都農神社(日向国一之宮) (つの神社、一の宮神社、平成の大造営、殉国慰霊塔、じゅんこくいれいとう、一の宮保育園、都農役場、JR都農駅、尾鈴山、おすず山、尾鈴連山、尾鈴山地)  (宮崎県児湯郡 都農町)







<標高、位置>  都農神社(つのじんじゃ)は
標高 約10 m
 北緯32度15分47秒  東経131度33分31秒

<標高、位置>  都農役場(つのやくば)は
標高 約25 m
 北緯32度15分24秒  東経131度33分35秒

<標高、位置>  JR都農駅(つのえき)は
標高 約16 m
 北緯32度15分04秒  東経131度34分06秒


 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 「都農神社 御由緒」の説明板から、
祭神
大己貴命 (大国主命)
創紀
初代神武天皇が御即位6年前 大和平定に向かわれる途次 国土平安、航海安全、武運長久を祈願のため鎮斎された日向一之宮である。
神徳
縁結び、病気平癒、家内安全、商売繁盛
神階
承和4年(837年、平安時代) 列官社(続日本後紀)
承和10年 従5位下(続日本後紀)
天安2年 従4位上(日本三大実録)
延長5年 式内社(延喜式神名帳)
明治4年 宮崎県で最初の国幣社に列格
造営
元禄5年 藩主 秋月種政、島津大友の乱の折焼失した社殿再興
安政6年 河野喜之助寄進
昭和16年12月6日 皇紀2600年記念神門竣功、境内拡張奉告祭
平成14年 平成の大造営奉賛会設立
平成19年7月7日 社殿竣功御遷座、天皇陛下より奉幣料御下賜
平成19年10月6日 竣功奉祝祭、三笠宮寛仁親王殿下御親拝玉串料御下賜

  都農町の都農役場は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北4874−2にあります。

 日豊本線にあるJR九州 都農駅は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。 都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。




写真A: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 都農神社の近くの国道10号線からは、尾鈴山(標高 1405.2 m、おすずやま)や尾鈴連山(尾鈴山地)が見えます。
尾鈴山は標高 1405.2 mで、都農町と木城町にまたがっています。 近くの山々は尾鈴山地あるいは尾鈴連山と呼ばれています。
右から2番目の二等辺三角形に見える山が尾鈴山です。 左端の東になだらかな稜線の山は上面木山(じょうめぎさん、897 m)です。 南の上面木山(じょうめぎさん、897 m)から北へ黒原山(1217 m)、長崎尾(1373.6 m)、尾鈴山(1405.2 m)、万吉山(1318 m)、東へ角崎山(1071.1 m)、畑倉山(849.4 m)が連(つら)なっていて、尾鈴連山(尾鈴山地)を形成しています。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真B: 都農神社の近くの国道10号線から見た尾鈴連山。 右の手前にある丘に都農ワイナリー(ワイン工場)があります。 その左の大きく見えている山は畑倉山(はたくらやま、標高 849.4 m)で、左端と畑倉山の中央付近に見えている二等辺三角形の山が尾鈴山(標高 1405.2 m、おすずやま)です。 南の上面木山(じょうめぎさん、897 m)から北へ黒原山(1217 m)、長崎尾(1373.6 m)、尾鈴山(1405.2 m)、万吉山(1318 m)、東へ角崎山(1071.1 m)、畑倉山(849.4 m)が連(つら)なっていて、尾鈴連山(尾鈴山地)を形成しています。
尾鈴山は標高 1405.2 mで、都農町と木城町にまたがっています。 近くの山々は尾鈴山地あるいは尾鈴連山と呼ばれています。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真C: 家の上に都農神社の西大鳥居(とりい)が見えています。



写真D: 家の上に都農神社の西大鳥居(とりい)が見えています。



写真E: 尾鈴山は標高 1405.2 mで、都農町と木城町にまたがっています。 近くの山々は尾鈴山地あるいは尾鈴連山と呼ばれています。
左寄りの山が上面木山で、東へのなだらかな稜線(りょうせん)が特徴です。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真F: 都農神社のそばに都農川(一級河川)が流れています。 都農川は都農漁港の北側で太平洋(日向灘)に注(そそ)ぎます。



写真G: 国道10号線沿(ぞ)いにはACOOP都農店があります。



写真H: 都農神社近くの国道10号線。 手前の車の上方に都農ワイナリー(都農ワインの工場)が見えます。



写真I: 右奥は都農神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真J: 奥は都農神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真K: 都農神社の近くに彼岸花(ひがんばな、曼珠沙華(まんじゅしゃげ))が咲いていました。



