なつかしの高千穂鉄道、高千穂トロッコ列車、川水流の鮎ヤナ、高千穂鉄道廃止後のレール・踏切 (たかちほ鉄道、かわずるのあゆやな)  (高千穂町、日之影町、延岡市北方町 下水流)







<標高、位置>  高千穂町の高千穂鉄道 高千穂駅跡(あと)は
標高 約360 m
 北緯32度42分53秒  東経131度18分23秒

<標高、位置>  延岡市北方町川水流(かわずる)の五ヶ瀬川 「鮎ヤナ(あゆやな)」のある所は
標高 約20 m
 北緯32度33分38秒  東経131度31分06秒


 高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。 2008年10月20日に高千穂鉄道(TR) は、トロッコ車両2台をJR九州へ有償譲渡、一般車両7台のうち1台は解体し残りの6台については高千穂町に2台、日之影町に2台、徳島県の第三セクター阿佐海岸鉄道に1台、宮崎市内の運送会社に1台を無償譲渡することになりました。 このほか、保守点検用の軌道モーターカー1台を熊本県の第三セクター南阿蘇鉄道に有償譲渡することになりました。
 川水流(かわずる)の鮎ヤナ(あゆやな)は、宮崎県延岡市北方町 川水流にあります。 (北方町は平成18年2月20日に延岡市と統合しました。 統合以前は宮崎県東臼杵郡北方町川水流。) 五ヶ瀬川に鮎ヤナが造ってあります。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 2008年9月に、鮎ヤナでの販売の時は、「ヤナで取ったものか、それとも養殖の鮎かを表示するように。」と宮崎県が指導しました。 そばにプレハブの建物があって、鮎(あゆ)料理を食べさせてくれます。


写真A: 2005年7月30日の高千穂鉄道の「高千穂駅」です。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。 この台風以来、全線で運転休止しました。 黄色の列車がトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」です。 右の建物が駅舎です。 高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。
 1935年(昭和10年)2月20日に国鉄 日ノ影線(延岡−日向岡元)が営業を始めました。
 第3セクターの高千穂鉄道は1988年(昭和63年)12月14日に設立されました。 1989年(平成元年)4月28日に九州旅客鉄道(JR九州)高千穂線を転換し高千穂線を開業しました。 2003年(平成15年)3月21日にトロッコ列車「トロッコ神楽号」を運転開始しました。 これは宮崎県のリゾート基金や宝くじの補助金で導入しました。 2005年(平成17年)9月6日に台風14号による大雨のため、第1五ヶ瀬川橋梁と第2五ヶ瀬川橋梁が流失しました。 この他、道床や路盤の流失、土砂流入などの被害を受け、全線で運転休止しました。 2007年(平成19年)9月6日に延岡駅 - 槇峰駅間を廃止しました。 2007年(平成19年)12月27日に槇峰駅 - 高千穂駅間の廃止届を提出しました。 2008年(平成20年)12月28日に槇峰駅 - 高千穂駅間(全線)を廃止する予定になりました。
 路線距離(営業キロ): 50.0 km。 軌間(レールの間隔): 1067 mm。 駅の数: 19駅。 全線単線。 全線非電化。



写真B: 2005年7月30日の高千穂鉄道の「高千穂駅」です。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。 この台風以来、全線で運転休止しました。 黄色の列車がトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」です。 青色の給油機、左に神楽の絵がある車両検収庫、左奥の白い洗車機も見えています。 右の建物が駅舎です。



写真C: バス停「高千穂駅」(宮崎交通)。



写真D: 高千穂鉄道「高千穂駅」の看板(かんばん)。 高千穂駅は昭和47年7月22日にオープンしました。



写真E: 高千穂鉄道「高千穂駅」。 高千穂駅は昭和47年7月22日にオープンしました。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真F: 高千穂駅の近くの看板(かんばん)。



