曽我殿の墓 (桜)、日講遺跡、誓念寺 (そがどのの墓、にちこう遺跡、せいねん寺) (宮崎市佐土原町上田島と下田島)





<標高、位置>   曽我殿の墓は
標高 約30 m
 北緯32度02分20秒  東経131度27分13秒

<標高、位置>   日講遺跡は
標高 約50 m
 北緯32度02分35秒  東経131度25分34秒

<標高、位置>   誓念寺は
標高 約数 m
 北緯32度03分05秒  東経131度25分49秒


 「曽我殿の墓」は田島伊東の墓と思われています。 「日講遺跡」は江戸幕府から流されて佐土原に住んだ日蓮宗の高僧の遺跡です。 誓念寺(せいねんじ)は宮崎市佐土原町上田島の中心にある寺です。


写真A: 「曽我殿の墓」は、県道326線沿い、バス停 天神と田島 の間にある宮崎国際ゴルフ倶楽部へ行く道を少し進んだ右手の山にあります。 登山口に公園があります。 この写真の道を進んで行きます。



写真B: 曽我殿の墓の説明板。 曽我殿の墓は 大光寺と同じ中世期作の五輪塔6基と、三重層塔2組4基があります。 中心の五輪塔は両側に二重層塔を置き、石垣が巡らしてあります。 中央五輪塔は虎御前、両側は五郎、十郎の墓と地元で言い伝えられています。 規模と形から初めて田島に下り領主になった伊東祐明 以下 田島伊東の墓群(誰のものかは不明)といわれているが、地元では曽我殿の墓として、地区の鎮守として大切に保護されています。 頂上近くにドーナツ状の人工の池があります。 島津軍の破壊から逃れるために、曽我殿の墓と称したと言われています。 ここは宮崎市佐土原町下田島です。



写真C: 曽我殿の墓の下には、曽我公園があります。



写真D: 曽我公園から見た曽我殿の墓。 桜の花の所に曽我殿の墓があります。



写真E: 曽我殿の墓へ行く登山口。



写真F: 曽我殿の墓に登る道。 階段もあります。



写真G: 曽我殿の墓のそばには、桜が咲いています。



写真H: 右に見えているのが曽我殿の墓。 桜が満開でした。



写真I: 曽我殿の墓の桜の花。



写真J: 曽我殿の墓からの景色。 遠くの白い大きな建物は、「パナソニック」の工場です。 水田も見えています。



写真K: 曽我殿の墓からの景色。 曽我公園も見えています。



写真L: 曽我殿の墓からの眺望。 新田原(にゅうたばる)も見えています。 手前は曽我公園です。



写真M: 曽我殿の墓の桜。 ちょうど満開でした。



写真N: 曽我殿の墓の桜。 暗い背景に桜花が浮かび上がっています。



写真O: 左は曽我殿(そがどの)の墓。



写真P: 曽我殿の墓には五輪塔もあります。



写真Q: 曽我殿の墓にある桜の花。



写真R: 三重層塔があります。



写真S: 曽我殿の墓。 五輪の塔です。 初めて田島に下り領主になった伊東祐明 以下 田島伊東の墓群(誰のものかは不明)といわれているが、地元では曽我殿の墓として、地区の鎮守として大切に保護されています。 このあたりは標高 約30 mです。



