 西都市にある西都変電所と農業用ビニールハウス、人家が見えます。



写真AX: 農業用ビニールハウスが多く見えます。 それを冬に暖めるための重油のタンクも2つ見えます。 左手前はミカンの木です。



写真AY: 堤防の上から西を見た景色です。 九州山地の山並み(やまなみ)が美しい。 人家も見えます。



写真AZ: 中央右寄りに茶色の屋根の西都商業高校 (県立 西都商業高等学校)の体育館が見えます。 左寄りの高い山は国見山(標高 1036.3 m)です。 国見山の奥の麓(ふもと)には西米良村の児原稲荷神社(こばるいなりじんじゃ)があります。



写真BA: 「さいと温泉」の駐車場、農業用ビニールハウス、人家などが見えます。



写真BB: さいと温泉の建物が見えます。



写真BC: 西都市にある一ツ瀬川の西岸堤防です。 上流方向を見たもの。



写真BD: 道路標識の左下に「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」が小さく見えてきました。 奥の山は鹿遊連山(かなすみれんざん)の山です。 堤防の斜面には黒く野焼きの跡が見えます。



写真BE: 一ツ瀬川です。 上流方向を見たもの。



写真BF: 対岸(東岸)に台地が見えます。



写真BG: 対岸の集落が見えます。 対岸にも川に沿(そ)った車道があります。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真BH: 下流方向を見たもの。 右に山角橋、左に人家が見えます。



写真BI: 南を見た景色です。



写真BJ: 中央右寄りに国見山(標高 1036.3 m)が見えます。



写真BK: 西都市にある西都変電所が見えます。



写真BL: 水面の上に千田潜水橋(ちだせんすいはし)が見えます。 左遠くの山は鹿遊連山(かなすみれんざん)の山です。



写真BM: 中央に千田潜水橋(ちだせんすいはし)が見えています。



写真BN: 千田潜水橋(ちだせんすいはし)と対岸に千田地区の集落が見えます。 左上に携帯電話の基地局アンテナと西都市の福祉施設が白く見えています。 台風、ダムの放流などで水位が上がると水没(すいぼつ)する橋なので「潜水橋(せんすいはし)」と呼(よ)ばれます。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真BO: 宮崎県 西都市にある千田 潜水橋と対岸にある千田地区の集落が見えます。



写真BP: 西都市にある千田 潜水橋と対岸にある千田地区の人家、水門、道が見えます。



写真BQ: 西岸堤防です。 ダムの放流などを知らせる電光掲示板、千田潜水橋に降りる道が見えます。



写真BR: 「杉安ダム 放流中」の電光掲示板があります。 北西を見たもの。



写真BS: 看板(かんばん)、掲示板が土手の内側にあります。



写真BT: 「この川は、みんなの財産です。 美しく豊かな川をみんなで守りましょう。」の看板があります。
空き缶、紙くずなどをすてたり、油などを流し水を汚すようなことをしてはいけません。 一人ひとりの注意で美しく豊かな河川環境をつくりましょう。
一ツ瀬川水系河川をきれいにする連絡会議
西米良村、西都市、新富町、佐土原町、高鍋保健所、中央保健所、西都土木事務所、高鍋土木事務所、宮崎土木事務所
と書いてあります。



写真BU: この土手の内側の道を下って「千田潜水橋」に行きます。 増水などで通れないときは、踏切(ふみきり)の棒が閉(し)められます。 東を見たもの。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真BV: 西岸の堤防と潜水橋の間の風景です。 北を見たもの。



写真BW: 土手の下の掲示板、看板が見えます。



写真BX: 麦畑(むぎばたけ)、潜水橋などが見えます。



写真BY: 南東を見たもの。
電柱の左側にちょうどカラスが飛んでいました。



写真BZ: 堤防から下って来た道です。



写真CA: 潜水橋が増水して通れないときには踏切の棒が閉(し)められます。
「歩行者・自転車優先 ご協力お願いします。」と「あぶない!! はしのうえで あそんでは いけません 西都市」の看板(かんばん)もあります。



