高千穂峡 (紅葉、五ヶ瀬川峡谷)、天岩戸神社 (たかちほきょう、タカチホキョウ、天の岩戸神社、あまのいわと神社、真名井の滝、高千穂三代橋、槍飛び、神硯の岩、鬼八の力石、仙人の屏風岩、高千穂峡淡水魚水族館)  (高千穂町)







<標高、位置>  高千穂峡(たかちほきょう)は
標高 約250 m
 北緯32度42分14秒  東経131度17分54秒

<標高、位置>  天岩戸神社(天の岩戸神社)は
標高 約330 m
 北緯32度42分45秒  東経131度19分37秒


 宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 大字岩戸に「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」はあります。 高千穂町の中心部から約7 km北東へ行ったところにあります。 創建の由緒は不明です。 天岩戸神社は、岩戸川をはさんで東本宮と西本宮があります。 どちらも天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀(まつ)っています。 別名があるので、見かけ上、東本宮と西本宮は祀っている神が異なるように見えますが、どちらも天照大神です。 観光ルートになっているのは西本宮で、本殿を持ちません。 谷川(岩戸川)の対岸の断崖絶壁(だんがいぜっぺき)の中腹にある洞窟(どうくつ、天岩屋(あまのいわや))がご神体です。 この洞窟は逆「く」型の割れ目の中央付近にあります。 今は永年の崖崩(がけくず)れで、分かりにくくなっています。
 高千穂峡は宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 三田井にあります。 阿蘇山(あそざん)の火山活動で、今から約12万年前と約9万年前の2回にわたって吹き出した溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出しました。 この地下から急激に吹き出した溶岩が、急激に冷却したものが柱状節理となりました。 これが五ヶ瀬川の浸蝕(しんしょく)で削(けず)られ、V字谷となったものが高千穂峡です。 高さ80m〜100mの断崖(だんがい)が20kmにわたり続いています。 これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼びます。 峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっていて、峡谷に流れ落ちる「真名井の滝」(日本の滝百選になっています。)の近くまで近づくことが出来ます。 昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定されました(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。 昭和40年(1965年)3月25日に、祖母傾国立公園に指定されました。


写真A: 宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 大字岩戸にある「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」の鳥居(とりい)です。 高千穂町の中心部から約7 km北東へ行ったところにあります。
創建の由緒は不明です。 天岩戸神社は、岩戸川をはさんで東本宮と西本宮があります。 どちらも天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀(まつ)っています。 別名があるので、見かけ上、東本宮と西本宮は祀っている神が異なるように見えますが、どちらも天照大神です。 観光ルートになっているのは西本宮で、本殿を持ちません。 谷川(岩戸川)の対岸の断崖絶壁(だんがいぜっぺき)の中腹にある洞窟(どうくつ、天岩屋(あまのいわや))がご神体です。 この洞窟は逆「く」型の割れ目の中央付近にあります。 今は永年の崖崩(がけくず)れで、分かりにくくなっています。



写真B: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある「天岩戸神社西本宮」と書いてある石碑(せきひ)。 左は鳥居(とりい)です。



写真C: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸の絵地図。



写真D: 天岩戸神社西本宮の境内(けいだい)。



写真E: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社西本宮。
天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る神社です。 社殿の後ろを流れる岩戸川の断崖の中腹には、弟 素差男命の乱暴に怒った天照大神がお隠れになった、天岩戸(あまのいわと)の洞窟(どうくつ)があります。 近くには、天香山、天浮橋や天照大神が天岩戸にこもられたときに、八百万の神々が集まり神議をされたという天安河原(あまのやすかわら)などがあります。



写真F: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮の拝殿(はいでん)。



写真G: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮の額(がく)。 天磐戸と書かれています。



写真H: 天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮の御神木「おがたま の木」。 「おがたま」の花が常陸宮家の御紋章です。 昭和39年の常陸宮 ご結婚に際しおがたま の苗木を献上したことが書かれています。



写真I: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮の御神木 おがたまの木。 「おがたま」の花が常陸宮家の御紋章です。 昭和39年の常陸宮 ご結婚に際しおがたま の苗木を献上したことが書かれています。



写真J: 天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮の御神木 おがたまの木。



写真K: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮の御神木 おがたまの木。



写真L: 天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮の御神木「おがたま の木」。
治療番号 第1054号 蘇生外科治療 日本樹木保護協会
と書いてあります。 枝の支柱などがそれだと思われます。