写真T: 三重層塔。



写真U: 五輪塔。



写真V: 曽我殿の墓付近から見た景色。 遠くの台地は新田原です。



写真W: 曽我殿の墓から見た眺望。



写真X: 曽我殿の墓からの展望。



写真Y: 曽我殿の墓の一段上部に窪地(くぼち)があって、水がたまっています。 ドーナツ状の人工池。



写真Z: 水がたまった窪地のそばの三重層塔。 曽我殿の墓の一段上部にあります。



写真AA: 水のたまった凹地のそばの石造物。



写真AB: 水のたまった凹地のそばから見た景色。



写真AC: 水のたまった凹地のそばからの眺望。



写真AD: 曽我殿の墓のそばから2本目の登る道があります。



写真AE: 曽我殿の墓からの2本目の登り口のそばにある石像。 槙(まき)の枝が供えてありました。



写真AF: 曽我殿の墓からの2本目の登り口から登ると祠(ほこら)があります。



写真AG: 祠(ほこら)のそばの御手洗(みたらい)。



写真AH: 「僧日講遺跡」の説明板。 日講上人は日蓮宗の不受不施派最高の学識者として尊敬されていましたが、江戸幕府の宗教政策に従わなかったため、1666年佐土原に預(あず)けられました。 当時の後島津の4代藩主 島津忠高は幕府から追放された上人を手厚くもてなし、藩士もいろいろな教えを受けました。 日講はこの地で、日蓮宗の入門書として現在も大切にされている「録内啓蒙四十二冊」を著すなどしたほか、日講上人が没するまでの32年間の日記「説黙日課」を残しました。 この日記は当時の佐土原を記した貴重な史料となっています。
 日講遺跡は日講庵があったところで、現在、岡山県の不授不施派妙覚寺と岡山県の同派講門派本覚寺が建立した2つの墓所があります。 ここは宮崎市佐土原町上田島です。



写真AI: 日講遺跡のある丘です。 この付近の標高は約 50 mです。 佐土原城跡近くの今坂池から車道をはさんだ丘の最高地点にあります。 この丘は団地になっています。 看板は僧日講遺跡の説明板です。 近くは遊具のある公園になっています。



写真AJ: ここは西野久尾公園(にしのくび公園)になっています。



写真AK: 僧日講遺跡の石碑です。 日講はもと下総国(千葉県)野呂妙興寺にいましたが、1666年5月、幕府に疎(うと)まれて佐土原に流されました。 4代藩主 忠高は、日講を厚くもてなし、初めは曼荼羅小路(まんだらこうじ)に後に野久尾に新居を与えました。 日講はここで読経、研究を行い、藩主の諮問に応じたり、日蓮宗の講義をするなど、大きな働きをしました。



写真AL: 日講遺跡にある御手洗(みたらい)。



写真AM: 日蓮宗の僧日講遺跡の石碑です。



写真AN: 日講遺跡の石碑です。



写真AO: 日講遺跡の古い石碑が積んであります。



写真AP: 日蓮宗の僧 日講遺跡の古い石碑です。



写真AQ: 日講遺跡の古い石碑が積み上げられています。



写真AR: 近くにブランコもありました。



写真AS: 日講の墓への道しるべ。



写真AT: この階段を上って日講の墓に行きます。



写真AU: 日蓮宗の僧 日講の墓です。



写真AV: 日蓮宗の僧 日講の墓。



写真AW: 日講上人の墓です。



写真AX: 日講遺跡から見た景色。 見えているのは弁天山です。 佐土原小学校が見えています。 遠くに新田原(にゅうたばる)も見えています。



写真AY: 「誓念寺(せいねんじ)」の門の近くから見た景色。 宮崎市佐土原町上田島の中心にあります。 宮崎太陽銀行の看板も見えています。



写真AZ: 浄土宗 誓念寺の入り口にある掲示板。



写真BA: 浄土宗 誓念寺の本堂。 ここは宮崎市佐土原町上田島です。



写真BB: 誓念寺の建物。



写真BC: 誓念寺には鐘楼(しょうろう)の土台と思われるものが残っています。



写真BD: 佐土原の誓念寺の銅像。



写真BE: 佐土原町 誓念寺の石仏。



写真BF: 佐土原町の誓念寺本堂。



写真BG: 誓念寺と書かれています。



写真BH: 鐘(かね)が軒(のき)の下に吊されています。



写真BI: 誓念寺の五輪の塔です。



写真BJ: 誓念寺の門。 門の外は車道になっています。



写真BK: 誓念寺の門。 誓念寺と書かれた文字が古くなって薄くなっています。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)