写真G: 高千穂駅のそばにある高千穂鉄道株式会社本社。 「ようこそ 神話のふるさと高千穂へ」と書いてあります。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真H: 高千穂駅列車時刻表。 大体、一時間に1本ぐらいの列車の運行がありました。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真I: 高千穂駅の中にある観光ポスター。 高千穂峡、高千穂のポスターが見えています。



写真J: 高千穂駅構内。 ホーム、レール、列車、スピーカー、右端の駅舎などが見えています。



写真K: 高千穂駅の前にある「NTT 公衆電話ボックス」。 高千穂らしく、天の岩戸のデザインになっています。



写真L: 駅の近くにあるレンタサイクル(貸し自転車)の店。 軒下(のきした)にトウモロコシの種用のものがたくさん見えます。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真M: TR  高千穂鉄道株式会社本社の玄関。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真N: 「TR 高千穂鉄道株式会社」と書いてある表札。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真O: 高千穂鉄道の「高千穂駅」。 左にNTT公衆電話ボックスも見えます。 高千穂駅は昭和47年7月22日にオープンしました。



写真P: 高千穂駅の切符自動販売機。 「ごあんない 今度の延岡行きは、トロッコ列車です。 普通乗車券の他に、トロッコ料金(大人400円、小児200円)が必要です。 窓口でお買い求め下さい。 停車駅 日之影温泉、日向八戸、槙峰(まきみね)、早日渡、川水流、曽木、日向岡元、延岡 高千穂駅長」と書いてあります。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真Q: トロッコ列車の前面。 神楽面(かぐらめん)が付いています。 宝くじ号、延岡−高千穂、TR 401と書いてあります。 黄色の列車はトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」です。 トロッコ神楽号です。 1輌編成と2輌編成の時があります。



写真R: 高千穂鉄道のトロッコ列車。 黄色の列車はトロッコ列車(TR401) 「手力雄(たぢからお)」です。 緑色のトロッコ列車(TR402) 「天のうず女(あめのうずめ)」と二輌編成です。 1輌編成と2輌編成の時があります。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真S: 高千穂駅に停車中のトロッコ列車。 黄色の列車はトロッコ列車(TR401) 「手力雄(たぢからお)」です。 1輌編成と2輌編成の時があります。



写真T: 高千穂駅。 高千穂駅は西の終端駅です。 次の駅は「あまのいわと(天の岩戸)」です。 右に傘(かさ)が何本か見えています。 この看板は国鉄時代のものです。 高千穂駅は昭和47年7月22日にオープンしました。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真U: 高千穂駅にある看板(かんばん)。 諸祈願 超古代史の探訪に 神話発祥の地 「天岩戸神社」と書いてあります。



写真V: 高千穂鉄道の高千穂駅です。 「歓迎 ようこそ神話の里 高千穂へ」(五ヶ瀬川流域公共交通機関利用促進協議会 高千穂ライオンズクラブ)と書いてあります。



写真W: 高千穂駅にて。 神話の里 高千穂 高千穂鉄道と書いてあって、高千穂神楽(かぐら)の絵があります。 この絵は、手力雄(たぢからお)と天のうず女(あめのうずめ)です。 これがトロッコ列車の名前の由来(ゆらい)です。 黄色の列車はトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」で、緑色のはトロッコ列車「天のうず女(あめのうずめ)」です。



写真X: 高千穂鉄道の高千穂駅。 黄色の列車はトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」です。



写真Y: 黄色の列車はトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」です。 「寄贈 財団法人 日本宝くじ協会、高千穂鉄道」と書かれています。 窓ガラスは寒い季節と天気の悪い日だけ取り付けられます。車両の中の乗客も見えています。



写真Z: 高千穂鉄道のトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」の内部の様子。 木製のテーブル、イスがあります。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AA: 高千穂鉄道のトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」の内部の様子。 窓のガラスは低いところまであります。



