陰陽石(夫婦岩) (奇岩、男石(陽石)、女石(陰石)、陰陽石神社、仲間の田の神、いんようせき、岩瀬川(浜之瀬川)、浜之瀬公園) (宮崎県 小林市 東方)
<標高、位置> 陰陽石は
標高 約180 m
北緯32度01分00秒 東経131度00分25秒
<標高、位置> 陰陽石神社は
標高 約180 m
北緯32度01分00秒 東経131度00分26秒
<標高、位置> 仲間の「田の神」は
標高 約200 m
北緯32度00分59秒 東経131度00分37秒
「陰陽石神社」は宮崎県小林市 大字東方 浜之瀬公園陰陽石にあります。 大淀川水系の岩瀬川(浜の瀬川)の上流にあります。 三之宮峡の下流です。
「陰陽石」の説明板から、
夫婦岩(あるいは竜岩)とも呼ばれる2つの奇石、陰陽石。 霧島火山帯の溶岩が造り出した自然の妙技で、男石(陽石)が高さ17.5 m、女石(陰石)が周囲5.5 mあり、男女一対であるのは世界でも珍しいものです。 よろず生産の神、また子宝の神としても信仰されています。 「浜の瀬川には二つの奇石 人にゃ言うなよ 語るなよ」野口雨情。
「陰陽石神社」の説明板から、
住所 宮崎県小林市 東方浜之瀬公園陰陽石
祭神 皇産霊神(むすびのかみ)
一、由緒
天下の奇石 陰陽石は昇天の竜がこの地に居合わせた妙齢の美人に見ほれて降りそのまま化石となり、名勝 陰陽石になったといわれる。 この地には古来より縁結び安産、工産、商産とあらゆる生産の開運の神であられる皇産霊神(むすびのかみ)が祭祀(さいし)されておりどんなことでも一言(ひとこと)を祈願すれば必ず霊験あらたかにして遠路わざわざ参詣(さんけい)され祈願される人も多く、旧藩時代(薩摩島津藩時代)には藩主が神司を遣(つか)わし多くの領民を集めて生成化育護国豊穣と領民の幸福を祈願されたと云(い)う。 この神社は何の世から陰陽石神社と呼ばれるようになり現在に至っております。
お祭祀(さいし)
春祭 (春分の日)、秋祭(秋分の日)
昭和38年9月21日 大栄社長 山元栄治 氏、下流不便な地に鎮座しあるを建立されたが、参詣(さんけい)に不便となったので、陰陽石神社氏子(うじこ)総代により昭和42年7月吉日この地に遷宮合祀(ごうし)されたものである。
「大陰陽神石」の説明板(旧 陰陽石神社にあります。)から、
正面展望台
陽石(ようせき、男石)と陰石(いんせき、女石)の配置は東(陽)と西(陰)にあります。 またその寸法が似あって一体(一つ岩)男女円満の意味を表しています。 これは我が国、古代の法儀にかなうものです。
股(また、桃)太郎を生む川(よう水)が流れ水中には女神の花神(かしん、水鏡)が見える。 女石にしたたり落ちる男石の精水(きみず)萱薄(かやすすき)の生いしげるさまなど心ありげで誠に神秘なり。
古絵図に描かれまた、正しく写真撮影される神石のお姿はここから望むことができます。
そもそも日本神話の最初にまします産霊(むすび)の大神(生命力の根源の神)の御神体として深く信仰されてきました。
宮崎県は「神話のふるさと」と言われ楽しいロマンの聖地となっております。 (恒久平和のシンボル)
陽石(男石)は頭回り: 19 m、高さ:18 m。
陰石(女石)は縦割れ: 9 m、潤み舌: 3 m。
花芯、水鏡
「仲間の田の神」は宮崎県 小林市 大字東方 字薗田にあります。
「市指定有形文化財 仲間の田の神」の説明板から、
指定年月日 平成18年3月23日、所在地 小林市 大字東方 字薗田。
寸法 像の高さ 123 cm、像の横幅 68 cm、台石の高さ 31 cm、台石の横幅 71 cm、建立年月日 享保7年(1722年)。
田の神は、五穀豊穣を祈って造られた石像で、鹿児島県から宮崎県諸県地方に分布する南九州独特のものである。 田の神は小林市を代表する文化財の一つで、市内には全部で40余体の田の神が残り、年代の古い田の神が多いのが特徴である。
