都萬神社 (つま神社) (西都市大字妻1)







<標高、位置>  都万神社(つま神社、都萬神社、都萬宮、妻萬宮とも書かれます)は
標高 約20 m
 北緯32度06分54秒  東経131度24分15秒


 都萬神社(つまじんじゃ)は西都市大字妻にあります。 「さいまんさま」とも呼ばれていて、日向式内社の一つ(日向国二之宮)で、コノハナサクヤ姫(コノハナサクヤヒメ)を祭神としています。
これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。
 コノハナサクヤ姫が3人の皇子を育てるのにお乳の代わりに甘酒を与えたという伝承から「日本清酒発祥の地」の碑もあります。 また拝殿には1451年に献上されたという「日本一の大太刀(おおだち)」が壁に掛けられています。 この長さは3.5メートルあります。 境内にある国指定の天然記念物である「妻のクス」は推定樹齢1200年、根回り16.4メートル、樹回り10.8メートル、高さ40メートル(現在は20メートル)です。
 都萬神社に接して流れている桜川は、室町時代の世阿弥(ぜあみ)元清(1363年−1443年)が作った謡曲桜川の、前半の舞台となった桜川だと伝えられています。 貧しい母子(子供は桜子)が桜馬場(この地名は神社の近くに現存しています)に住んでいて、互いに思いやる親子の愛情と悲運のドラマが語り継がれています。 桜子は母を助けるために身売りしました。 母は気がふれて全国に探しに行きました。 茨城県にも桜川があり、岩瀬町にも流れています。 後半はこの茨城県の桜川が舞台です。 茨城県の岩瀬町(今は桜川市)にある「磯部の桜」を磯部寺の住職(桜子はここの小僧になっていました)と見に来ていた桜子と母は再会しました。 その後、桜子と母は西都市の桜馬場(都萬神社のそばに地名が残っています)に戻り、仏門に入って幸せに暮らしました。


写真A: 日向国 二之宮の都萬神社(つま神社)の看板。 縁結び・安産の神様です。



写真B: 佐土原と杉安を結ぶ道路の十字路。 右奥に都萬神社があります。 左に行くと稚児ヶ池を通って西都原古墳群に行きます。 手前は佐土原、先は杉安方面です。 都萬神社へはここの十字路を右に曲がります。



写真C: 都萬神社(つま神社)の鳥居。 先は西都市妻の本町へ、手前は都萬神社へ行きます。



写真D: 上の写真の鳥居には、第二次世界大戦前に奉納した人の名前が彫ってあります。 田村虎吉、三浦利吉、本部大次郎さんなどの名前が見えます。



写真E: 西都市の都萬神社の鳥居。 先には都萬神社があります。



写真F: 都萬神社の参道。 奥は都萬神社。



写真G: 都萬神社の参道。 先に鳥居と石灯籠が見えています。



写真H: 都萬神社(つま神社)の参道。



写真I: 都萬神社の鳥居。



写真J: 都萬神社の石灯籠(いしどうろう)。



写真K: 都萬神社の境内にある「水波能売大神」。 水波能売は日本における代表的な 水の神(水神)です。



写真L: 都萬神社にある「妻万公園(つま公園)」。 藤棚(ふじだな)とトイレが見えています。



写真M: 「神宮寺跡」の石碑。 妻万公園にあります。



写真N: 妻万公園の石碑。



写真O: 妻万公園にある藤棚。



写真P: 妻万公園に特別史跡 西都原古墳群の石碑があります。 西都原古墳群はここから西の方向に行ったところにあります。



写真Q: 妻万公園に特別史跡 西都原古墳群の石碑があります。 西都原古墳群はここから西の方向に行ったところにあります。



写真R: 都萬神社の境内にある「桜川と桜川物語」の説明板。 都萬神社に接して流れている桜川は、室町時代の世阿弥(ぜあみ)元清(1363年−1443年)が作った謡曲桜川の、前半の舞台となった桜川だと伝えられています。 貧しい母子が桜馬場(この地名は神社の近くに現存しています)に住んでいて、互いに思いやる親子の愛情と悲運のドラマが語り継がれています。