写真M: 天岩戸神社ご案内の絵地図。 西本宮、天岩戸、岩戸川、七本杉、東本宮、天の安河原なども書いてあります。



写真N: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮の「徴古館」。
古代高千穂地方の資料約2,000点を展示しています。
勾玉(まがたま)、土器、石斧(せきふ、工作具または農耕具)、管玉、丸玉、石鏃(せきぞく、石のヤジリ、狩猟具または武器)や大正天皇遺品、孔雀石、菊花石など古代高千穂地方の貴重な資料約2,000点を展示してあります。



写真O: 宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社(あまのいわと神社)西本宮にある「さざれ石」。 日本の国歌に出てくる「さざれ石」です。
さざれ石は、小さな石の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などによりつなぎ合わされ、1つの大きな石の塊に変化したものです。 石灰質角れき岩と呼ばれます。 石灰岩が雨で溶け、石灰質の作用により、小石がコンクリートのように固まってできます。



写真P: 天岩戸神社の駐車場のそばにある像。
岩戸開きの神話の里 天岩戸神社
天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る神社です。 社殿の後ろを流れる岩戸川の断崖の中腹には、弟 素差男命の乱暴に怒った天照大神がお隠れになった、天岩戸(あまのいわと)の洞窟(どうくつ)があります。 近くには、天香山、天浮橋や天照大神が天岩戸にこもられたときに、八百万の神々が集まり神議をされたという天安河原(あまのやすかわら)などがあります。
 この像は、天照大神が洞窟に籠(こ)もられて、世の中が真っ暗になったので、神議して洞窟の前で踊(おど)りを舞いました。 外が騒(さわ)がしいので、洞窟の岩の戸を少し開けて天照大神が外を見ました。 そのとき、力持ちの神が岩の扉(とびら)を開け、岩の戸を投げ捨てました。 その時の様子を表した像です。 投げられた岩の戸は長野県の戸隠(とがくし)と言うところまで届(とど)きました。 その後、また世の中が明るくなりました。



写真Q: 天岩戸神社の駐車場のそばにある像。
岩戸開きの神話の里 天岩戸神社
天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る神社です。 社殿の後ろを流れる岩戸川の断崖の中腹には、弟 素差男命の乱暴に怒った天照大神がお隠れになった、天岩戸(あまのいわと)の洞窟(どうくつ)があります。 近くには、天香山、天浮橋や天照大神が天岩戸にこもられたときに、八百万の神々が集まり神議をされたという天安河原(あまのやすかわら)などがあります。
 この像は、天照大神が洞窟に籠(こ)もられて、世の中が真っ暗になったので、神議して洞窟の前で踊(おど)りを舞いました。 外が騒(さわ)がしいので、洞窟の岩の戸を少し開けて天照大神が外を見ました。 そのとき、力持ちの神が岩の扉(とびら)を開け、岩の戸を投げ捨てました。 その時の様子を表した像です。 投げられた岩の戸は長野県の戸隠(とがくし)と言うところまで届(とど)きました。 その後、また世の中が明るくなりました。



写真R: 天岩戸神社の駐車場のそばにある像。
岩戸開きの神話の里 天岩戸神社
天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る神社です。 社殿の後ろを流れる岩戸川の断崖の中腹には、弟 素差男命の乱暴に怒った天照大神がお隠れになった、天岩戸(あまのいわと)の洞窟(どうくつ)があります。 近くには、天香山、天浮橋や天照大神が天岩戸にこもられたときに、八百万の神々が集まり神議をされたという天安河原(あまのやすかわら)などがあります。
 この像は、天照大神が洞窟に籠(こ)もられて、世の中が真っ暗になったので、神議して洞窟の前で踊(おど)りを舞いました。 外が騒(さわ)がしいので、洞窟の岩の戸を少し開けて天照大神が外を見ました。 そのとき、力持ちの神が岩の扉(とびら)を開け、岩の戸を投げ捨てました。 その時の様子を表した像です。 投げられた岩の戸は長野県の戸隠(とがくし)と言うところまで届(とど)きました。 その後、また世の中が明るくなりました。



写真S: 宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 大字岩戸にある「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」のそばのお土産店(みやげてん)。



写真T: 宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 大字岩戸にある「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」の門前町。



写真U: 宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 大字岩戸にある「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」の門前町。



写真V: 宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 大字岩戸にある「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」の駐車場。



写真W: 宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 大字岩戸にある「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」の駐車場。



写真X: 宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 大字岩戸にある「天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」のお土産屋(みやげや)。



写真Y: 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある「高千穂峡(たかちほきょう)」の駐車場(大橋駐車場)。 土産店(みやげてん)なども見えています。