写真CB: 「お知らせ」の看板があります。
台風および大雨洪水警報、注意報発令中またはダム放流などで夜間に増水が予想される場合は最終午後10時をもって遮断(しゃだん)し、解除については管理者の判断で午前6時から解除します。
西都市長
と書いてあります。



写真CC: これが千田潜水橋です。 宮崎県 西都市の一ツ瀬川にかかっています。
橋の手前の下り坂の両側は石垣(いしがき)になっています。 東を見たもの。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真CD: 宮崎県 西都市にある一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」です。 千田地区の人家、電柱、道路のガードレールも見えます。



写真CE: 千田潜水橋の西岸の坂道の両側は石垣(いしがき)になっています。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真CF: 上流方向を見たもの。 白い下水流大橋(しもずるおおはし)が見えています。 その下に野鳥の白いサギが飛んでいます。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真CG: 対岸(東岸)にある千田(ちだ)地区の人家などが見えます。 右端は千田潜水橋です。



写真CH: 千田潜水橋には手すりがありません。 一ツ瀬川の水面の様子(ようす)がよく分かります。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真CI: 対岸に消防団の建物も見えています。 手前の木に草が絡(から)まっています。 これは台風などで増水した時のものです。 このような時には千田潜水橋は水没(すいぼつ)してしまいます。 それで潜水橋と呼(よ)ばれます。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真CJ: 川岸には石が針金の入れ物に入れて並(なら)べてあります。



写真CK: 来た道を振り返ったもの。 この石垣は「野面積み(のづらづみ)」の方法で作られていることが分かります。 堤防の上の電光掲示板も見えています。



写真CL: 宮崎県 西都市にある一ツ瀬川の千田潜水橋の中央付近から下流方向を見た景色です。 遠く左岸(下流を見て左)の人家も見えます。 右に西都変電所のそばの送電線鉄塔も見えています。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真CM: 西都市にある一ツ瀬川の千田潜水橋の中央付近から上流方向を見た景色です。 下水流大橋(しもずるおおはし)が白く見えます。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真CN: 渡りきって振り返ったもの。 軽自動車が千田潜水橋を渡っています。 堤防の上の電光掲示板も見えます。 西を見た景色です。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真CO: 左に水面のそばまで行く道があります。 左端に西都変電所のそばの送電線鉄塔があります。 軽自動車が潜水橋を渡っています。



写真CP: こちらの岸(東岸)にも針金の入れ物に入れた石が積(つ)んであります。 護岸のためのものです。 南を見た景色です。



写真CQ: 千田潜水橋の東端近くによく目立つ木があります。



写真CR: 東端の踏切の棒が見えます。 増水したときには閉(と)じられます。



写真CS: 千田潜水橋の東端付近には西端にあったような石垣はありません。



写真CT: このあたりも野焼きが行われたようです。 護岸のため、針金の入れ物に石が入れてあります。 北西を見たもの。



写真CU: 対岸(西岸)を見た景色です。 九州山地の山並み(やまなみ)が美しく見えています。



写真CV: 西都市にある千田潜水橋を渡りきって振り返ったもの。 堤防の上の電光掲示板も見えます。 西を見た景色です。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真CW: 千田潜水橋を渡りきって振り返ったもの。 堤防の上の電光掲示板も見えます。



写真CX: 千田潜水橋は手すりの無いコンクリート橋です。



写真CY: 潜水橋の東端にある踏切(ふみきり)の開閉する棒です。



写真CZ: 千田潜水橋の東端近くに「和合の心得(わごうのこころえ)」の石碑(せきひ)があります。 後ろにソテツの木があります。



写真DA: 「和合の心得」
一、お互い人々の人格は、尊重し互助の心を重んじよう。 一、人様に苦言を投じる時は、日頃の自分を省(かえり)みて申すべし。 一、若(も)し自分が、過(あやま)ちで生じた不都合(ふつごう)は素直(すなお)に認め反省すべし。 一、自分が犯(おか)した不都合を正当化するは、愚(おろ)かなり生涯良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて生きねばならぬ。 一、自分の思い込みや感情のみで、物事を解(かい)するなかれ、過(あやま)ちや誤解を生ずることもある。 一、思いやりの心に真心(まごころ)通(かよ)う。 一、より住み良い地区をめざして皆で結ぼう 和の心。
と書かれています。