写真AB: 高千穂鉄道の高千穂駅。 高千穂駅は西の終端駅で、次の駅は「あまのいわと(AMANOIWATO )」です。 高千穂峡と神話の神様の絵が描いてあります。 駅の隣には田んぼもあります。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AC: 高千穂鉄道のトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」の内部の様子。 天井(てんじょう)には、神楽(かぐら)を舞うときに手に持つ「両側に飾りが付いた棒」がかけてありました。 天井に丸いランプがついています。 液晶表示装置も見えます。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AD: 高千穂鉄道のトロッコ列車「手力雄(たぢからお)」の内部の様子。 天井(てんじょう)には、神楽(かぐら)を舞うときに手に持つ「両側に飾りが付いた棒」がかけてありました。



写真AE: 高千穂鉄道。 東洋一高い「高千穂鉄橋」です。 水面からの高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。 深い谷になっています。 列車は高千穂鉄橋の真ん中で止まり、乗客に素晴らしい景色をしばらく眺(なが)めさせます。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AF: 高千穂鉄道。 東洋一高い「高千穂鉄橋」です。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。 列車は高千穂鉄橋の真ん中で止まり、乗客に素晴らしい景色をしばらく眺(なが)めさせます。



写真AG: 高千穂鉄道。 東洋一高い高千穂鉄橋です。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。 列車は高千穂鉄橋の真ん中で止まり、乗客に素晴らしい景色をしばらく眺(なが)めさせます。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AH: 高千穂鉄道。 東洋一高い高千穂鉄橋です。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。 列車は高千穂鉄橋の真ん中で止まり、乗客に素晴らしい景色をしばらく眺(なが)めさせます。



写真AI: 高千穂鉄道。 東洋一高い高千穂鉄橋です。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。 国道218号線の「雲海橋」が見えています。



写真AJ: 高千穂鉄道。 東洋一高い高千穂鉄橋です。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。 国道218号線の「雲海橋」が見えています。 雲海橋は水面からの高さが110 m、長さ199 mです。 列車は高千穂鉄橋の真ん中で止まり、乗客に素晴らしい景色をしばらく眺(なが)めさせます。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AK: 高千穂鉄道。 東洋一高い高千穂鉄橋です。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。 遠くに国道218号線の「雲海橋」が見えています。 雲海橋は水面からの高さが110 m、長さ199 mです。 列車は高千穂鉄橋の真ん中で止まり、乗客に素晴らしい景色をしばらく眺(なが)めさせます。



写真AL: 高千穂鉄道。 東洋一高い高千穂鉄橋です。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。 遠くに国道218号線の「雲海橋」が見えています。 雲海橋は水面からの高さが110 m、長さ199 mです。 列車は高千穂鉄橋の真ん中で止まり、乗客に素晴らしい景色をしばらく眺(なが)めさせます。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AM: 高千穂鉄道。 東洋一高い高千穂鉄橋です。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。



写真AN: 高千穂鉄橋の風速計と赤い警告灯。 高千穂鉄道。 高さ105 mの高千穂鉄橋(高千穂町)から見た五ヶ瀬川。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AO: 高千穂鉄道から見た五ヶ瀬川。 深い谷になっています。



写真AP: 高千穂鉄道から見た谷川(五ヶ瀬川)。



写真AQ: 高千穂鉄道のトロッコ列車の中では、紙コップのコーヒーを売っています。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AR: 高千穂鉄道のトロッコ列車から見た国道218号線の「青雲橋(日之影町)」。 青雲橋は、昭和59年に完成した東洋一の高さのアーチ橋です。 青雲橋は水面からの高さが137 mです。 橋長は410m。 組み立てた橋桁(はしげた)を、中央でドッキングさせるという日本初の架橋工法で作られました。 トロッコ列車の柱に、飾りの付いたランプが光っています。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AS: 高千穂鉄道のトロッコ列車から見た国道218号線の「青雲橋(日之影町)」。 青雲橋は水面からの高さが137 mです。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AT: 高千穂鉄道のトロッコ列車から見た国道218号線の「青雲橋(日之影町)」。 青雲橋は水面からの高さが137 mです。