写真S: 「桜川と桜川物語」の説明板。



写真T: 妻萬公園の地図板。



写真U: 都萬神社の境内にある桜川の支流。



写真V: 都萬神社の境内にある島のある池。 水は流れていてきれいです。 島の藤棚が見えています。 昔はここで子供たちが泳いでいました。 このあたりは深めで小学校の上級生が泳いでいて、右方の浅いところでは小学校の下級生が泳いでいました。



写真W: 左の島に渡る橋。 島の藤棚も見えています。



写真X: 西都市の都萬神社には子供の遊具のある広場があります。



写真Y: 都萬神社にある「妻のクス」。 中央の大きな木の幹が天然記念物の「妻のクス」。



写真Z: 天然記念物の「妻のクス」です。



写真AA: 「妻のクス」の根元付近。 推定樹齢1200ねんの楠(くすのき)です。



写真AB: 天然記念物の「妻のクス」。 一見枯れたようにも見えますが、上の方に元気な葉を付けた枝があります。



写真AC: 都萬神社にある天然記念物の楠(くすのき)のそばにある「生産河(しゅさんご)」です。
「生産河(しゅさんご)」は水が自然に湧(わ)き出ている泉です。 滑(なめ)らかな大きな石(水の左に見えています。)をなでると子宝に恵まれるという言い伝えがあります。 御神池(みいけ)です。



写真AD: 「お乳の神様の言われ」の説明板。 婦人がお産されて母乳の足りない方はこの神社にお参りして祈願され、お乳が出るようになったら甘酒を持ってお参りされることになっています。
これは古事記や日本書紀の日向三代神話(日向神話)の部分に対応します。 日本神話の日向三代とは(1)ニニギノミコト、(2)山幸彦、(3)ウガヤフキアエズノミコトの三代です。
 「日向三代神話 (日向神話)」は次のような流れになっています。
(1)天孫降臨(ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん、高千穂峰、東霧島神社、霧島神宮;高千穂町、くしふる神社))、
(2)ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの結婚(西都市の都萬神社と記紀の道、宮崎市の木花神社)、
(3)火中出産(西都市の記紀の道)、
(4)ニニギノミコト(神武天皇のひいおじいさん)とコノハナサクヤヒメの子供の海幸彦と山幸彦(西都市の鹿野田神社、宮崎市の青島神社、鹿児島県の霧島市 鹿児島神宮)、
(5)山幸彦(神武天皇のおじいさん)が海宮(龍宮)へ、
(6)山幸彦と豊玉姫命(神武天皇のおばあさん、鹿児島県の南九州市と指宿市の豊玉姫神社など)の子、ウガヤフキアエズノミコト(神武天皇の父)の誕生(日南市の鵜戸神宮)、
(7)ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫命の妹の玉依姫命(日南市の宮浦神社)が結婚し、第4子 神武天皇が生まれました。 神武天皇(高原町の狭野神社、宮崎市の宮崎神宮、皇宮神社など)が吾平津姫(日南市の吾平津神社)と結婚、長男を連れて神武天皇が神武東征(美々津から出港して橿原(奈良県)地方へ)。



写真AE: 都萬神社の境内にある祇園様(ぎおんさま)の鳥居。 鳥居の先には島のある池が見えています。



写真AF: 祇園神社(ぎおん神社、祇園様、八坂神社とも言います)。 太鼓台(たいこ台)で有名な西都市夏祭りは祇園様の祭りです。 左に島のある池があります。



写真AG: 「記紀の道 都萬神社」の説明板。
 都萬神社はコノハナサクヤ姫を祭ってあり、縁結びの神様として有名です。 また、ニニギノ尊とコノハナサクヤ姫の間に生まれた3人の子供を育てるのに母乳だけでは間に合わず、代わりに甘酒を飲ませて育てたと言い伝えが残る「清酒発祥の地」と言われています。 現に酒元(さかもと)という集落も近くにあります。



写真AH: 都萬神社の参集殿。



写真AI: 都萬神社の参集殿。



写真AJ: 天然記念物の楠(くすのき)以外にも、このような大きい楠の老木があります。



写真AK: 楠の老木。



写真AL: 都萬神社の駐車場。



写真AM: 天然記念物の「妻のクス」。 支柱が数本設置されています。



写真AN: 天然記念物の「妻のクス」の上部。 元気の良い枝が上部にはあって、緑の葉が茂っています。



写真AO: みやざきの巨樹百選にも選ばれています。



写真AP: 国指定天然記念物の「妻のクス」の根元。



写真AQ: 「妻のクス」の説明板。 国指定 天然記念物。 昭和42年と平成2年1月の二回、樹幹の空洞部から出火し被災したり、過去に強風で樹幹を失ったものの、今では樹勢を取り戻し、精力的な神秘さを漂わせています。 推定樹齢1200年、根回り16.4メートル、樹回り10.8メートル、高さ40メートル(現20メートル)。