写真Z: 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある高千穂峡の駐車場(大橋駐車場)。



写真AA: 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある「高千穂峡」の土産店など。



写真AB: 「高千穂峡入り口」。 右にある階段を下ります。



写真AC: 高千穂峡入り口。



写真AD: 階段を下ります。 高千穂峡は谷川(V字谷)ですから、低いところにあります。



写真AE: 高千穂峡に下る階段。



写真AF: 途中で車道にぶつかります。



写真AG: ジグザグに階段で下ります。



写真AH: 橋の所の紅葉、黄葉が美しい。



写真AI: 「高千穂峡(たかちほきょう)」の説明板。
 高千穂峡は、阿蘇溶岩の浸食谷を言い、上流の窓ノ瀬から下流の吐合間が中心で、昭和9年11月20日 五ヶ瀬峡谷として、名勝天然記念物に指定されており、昭和40年3月には、祖母傾国定公園に指定されました。 環境省 宮崎県
と書いてあります。



写真AJ: 高千穂三代橋の一つ。 右に、御塩井(真名井の滝)、市街地、国見ヶ丘と書かれた看板(かんばん)があります。



写真AK: 高千穂三代橋の一つ。 右に、御塩井(真名井の滝)、市街地、国見ヶ丘と書かれた看板(かんばん)があります。



写真AL: 左下に高千穂峡が見えてきました。 この階段を下ります。



写真AM: 高千穂峡。
 阿蘇山(あそざん)の火山活動で、今から約12万年前と約9万年前の2回にわたって吹き出した溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出しました。 この地下から急激に吹き出した溶岩が、急激に冷却したものが柱状節理となりました。 これが五ヶ瀬川の浸蝕(しんしょく)で削(けず)られ、V字谷となったものが高千穂峡です。 高さ80m〜100mの断崖(だんがい)が20kmにわたり続いています。 これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼びます。 峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっていて、峡谷に流れ落ちる「真名井の滝」(日本の滝百選になっています。)の近くまで近づくことが出来ます。 昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定されました(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。 昭和40年(1965年)3月25日に、祖母傾国立公園に指定されました。



写真AN: 高千穂三代橋の2つが見えます。



写真AO: 高千穂三代橋の1つが見えます。



写真AP: 高千穂峡の紅葉。



写真AQ: 高千穂峡。



写真AR: 高千穂峡。 石碑(せきひ)が見えています。



写真AS: 高千穂峡。 石碑(せきひ)が見えています。



写真AT: 秋の高千穂峡。



写真AU: 秋の高千穂峡。
 阿蘇山(あそざん)の火山活動で、今から約12万年前と約9万年前の2回にわたって吹き出した溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出しました。 この地下から急激に吹き出した溶岩が、急激に冷却したものが柱状節理となりました。 これが五ヶ瀬川の浸蝕(しんしょく)で削(けず)られ、V字谷となったものが高千穂峡です。 高さ80m〜100mの断崖(だんがい)が20kmにわたり続いています。 これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼びます。 峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっていて、峡谷に流れ落ちる「真名井の滝」(日本の滝百選になっています。)の近くまで近づくことが出来ます。 昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定されました(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。 昭和40年(1965年)3月25日に、祖母傾国立公園に指定されました。



写真AV: 高千穂峡。



写真AW: 高千穂峡。
 阿蘇山(あそざん)の火山活動で、今から約12万年前と約9万年前の2回にわたって吹き出した溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出しました。 この地下から急激に吹き出した溶岩が、急激に冷却したものが柱状節理となりました。 これが五ヶ瀬川の浸蝕(しんしょく)で削(けず)られ、V字谷となったものが高千穂峡です。 高さ80m〜100mの断崖(だんがい)が20kmにわたり続いています。 これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼びます。 峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっていて、峡谷に流れ落ちる「真名井の滝」(日本の滝百選になっています。)の近くまで近づくことが出来ます。 昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定されました(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。 昭和40年(1965年)3月25日に、祖母傾国立公園に指定されました。