写真DB: 東端から見た西都市の一ツ瀬川にかかる「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」です。 中央の少し右に国見山(標高 1036.3 m)が見えています。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真DC:  南西を見たもの。 西都変電所のそばの送電線鉄塔も見えます。



写真DD: 千田潜水橋の東端付近にあるよく目立つ木です。 下に野焼きの跡(あと)があります。 この道を進みます。



写真DE: 南東を見たもの。



写真DF: 「和合の心得」
一、お互い人々の人格は、尊重し互助の心を重んじよう。 一、人様に苦言を投じる時は、日頃の自分を省(かえり)みて申すべし。 一、若(も)し自分が、過(あやま)ちで生じた不都合(ふつごう)は素直(すなお)に認め反省すべし。 一、自分が犯(おか)した不都合を正当化するは、愚(おろ)かなり生涯良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて生きねばならぬ。 一、自分の思い込みや感情のみで、物事を解(かい)するなかれ、過(あやま)ちや誤解を生ずることもある。 一、思いやりの心に真心(まごころ)通(かよ)う。 一、より住み良い地区をめざして皆で結ぼう 和の心。
と書かれています。
この石碑(せきひ)のそばにソテツの木、草花が植えてあります。



写真DG: こちらにも道があります。



写真DH: 北西を見たもの。 上流にある下水流大橋(しもずるおおはし)が白く見えます。
中央付近に大瀬内山(標高 978.6 m)でその左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)、猪田山(標高 741 m)などが見えます。



写真DI: 左端に国見山(標高 1036.3 m)が見えています。



写真DJ: 東端から見た一ツ瀬川の千田潜水橋です。



写真DK: よく目立つ木のそばの道を進みます。



写真DL: 来た道を振り返ったもの。 右寄りに大瀬内山(標高 978.6 m)でその左りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)などが見えます。 よく目立つ木があります。 右寄りに白い下水流大橋(しもずるおおはし)も見えます。