写真AU:  五ヶ瀬川の「水面の霧」。 高千穂鉄道から見た五ヶ瀬川。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AV: 五ヶ瀬川の「水面の霧」。 高千穂鉄道から見た五ヶ瀬川。



写真AW: 五ヶ瀬川の「水面の霧」。 高千穂鉄道から見た五ヶ瀬川。



写真AX: 高千穂鉄道から見た五ヶ瀬川。



写真AY: 高千穂鉄道から見える「八戸観音滝(落差: 40 m、日之影町)」。 安産、開運の観音様が祀(まつ)られた落差40mの滝です。 滝の横からの道を登ると、崖の中腹に洞窟があり、その中に三体の観音像があります。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真AZ: 高千穂鉄道から見た五ヶ瀬川と「干支大橋(えとおおはし)」。 赤い干支大橋(えとおおはし)は延岡市北方町にあります。 平成7年に完成したアーチ橋で水面からの高さは100m、橋長385mです。 北方町は明治時代から干支(えと、ね うし とら う ・・・)で、地区名を表しています。 これは全国でここだけです。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真BA: 高千穂鉄道の、延岡市北方町にある「川水流駅(かわずるえき)」のホーム。 見えている緑の車両は、トロッコ列車の「天のうず女(あめのうずめ)」です。 看板には「アユやな」(川をせき止めて、鮎(あゆ)を捕る漁法)の絵が描(か)いてあり、また日本で唯一の「干支(えと)の地区名」が川水流町にはあることも書いてあります。 川水流駅は昭和11年4月12日オープンしました。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真BB: 高千穂鉄道の川水流駅(かわずるえき)。 昭和11年4月12日オープンしました。 駅舎は国鉄時代からの木造です。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真BC: 川水流駅の中。
高千穂鉄道の川水流駅(かわずるえき)。 昭和11年4月12日オープンしました。 駅舎は国鉄時代からの木造です。 列車は大体、1時間に1本でした。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真BD: 川水流駅列車時刻表。
高千穂鉄道の川水流駅(かわずるえき)。 昭和11年4月12日オープンしました。 駅舎は国鉄時代からの木造です。 列車は大体、1時間に1本でした。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真BE: TRイベントツアー トロッコビアホール列車のポスター。
旅行代金は、延岡駅から 大人6000円、 川水流駅から 大人5000円 (最少催行人員35名)と書いてあります。 駅名と発車時刻も見えます。 土曜日に運行されていました。 高千穂鉄道の川水流駅(かわずるえき)は 昭和11年4月12日オープンしました。 駅舎は国鉄時代からの木造です。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真BF: 川水流駅の駅舎。
高千穂鉄道の川水流駅(かわずるえき)。 テレビアンテナ、ガラスの向こうに黄色のヘルメットも見えます。 昭和11年4月12日オープンしました。 駅舎は国鉄時代からの木造です。
 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真BG: 川水流駅前にある「北方駐在所」。 おまわりさんのオートバイも見えています。 これは、台風14号が来る1ヶ月7日前の写真です。



写真BH: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(鮎ヤナ、鮎やな、あゆヤナ、アユヤナ、かわずるあゆやな)」。
「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。 アユヤナの食堂での、鮎の消費量はこれよりずっと多いのです。



写真BI: 川水流駅(かわずるえき)に近い、高千穂鉄道の「中の谷踏切(ふみきり)」。 踏切の機器には黒いビニール袋が掛けてあります。 この写真は2007年11月14日のものです。 レールの方には、黄色のついたてが建ててあります。 川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。



写真BJ: 川水流駅(かわずるえき)に近い、高千穂鉄道の「中の谷踏切(ふみきり)」。 この写真は2007年11月14日(運行停止になって、2年3ヶ月後の写真)のものです。 レールの方には、黄色のついたてが建ててあります。
レールはもう錆(さ)びていて、レールの先の方は、草むらになっています。 中の谷踏切から西方向を見たもの。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。
 高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真BK: 中の谷踏切から、北方向にある五ヶ瀬川の橋を見た景色。  川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。