「仲間の田の神」は享保7年(1722年)に作られ、新田場の田の神(1720年)に続いて県内で2番目に製作年代の古い田の神である。
像の背面には「享保七壬(み)寅(とら) 三月吉日 伝吉清左エ門」と銘文が刻(きざ)まれ、建立年代および奉納者も判明している。
仲間の田の神は僧衣立像型で、唐獅子(からしし)の彫刻してある台石の上に僧衣立像、蓮葉冠の田の神は旧薩摩藩内でも唯一のもので、仏像型に近いものといわれ特に珍しい。 建立の年代も古く、両手には指の間に何かを挿(さ)せる穴が作ってあり、右手にシャモジと左手には御幣(ごへい)を持っていて、衣の模様も非常に美しいものである。
田の神は市内各地に現存しているが、最近ペンキによる化粧直しが行われることが増えている中、仲間地区では現在でも年に一回ベンガラを使用した化粧直しをするなど、保存状態も非常に良い貴重な文化財である。
写真A: ここは三叉路(さんさろ)になっています。 左に行くと「陰陽石(いんようせき)、親水公園」に行きます。 右に行くと「三之宮峡」に行きます。 「歓迎 陰陽石」と書いてある看板(かんばん)があります。
写真B: 左に行くと「陰陽石(いんようせき)、親水公園」に行きます。 右に行くと「三之宮峡」に行きます。
写真C: 「歓迎 陰陽石」と書いてある看板(かんばん)があります。
写真D: 「歓迎 陰陽石」と書いてある看板(かんばん)があります。 右に「仲間の田の神」とその標識、説明板が見えます。 陰陽石へはまっすぐ先に進みます。
写真E: 「仲間の田の神」とその標識、説明板が見えます。
写真F: 「仲間の田の神」と書いてある標識があります。 左に「田の神」が見えます。 石碑(せきひ)も2つあります。
写真G: 「田の神」の左に説明板があります。
写真H: 「仲間の田の神」と書いてある標識(小林市教育委員会)があります。
写真I: 左の石碑(せきひ)は改築紀念碑です。
写真J: 「市指定有形文化財 仲間の田の神」の説明板。
指定年月日 平成18年3月23日、所在地 小林市 大字東方 字薗田。
寸法 像の高さ 123 cm、像の横幅 68 cm、台石の高さ 31 cm、台石の横幅 71 cm、建立年月日 享保7年(1722年)。
田の神は、五穀豊穣を祈って造られた石像で、鹿児島県から宮崎県諸県地方に分布する南九州独特のものである。 田の神は小林市を代表する文化財の一つで、市内には全部で40余体の田の神が残り、年代の古い田の神が多いのが特徴である。
「仲間の田の神」は享保7年(1722年)に作られ、新田場の田の神(1720年)に続いて県内で2番目に製作年代の古い田の神である。
像の背面には「享保七壬(み)寅(とら) 三月吉日 伝吉清左エ門」と銘文が刻(きざ)まれ、建立年代および奉納者も判明している。
仲間の田の神は僧衣立像型で、唐獅子(からしし)の彫刻してある台石の上に僧衣立像、蓮葉冠の田の神は旧薩摩藩内でも唯一のもので、仏像型に近いものといわれ特に珍しい。 建立の年代も古く、両手には指の間に何かを挿(さ)せる穴が作ってあり、右手にシャモジと左手には御幣(ごへい)を持っていて、衣の模様も非常に美しいものである。
田の神は市内各地に現存しているが、最近ペンキによる化粧直しが行われることが増えている中、仲間地区では現在でも年に一回ベンガラを使用した化粧直しをするなど、保存状態も非常に良い貴重な文化財である。
平成18年12月 小林市教育委員会
と書かれています。
写真K: 「市指定有形文化財 仲間の田の神」の説明板。
指定年月日 平成18年3月23日、所在地 小林市 大字東方 字薗田。
寸法 像の高さ 123 cm、像の横幅 68 cm、台石の高さ 31 cm、台石の横幅 71 cm、建立年月日 享保7年(1722年)。