写真L: 国道10号線の標識。 都農神社、都農ワイナリー(4 km)と書いてあります。



写真M: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 国道10号線のそばに西大鳥居(とりい)が見えます。



写真N: 都農神社の西大鳥居(とりい)。



写真O: 鳥居には「日向国 一宮 都農神社」と書いた額(がく)があります。



写真P: 国道10号線のそばにある都農神社の西大鳥居(とりい)。



写真Q: 国道10号線のそばにある都農神社の西大鳥居(とりい)。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真R: これが都農神社の森です。 うどん屋の建物が見えています。



写真S: 宮崎県児湯郡 都農町にある都農神社の森と建物。



写真T: 都農神社の周(まわ)りの車道。



写真U: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 この西大鳥居(とりい)のむこうに国道10号線が南北(左右)に通っています。 神社は手前側にあります。



写真V: 都農神社の「福徳寮」の建物。



写真W: 右の建物は都農神社の社務所で左は「福徳寮」。



写真X: 都農神社の「福徳寮」。



写真Y: 「一の宮前わくわく市 なにやかに屋 南参道周辺 9月20日9−13時」と書いてある立て看板(かんばん)。



写真Z: 都農神社の駐車場、石灯籠(いしどうろう)、うどん屋の建物。



写真AA: 西大鳥居建設記念の石碑(せきひ)。 昭和53年6月18日竣工(しゅんこう)。



写真AB: 西大鳥居建設記念の石碑(せきひ)。 昭和53年6月18日竣工(しゅんこう)。



写真AC: 西大鳥居建設記念の石碑(せきひ)。 昭和53年6月18日竣工(しゅんこう)。



写真AD: 都農町にある都農神社の境内(けいだい)。 大きな石があります。



写真AE: 都農神社のそばにあるうどん屋。



写真AF: 都農町にある都農神社の境内(けいだい)。 大きな石があります。



写真AG: 「参道、社務所通用口」と書いてある道しるべ。



写真AH: 都農神社の駐車場。



写真AI: 都農神社の車祓所(くるまはらいしょ)。 車の交通安全などを祈願する場所。



写真AJ: 「車祓所(くるまはらいしょ) 祈願をする場所」と書いてある看板(かんばん)。



写真AK: 都農神社の駐車場、西大鳥居(とりい)、うどん屋の建物など。



写真AL: 都農神社の境内(けいだい)。



写真AM: 都農神社の境内で「一の宮前わくわく市 なにやかに屋」が開かれていました。



写真AN: 「一の宮前わくわく市 なにやかに屋 南参道周辺 9月20日9−13時」と書いてある立て看板(かんばん)。



写真AO: 都農神社の境内で「一の宮前わくわく市 なにやかに屋」が開かれていました。 奥は都農神社の神門。



写真AP: 都農神社の境内で「一の宮前わくわく市 なにやかに屋」が開かれていました。 奥は都農神社の神門。



写真AQ: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 奥は神門(南大門)、神橋、石灯籠(いしどうろう)が見えています。 右上に国旗も見えます。 拝殿、本殿は神門の奥にあります。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真AR: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。



写真AS: 都農神社の境内で「一の宮前わくわく市 なにやかに屋」が開かれていました。 奥に都農神社の一の鳥居(とりい)(東側の鳥居)が見えています。



写真AT: 都農神社の一の鳥居(とりい)(東側の鳥居)が見えています。 鳥居の奥の建物は商店です。



写真AU: 都農神社の境内(けいだい)にある石灯籠(いしどうろう)。



写真AV: 「あぶら石」。 左の石碑(せきひ)には「都農神社 遙拝所 あぶら石」、「都農神社 昭和52年10月16日奉納境内に移遷」と書いてあります。 これは民俗文化財史跡です。 遙拝とは遙(はる)かに遠いところから拝(おが)むことです。



写真AW: 石碑(せきひ)には「都農神社 遙拝所 あぶら石」と書いてあります。 これは民俗文化財史跡です。 遙拝とは遙(はる)かに遠いところから拝(おが)むことです。