写真AX: 「神硯の岩(みすずりのいわ)」。
 江戸時代の盲人学者 塙保己一(はなわほきいち)が「稀代の偉傑で勤王の志士」と激称し、寛政の三奇人の一人に数えられた高山彦九朗(高山彦九郎)が1792年7月17日に高千穂を訪れています。 その紀行文「筑紫日誌」に「新橋を渡りて右に十間余なる岩硯(いわすずり)の如(ごと)くなる有り。 何共名あらず予(よ)、硯石名付けて可也といひし」とあり、当時の高千穂神社、神主 田尻隠岐守は彦九朗と別れのとき、次の詠をおくりました。 みすずりの岩とやいわれむ神代より伝へしことの朽(くち)ぬ
也けり。
と書かれています。
(注)高山彦九朗(高山彦九郎)は鹿野田神社(宮崎県西都市鹿野田)や観音山(宮崎県児湯郡新富町)も同じ頃、訪(おとず)れています。 高山彦九朗は群馬県太田市に生まれ、18歳の時に遺書を残して家を出、北海道、四国以外の全国を遊説(ゆうぜい)して勤王論を説(と)きました。 公家とも交流があったので、幕府の松平定信らから警戒されました。 1791年(寛政3年)から九州各地を旅し、薩摩藩に頼ろうとしましたが、退(しりぞ)けられしばらく豊後国日田(大分県)で捕縛されました。 その後も幕府の監視を受け、1793年(寛政5年)に筑後国久留米(福岡県)の友達であった森嘉膳の家で割腹自殺しました(46歳)。 第二次世界大戦前は修身の教科書に高山彦九朗のことが書かれていました。



写真AY: 「神硯の岩(みすずりのいわ)」の説明板。
 江戸時代の盲人学者 塙保己一(はなわほきいち)が「稀代の偉傑で勤王の志士」と激称し、寛政の三奇人の一人に数えられた高山彦九朗が1792年7月17日に高千穂を訪れています。 その紀行文「筑紫日誌」に「新橋を渡りて右に十間余なる岩硯(いわすずり)の如(ごと)くなる有り。 何共名あらず予(よ)、硯石名付けて可也といひし」とあり、当時の高千穂神社、神主 田尻隠岐守は彦九朗と別れのとき、次の詠をおくりました。 みすずりの岩とやいわれむ神代より伝へしことの朽(くち)ぬ
也けり。
と書かれています。
(注)高山彦九朗(高山彦九郎)は鹿野田神社(宮崎県西都市鹿野田)や観音山(宮崎県児湯郡新富町)も同じ頃、訪(おとず)れています。 高山彦九朗は群馬県太田市に生まれ、18歳の時に遺書を残して家を出、北海道、四国以外の全国を遊説(ゆうぜい)して勤王論を説(と)きました。 公家とも交流があったので、幕府の松平定信らから警戒されました。 1791年(寛政3年)から九州各地を旅し、薩摩藩に頼ろうとしましたが、退(しりぞ)けられしばらく豊後国日田(大分県)で捕縛されました。 その後も幕府の監視を受け、1793年(寛政5年)に筑後国久留米(福岡県)の友達であった森嘉膳の家で割腹自殺しました(46歳)。 第二次世界大戦前は修身の教科書に高山彦九朗のことが書かれていました。



写真AZ: 「神硯の岩(みすずりのいわ)」。
ちょうどこの時も硯(すずり)のように水がたまっていました。
 江戸時代の盲人学者 塙保己一(はなわほきいち)が「稀代の偉傑で勤王の志士」と激称し、寛政の三奇人の一人に数えられた高山彦九朗が1792年7月17日に高千穂を訪れています。 その紀行文「筑紫日誌」に「新橋を渡りて右に十間余なる岩硯(いわすずり)の如(ごと)くなる有り。 何共名あらず予(よ)、硯石名付けて可也といひし」とあり、当時の高千穂神社、神主 田尻隠岐守は彦九朗と別れのとき、次の詠をおくりました。 みすずりの岩とやいわれむ神代より伝へしことの朽(くち)ぬ
也けり。
と書かれています。
(注)高山彦九朗(高山彦九郎)は鹿野田神社(宮崎県西都市鹿野田)や観音山(宮崎県児湯郡新富町)も同じ頃、訪(おとず)れています。 高山彦九朗は群馬県太田市に生まれ、18歳の時に遺書を残して家を出、北海道、四国以外の全国を遊説(ゆうぜい)して勤王論を説(と)きました。 公家とも交流があったので、幕府の松平定信らから警戒されました。 1791年(寛政3年)から九州各地を旅し、薩摩藩に頼ろうとしましたが、退(しりぞ)けられしばらく豊後国日田(大分県)で捕縛されました。 その後も幕府の監視を受け、1793年(寛政5年)に筑後国久留米(福岡県)の友達であった森嘉膳の家で割腹自殺しました(46歳)。 第二次世界大戦前は修身の教科書に高山彦九朗のことが書かれていました。