写真DM: 左寄りに国見山(標高 1036.3 m)が見えます。



写真DN: 野焼きが行われたようです。
遠くに西都変電所のそばの送電線鉄塔が見えます。



写真DO: 緑色も見えます。



写真DP: 緑色と黒い野焼きの跡(あと)が見えます。



写真DQ: 遠くに千田(ちだ)地区の人家も見えます。



写真DR: 遠くに見える千田(ちだ)地区の人家。



写真DS: 千田潜水橋の東岸にあるよく目立つ木、九州山地の山々が見えます。 振り返ったもの。



写真DT: 航空自衛隊 新田原基地のジェット戦闘機が2機上空を飛んでいました。



写真DU: 中央の白い2階建ては消防団の建物です。 その左に石碑(せきひ)も小さく見えます。



写真DV: 2階建ての消防団の建物、その奥に学習等共用施設 千田館、その左に石碑、祠(ほこら)、2つ目の石碑も見えます。
 


写真DW: 一ツ瀬川の東岸堤防の内側に小川が流れています。



写真DX: 一ツ瀬川の東岸堤防の内側にある小川。



写真DY: 千田地区の消防団の建物です。



写真DZ: 消防団の建物の左に掲示板、柱(ポール)、石碑(せきひ)が見えます。



写真EA: 北西を見た景色です。



写真EB: 通ってきた堤防の内側の道、九州山地の山並みが見えます。



写真EC: 付近の様子(ようす)です。



写真ED: 先に進むと山角橋の東端に行きます。



写真EE: 先に進むと山角橋の東端に行きます。



写真EF: 「急傾斜地崩壊危険区域 千田地区」の看板(かんばん)があります。



写真EG: 「西都市 千田」の標識棒があります。



写真EH: 消防団の建物の壁に「千田地区 土砂災害危険区域図」の看板があります。



写真EI: 「西都市消防団 第2分団第6部 ファイトある団員募集!」の看板が消防団の建物の壁にあります。



写真EJ: 掲示板があります。



写真EK: 消防のホースを乾かすための柱(ポール)があります。



写真EL: 柱(ポール)の左に石碑(せきひ)があります。



写真EM: 「千田潜水橋 竣工之碑」があります。 昭和32年5月12日建立。 後ろにソテツの木があります。 右は柱(ポール)です。



写真EN: 「千田潜水橋 竣工之碑 昭和32年5月12日建立」があります。
一ツ瀬川の「千田潜水橋 (ちだせんすいはし)」は宮崎県 西都市 大字南方 字千田にあります。
西都市 大字調殿と大字南方 字千田を結ぶ潜水橋 (潜り橋 (もぐりはし))です。 昭和32年5月12日に建立されました。 欄干(らんかん、手すり)はありません。 小型車は通ることができます。 川が増水すると水没する橋です。



写真EO: 「千田潜水橋 竣工之碑 昭和32年5月12日建立」の近くです。



写真EP: 「昭和32年5月12日建立」と彫(ほ)ってあります。
「千田潜水橋 竣工之碑」です。



写真EQ: こちらにも石碑があります。 その右に「学習等共用施設 千田館」があります。 右端は消防団の建物です。



写真ER: 石碑(せきひ)があります。



写真ES: 「昭和6年1月 上穂北村長」の文字も見えます。



写真ET: 「学習等共用施設 千田館」です。



写真EU: 「学習等共用施設 千田館」。



写真EV: 消防団の建物です。



写真EW: 「学習等共用施設 千田館」と書いてあります。



写真EX: 千田館のそばにある猿対策の看板。 このあたりにも日本猿が住んでいるようです。
「サルのこない集落へ」の看板です。
サルが何度も集落にやってくる=集落で餌付け(えづけ)がされている!!
「2種類のエサ」食べたら人が怒るエサ 農作物、食べても人は怒らないエサ 残飯・農作物の残遺など。
「集落内のルール」サルを見たら、とにかく花火などで追い払う。
*外で花火の音がしたら、サルが出た合図!みんなで追い払って!!
「予防対策」生ゴミを外に捨てない、はたけ周辺の草払いをマメに実施しスッキリさせておく、収穫しない果樹いっそのこと切ってしまう、山から続いている竹やぶを切り払う。
*1人2人でやっても効果がありません。 みんなで協力し合ってください!!
と書いてあります。