写真AX: 都農神社の南側の鳥居(とりい)が見えています。 拝殿、本殿は手前側にあります。



写真AY: 都農神社の神橋と神門(南大門)。



写真AZ: 都農神社の神橋、国旗掲揚竿(さお)、石灯籠(いしどうろう)。



写真BA: 都農神社の境内(けいだい)。



写真BB: 奥は都農神社の神門(南大門)。



写真BC: 都農神社の社務所。



写真BD: 社務所と書いてある標識と「結婚式、諸祈願、御祈願受付所」と書いてある看板(かんばん)。



写真BE: 「日向国 一之宮 都農神社 社務所」。



写真BF: 「福徳寮」、「社務所」と書いた標識。



写真BG: 都農神社の社務所。



写真BH: 都農神社の福徳寮と西大鳥居(とりい)。



写真BI: 宮崎県都農町にある都農神社の社務所。



写真BJ: 都農神社の境内。 左は手水舎(ちょうずや)。



写真BK: 「木彫り象」。 「木彫り象一体 平成13年7月吉日 原木はこの夫婦楠(くすのき)の枯れた大幹に由来する。」と書かれています。



写真BL: 「木彫り象」。 「木彫り象一体 平成13年7月吉日 原木はこの夫婦楠(くすのき)の枯れた大幹に由来する。」と書かれています。



写真BM: 境内には杉の林もあります。



写真BN: 都農神社の手水舎(ちょうずや)。 右は神門(南大門)。



写真BO: 左は神門(南大門)。



写真BP: 都農神社の境内。



写真BQ: 都農神社の境内。



写真BR: 神門の方から神橋を見たもの。



写真BS: 宮崎県都農町にある都農神社の神門(南大門)。 御神燈もあります。 紋(もん)は菊の紋です。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真BT: 都農神社の御手洗(みたらい)。



写真BU: 都農神社の手水舎(ちょうずや)。



写真BV: 「都農神社 御由緒」の説明板。
祭神
大己貴命 (大国主命)
創紀
初代神武天皇が御即位6年前 大和平定に向かわれる途次 国土平安、航海安全、武運長久を祈願のため鎮斎された日向一之宮である。
神徳
縁結び、病気平癒、家内安全、商売繁盛
神階
承和4年(837年、平安時代) 列官社(続日本後紀)
承和10年 従5位下(続日本後紀)
天安2年 従4位上(日本三大実録)
延長5年 式内社(延喜式神名帳)
明治4年 宮崎県で最初の国幣社に列格
造営
元禄5年 藩主 秋月種政、島津大友の乱の折焼失した社殿再興
安政6年 河野喜之助寄進
昭和16年12月6日 皇紀2600年記念神門竣功、境内拡張奉告祭
平成14年 平成の大造営奉賛会設立
平成19年7月7日 社殿竣功御遷座、天皇陛下より奉幣料御下賜
平成19年10月6日 竣功奉祝祭、三笠宮寛仁親王殿下御親拝玉串料御下賜
と書かれています。



写真BW: 「都農神社 御由緒」の説明板。
祭神
大己貴命 (大国主命)
創紀
初代神武天皇が御即位6年前 大和平定に向かわれる途次 国土平安、航海安全、武運長久を祈願のため鎮斎された日向一之宮である。
神徳
縁結び、病気平癒、家内安全、商売繁盛
神階
承和4年(837年、平安時代) 列官社(続日本後紀)
承和10年 従5位下(続日本後紀)
天安2年 従4位上(日本三大実録)
延長5年 式内社(延喜式神名帳)
明治4年 宮崎県で最初の国幣社に列格
造営
元禄5年 藩主 秋月種政、島津大友の乱の折焼失した社殿再興
安政6年 河野喜之助寄進
昭和16年12月6日 皇紀2600年記念神門竣功、境内拡張奉告祭
平成14年 平成の大造営奉賛会設立
平成19年7月7日 社殿竣功御遷座、天皇陛下より奉幣料御下賜
平成19年10月6日 竣功奉祝祭、三笠宮寛仁親王殿下御親拝玉串料御下賜
と書かれています。



写真BX: 「都農神社 御由緒」の説明板。
祭神
大己貴命 (大国主命)
創紀
初代神武天皇が御即位6年前 大和平定に向かわれる途次 国土平安、航海安全、武運長久を祈願のため鎮斎された日向一之宮である。
神徳
縁結び、病気平癒、家内安全、商売繁盛
神階
承和4年(837年、平安時代) 列官社(続日本後紀)
承和10年 従5位下(続日本後紀)
天安2年 従4位上(日本三大実録)
延長5年 式内社(延喜式神名帳)
明治4年 宮崎県で最初の国幣社に列格
造営
元禄5年 藩主 秋月種政、島津大友の乱の折焼失した社殿再興
安政6年 河野喜之助寄進
昭和16年12月6日 皇紀2600年記念神門竣功、境内拡張奉告祭
平成14年 平成の大造営奉賛会設立
平成19年7月7日 社殿竣功御遷座、天皇陛下より奉幣料御下賜
平成19年10月6日 竣功奉祝祭、三笠宮寛仁親王殿下御親拝玉串料御下賜
と書かれています。