写真BA: 「甌穴(おうけつ、Pot hole)」の説明板。
 岩盤(がんばん)から成(な)る河床に出来る円筒形の深い穴を かめ穴、またはホットポールと言います。 河床の岩盤のくぼみや割れ目の所に(水の)渦巻きを生じ、そのエネルギーによって穴が出来、さらにその穴に入った小石が渦巻きによって岩盤を削(けず)るためこうした深い円筒形の穴が出来ます。
と書いてあります。



写真BB: 高千穂峡。
 阿蘇山(あそざん)の火山活動で、今から約12万年前と約9万年前の2回にわたって吹き出した溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出しました。 この地下から急激に吹き出した溶岩が、急激に冷却したものが柱状節理となりました。 これが五ヶ瀬川の浸蝕(しんしょく)で削(けず)られ、V字谷となったものが高千穂峡です。 高さ80m〜100mの断崖(だんがい)が20kmにわたり続いています。 これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼びます。 峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっていて、峡谷に流れ落ちる「真名井の滝」(日本の滝百選になっています。)の近くまで近づくことが出来ます。 昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定されました(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。 昭和40年(1965年)3月25日に、祖母傾国立公園に指定されました。



写真BC: 高千穂峡。 奥に「槍飛橋(やりとびはし)」が見えます。



写真BD: 高千穂峡。 奥に「槍飛橋(やりとびはし)」が見えます。



写真BE: 対岸に柱状節理(ちゅうじょうせつり、溶岩が下から、急激にせり上がって出来る。 石の柱が並んだように見えるもの)が見えます。



写真BF: 高千穂峡。 遠くに槍飛橋が見えます。



写真BG: 高千穂三代橋と呼ばれる3つの橋が見えます。



写真BH: 高千穂三代橋と呼ばれる3つの橋が見えます。



写真BI: 高千穂峡。
 阿蘇山(あそざん)の火山活動で、今から約12万年前と約9万年前の2回にわたって吹き出した溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出しました。 この地下から急激に吹き出した溶岩が、急激に冷却したものが柱状節理となりました。 これが五ヶ瀬川の浸蝕(しんしょく)で削(けず)られ、V字谷となったものが高千穂峡です。 高さ80m〜100mの断崖(だんがい)が20kmにわたり続いています。 これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼びます。 峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっていて、峡谷に流れ落ちる「真名井の滝」(日本の滝百選になっています。)の近くまで近づくことが出来ます。 昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定されました(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。 昭和40年(1965年)3月25日に、祖母傾国立公園に指定されました。
高千穂三代橋と呼ばれる3つの橋が見えます。



写真BJ: 対岸に柱状節理(ちゅうじょうせつり、溶岩が下から、急激にせり上がって出来る。 石の柱が並んだように見えるもの)が見えます。



写真BK: 高千穂峡にかかる槍飛橋(やりとびはし)。 昭和63年12月建設。



写真BL: 高千穂峡。



写真BM: 高千穂峡。 右下は「槍飛の橋」の欄干(らんかん)。



写真BN: 高千穂峡。



写真BO: 高千穂峡。 このあたりは遊歩道に手すりが付いています。



写真BP: 「槍飛(やりとび)」。
ここは、五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭いところです。 天正19年(1591年)県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められたとき、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来達がここまで逃げたが橋がないので槍の柄(やりのえ)を手前の岩に突(つ)いた者は飛び渡り、向こう側に突いた者は川の中に転落したと伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになりました。



写真BQ: 「槍飛(やりとび)」。
ここは、五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭いところです。 天正19年(1591年)県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められたとき、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来達がここまで逃げたが橋がないので槍の柄(やりのえ)を手前の岩に突(つ)いた者は飛び渡り、向こう側に突いた者は川の中に転落したと伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになりました。



写真BR: 「槍飛(やりとび)」。
ここは、五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭いところです。 天正19年(1591年)県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められたとき、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来達がここまで逃げたが橋がないので槍の柄(やりのえ)を手前の岩に突(つ)いた者は飛び渡り、向こう側に突いた者は川の中に転落したと伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになりました。



写真BS: 「槍飛(やりとび)」の説明板。
ここは、五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭いところです。 天正19年(1591年)県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められたとき、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来達がここまで逃げたが橋がないので槍の柄(やりのえ)を手前の岩に突(つ)いた者は飛び渡り、向こう側に突いた者は川の中に転落したと伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになりました。
と書いてあります。