写真BL: 川水流駅(かわずるえき)に近い、高千穂鉄道の「中の谷踏切(ふみきり)」。 この写真は2007年11月14日のものです。 レールの方には、黄色のついたてが建ててあります。 中の谷踏切から東方向を見たもの。 五ヶ瀬川の橋も見えています。  川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。



写真BM: 高千穂鉄道の中の谷踏切から東に少し行った地点。  レールの右に木製の鉄道標識が見えています。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真BN: 高千穂鉄道の中の谷踏切から東に少し行った地点。 五ヶ瀬川の橋の橋脚も見えます。 川水流駅から近いところです。  レールの右に木製の鉄道標識が見えています。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。



写真BO: 高千穂鉄道の中の谷踏切から東に少し行った地点。 五ヶ瀬川の橋も見えます。 川水流駅から近いところです。  レールの右に木製の鉄道標識が見えています。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真BP: 高千穂鉄道の中の谷踏切から東に少し行った地点。 川水流駅から近いところです。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。



写真BQ: レールが見えにくいほど、草が茂っています。 中の谷踏切近く。  レールの右に木製の鉄道標識が見えています。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真BR: レールが見えにくいほど、草が茂っています。 中の谷踏切近くで。



写真BS: レールが見えにくいほど、草が茂っています。 枕木、砂利(じゃり)も見えます。 中の谷踏切近く。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真BT: 高千穂鉄道の中の谷踏切から東に少し行った地点。 川水流駅から近いところです。



写真BU: 高千穂鉄道の中の谷踏切から東に少し行った地点。 川水流駅から近いところです。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真BV: 高千穂鉄道の中の谷踏切から東に少し行った地点。 川水流駅から近いところです。 秋の草が茂っています。



写真BW: 橋の方から中の谷踏切を見た景色。 川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真BX: 五ヶ瀬川の橋と高千穂鉄道の錆(さ)びたレール。 レールの右に木製の鉄道標識が見えています。



写真BY: 五ヶ瀬川の橋の真下にある、高千穂鉄道の錆(さ)びたレール。 レールの右に木製の鉄道標識が見えています。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真BZ: 川水流駅(かわずるえき)に近い、高千穂鉄道の「中の谷踏切(ふみきり)」。 川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。



写真CA: 川水流駅(かわずるえき)に近い、高千穂鉄道の「中の谷踏切(ふみきり)」。 川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真CB: 踏切のそばの看板(かんばん)。 「お願い この踏切は「中の谷」踏切です。 この警報機が故障しているときは川水流駅へ連絡してください。 高千穂鉄道(株)」と書いてあります。  川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。



写真CC: 踏切のそばの看板(かんばん)。 「お願い この踏切は「中の谷」踏切です。 この警報機が故障しているときは川水流駅へ連絡してください。 高千穂鉄道(株)」と書いてあります。



写真CD: 川水流駅(かわずるえき)に近い、高千穂鉄道の「中の谷踏切(ふみきり)」。 東方向の景色。  川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。 軌間(レールの間隔)は、国鉄在来線と同じで1067 mmです。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真CE: 川水流駅(かわずるえき)に近い、高千穂鉄道の「中の谷踏切(ふみきり)」。 西方向を見たもの。  川水流の鮎ヤナ(あゆやな)のごく近くの踏切です。
高千穂鉄道には、103の鉄橋と22のトンネルがあり、延岡市−北方町(今は延岡市に統合)−日之影町−高千穂町を通っています。
 高千穂鉄道の前身は1935年に開業した国鉄高千穂線(延岡―高千穂)です。 宮崎県を筆頭株主とする第3セクターが1989年にJR九州から経営を引き継ぎました。 ところが、2005年9月の台風14号で大きな被害を受けたため、第3セクターが運行継続を断念しました。 次に、地元観光協会を中心とした新会社、神話高千穂トロッコ鉄道が運行再開をめざしていましたが断念しました。 2008年9月現在、高千穂あまてらす鉄道社が遊具としての高千穂線復活を模索(もさく)していて、高千穂町内の高千穂−天岩戸 間(2.1 km)での列車運行を計画しています。