写真EY: 千田館の近くです。



写真EZ: 千田館の近く。 北西を見たもの。



写真FA: 石碑、一ツ瀬川の遠くに九州山地の山々が見えます。



写真FB: 千田館の近くから西を見た景色です。 左端は消防団の建物です。 電柱の左に国見山(標高 1036.3 m)が見えます。



写真FC: 左端は消防団の建物です。 南を見た景色です。 先に進むと山角橋の東端に行きます。



写真FD: 一ツ瀬川の東岸の車道を南に行きます。 先には山角橋があります。



写真FE: 右に畑、倉庫もあります。 左は山になっています。 山と一ツ瀬川の間に道が南北に通っています。



写真FF: このあたりは低くなっています。 車道をフタ付きの溝(みぞ)が横切っています。 左に山に上がる道があるようです。



写真FG: このあたりは低くなっています。 車道をフタ付きの溝(みぞ)が横切っています。



写真FH: 「イナバ物置」の看板(かんばん)があります。



写真FI: 来た道を振り返ったもの。 右は杉林になっています。



写真FJ: 飲料水の自動販売機があります。 振り返ったもの。



写真FK: コカコーラを飲みました。



写真FL: ガードレールの右に大きな切った木が置いてありました。



写真FM: 右に竹林が見えます。



写真FN: 「あぶない スピード落とせ 千田公民館」の看板があります。 左に石垣があります。



写真FO: 一ツ瀬川の方向(西)に水面が見えています。



写真FP: 「あぶない スピード落とせ 千田公民館」の看板があります。



写真FQ: 人家が見えてきました。 一ツ瀬川は右手にあります。



写真FR: 一ツ瀬川の河川敷(かせんじき)に木などが茂(しげ)っています。



写真FS: 一ツ瀬川の河川敷(かせんじき)に降りる階段があります。



写真FT: 右にミラーがあります。



写真FU: 電柱もあります。



写真FV: 竹林があります。



写真FW: 左側に脇道(わきみち)があり、その右に小川があります。



写真FX: 脇道(わきみち)があり、その右に小川があります。



写真FY: 「土石流危険渓流(けいりゅう) 京新田川(きょうしんだがわ) 宮崎県 西都市」の看板があります。



写真FZ: コンクリートで塗(ぬ)られた崖(がけ)の上に墓地があります。 左のガードレールの少し先に御幣(ごへい)が供(そな)えてあります。



写真GA: 道端(みちばた)に御幣(ごへい)が供(そな)えてあります。



写真GB: 右側に一ツ瀬川が見えます。



写真GC: 農家の納屋(なや)、右手前にゴミ出しの建物らしいものがあります。



写真GD: 左手に山と農家の納屋(なや)が見えます。 杉の木もあります。



写真GE: 来た道を振り返ったもの。



写真GF: 崖(がけ)の上に墓場が見えます。



写真GG: 先にも人家があります。



写真GH: 右は竹林です。



写真GI: 「山角橋」が見えて来ました。 水面の左寄りに鴨(かも)などの水鳥が浮いています。 南を見た景色です。



写真GJ: 一ツ瀬川と山角橋です。 奥が下流方向です。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真GK: 東岸から見た一ツ瀬川です。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真GL: 東岸から見た一ツ瀬川。



写真GM: 来た道を振り返ったもの。 右に上り坂の脇道(わきみち)があります。



写真GN: 来た道を振り返ったもの。



写真GO: 一ツ瀬川の水鳥(カモなど)と山角橋 (やますみばし)です。 南を見た景色です。 左端はミラーです。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真GP: 来た道を振り返ったもの。 このあたりは一ツ瀬川の水面がそばまで来ています。



写真GQ: 対岸(西岸)の西都変電所の送電線鉄塔などが見えます。 遠く右寄りに大瀬内山(標高 978.6 m)、その左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)、猪田山(標高 741 m)などが見えます。



写真GR: 中央左寄りに国見山(標高 1036.3 m)が見えます。 手前は一ツ瀬川。



写真GS: 竹林があります。



写真GT: 南を見たもの。



写真GU: 大瀬内山(標高 978.6 m)、その左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)などが見えます。



写真GV: 西岸にある西都変電所の送電線鉄塔などが見えます。 地蔵岳(標高 1089 m)、猪田山(標高 741 m)などが見えます。



写真GW: 中央に国見山(標高 1036.3 m)が見えます。 その下に「さいと温泉」の建物が見えます。



写真GX: 青い山角橋です。



写真GY: 駐車場に車が置いてあります。



写真GZ: 竹やぶの向こうに一ツ瀬川の水面が見えます。



写真HA: このあたりは山角橋がよく見えます。



写真HB: 一ツ瀬川の左岸(下流を見て左)の車道です。



写真HC: 景色が開けてきます。



写真HD: 左寄りに国見山(標高 1036.3 m)が見えます。



写真HE: 一ツ瀬川の対岸と遠くの山です。



写真HF: 大瀬内山(標高 978.6 m)、その左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)などが見えます。
遠く下流に白く下水流大橋(しもずるおおはし)、その左に西都変電所の送電線鉄塔も見えます。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真HG: 来た道を振り返ったもの。



写真HH: 大瀬内山(標高 978.6 m)の上の送電線鉄塔も見えます。 これは木城町 小丸川の揚水発電所から綾町(あやちょう)の方に続いている送電線鉄塔です。
手前に白く下水流大橋とそのさらに手前に先ほど渡った「千田潜水橋(ちだせんすいはし)」が黒く見えます。