写真BY: 都農神社の境内。 左奥は「神符 守札 授与所」。



写真BZ: 都農神社の境内。



写真CA: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。



写真CB: 都農神社の「神符 守札 授与所」と町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。



写真CC: 「神符 守札 授与所」。



写真CD: 都農神社の境内。



写真CE: 都農神社の境内。 右は神門(南大門)、正面は「神楽殿、御輿庫(みこしぐら)」。



写真CF: 都農神社の絵馬、開いたお神籤(おみくじ)を掛けてあるところ。 「祈 祈願絵馬 おみくじ納所」と書いてあります。



写真CG: 都農神社の神門(南大門)。 拝殿側から見たもの。



写真CH: 「神楽殿(かぐらでん)」と書いてあります。



写真CI: 「御輿庫(みこしぐら)」と書いてあります。



写真CJ: 「御輿庫(みこしぐら)」。 奥に みこし が見えています。



写真CK: 都農神社の拝殿(左)と都農神社末社の熊野神社(右)。



写真CL: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 完成して約2年目の建物です。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真CM: 都農神社の「神符 守札 授与所」。



写真CN: 都農神社の「神符 守札 授与所」と町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。



写真CO: 町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。



写真CP: 町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。



写真CQ: 町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。



写真CR: 都農神社の町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。



写真CS: 都農神社の町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。 根元に鬼瓦(おにがわら)や瓦も見えます。



写真CT: 町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))、 平成4年12月14日 都農町教育委員会。



写真CU: 参拝者休憩所(きゅうけいしょ)。



写真CV: 日向国 一之宮 都農神社 「平成の大造営」 計画。 (本殿、幣殿。拝殿の新築工事)、都農神社の社紋、平成16年11月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会。



写真CW: 庭園補修記の石碑(せきひ)。



写真CX: 都農神社の境内。 奥は都農神社にある「竹柏亭」。



写真CY: 池の方から見た都農神社の拝殿。



写真CZ: 都農神社の拝殿のそばにある池。



写真DA: 都農神社の拝殿のそばにある池。 左は都農神社にある「竹柏亭」。



写真DB: 都農神社の拝殿のそばにある池。



写真DC: 都農神社の拝殿の北側は高台になっています。



写真DD: ここにも門があります。



写真DE: 門をくぐったところの景色。



写真DF: 都農神社の境内。



写真DG: 都農神社にある「竹柏亭」。



写真DH: 都農神社にある「竹柏亭」。



写真DI: 都農神社にある「竹柏亭」からみた拝殿と本殿。



写真DJ: 「竹柏亭」からみた拝殿と本殿。 池も手前にあります。 拝殿の北側は高台になっています。



写真DK: 都農神社の拝殿のそばにある池。 緋鯉(ひごい)がいます。



写真DL: 都農神社の拝殿のそばにある池。 緋鯉(ひごい)がいます。



写真DM: 都農神社の境内。 町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。



写真DN: 都農神社 造園碑、明治2年8月。



写真DO: 都農神社の池にスイレン(睡蓮)の花が咲いていました。



写真DP: 都農神社の境内。



写真DQ: 都農神社の本殿(左)と拝殿(右)。



写真DR: 都農神社の拝殿(はいでん)。 完成して約2年目の建物です。



写真DS: 都農神社の拝殿(はいでん)。



写真DT: 「都農神社 百椿園(ひゃくちんえん)」と書いてある看板(かんばん)。



写真DU: 「池めぐりをしませんか!!」と書いてあります。



写真DV: 「都農神社 百椿園の概説」の説明板。
都農神社 百椿園はすべて新品種である。 平成19年の春に永友昭夫が奉納したものである。
と書いてあります。



写真DW: 「都農神社 百椿園の概説」の説明板。
都農神社 百椿園はすべて新品種である。 平成19年の春に永友昭夫が奉納したものである。
と書いてあります。



写真DX: 都農神社の境内。 右は竹柏亭、左は「神符 守札 授与所」。



写真DY: 都農神社の境内。 建物は「神符 守札 授与所」。



写真DZ: 都農神社の境内。 拝殿が見えます。 右の木は町指定 天然記念物クス(楠(くすのき、クスノキ))。



写真EA: 都農神社の拝殿(右)と本殿。



写真EB: 都農神社の本殿の屋根。 完成して約2年目の建物です。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真EC: 都農神社の本殿。