田の神は、五穀豊穣を祈って造られた石像で、鹿児島県から宮崎県諸県地方に分布する南九州独特のものである。 田の神は小林市を代表する文化財の一つで、市内には全部で40余体の田の神が残り、年代の古い田の神が多いのが特徴である。
「仲間の田の神」は享保7年(1722年)に作られ、新田場の田の神(1720年)に続いて県内で2番目に製作年代の古い田の神である。
像の背面には「享保七壬(み)寅(とら) 三月吉日 伝吉清左エ門」と銘文が刻(きざ)まれ、建立年代および奉納者も判明している。
仲間の田の神は僧衣立像型で、唐獅子(からしし)の彫刻してある台石の上に僧衣立像、蓮葉冠の田の神は旧薩摩藩内でも唯一のもので、仏像型に近いものといわれ特に珍しい。 建立の年代も古く、両手には指の間に何かを挿(さ)せる穴が作ってあり、右手にシャモジと左手には御幣(ごへい)を持っていて、衣の模様も非常に美しいものである。
田の神は市内各地に現存しているが、最近ペンキによる化粧直しが行われることが増えている中、仲間地区では現在でも年に一回ベンガラを使用した化粧直しをするなど、保存状態も非常に良い貴重な文化財である。
平成18年12月 小林市教育委員会
と書かれています。
写真L: 「市指定有形文化財 仲間の田の神」の説明板。
指定年月日 平成18年3月23日、所在地 小林市 大字東方 字薗田。
寸法 像の高さ 123 cm、像の横幅 68 cm、台石の高さ 31 cm、台石の横幅 71 cm、建立年月日 享保7年(1722年)。
田の神は、五穀豊穣を祈って造られた石像で、鹿児島県から宮崎県諸県地方に分布する南九州独特のものである。 田の神は小林市を代表する文化財の一つで、市内には全部で40余体の田の神が残り、年代の古い田の神が多いのが特徴である。
「仲間の田の神」は享保7年(1722年)に作られ、新田場の田の神(1720年)に続いて県内で2番目に製作年代の古い田の神である。
像の背面には「享保七壬(み)寅(とら) 三月吉日 伝吉清左エ門」と銘文が刻(きざ)まれ、建立年代および奉納者も判明している。
仲間の田の神は僧衣立像型で、唐獅子(からしし)の彫刻してある台石の上に僧衣立像、蓮葉冠の田の神は旧薩摩藩内でも唯一のもので、仏像型に近いものといわれ特に珍しい。 建立の年代も古く、両手には指の間に何かを挿(さ)せる穴が作ってあり、右手にシャモジと左手には御幣(ごへい)を持っていて、衣の模様も非常に美しいものである。
田の神は市内各地に現存しているが、最近ペンキによる化粧直しが行われることが増えている中、仲間地区では現在でも年に一回ベンガラを使用した化粧直しをするなど、保存状態も非常に良い貴重な文化財である。
平成18年12月 小林市教育委員会
と書かれています。
写真M: 台石には2匹の唐獅子(からしし)の彫刻があります。 頭には蓮葉冠をかぶっています。 右手にシャモジと左手には御幣(ごへい)を持っています(写真では説明板の説明とは逆になっています。)。 衣(僧衣)の模様も非常に美しいものです。
所在地 小林市 大字東方 字薗田。
寸法 像の高さ 123 cm、像の横幅 68 cm、台石の高さ 31 cm、台石の横幅 71 cm、建立年月日 享保7年(1722年)。
写真N: このような建物の中に「田の神」が安置してあります。
写真O: このような建物の中に「田の神」が安置してあります。
写真P: このような建物の中に「田の神」が安置してあります。
写真Q: このような建物の中に「田の神」が安置してあります。
写真R: 宮崎県小林市にある仲間の「田の神」。 左手の上に「灰汁巻き(あくまき、米を灰汁(あくじる)で煮(に)た保存の効く食べ物)」と思われるものが載せてあります。
写真S: 仲間の「田の神」。 台石の上に硬貨が供(そな)えてありました。
写真T: 仲間の「田の神」。
写真U: 仲間の「田の神」。 左手の上に「灰汁巻き(あくまき、米を灰汁(あくじる)で煮(に)た保存の効く食べ物)」と思われるものが載せてあります。