写真HI: 対岸の西都変電所が見えます。 大瀬内山(標高 978.6 m)、その左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)などが見えます。



写真HJ: 右寄りに地蔵岳(標高 1089 m)、猪田山(標高 741 m)などが見えます。



写真HK: 西岸の「さいと温泉」の建物が見えます。



写真HL: 中央に国見山(標高 1036.3 m)が見えます。



写真HM: 対岸の山角橋の西端付近が見えています。 手前に小さく船が見えます。



写真HN: 宮崎県 西都市にある一ツ瀬川の「山角橋 (やますみばし)」。



写真HO: 一ツ瀬川の山角橋です。



写真HP: 一ツ瀬川の東岸の道です。



写真HQ: 大瀬内山(標高 978.6 m)、その左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)、猪田山(標高 741 m)などが見えます。



写真HR: 左はモウソウダケの竹林です。



写真HS: モウソウ竹の竹林があります。



写真HT: 東岸から見た山角橋。



写真HU: 来た道を振り返ったもの。



写真HV: 遠くに薄く尾鈴山(標高 1405.2 m)が見えています。



写真HW: 右寄りは鹿遊連山(かなすみれんざん)の山です。 左寄りは大瀬内山(標高 978.6 m)です。



写真HX: 大瀬内山(標高 978.6 m)、その左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)などが見えます。
対岸に船がつないであります。



写真HY: 右に猪田山(標高 741 m)が見えています。



写真HZ: 山角橋の西端付近です。



写真IA: 中央に国見山(標高 1036.3 m)が見えます。 「国見山と山角橋」の写真です。



写真IB: 一ツ瀬川の山角橋。



写真IC: 東岸にある旧 山角橋の一部です。 コンクリート製で昭和39年2月 竣工(完成)でした。 東岸のもう一つの物は右の藪(やぶ)の中にあってこの位置からは見えていません。
新しい現在の山角橋は竣工(完成)が昭和57年3月ですので、その頃まではこの旧山角橋が使われていました。



写真ID: 東岸にある旧 山角橋の一部です。 コンクリート製で昭和39年2月 竣工(完成)でした。 
新しい現在の山角橋は竣工(完成)が昭和57年3月ですので、その頃まではこの旧山角橋が使われていました。
コンクリートに「一つ瀬川」と書いてあります。



写真IE: 手前の川岸にコンクリートのテトラポットが見えます。



写真IF: 東岸にある旧 山角橋の一部です。 コンクリート製で昭和39年2月 竣工(完成)でした。 
新しい現在の山角橋は竣工(完成)が昭和57年3月ですので、その頃まではこの旧山角橋が使われていました。