写真ED: 拝殿の左側に階段があります。



写真EE: 本殿の左奥にあるスサノオ神社(末社)。



写真EF: 都農神社の拝殿。



写真EG: 都農神社の本殿(左)と拝殿(右)。



写真EH: 都農神社の本殿。 完成して約2年目の建物です。



写真EI: 都農神社の本殿。 完成して約2年目の建物です。



写真EJ: 都農神社の本殿。



写真EK: 都農神社 本殿の周(まわ)りの様子。



写真EL: 都農神社の本殿。 完成して約2年目の建物です。



写真EM: 都農神社の本殿の裏の様子。 奥は末社(テナズチ神社、アシナズチ神社)。



写真EN: 都農神社の本殿の裏の様子。 奥は末社(テナズチ神社、アシナズチ神社)。



写真EO: 都農神社の本殿(手前)と拝殿。



写真EP: 都農神社の末社(テナズチ神社、アシナズチ神社)。



写真EQ: 都農神社の本殿と拝殿の間の所。



写真ER: 都農神社の拝殿の右にある熊野神社(都農神社末社)。



写真ES: 都農神社の拝殿の右にある熊野神社(都農神社末社)。



写真ET: 都農神社の拝殿の右にある熊野神社(都農神社末社)。



写真EU: 都農神社の拝殿。



写真EV: 都農神社の拝殿(左)と本殿(右)。 完成して約2年目の建物です。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真EW: 都農神社の拝殿(左)と本殿(右)。



写真EX: 都農神社の拝殿。 しめ縄、御幣(ごへい)、お賽銭箱(さいせんばこ)なども見えます。 完成して約2年目の建物です。



写真EY: 都農神社の拝殿(上部)。 完成して約2年目の建物です。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真EZ: 都農神社の拝殿の中。



写真FA: 都農神社の拝殿の中。



写真FB: 都農神社の拝殿の中。



写真FC: 「奥の御本殿(総ケヤキ、流れ造り)も見てください。 裏側をひと巡りしてください。 ネズミの彫刻を探してください。」と書いてある看板(かんばん)。



写真FD: 「おみくじ 100円」と書いてあります。



写真FE: 「おみくじ 100円」と書いてあります。



写真FF: 拝殿前の広場の東にも門があります。



写真FG: 拝殿前の広場の東にも門があります。 「平成の大造営 竣功記念碑」への道しるべもあります。



写真FH: 「平成の大造営 竣功記念碑」への道しるべもあります。



写真FI: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FJ: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FK: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FL: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FM: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FN: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FO: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FP: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FQ: 「都農神社 平成の大造営記念碑」
「一の宮「平成の大造営」の奉賛について(お願い)」の説明板。
 現在の御本殿、拝殿は1858年本町の素封家の寄進によるもので140有余年を経過。 老朽化が進み神事にも狭隘を来たし全般的な損傷はその限界に達しております。 また、南大門をはじめ境内諸設備は、皇紀2600年(1940年)記念事業で造営されたもので、すでに60年余りを経過しており、これも改修すべき時期に至っております。 これを受け、今春、御造営発起の会を重ね熟慮の末、「日向国一之宮都農神社御造営奉賛会」を設立、いよいよ奉賛活動を展開する運びとなりました。
 本会は、次の事業を行うことが目的であります。
(1)本殿、拝殿の新築。 (2)旧本殿の熊野神社への転用移設。 (3)旧拝殿の神楽殿への転用移設。 (4)南大門玉垣などの改修。 (5)社務所の新築。
平成14年4月吉日 日向国 一之宮 都農神社御造営奉賛会
と書かれています。



写真FR: 都農神社の拝殿(左)、本殿(中央)、末社の熊野神社(右)。 「都農神社 平成の大造営記念碑」の近くから見たもの。



写真FS: 赤い鳥居(とりい)は都農神社末社の稲荷神社(いなりじんじゃ)。



写真FT: 都農神社の境内。 左の建物は都農神社の東第一倉庫。 稲荷神社の鳥居も立木の間に見えています。



写真FU: 都農神社の境内。



写真FV: 都農神社末社の稲荷神社(いなりじんじゃ)。



写真FW: 都農神社末社の稲荷神社(いなりじんじゃ)。



写真FX: 都農神社の東第一倉庫。 中に都農神社の青い幟(のぼり)が見えています。



写真FY: 「東第一倉庫」と書いてある入り口。



写真FZ: 都農神社の境内に彼岸花(ひがんばな、曼珠沙華(まんじゅしゃげ))が咲いていました。



写真GA: 都農神社の境内には「一の宮保育園」があります。



写真GB: 都農神社の境内には「一の宮保育園」があります。



写真GC: 都農神社の境内。



写真GD: 都農神社の境内。 東側にも大きな池があります。



写真GE: 都農神社の境内。 東側にも大きな池があります。



写真GF: 都農神社の境内。 東側にも大きな池があります。



写真GG: 池のそばの木に「丸いコブ」があります。 参拝者が撫(な)でてつるつるになっています。



写真GH: 池のそばの木に「丸いコブ」があります。 参拝者が撫(な)でてつるつるになっています。 右側の橋の欄干(らんかん)と重(かさ)なってみえる木の幹(みき)ところに「丸いコブ」があります。