写真V: 宮崎県小林市にある仲間の「田の神」。 台石の上に硬貨が供(そな)えてありました。
写真W: 宮崎県小林市にある仲間の「田の神」。 左手の上に「灰汁巻き(あくまき、米を灰汁(あくじる)で煮(に)た保存の効く食べ物)」と思われるものが載せてあります。
写真X: 宮崎県小林市にある仲間の「田の神」。 左手の上に「灰汁巻き(あくまき、米を灰汁(あくじる)で煮(に)た保存の効く食べ物)」と思われるものが載せてあります。
写真Y: 宮崎県小林市にある仲間の「田の神」。
写真Z: 宮崎県小林市にある仲間の「田の神」。 左手の上に「灰汁巻き(あくまき、米を灰汁(あくじる)で煮(に)た保存の効く食べ物)」と思われるものが載せてあります。
写真AA: 宮崎県小林市にある仲間の「田の神」。 台石の上に硬貨が供(そな)えてありました。
写真AB: 宮崎県小林市にある仲間の「田の神」から東方向を見た様子。 森の手前の車道を左に行くと、「すきむらんど」(小林市 須木、湖にかかる大つり橋があります。)に行きます。 右に行くと小林市の中心部に行きます。
写真AC: 仲間の「田の神」にある御手洗(みたらい)。
写真AD: 仲間の「田の神」にある階段。
写真AE: 横から見た田の神。
写真AF: 「仲間の田の神」と書いてある標識(小林市教育委員会)、と2つの石碑(せきひ)。
写真AG: 「仲間の田の神」と書いてある標識(小林市教育委員会)、と2つの石碑(せきひ)。
写真AH: 横から見た仲間の「田の神」。
写真AI: 横から見た仲間の「田の神」。
写真AJ: 後ろから見た仲間の「田の神」。
写真AK: 仲間の「田の神」の西側には田んぼが広がっています。 この車道を先に行くと「陰陽石」があります。
写真AL: ここは三叉路になっています。
写真AM: 仲間の「田の神」の近くの様子(ようす)。
写真AN: 仲間の「田の神」の近くの様子(ようす)。
写真AO: 仲間の「田の神」の近くの様子(ようす)。
写真AP: 仲間の「田の神」の近くの様子(ようす)。 田んぼがあります。 左に赤い鳥居(とりい)が見えます。 そちらの方に行くと陰陽石があります。
写真AQ: 陰陽石に行く途中にある鳥居(とりい)。
写真AR: 陰陽石に行く途中にある鳥居(とりい)。
写真AS: 陰陽石に行く途中にある鳥居(とりい)。
写真AT: この道を先に進んで陰陽石に行きます。
写真AU: 陰陽石の駐車場に着きました。 これは小林市の駐車場です。
写真AV: 陰陽石の駐車場の周(まわ)りの景色。
写真AW: 陰陽石の駐車場の周(まわ)りの景色。 閉館していました。
写真AX: 陰陽石の駐車場の周(まわ)りの景色。 チャペル跡の建物もありました。
写真AY: 陰陽石の駐車場の周(まわ)りの景色。 チャペル跡の建物もありました。
写真AZ: ガードレールの向こうは陰陽石の駐車場です。
写真BA: 陰陽石の駐車場です。
写真BB: ロウバイ(蝋梅)の花が咲いていました。
写真BC: 陰陽石の駐車場にあるトイレ。
写真BD: 陰陽石の駐車場。 小林市の観光地などの案内板があります。
写真BE: 駐車場から見た陰陽石神社の鳥居(とりい)。
写真BF: 陰陽石の駐車場。
写真BG: 小林市の観光地などの案内板。
陰陽石の写真も載っています。 男根と左下の女陰の形をした大きな一枚岩があります。 これが「陰陽石(いんようせき)」です。
「陰陽石」の説明板。
夫婦岩とも呼ばれる2つの奇石、陰陽石。 霧島火山帯の溶岩が造り出した自然の妙技で、男石(陽石)が高さ17.5 m、女石(陰石)が周囲5.5 mあり、男女一対であるのは世界でも珍しいものです。 よろず生産の神、また子宝の神としても信仰されています。 「浜の瀬川には二つの奇石 人にゃ言うなよ 語るなよ」野口雨情。
と書かれています。