写真BT: 「高千穂神社、真名井の滝、九州自然歩道」と書かれた標識。



写真BU: 「高千穂峡 宮日新観光地百景」と書かれた石碑(せきひ)。



写真BV: 高千穂峡の紅葉、黄葉。



写真BW: 高千穂峡。



写真BX: 遊歩道の右下の大きな石が「鬼八の力石(重量約200トン)」です。
 鬼八の力石は、次のような伝説があります。 高千穂神社の祭神 三毛入野命は弟の神武天皇と共に大和に行かれますが、伝説では再びお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、この地を治めたと言われています。 このとき、鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石が「鬼八の力石」と言われています。



写真BY: 遊歩道の右下の大きな石が「鬼八の力石(重量約200トン)」です。
 鬼八の力石は、次のような伝説があります。 高千穂神社の祭神 三毛入野命は弟の神武天皇と共に大和に行かれますが、伝説では再びお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、この地を治めたと言われています。 このとき、鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石が「鬼八の力石」と言われています。



写真BZ: 高千穂峡。
 阿蘇山(あそざん)の火山活動で、今から約12万年前と約9万年前の2回にわたって吹き出した溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出しました。 この地下から急激に吹き出した溶岩が、急激に冷却したものが柱状節理となりました。 これが五ヶ瀬川の浸蝕(しんしょく)で削(けず)られ、V字谷となったものが高千穂峡です。 高さ80m〜100mの断崖(だんがい)が20kmにわたり続いています。 これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼びます。 峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっていて、峡谷に流れ落ちる「真名井の滝」(日本の滝百選になっています。)の近くまで近づくことが出来ます。 昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定されました(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。 昭和40年(1965年)3月25日に、祖母傾国立公園に指定されました。



写真CA: 高千穂峡の柱状節理(ちゅうじょうせつり)が見えます。 岩の柱が、たくさん地中から突き出たような形になっています。
 阿蘇山(あそざん)の火山活動で、今から約12万年前と約9万年前の2回にわたって吹き出した溶岩が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流出しました。 この地下から急激に吹き出した溶岩が、急激に冷却したものが柱状節理となりました。



写真CB: 高千穂峡。 対岸は「仙人の屏風岩」です。



写真CC: 「仙人の屏風岩(せんにんのびょうぶいわ)」。
(高さ約70 m)
 対岸に広がる屏風面の岩を 仙人の屏風岩 と言います。 上流の新橋付近から下流の真名井の滝、ボート乗り場付近までが自然の造形美の美しいところです。 昭和9年、付近一帯が「名勝天然記念物」指定されています。



写真CD: 「仙人の屏風岩(せんにんのびょうぶいわ)」。
(高さ約70 m)
 対岸に広がる屏風面の岩を 仙人の屏風岩 と言います。 上流の新橋付近から下流の真名井の滝、ボート乗り場付近までが自然の造形美の美しいところです。 昭和9年、付近一帯が「名勝天然記念物」指定されています。



写真CE: 「鬼八の力石(重量約200トン)」の説明板。
 左下の大きな石が鬼八の力石です。 高千穂神社の祭神 三毛入野命は弟の神武天皇と共に大和に行かれますが、伝説では再びお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、この地を治めたと言われています。 このとき、鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石と言われています。
と書いてあります。



写真CF: 真ん中にある大きな石が「鬼八の力石(重量約200トン)」です。
 真ん中の大きな石が鬼八の力石です。 高千穂神社の祭神 三毛入野命は弟の神武天皇と共に大和に行かれますが、伝説では再びお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはたらいていた鬼八を退治し、この地を治めたと言われています。 このとき、鬼八が三毛入野命に投げ、力自慢をしたという石と言われています。



写真CG: 高千穂峡の「真名井の滝(まないのたき)」。 峡谷の崖上は自然公園となっています。 そこにある「おのころ池」より流れる水が真名井の滝となっています。 落差は約17m です。 下の川は五ヶ瀬川(ごかせがわ)です。 貸しボートに乗った人も見えています。 夏は午後10時まで滝周辺がライトアップされます。
 神話では天孫降臨のときに、、天村雲命(あめのむらくものみこと)という神が、この地に水がなかったので水種を移しました。 これが天真名井(あまのまない)として湧(わ)きだし、滝となって流れ落ちました。
左と右の岸に、柱状節理(ちゅうじょうせつり、溶岩が下から、急激にせり上がって出来る。 石の柱が並んだように見えるもの)が見えます。



写真CH: 「高千穂峡 「真名井の滝」」。
 太古の昔、阿蘇山(あそざん)の噴火活動で流れ出た溶岩の浸蝕(しんしょく)によって形成された渓谷で、最大の見所が「真名井の滝」です。 日本滝百選に指定されています。 ボートに乗って水面近くから見上げると迫力満点です。 このほか、玉垂の滝、鬼八の力石、高千穂三代橋など渓谷美が堪能(たんのう)できます。