写真GI: 都農神社の境内。



写真GJ: 都農神社の境内。



写真GK: 都農神社の末社である「愛宕神社(あたごじんじゃ)」の鳥居(とりい)。



写真GL: 都農神社の末社である「愛宕神社(あたごじんじゃ)」。



写真GM: 都農神社の東端にある鳥居(とりい)が奥に見えています。



写真GN: 都農神社の東端にある鳥居(とりい)。 鳥居の奥に見える建物は商店です。



写真GO: 都農神社の東の池。



写真GP: 都農神社の東の池。 藤棚(ふじだな)も見えています。



写真GQ: 都農神社の東の池。



写真GR: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 これは東端にある鳥居(とりい)です。 石灯籠(いしどうろう)もあります。
手前は旧国道10号線。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真GS: 都農神社の東端にある石碑(せきひ)、石灯籠(いしどうろう)、鳥居(とりい)。
手前は旧国道10号線。



写真GT: 旧国道10号線が都農神社の東側に通っています。



写真GU: 旧国道10号線が都農神社の東側に通っています。 右端は商店です。



写真GV: 都農神社 東の鳥居の前にある商店。



写真GW: 旧国道10号線が都農神社の東側に通っています。 南方向を見たもの。 先に進むと、都農川をわたって都農町の役場方面に行きます。



写真GX: 都農神社の南東の端(はし)。 石碑、石灯籠も見えます。



写真GY: 都農神社の東端にある石碑(せきひ)、石灯籠(いしどうろう)、鳥居(とりい)。



写真GZ: 都農神社の東の鳥居の「額(がく)」。 薄くなって見えにくくなっていますが、「日向国 一宮 都農神社」と書いてあると思われます。



写真HA: 「神武天皇御祈願伝説地」の石碑が鳥居の左にあります。



写真HB: 「神武天皇御祈願伝説地」の石碑が鳥居の左にあります。



写真HC: 「国幣都農神社(こくへいつのじんじゃ)」と彫(ほ)られている石碑。 明治17年9月建立。 鳥居の右にあります。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真HD: 「国幣都農神社(こくへいつのじんじゃ)」と彫(ほ)られている石碑。 明治17年9月建立。 鳥居の右にあります。



写真HE: バス停「一の宮神社前」が鳥居の少し北にあります(旧国道10号線)。
1950年代の前半頃(1951−1953年ごろ)、正月に父、母、家内とホンダ社の軽自動車(ライフ)で都農神社に行きました。 この「一の宮神社前」バス停付近で車が故障しました。 初詣(はつもうで)を済ませた後、JAFを売店の公衆電話で呼び、修理工場まで運んでもらいました。 今となっては懐(なつ)かしい思い出です。



写真HF: 都農神社の境内東端に「カラスウリの花」が咲いていました。



写真HG: 旧10号線沿(ぞ)いにある売店。 「一の宮公園」と「忠霊堂」の表札が岩にはめ込んであります。



写真HH: 「一の宮公園」と「忠霊堂」の表札が岩にはめ込んであります。



写真HI: 都農神社近く旧国道10号線のそばから太平洋(日向灘)が見えます。 左の白い軽自動車の右上に海が見えています。



写真HJ: 「一の宮鎮守の森池案内図」。 この看板は東の駐車場のそばにあります。



写真HK: 都農神社の売店とトイレ(左)。



写真HL: 都農神社の売店の前。



写真HM: 都農神社の売店。 公衆電話の絵(マーク)がある古い看板(かんばん)が上に吊(つる)してあります。



写真HN: 都農神社の境内。 一の宮保育園の運動会で多くの車が駐車していました。



写真HO: 一の宮保育園の運動会。



写真HP: 奥に白い殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)が見えます。 右は一の宮保育園の運動会。 一の宮保育園の建物が左に見えています。



写真HQ: 一の宮保育園。



写真HR: 都農神社の境内にある「殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)」。
塔の高さ: 8.26 m。 昭和39年4月20日完成。



写真HS: 都農神社の境内にある「殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)」。
塔の高さ: 8.26 m。 昭和39年4月20日完成。