写真AR: 天然記念物の「妻のクス」の根元には、以前、強風で折れた部分が置いてあります。



写真AS: 都萬神社にある国指定 天然記念物「妻のクス」。 空洞部も見えています。



写真AT: 都萬神社の拝殿と赤色の本殿。



写真AU: 都萬神社の本殿。 日本酒発祥の地と言われていますので、中段に樽酒(たるざけ)が7樽見えています。



写真AV: 都萬神社にある建物。



写真AW: 都萬神社の社務所。



写真AX: 都萬神社の拝殿。



写真AY: 都萬神社の拝殿の中。



写真AZ: 都萬神社の中。 「日本一の大太刀(おおだち)」も壁に掛けてあります。



写真BA: 西都市にある都萬神社の「日本一の大太刀(おおだち)」。 拝殿には1451年に献上されたという「日本一の大太刀(おおだち)」が壁に掛けられています。 この長さは3.5メートルあります。



写真BB: 都萬神社の拝殿の中。 壁に神楽(かぐら)の面(めん)もあります。



写真BC: 都萬神社の神楽の面。 



写真BD: 都萬神社の拝殿の中。



写真BE: 都萬神社の拝殿にある「日本一の大太刀(おおだち)」の看板。



写真BF: 都萬神社の拝殿。 鈴も見えています。



写真BG: 西都市にある都萬神社の拝殿。



写真BH: 拝殿のそばにある絵馬(えま)掛けと石灯籠。



写真BI: 都萬神社の境内。 左は社務所。



写真BJ: 都萬神社の境内。 社務所。



写真BK: 都萬神社の境内。 鳥居。 この先に石積みの太鼓橋(たいこばし)、さらに先に一の鳥居があります。



写真BL: 都萬神社の境内。 中央は御手洗(みたらい)。 左の茶色の屋根の中には、「千年楠(くすのき)の洞洞木」があり、人が輪の中をくぐることが出来ます。



写真BM: 都萬神社の境内。 「千年楠(くすのき)の洞洞木」の左に「日本清酒発祥の地」の木の標識があります。



写真BN: 都萬神社にある「千年楠(くすのき)の洞洞木」。 クスノキの太い幹(みき)が空洞になっています。 その中を人が通り抜けることが出来ます。



写真BO: 都萬神社の境内。 左の鳥居は「山の神 大山祇神社(オオヤマズミ神社)」。



写真BP: 都萬神社の境内。 左は拝殿、石灯籠も見えています。



写真BQ: 都萬神社の案内板。



写真BR: 都萬神社の案内板と日本清酒発祥の地の標識。



写真BS: 都萬神社の本殿(赤色)と拝殿。



写真BT: 都萬神社の拝殿と本殿。



写真BU: 都萬神社の御札(おふだ)を焼くところ。



写真BV: 都萬神社の本殿。 コノハナサクヤ姫が3つ子を育てるのに、お乳の代わりに甘酒を作って飲ませたので、日本清酒発祥の地と言われています。 中段に9樽(たる)の樽酒が奉納してあります。