写真CI: 高千穂峡の「真名井の滝(まないのたき)」。 峡谷の崖上は自然公園となっています。 そこにある「おのころ池」より流れる水が真名井の滝となっています。 落差は約17m です。 下の川は五ヶ瀬川(ごかせがわ)です。 貸しボートに乗った人も見えています。



写真CJ: 「高千穂峡 「真名井の滝」」。
 太古の昔、阿蘇山(あそざん)の噴火活動で流れ出た溶岩の浸蝕(しんしょく)によって形成された渓谷で、最大の見所が「真名井の滝」です。 日本滝百選に指定されています。 ボートに乗って水面近くから見上げると迫力満点です。 このほか、玉垂の滝、鬼八の力石、高千穂三代橋など渓谷美が堪能(たんのう)できます。



写真CK: 高千穂峡の「真名井の滝(まないのたき)」。 峡谷の崖上は自然公園となっています。 そこにある「おのころ池」より流れる水が真名井の滝となっています。 落差は約17m です。 下の川は五ヶ瀬川(ごかせがわ)です。 貸しボートに乗った人も見えています。
左と右の岸に、柱状節理(ちゅうじょうせつり、溶岩が下から、急激にせり上がって出来る。 石の柱が並んだように見えるもの)が見えます。



写真CL: 「高千穂峡 「真名井の滝」」。
 太古の昔、阿蘇山(あそざん)の噴火活動で流れ出た溶岩の浸蝕(しんしょく)によって形成された渓谷で、最大の見所が「真名井の滝」です。 日本滝百選に指定されています。 ボートに乗って水面近くから見上げると迫力満点です。 このほか、玉垂の滝、鬼八の力石、高千穂三代橋など渓谷美が堪能(たんのう)できます。



写真CM: 高千穂峡の「真名井の滝(まないのたき)」。 峡谷の崖上は自然公園となっています。 そこにある「おのころ池」より流れる水が真名井の滝となっています。 落差は約17m です。 下の川は五ヶ瀬川(ごかせがわ)です。 貸しボートに乗った人も見えています。 夏は午後10時まで滝周辺がライトアップされます。
 神話では天孫降臨のときに、、天村雲命(あめのむらくものみこと)という神が、この地に水がなかったので水種を移しました。 これが天真名井(あまのまない)として湧(わ)きだし、滝となって流れ落ちました。



写真CN: 「高千穂峡 「真名井の滝」」。
 太古の昔、阿蘇山(あそざん)の噴火活動で流れ出た溶岩の浸蝕(しんしょく)によって形成された渓谷で、最大の見所が「真名井の滝」です。 日本滝百選に指定されています。 ボートに乗って水面近くから見上げると迫力満点です。 このほか、玉垂の滝、鬼八の力石、高千穂三代橋など渓谷美が堪能(たんのう)できます。



写真CO: 高千穂峡の「真名井の滝(まないのたき)」。 峡谷の崖上は自然公園となっています。 そこにある「おのころ池」より流れる水が真名井の滝となっています。 落差は約17m です。 下の川は五ヶ瀬川(ごかせがわ)です。 貸しボートに乗った人も見えています。



写真CP: 「高千穂峡 「真名井の滝」」の説明板。
 太古の昔、阿蘇山(あそざん)の噴火活動で流れ出た溶岩の浸蝕(しんしょく)によって形成された渓谷で、最大の見所が「真名井の滝」です。 日本滝百選に指定されています。 ボートに乗って水面近くから見上げると迫力満点です。 このほか、玉垂の滝、鬼八の力石、高千穂三代橋など渓谷美が堪能(たんのう)できます。
と書いてあります。



写真CQ: 高千穂峡。



写真CR: 高千穂峡。



写真CS: 「高千穂峡 「真名井の滝」」。
 太古の昔、阿蘇山(あそざん)の噴火活動で流れ出た溶岩の浸蝕(しんしょく)によって形成された渓谷で、最大の見所が「真名井の滝」です。 日本滝百選に指定されています。 ボートに乗って水面近くから見上げると迫力満点です。 このほか、玉垂の滝、鬼八の力石、高千穂三代橋など渓谷美が堪能(たんのう)できます。



写真CT: 高千穂峡の「真名井の滝(まないのたき)」。 峡谷の崖上は自然公園となっています。 そこにある「おのころ池」より流れる水が真名井の滝となっています。 落差は約17m です。 下の川は五ヶ瀬川(ごかせがわ)です。 貸しボートに乗った人も見えています。