写真HT: 都農神社の境内にある「殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)」。
塔の高さ: 8.26 m。 昭和39年4月20日完成。



写真HU: 都農神社の境内にある「殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)」。
塔の高さ: 8.26 m。 昭和39年4月20日完成。
見えている石碑(せきひ)は忠魂碑。



写真HV: 殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)から見た景色。 右手は一の宮保育園、左はその運動会。



写真HW: 都農神社の境内にある「殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)」。
塔の高さ: 8.26 m。 昭和39年4月20日完成。



写真HX: 忠魂碑(ちゅうこんひ)も左手にあります。



写真HY: 元帥海軍大将 山本五十六の歌碑もあります。



写真HZ: 殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)の「建設の概要」の石碑(せきひ)。



写真IA: 殉国慰霊塔(じゅんこくいれいとう)から見た景色。 右手は一の宮保育園、左はその運動会。



写真IB: 手水舎(ちょうずや)が一の宮保育園の東にあります。



写真IC: 都農神社の境内にある水飲み場。



写真ID: 都農神社の南側の車道。 道の左には都農川が流れています。 「一の宮前わくわく市 なにやかに屋 南参道周辺 9月20日9−13時」と書いてある立て看板(かんばん)がありました。



写真IE: 都農神社から見た「尾鈴山(おすずやま)連山」。 尾鈴山近くの山々は尾鈴山地あるいは尾鈴連山と呼ばれています。
左寄りの山が上面木山(じょうめぎさん、標高 897 m)で、東へのなだらかな稜線(りょうせん)が特徴です。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真IF: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 これは南側にある鳥居(とりい)です。 石碑(せきひ)、石灯籠(いしどうろう)もあります。



写真IG: 都農神社の南側の鳥居。
「日向国 一之宮 都農神社 御由緒」より、
 都農神社は、御祭神 オオナムチノミコトを奉斎しており、古くから日向国一之宮として称(たた)えられ又、都農町の総鎮守としてその御神威を今日に伝えています。 特に縁結び、病気平癒、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などの御利益があるとして年間を通して多くの方々の参拝が御座います。 何卒(なにとぞ)、大神様の御神徳を戴(いただ)かれますよう御祈念申し上げます。
 現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成14年より、「平成の大造営」と銘打って、5年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成19年に完成し7月7日の夜に御神体を御遷ししました。
夏祭(御神幸斎)
 夏祭りは、天保3年に第9代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。 県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。 また、御御輿は、大正11年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
 冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和22年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より8回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
と書かれています。



写真IH: 都農神社の南側の鳥居の額(がく)。 「日向国 一宮 都農神社」と書いてあります。



写真II: 都農神社(つの神社)は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北13294にあります。 南側の鳥居です。 奥に神門(南大門)、拝殿などがあります。



写真IJ: 奥に神門(南大門)、拝殿などがあります。



写真IK: 都農神社の南を流れる都農川。



写真IL: 都農川のほとりは公園になっています。



写真IM: 都農神社と都農川の間には車道があります。 奥の白い鳥居は国道10号線近くのものです。



写真IN: 都農川のほとりの公園に「やすらぎベンチ 霊峰尾鈴の山を背にして 清流都農川で心を洗い 一の宮の神の聖域で 仲睦(むつ)まじく 夢を語らう ふたりかな 作 河野幸夫」と書いてある石碑があります。



写真IO: この公園には「ふれあい通り (無限の会)」と書いてある石碑(せきひ)もあります。



写真IP: この公園には「ふれあい通り (無限の会)」と書いてある石碑(せきひ)もあります。



写真IQ: 車を置いた西側の駐車場に戻りました。



写真IR: 西側の駐車場のそばにある食堂。 「日向国一之宮 都農神社 そば 味自慢 うどん 大衆食堂」と書いた暖簾(のれん)が掛けてあります。



写真IS: 都農役場は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北4874−2にあります。 奥の建物が都農役場です。 「地域福祉バス 都農町 都農町役場」と書いてあるバス停があります。



写真IT: 都農町役場の建物。



写真IU: 都農役場は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北4874−2にあります。 都農町役場の駐車場。