写真BH: 「陰陽石神社」の木の鳥居。 鳥居には「陰陽石神社」と書いてあります。 モウソウ竹の切ったものにロウバイの花と枝がさしてありました。 奥に見える赤い屋根の建物が陰陽石神社です。
写真BI: 鳥居には「陰陽石神社」と書いてあります。
写真BJ: 奥に見える赤い屋根の建物が陰陽石神社です。 このあたりは下り坂になっています。 見えている右の鳥居の奥に「陰陽石」があります。
写真BK: 陰陽石神社の周(まわ)りの景色。 右奥に小林市の駐車場があります。
写真BL: 陰陽石神社の周(まわ)りの景色。 横の縄には御籤(おみくじ)が縛り付けてありました。
写真BM: 陰陽石神社。 住所は宮崎県小林市 東方 浜之瀬公園 陰陽石です。 右の鳥居の奥に陰陽石が見えています。
写真BN: 小林市にある陰陽石神社の建物。 右下に赤い御籤(おみくじ)売りの自動販売機が見えます。 その右下に「陰陽石 宮日新観光地百景」の石碑(せきひ)が見えます。
写真BO: 「陰陽石 宮日新観光地百景」の石碑(せきひ)。 側面には「協賛 出の山公園」、裏には「昭和52年7月 主催 宮崎日日新聞社、宮崎県、宮崎県観光協会、市町村観光協会」と書いてあります。
写真BP: 「陰陽石 宮日新観光地百景」の石碑(せきひ)。 側面には「協賛 出の山公園」、裏には「昭和52年7月 主催 宮崎日日新聞社、宮崎県、宮崎県観光協会、市町村観光協会」と書いてあります。
写真BQ: 「陰陽石 宮日新観光地百景」の石碑(せきひ)。 側面には「協賛 出の山公園」、裏には「昭和52年7月 主催 宮崎日日新聞社、宮崎県、宮崎県観光協会、市町村観光協会」と書いてあります。
写真BR: 小林市東方にある「陰陽石神社」。
写真BS: 宮崎県小林市 東方浜之瀬公園陰陽石にある「陰陽石神社」。
写真BT: 石碑(せきひ)にもしめ縄と御幣(ごへい)があります。
写真BU: 「陰陽石神社」の説明板。
住所 宮崎県小林市 東方浜之瀬公園陰陽石
祭神 皇産霊神(むすびのかみ)
一、由緒
天下の奇石 陰陽石は昇天の竜がこの地に居合わせた妙齢の美人に見ほれて降りそのまま化石となり、名勝 陰陽石になったといわれる。 この地には古来より縁結び安産、工産、商産とあらゆる生産の開運の神であられる皇産霊神(むすびのかみ)が祭祀(さいし)されておりどんなことでも一言(ひとこと)を祈願すれば必ず霊験あらたかにして遠路わざわざ参詣(さんけい)され祈願される人も多く、旧藩時代(薩摩島津藩時代)には藩主が神司を遣(つか)わし多くの領民を集めて生成化育護国豊穣と領民の幸福を祈願されたと云(い)う。 この神社は何の世から陰陽石神社と呼ばれるようになり現在に至っております。
お祭祀(さいし)
春祭 (春分の日)、秋祭(秋分の日)
昭和38年9月21日 大栄社長 山元栄治 氏、下流不便な地に鎮座しあるを建立されたが、参詣(さんけい)に不便となったので、陰陽石神社氏子(うじこ)総代により昭和42年7月吉日この地に遷宮合祀(ごうし)されたものである。
と書かれています。
写真BV: 「陰陽石神社」の説明板。
住所 宮崎県小林市 東方浜之瀬公園陰陽石
祭神 皇産霊神(むすびのかみ)
一、由緒
天下の奇石 陰陽石は昇天の竜がこの地に居合わせた妙齢の美人に見ほれて降りそのまま化石となり、名勝 陰陽石になったといわれる。 この地には古来より縁結び安産、工産、商産とあらゆる生産の開運の神であられる皇産霊神(むすびのかみ)が祭祀(さいし)されておりどんなことでも一言(ひとこと)を祈願すれば必ず霊験あらたかにして遠路わざわざ参詣(さんけい)され祈願される人も多く、旧藩時代(薩摩島津藩時代)には藩主が神司を遣(つか)わし多くの領民を集めて生成化育護国豊穣と領民の幸福を祈願されたと云(い)う。 この神社は何の世から陰陽石神社と呼ばれるようになり現在に至っております。
お祭祀(さいし)
春祭 (春分の日)、秋祭(秋分の日)