写真IG: 山角橋の少し上流のこのあたりで昭和30年頃は子供たちが水遊び、水泳をしていました。



写真IH: 東岸のもう一つの旧山角橋の一部の物はこの藪(やぶ)の中にあリます。 よく見るとこの写真で確認できます。



写真II: 近くの様子(ようす)です。



写真IJ: 奥に道とモウソウダケの竹林があります。



写真IK: 道とモウソウダケの竹林があります。



写真IL: 旧山角橋の近くです。



写真IM: 旧山角橋の近く。



写真IN: 手前の旧 山角橋のコンクリートと奥の新 山角橋です。



写真IO: 旧山角橋のすぐ下は水が来ています。



写真IP: 東岸のもう一つの旧山角橋の一部の物はこの藪(やぶ)の中にあリます。 よく見るとこの写真で確認できます。



写真IQ: 突(つ)き当りは新 山角橋の東端です。



写真IR: 西都市にある一ツ瀬川の山角橋。 西を見た景色です。



写真IS: 一ツ瀬川の山角橋。 西を見た景色です。 中央に国見山(標高 1036.3 m)が見えます。



写真IT: 山角橋の東端部分です。



写真IU: 一ツ瀬川の東岸の道と県道24号線の交差点です。



写真IV: 川沿(ぞ)いの道に側溝(そっこう)があります。



写真IW: 川沿(ぞ)いの道の側溝(そっこう)。



写真IX: 来た道を振り返ったもの。



写真IY: 北西を見たもの。



写真IZ: 左端は国見山(標高 1036.3 m)です。
一ツ瀬川の「山角橋 (やますみばし)」は宮崎県 西都市 大字調殿 字山角にあります。
山角橋は県道24号線にある橋で、昭和57年3月に完成しました。 旧 山角橋も一部コンクリートがそばに残っています。 旧山角橋は現在の山角橋より幅が狭(せま)い橋でした。 旧山角橋は昭和39年2月に竣工(完成)して、昭和57年3月に新しい山角橋が完成するまで使用されました。
山角橋の西端は大字調殿 字山角で東端は大字南方 字城平で、西都市の中心部と新富町、高鍋町、木城町などを結びます。



写真JA: 「河川を美しく!」の看板があります。
河川はみんなのものです。 河川区域ではゴミなどを捨てることも焼くこともできません。
この禁止行為に違反した場合は罰則が科(か)せられます。 一人ひとりの注意できれいな川にしましょう。
西都土木事務所、西都警察署長
と書いてあります。



写真JB: 「城平(じょうびら) 弘法大師 参道口」と書いてあります。
弘法大師関係はそばの山の上にあります。



写真JC: 標識棒の一番上に弘法大師の像があります。
「城平(じょうびら) 弘法大師 参道口」と書いてあります。



写真JD: 標識棒の一番上に弘法大師の像があります。
「城平(じょうびら) 弘法大師 参道口」と書いてあります。



写真JE: 標識棒の一番上に弘法大師の像があります。
「城平(じょうびら) 弘法大師 参道口」と書いてあります。



写真JF: 西都市にある一ツ瀬川の山角橋の東端です。
大瀬内山(標高 978.6 m)、その左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)、猪田山(標高 741 m)などが見えます。



写真JG: 西都市にある一ツ瀬川の山角橋の東端。
中央に国見山(標高 1036.3 m)が見えます。



写真JH: 竹林が近くにあります。 県道24号線です。



写真JI: 先(東)に進むと新富町、高鍋町などに行きます。 山の中腹に宴会場の敷島(しきしま)が見えます。



写真JJ: 弘法大師 参道です。



写真JK: 近くに竹林があります。



写真JL: 今まで歩いてきた道を振り返ったもの。 北を見たもの。



写真JM: 今まで歩いてきた道を振り返ったもの。



写真JN: 「山角橋、埴輪(はにわ)の絵」が橋に書いてあります。



写真JO: 「一ツ瀬川、埴輪(はにわ)の絵」が橋に書いてあります。 「山角橋と国見山」の写真です。



写真JP: 「山角橋、埴輪(はにわ)の絵」が橋に書いてあります。
一ツ瀬川の「山角橋 (やますみばし)」は宮崎県 西都市 大字調殿 字山角にあります。
山角橋は県道24号線にある橋で、昭和57年3月に完成しました。 旧 山角橋も一部コンクリートがそばに残っています。 旧山角橋は現在の山角橋より幅が狭(せま)い橋でした。 旧山角橋は昭和39年2月に竣工(完成)して、昭和57年3月に新しい山角橋が完成するまで使用されました。
山角橋の西端は大字調殿 字山角で東端は大字南方 字城平で、西都市の中心部と新富町、高鍋町、木城町などを結びます。



写真JQ: 山角橋の上から北西を見た景色です。 鹿遊連山 (かなすみれんざん)が見えています。



写真JR: 山角橋の上から西を見た景色です。



写真JS: 山角橋の上から北西を見たもの。 このあたりで昭和30年頃は子供たちが水遊び、水泳をして楽しんでいました。



写真JT: 山角橋の上から北を見たもの。 通ってきた右の道が見えます。 人家も見えます。
右に旧 山角橋のコンクリートが見えています。



写真JU: 左端に旧 山角橋のコンクリートが見えています。



写真JV: 山角橋の上から東を見たもの。 宴会場 敷島(しきしま)が見えます。



写真JW: 山角橋の上から南を見た景色です。 一ツ瀬川の島(中洲)が見えます。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真JX: 河川敷(かせんじき)にあるパターゴルフ場が見えます。