写真BW: 都萬神社の境内にある「山の神 大山祇神社(オオヤマズミ神社)」。



写真BX: 「山の神 大山祇神社(オオヤマズミ神社)」の説明板。 大山祇(オオヤマズミ)はコノハナサクヤ姫の父君です。



写真BY: 四所神社と霧島神社。 都萬神社の境内の「山の神 大山祇神社(オオヤマズミ神社)」の右手にあります。



写真BZ: 四所神社と霧島神社の説明板。



写真CA: 都萬神社の境内にある記念碑。



写真CB: 都萬神社。



写真CC: 都萬神社の境内。 左は記念碑。



写真CD: 茶色の屋根の中には、「千年楠(くすのき)の洞洞木」があり、人が輪の中をくぐることが出来ます。



写真CE: 都萬神社の御手洗(みたらい)。



写真CF: 手前は石の階段、先の方に石積みの太鼓橋(たいこ橋)、さらに先には一の鳥居があります。



写真CG: 都萬神社の境内。 先には一の鳥居があります。



写真CH: 石の階段の上から見たもの。 石灯籠、相撲の土俵も見えています。



写真CI: 都萬神社の境内。



写真CJ: 都萬神社の狛犬(こまいぬ)、石灯籠(いしどうろう)など。



写真CK: 都萬神社の石灯籠。



写真CL: 上の写真の石灯籠には、明治44年12月1日と彫(ほ)られています。



写真CM: 都萬神社の拝殿、鳥居、階段、石灯籠、左に社務所。



写真CN: 都萬神社の広場、奥に相撲の土俵など。



写真CO: 都萬神社にある相撲の土俵。



写真CP: 都萬神社の境内。 左の奥の白い建物はトイレです。



写真CQ: 都萬神社のイチョウの木。 遊具もあります。



写真CR: 都萬神社の広場。



写真CS: 都萬神社にある相撲の土俵。



写真CT: 都萬神社の境内。



写真CU: 神苑(しんえん)と書かれた石碑。



写真CV: 神苑と書かれた石碑は、明治43年6月に建立されました。



写真CW: 都萬神社の桜川にかかる石積みの太鼓橋(たいこ橋)も見えています。 桜川は一ッ瀬川の支流です。



写真CX: 都萬神社の桜川にかかる石積みの太鼓橋(たいこ橋)。 太鼓橋は明治35年に完成しました。 橋長は9.85 m、橋幅は3.85 m、高さ3.3 mです。 文献によると、石は宮崎市高岡町浦之名産です。 壁石は割った石をそのまま積み上げる乱積みで造られています。 桜川には江戸時代の中期から木の橋がありましたが、増水でたびたび流失しました。 第二次世界大戦後、武装解除で集められた弾薬が境内に保管されていた時期もありました。 視察や回収のために米軍(進駐軍)がこの太鼓橋(神橋)を車で渡り、住民は怒りを感じたそうです。



写真CY: 都萬神社の太鼓橋(タイコ橋)。



写真CZ: 都萬神社の太鼓橋から見た桜川。



写真DA: 都萬神社の太鼓橋。 奥は拝殿です。



写真DB: 西都市にある都萬神社の太鼓橋。 都万神社正遷座記念 新橋復元費奉納 昭和46年11月17日と彫(ほ)られています。



写真DC: 都萬神社の太鼓橋から拝殿方向を望む。 赤い鳥居は稲荷神社。



写真DD: 都萬神社の太鼓橋から見た桜川。



写真DE: 都萬神社の境内にある稲荷神社の赤い鳥居。



写真DF: 都萬神社の境内にある稲荷神社の赤い鳥居。 稲荷神社の祠(ほこら)も見えています。



写真DG: 百度石です。 百度参りは、寺社に参り、その境内の一定の距離を100回往復し、そのたびに拝することです。



写真DH: 都萬神社にある稲荷神社。 右手に桜川が流れています。



写真DI: 稲荷神社。 焼き物の狐(きつね)の像がたくさん置かれていました。



写真DJ: 都萬神社の境内。 休息所が見えています。



写真DK: 都萬神社の境内。 右手を桜川が流れています。



写真DL: 都萬神社の境内にある桜川のほとりの石碑。
 都萬神社に接して流れている桜川は、室町時代の世阿弥(ぜあみ)元清(1363年−1443年)が作った謡曲桜川の、前半の舞台となった桜川だと伝えられています。 貧しい母子(子供は桜子)が桜馬場(この地名は神社の近くに現存しています)に住んでいて、互いに思いやる親子の愛情と悲運のドラマが語り継がれています。
 茨城県にも桜川があり、岩瀬町にも流れています。 後半はこの茨城県の桜川が舞台です。 桜子は身売りして今の茨城県岩瀬町(今は桜川市)の磯部寺に小僧としていました。 母は都萬神社の桜川と同じ名前の川(桜川)が岩瀬町に流れているので、そこへ行きました。 ちょうど磯部寺の住職といっしょに桜川の桜の花を見に来ていた桜子と再会しました。 その後二人で西都市の桜馬場に戻り、仏門に入って幸せに暮らしました。
 私は茨城県に34年間住んでいました。 桜川は岩瀬町から筑波山の裾野(すその)を流れて、霞ヶ浦に注(そそ)いでいます。 その茨城の桜川でフナ釣り、桜見をしたことがあります。 謡曲の岩瀬の桜川の場所にも行ったことがあります。 石碑や天然記念物の桜の木がありました。
 このように西都市と茨城県岩瀬町(今は桜川市)は深い関係があります。 石碑はこの交流を記念したものです。