写真CF: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
鮎やな場は川岸に、プレハブの建物と駐車場があります。 建物の中には、食堂と、土産物売り場などがあります。
「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。



写真CG: 鮎やな場は川岸に、プレハブの建物と駐車場があります。 建物の中には、食堂と、土産物売り場などがあります。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。 アユヤナの食堂での、鮎の消費量はこれよりずっと多いのです。



写真CH: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
鮎やな場は川岸に、プレハブの建物と駐車場があります。 建物の中には、食堂と、土産物売り場などがあります。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。



写真CI: 鮎やな場は川岸に、プレハブの建物と駐車場があります。 建物の中には、食堂と、土産物売り場などがあります。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。



写真CJ: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
鮎やな場は川岸に、プレハブの建物と駐車場があります。 建物の中には、食堂と、土産物売り場などがあります。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。



写真CK: 堤防を下って、鮎ヤナに行きます。 上流側には、渡ってきた橋が見えます。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真CL: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
堤防を下って、鮎ヤナに行きます。 上流側には、渡ってきた橋が見えます。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。  アユヤナの食堂での、鮎の消費量はこれよりずっと多いのです。 2008年9月に、鮎ヤナでの販売の時は、「ヤナで取ったものか、それとも養殖の鮎かを表示するように。」と宮崎県が指導しました。



写真CM: 堤防を下って、鮎ヤナに行きます。 上流側には、渡ってきた橋が見えます。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真CN: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
川水流の鮎ヤナに着きました。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。



写真CO: このあたりは浅瀬になっています。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。



写真CP: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
上流側に、渡ってきた橋が見えます。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真CQ: 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。



写真CR: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真CS: ヤナの上には、流されないようにするための重し(石や砂利など)が載(の)せてあります。 左の人は、鮎を入れる入れ物の蓋(ふた)を開けてのぞいています。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。 アユヤナの食堂での、鮎の消費量はこれよりずっと多いのです。



写真CT: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
人の右手の所にある梁簀(やなす)に鮎が飛び乗ります。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真CU: 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。



写真CV: 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。 アユヤナの食堂での、鮎の消費量はこれよりずっと多いのです。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真CW: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
ヤナスの上に鮎を入れる容器が見えます。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。



写真CX: 竹で出来たヤナスの上に鮎(あゆ)が落ちます。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真CY: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。



写真CZ: 川の中の鮎ヤナから見た、食堂、売店のあるプレハブの建物。 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。 アユヤナの食堂での、鮎の消費量はこれよりずっと多いのです。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真DA: 鮎ヤナから見た五ヶ瀬川の左岸(川口方向に向かって)。



写真DB: 五ヶ瀬川の延岡市にある「鮎やな(あゆやな)」の総漁獲量は200−500キログラムほどです。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真DC: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。



写真DD: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
プレハブの建物の中の食堂です。 鮎料理を食べさせてくれます。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真DE: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」。
鮎料理です。 「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。



写真DF: 鮎料理に付いてきた箸袋(はしぶくろ)。 川水流の鮎ヤナで。 宮崎県東臼杵郡北方町川水流と書いてあります。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



写真DG: 延岡市北方町川水流(かわずる)の「川水流アユやな(かわずるあゆやな)」のお土産売り場(みやげうりば)。
「アユやな」は産卵のために川を下るアユを誘(さそ)い込む漁法です。 延岡市では300年以上続いている伝統漁法です。 第二次世界大戦後、食堂を併設する業者が地元漁業組合に架設契約料(約1000万円)を支払って運営しています。 契約には連続50日間(営業期間)などの条件が付けられています。 毎年、10月中旬から11月に鮎ヤナが行われています。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)