写真JY: 山角橋の上から西を見た景色です。 国見山(標高 1036.3 m)も見えます。
一ツ瀬川の「山角橋 (やますみばし)」は宮崎県 西都市 大字調殿 字山角にあります。
山角橋は県道24号線にある橋で、昭和57年3月に完成しました。 旧 山角橋も一部コンクリートがそばに残っています。 旧山角橋は現在の山角橋より幅が狭(せま)い橋でした。 旧山角橋は昭和39年2月に竣工(完成)して、昭和57年3月に新しい山角橋が完成するまで使用されました。
山角橋の西端は大字調殿 字山角で東端は大字南方 字城平で、西都市の中心部と新富町、高鍋町、木城町などを結びます。



写真JZ: 一ツ瀬川の山角橋の上から北西を見た景色です。
大瀬内山(標高 978.6 m)、その左寄りに稗畑山(ひえはたやま、標高 853.4 m)、地蔵岳(標高 1089 m)、猪田山(標高 741 m)などが見えます。
一ツ瀬川の「山角橋 (やますみばし)」は宮崎県 西都市 大字調殿 字山角にあります。
山角橋は県道24号線にある橋で、昭和57年3月に完成しました。 旧 山角橋も一部コンクリートがそばに残っています。 旧山角橋は現在の山角橋より幅が狭(せま)い橋でした。 旧山角橋は昭和39年2月に竣工(完成)して、昭和57年3月に新しい山角橋が完成するまで使用されました。
山角橋の西端は大字調殿 字山角で東端は大字南方 字城平で、西都市の中心部と新富町、高鍋町、木城町などを結びます。



写真KA: 一ツ瀬川の山角橋の上から北を見たもの。 尾鈴山(標高 1405.2 m)、左に鹿遊連山(かなすみれんざん)が見えます。
「一ツ瀬川(ひとつせがわ)」は宮崎県の中央部を流れる一ツ瀬川水系の本流です。 二級河川で、延長 91 km、流域面積 786 平方キロメートルです。 流域は椎葉村、西米良村、西都市、新富町、宮崎市 佐土原町で日向灘(ひゅうがなだ)に注(そそ)ぎます。



写真KB: 右に歩いてきた道が見えます。



写真KC: 左寄りに船がつないであります。 上流方向を見たもの。



写真KD: 山角橋の西端の十字路が見えます。



写真KE: 東を見たもの。



写真KF: 東を見た景色です。



写真KG: 上流方向を見たもの。 河川敷に車が置いてあります。



写真KH: 始めに歩いた西岸の道が見えます。
旧 山角橋のコンクリートが見えています。



写真KI: 山角橋の西端です。



写真KJ: 山角橋の西端。



写真KK: 南を見たもの。



写真KL: 南を見たもの。 遠くに鰐塚山(わにづかやま、標高 1118.1 m)が見えます。 その右に青井岳荘のある青井岳峠、その右に青井岳(標高 560.2 m)が見えます。



写真KM: 山角橋の下流方向を見たもの。



写真KN: 新富町、高鍋町方向を見たものです。



写真KO: 一ツ瀬川の西岸の堤防の上の道です。
山角橋の下流側です。



写真KP: 一ツ瀬川の西岸の堤防の上の道。



写真KQ: この先に明治時代初期に造られた金丸井堰(いせき)があります。



写真KR: 南を見たもの。 遠くに鰐塚山(わにづかやま、標高 1118.1 m)が見えます。 その右に青井岳荘のある青井岳峠、その右に青井岳(標高 560.2 m)が見えます。



写真KS: 北を見たもの。 山角橋が見えます。



写真KT: 北東を見た景色です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)