写真CU: 高千穂峡。



写真CV: 真名井の滝は、この池の水が流れ落ちています。



写真CW: 高千穂峡の「真名井の滝(まないのたき)」。 峡谷の崖上は自然公園となっています。 そこにある「おのころ池」より流れる水が真名井の滝となっています。 落差は約17m です。 下の川は五ヶ瀬川(ごかせがわ)です。 貸しボートに乗った人も見えています。



写真CX: 「名勝 天然記念物 高千穂峡」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。 昭和10年3月建設。



写真CY: 「名勝 天然記念物 高千穂峡」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。 昭和10年3月建設。



写真CZ: 高千穂峡にある祠(ほこら)。



写真DA: 鯉(こい)のいる池。 鯉の餌(えさ)が売っています。 この池の水が真名井の滝となって、流れ落ちます。



写真DB: 鯉のいる池のそばには、水車小屋が見えます。



写真DC: 鯉(こい)のいる池。 この池の水が真名井の滝となって、流れ落ちます。 店も見えています。



写真DD: 高千穂峡にある久太郎水神の鳥居(とりい)。



写真DE: 「高千穂峡 「真名井の滝」」。
 太古の昔、阿蘇山(あそざん)の噴火活動で流れ出た溶岩の浸蝕(しんしょく)によって形成された渓谷で、最大の見所が「真名井の滝」です。 日本滝百選に指定されています。 ボートに乗って水面近くから見上げると迫力満点です。 このほか、玉垂の滝、鬼八の力石、高千穂三代橋など渓谷美が堪能(たんのう)できます。



写真DF: 高千穂峡の「真名井の滝(まないのたき)」。 峡谷の崖上は自然公園となっています。 そこにある「おのころ池」より流れる水が真名井の滝となっています。 落差は約17m です。 下の川は五ヶ瀬川(ごかせがわ)です。 貸しボートに乗った人も見えています。 夏は午後10時まで滝周辺がライトアップされます。
 神話では天孫降臨のときに、、天村雲命(あめのむらくものみこと)という神が、この地に水がなかったので水種を移しました。 これが天真名井(あまのまない)として湧(わ)きだし、滝となって流れ落ちました。



写真DG: 高千穂峡。 右に貸しボート屋の建物が見えます。



写真DH: このあたりは車道が来ています。 食堂も見えます。



写真DI: 高千穂峡にある旅館、お土産屋(おみやげや)。



写真DJ: 高千穂峡にある高千穂峡淡水魚水族館。



写真DK: 「仙人の屏風岩(せんにんのびょうぶいわ)」の説明板。
(高さ約70 m)
 対岸に広がる屏風面の岩を 仙人の屏風岩 と言います。 上流の新橋付近から下流の真名井の滝、ボート乗り場付近までが自然の造形美の美しいところです。 昭和9年、付近一帯が「名勝天然記念物」指定されています。
と書いてあります。



写真DL: 「仙人の屏風岩(せんにんのびょうぶいわ)」。
(高さ約70 m)
 対岸に広がる屏風面の岩を 仙人の屏風岩 と言います。 上流の新橋付近から下流の真名井の滝、ボート乗り場付近までが自然の造形美の美しいところです。 昭和9年、付近一帯が「名勝天然記念物」指定されています。



写真DM: 「槍飛橋(やりとびはし)」。 昭和63年12月建設。
ここは、五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭いところです。 天正19年(1591年)県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められたとき、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来達がここまで逃げたが橋がないので槍の柄(やりのえ)を手前の岩に突(つ)いた者は飛び渡り、向こう側に突いた者は川の中に転落したと伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになりました。



写真DN: 「槍飛(やりとび)」。
ここは、五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭いところです。 天正19年(1591年)県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められたとき、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来達がここまで逃げたが橋がないので槍の柄(やりのえ)を手前の岩に突(つ)いた者は飛び渡り、向こう側に突いた者は川の中に転落したと伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになりました。



写真DO: 「槍飛橋(やりとびはし)」。 昭和63年12月建設。
ここは、五ヶ瀬川の中で最も川幅の狭いところです。 天正19年(1591年)県(あがた)の領主(今の延岡)高橋元種に高千穂が攻められたとき、三田井城が落ちた際、城を脱出した家来達がここまで逃げたが橋がないので槍の柄(やりのえ)を手前の岩に突(つ)いた者は飛び渡り、向こう側に突いた者は川の中に転落したと伝えられており、ここを「槍飛び」と言うようになりました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)