写真DM: 天然記念物 「常陸国磯部の桜川の桜」からの記念植樹。
 茨城県桜川市には古くからの桜の名所 磯部桜川公園があり、数十種類、1000本の桜の木があります。 室町時代の世阿弥(ぜあみ)元清(1363年−1443年)が作った謡曲桜川からの西都市と桜川市の交流の記念碑です。 茨城県にも桜川があり、岩瀬町にも流れています。 謡曲桜川の前半は都萬神社の桜川で、桜子と母が住んでいました。 後半は岩瀬町の桜川で、そこで桜子と母が再会しました。



写真DN: 室町時代の世阿弥(ぜあみ)元清(1363年−1443年)が作った謡曲桜川からの西都市と桜川市の交流の記念碑です。 「常陸野(ひたちの)の桜川より百の桜子が 桜木となり帰へり来しかも」と彫られています。



写真DO: 室町時代の世阿弥(ぜあみ)元清(1363年−1443年)が作った謡曲桜川からの西都市と桜川市の交流の記念碑です。 「たらちねの母への想い尽きざらぬ 運命に身をも投げし桜子」 と書かれています。



写真DP: 西都市と茨城県桜川市の、世阿弥が作った謡曲 桜川を通しての交流の石碑のそばを流れる西都市の桜川。 茨城県にも桜川があります。



写真DQ: 西都市と茨城県桜川市の、世阿弥が作った謡曲 桜川を通しての交流の石碑と桜川。



写真DR: 都萬神社の境内にある井戸。



写真DS: 都萬神社の社務所のそばの石垣。 おみくじを吊したものも見えています。



写真DT: 都萬神社の社務所のそばの石垣。 おみくじを吊したものも見えています。 鳥居、石灯籠も見えています。



写真DU: 石垣のそばにある祠(ほこら)。



写真DV: 都萬神社の境内。 右には社務所、左には遊具があります。



写真DW: 都萬神社の境内にある「西都市と岩瀬町(今は茨城県桜川市)との文化交流記念樹  (岩瀬町)」と書かれた看板。 まわりの木は柊南天(ひいらぎなんてん)です。



写真DX: 都萬神社のそばにある地名 桜馬場 はこの付近です。 都萬神社から妻の本町に行く道の先に小さく鳥居が見えています。 世阿弥の謡曲桜川の母子(子供は桜子)は、ここ桜馬場に住んでいました。 母を助けるために、桜子は身売りし、茨城県の磯部寺で小僧として居ました。 住職に連れられて磯部の桜川の桜を見に行っていたときに、はるばる桜子を探しに来ていた、気がふれた母と再会しました。 桜子と母はその後、ここ桜馬場に戻り、仏門に入り幸せに暮らしました。
この桜子と母がいたのは、写真の付近(桜馬場)だったことでしょう。



写真DY: 都萬神社のそばにある桜川の上妻橋。



写真DZ: 都萬神社のそばにある桜川の上妻橋。



写真EA: 上妻橋から見た桜川。



写真EB: 上妻橋から見た桜川。 太鼓橋方面を見たもの。



写真EC: 桜川。 太鼓橋も見えています。



写真ED: 都萬神社の 一の鳥居。



写真EE: 都萬神社の 一の鳥居。 先の方に拝殿などがあります。



写真EF: 都萬神社の一の鳥居。



写真EG: 都萬神社の参道。



写真EH: 都萬神社の境内の池。 水は外から引いてありきれいです。 右は島です。 橋も見えています。 以前は、この付近で子供たちが泳いでいました。



写真EI: 都萬神社の池。 以前は、この石の階段から池に降りて、小学生たちが泳いでいました。 今は柵(さく)があって降りられません。



写真EJ: 昔、池へ降りていた階段のそばには、都萬神社の境内にある祇園様(ぎおん様)の鳥居があります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)