写真IV: 都農町役場の前の広場。 バス停も見えています。



写真IW: JR都農駅は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。 駅前のロータリーには若山牧水の尾鈴山の歌碑(かひ)があります。
「ふるさとの尾鈴のやまのかなしさよ 秋もかすみのたなびきてをり 牧水」と彫(ほ)られています。
「都農駅前」と書いてある道路標識も見えます。
都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真IX: 「ふるさとの尾鈴のやまのかなしさよ 秋もかすみのたなびきてをり 牧水」と彫(ほ)られた都農駅前の歌碑(かひ)。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真IY: 「牧水の歌碑について:   若山牧水にとって都農町がゆかりの深い地であったことを記念し、町が昭和36年4月にこの歌碑を建立しました。 石材は町内の荒崎地区のものであり、筆跡は牧水の直筆です。 牧水は東郷町坪谷の出身ですが、長姉スエが都農町南新町の河野佐太郎に嫁いだこともありこの地をよく訪れました。 牧水はこの地から見る尾鈴山を愛した気持ちを次(裏面)のように述べています。
平成14年2月吉日建立 都農町長 河野通継」
と書かれた石碑があります。
尾鈴山は標高 1405.2 mで、都農町と木城町にまたがっています。 近くの山々は尾鈴山地あるいは尾鈴連山と呼ばれています。
左寄りの山が尾鈴山で、東へのなだらかな稜線(りょうせん)が特徴です。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真IZ: 「「都農町の姉の裏木戸出れば、たひらかな肥えた畑で其処(そこ)に立つと真北に尾鈴山が仰がるる その山の向こふ(う)麓(ふもと)にわたしの生まれた村はあるのである。 少年の頃やや久しく此処(ここ)に客に来ていたことがあり、毎日この広い畑から尾鈴山を望むのを喜んだ。 春の深い頃でもあったか、煙った畑おぼろおぼろに霞みそびえた尾鈴山の姿が、しみじみと思い出さるる。 その心を語ろうとして妻をその畑の中に誘うたが、伝えかぬる気持ちの様におもわれてつぐんだ。 云々(うんぬん)」 九州めぐりの追憶 より」
と書かれた石碑があります。
尾鈴山は標高 1405.2 mで、都農町と木城町にまたがっています。 近くの山々は尾鈴山地あるいは尾鈴連山と呼ばれています。
左寄りの山が尾鈴山で、東へのなだらかな稜線(りょうせん)が特徴です。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真JA: JR都農駅は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。
「都農駅前」と書いてある道路標識もあります。



写真JB: JR日豊本線 都農駅。 駅舎の西にロータリーがあります。
都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。



写真JC: JR都農駅は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。
JR日豊本線 都農駅。 駅舎の西にロータリーがあります。



写真JD: JR日豊本線 都農駅の西方向の様子。



写真JE: JR都農駅は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。
都農駅の駅舎。



写真JF: 「都農駅」と書いてあります。
都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。



写真JG: JR都農駅の待合室。
都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。



写真JH: JR都農駅の待合室。



写真JI: JR都農駅。 ホームに列車が着いています。
都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。



写真JJ: JR都農駅。 跨線橋(こせんきょう)があります。



写真JK: 都農駅のホームも見えます。



写真JL: 「つの 都農 TSUNO、かわみなみ、ひがしつの」と書いてあります。
都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。



写真JM: 都農駅からの普通運賃表。



写真JN: 都農駅から西方にある尾鈴連山(尾鈴山地)を見た景色。 中央右寄りの二等辺三角形の山が尾鈴山(1405.2 m)です。 左手前から2軒めは駅前の旅館です。 この近くには「都農ウニ(つのウニ、海産物)」の建物があります。 コンビニの店、牧水の歌碑も見えます。
尾鈴山は標高 1405.2 mで、都農町と木城町にまたがっています。 近くの山々は尾鈴山地あるいは尾鈴連山と呼ばれています。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



写真JO: 都農駅前の景色。 タクシーも来ていました。



写真JP: JR都農駅は宮崎県児湯郡 都農町 大字川北 駅前3640−2にあります。
都農駅前の景色。 タクシーも来ていました。 郵便ポストもあります。
都農駅は地上駅で跨線橋(こせんきょう)を持ち、ホームは1面2線です。 1921年(大正10年)6月11日に開業しました。



写真JQ: 都農駅のトイレ。



写真JR: 都農駅前の景色。 西側の尾鈴連山(尾鈴山地)が美しい。 左寄りの二等辺三角形の山が尾鈴山(標高 1405.2 m)です。
尾鈴山(標高 1405.2 m)は九州南部にある九州山地の東部にあって、都農町と木城町にまががり、直径 約15 kmの山地は尾鈴山地と言われています。 山頂北側に尾鈴神社上宮があります。 中世には修験者達の霊山で、滝群が修行に使われていました。 木材を運ぶ森林鉄道が1909年(明治42年)に建設され、1924年(大正13年)には今のJR九州 都農駅まで延(の)ばされました。 1958年(昭和33年)に代わりに林道が整備され使われなくなり廃止されました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)