郷の駅 (飫肥杉ランド) (北郷、さとのえき、おびすぎランド、二ノ宮金次郎の石像、物産品販売、飫肥杉 (おびすぎ)、イノシシの肉)  (宮崎県 日南市 北郷町 北河内 9108-2)







<標高、位置>  郷の駅 (飫肥杉ランド)は
標高 約100 m
 北緯31度42分19秒  東経131度20分09秒


 「郷の駅 (飫肥杉ランド)」は宮崎県 日南市 北郷町 北河内 宿野 9108-2 にあります。 北郷町は建築や木造船の良い材料である飫肥杉(おびすぎ)の産地です。
「郷の駅」は飫肥杉(おびすぎ)で造られたログハウスで、イノシシの肉、その他の地元の物産品などが販売されています。 デッキが付いた飫肥杉製のログハウスはうどんなどの食堂になっています。 敷地内に新しい「二ノ宮金次郎 (二宮尊徳)」が薪(まき)を背負って本を読んでいる石像があります。 二宮尊徳は江戸時代末期(1787〜1856年)の篤農家(とくのうか、熱心で研究的な農業者)で、通称は金次郎です。 相模(さがみ、神奈川県)の人で、実践主義で神道、儒教、仏教の思想をとった報徳教を生み出し、陰徳、積善、節倹を実行し殖産のことを説きました。 605ヵ町村を復興しました。

 「飫肥杉(おびすぎ)」は江戸時代に飫肥藩によって植林が始められました。 樹脂を多く含み吸湿性が低く、軽く、強度が高いので木造船の用途で使われていました。 50-70 年ものを伐採します。 日南市、宮崎市の旧飫肥藩地区や串間市、都城市などに植えられています。 昭和40年(1965年)頃から、造船への需要が激減したので、住宅用材料を目指(めざ)しています。


写真A: 宮崎県 日南市 北郷町 北河内 9108-2 にある「郷の駅 (飫肥杉ランド)」です。 県道28号線にあります。 「郷の駅」のすぐ右手を通っている県道28号線を右に進むと日南市の中心部に行きます。 左に進むと宮崎市 田野町に行きます。
右に芸術的な造形物が見えます。
県道28号線の向こうの山には見事な飫肥杉(おびすぎ)が育っています。 北郷の「郷の駅」は飫肥杉(おびすぎ)で造られています。
「飫肥杉(おびすぎ)」は江戸時代に飫肥藩によって植林が始められました。 樹脂を多く含み吸湿性が低く、軽く、強度が高いので木造船の用途で使われていました。 50-70 年ものを伐採します。 日南市、宮崎市の旧飫肥藩地区や串間市、都城市などに植えられています。 昭和40年(1965年)頃から、造船への需要が激減したので、住宅用材料を目指(めざ)しています。



写真B: 宮崎県 日南市 北郷町 宿野にある「郷の駅 (飫肥杉ランド(おびすぎらんど))」の建物と駐車場です。
地元の野菜、特産物、北郷名物「かに巻汁」、イノシシの肉、手作り小物などが販売されています。 うどんなどの食堂もあります。
県道28号線の向こうの山には見事な飫肥杉(おびすぎ)が育っています。 北郷の「郷の駅」は飫肥杉(おびすぎ)で造られています。



写真C: 日南市 北郷町 宿野にある「郷の駅 (飫肥杉ランド(おびすぎらんど))」です。
地元の野菜、特産物、北郷名物「かに巻汁」、イノシシの肉、手作り小物などが販売されています。 うどんなどの食堂もあります。
北郷の「郷の駅」は飫肥杉(おびすぎ)で造られています。



写真D: 「郷の駅」と書いてあります。 右に「マイホーム建設は 飫肥杉(おびすぎ)で!! シロアリや水に強く 腐りにくい建築素材」と書いてあります。
北郷の「郷の駅」は飫肥杉(おびすぎ)を用いたログハウスです。
「飫肥杉(おびすぎ)」は江戸時代に飫肥藩によって植林が始められました。 樹脂を多く含み吸湿性が低く、軽く、強度が高いので木造船の用途で使われていました。 50-70 年ものを伐採します。 日南市、宮崎市の旧飫肥藩地区や串間市、都城市などに植えられています。 昭和40年(1965年)頃から、造船への需要が激減したので、住宅用材料を目指(めざ)しています。



写真E: 駐車場の奥に山が見えています。 「郷の駅」の中です。



写真F: 「郷の駅」の中に「猪肉(いのししにく) 500 g ¥2500、猪肉 1 kg ¥5000」と書いてあります。



写真G: 日南市 北郷町 北河内 宿野にある「郷の駅」の中です。 地元の物産品などが多く販売されています。
地元の野菜、特産物、北郷名物「かに巻汁」、イノシシの肉、手作り小物などが販売されています。 うどんなどの食堂もあります。
北郷の「郷の駅」は飫肥杉(おびすぎ)を用いたログハウスです。
「飫肥杉(おびすぎ)」は江戸時代に飫肥藩によって植林が始められました。 樹脂を多く含み吸湿性が低く、軽く、強度が高いので木造船の用途で使われていました。 50-70 年ものを伐採します。 日南市、宮崎市の旧飫肥藩地区や串間市、都城市などに植えられています。 昭和40年(1965年)頃から、造船への需要が激減したので、住宅用材料を目指(めざ)しています。



写真H: 宮崎県 日南市 北郷町 宿野にある「郷の駅」にはこのような飫肥杉(おびすぎ)で造られたログハウスもあります。 「うどん」と書いてあります。 デッキが付いた飫肥杉製のログハウスはうどんなどの食堂になっています。
左奥に薪(まき)を背負(せお)って本を読んでいる二宮尊徳(二ノ宮金次郎)の石像が見えています。
二宮尊徳は江戸時代末期(1787〜1856年)の篤農家(とくのうか、熱心で研究的な農業者)で、通称は金次郎です。 相模(さがみ、神奈川県)の人で、実践主義で神道、儒教、仏教の思想をとった報徳教を生み出し、陰徳、積善、節倹を実行し殖産のことを説きました。 605ヵ町村を復興しました。



写真I: 宮崎県 日南市 北郷町 宿野にある「郷の駅」の食堂のそばに新しい「二ノ宮金次郎の石像」があります。 中央奥に薪(まき)を背負(せお)って本を読んでいる二宮尊徳(二ノ宮金次郎)の石像が見えています。
二宮尊徳は江戸時代末期(1787〜1856年)の篤農家(とくのうか、熱心で研究的な農業者)で、通称は金次郎です。 相模(さがみ、神奈川県)の人で、実践主義で神道、儒教、仏教の思想をとった報徳教を生み出し、陰徳、積善、節倹を実行し殖産のことを説きました。 605ヵ町村を復興しました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)