昭和38年9月21日 大栄社長 山元栄治 氏、下流不便な地に鎮座しあるを建立されたが、参詣(さんけい)に不便となったので、陰陽石神社氏子(うじこ)総代により昭和42年7月吉日この地に遷宮合祀(ごうし)されたものである。
と書かれています。
写真BW: 「陰陽石神社」の説明板。
住所 宮崎県小林市 東方浜之瀬公園陰陽石
祭神 皇産霊神(むすびのかみ)
一、由緒
天下の奇石 陰陽石は昇天の竜がこの地に居合わせた妙齢の美人に見ほれて降りそのまま化石となり、名勝 陰陽石になったといわれる。 この地には古来より縁結び安産、工産、商産とあらゆる生産の開運の神であられる皇産霊神(むすびのかみ)が祭祀(さいし)されておりどんなことでも一言(ひとこと)を祈願すれば必ず霊験あらたかにして遠路わざわざ参詣(さんけい)され祈願される人も多く、旧藩時代(薩摩島津藩時代)には藩主が神司を遣(つか)わし多くの領民を集めて生成化育護国豊穣と領民の幸福を祈願されたと云(い)う。 この神社は何の世から陰陽石神社と呼ばれるようになり現在に至っております。
お祭祀(さいし)
春祭 (春分の日)、秋祭(秋分の日)
昭和38年9月21日 大栄社長 山元栄治 氏、下流不便な地に鎮座しあるを建立されたが、参詣(さんけい)に不便となったので、陰陽石神社氏子(うじこ)総代により昭和42年7月吉日この地に遷宮合祀(ごうし)されたものである。
と書かれています。
写真BX: 中央に見えているのが「陰陽石の男石」です。 そば(右)に岩瀬川が流れています。 男石にもしめ縄と御幣(ごへい)がしてあります。
写真BY: 「陰陽石の男石」です。 そば(右)に岩瀬川が流れています。 男石にもしめ縄と御幣(ごへい)がしてあります。 対岸に「女石」と書いてある看板(かんばん)が見えています。 「女石」はその対岸から見ることができます。 男石と女石は同一の岩にあります。 男石と女石をあわせて「陰陽石」と呼びます。 陰は女性、陽は男性のことです。
写真BZ: 陰陽石のそばには岩瀬川が流れています。 手前の岩には「甌穴(おうけつ)」が見えます。 甌穴は急流の河床の岩石面に生じた鍋状の穴のことです。 くぼみに入った石が渦流で回転して岩をけずり穴が深く大きくなります。
写真CA: 陰陽石の男石と岩瀬川。 右の岸は岩になっていて「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」が見えます。 柱状節理はマグマが冷却固結する時に生じる柱状の割れ目のことです。
写真CB: 陰陽石は岩瀬川にあります。 右の岸は岩になっていて「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」が見えます。 柱状節理はマグマが冷却固結する時に生じる柱状の割れ目のことです。
手前の岩には「甌穴(おうけつ)」が見えます。 甌穴は急流の河床の岩石面に生じた鍋状の穴のことです。 くぼみに入った石が渦流で回転して岩をけずり穴が深く大きくなります。
写真CC: 陰陽石は岩瀬川にあります。 右の岸は岩になっていて「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」が見えます。 柱状節理はマグマが冷却固結する時に生じる柱状の割れ目のことです。
手前の岩には「甌穴(おうけつ)」が見えます。 甌穴は急流の河床の岩石面に生じた鍋状の穴のことです。 くぼみに入った石が渦流で回転して岩をけずり穴が深く大きくなります。
写真CD: 陰陽石のそばには岩瀬川が流れています。 右側が上流です。 このあたりは岩で出来ています。
写真CE: 右奥に白く「滝(たき)」が見えています。 陰陽石のある岩瀬川。
写真CF: 右は陰陽石の「男石」です。 対岸からは陰陽石の「女石」を見ることができます。 対岸に「女石」と書いた看板が立っています。 この看板の右に見える建物は古くからある方の「陰陽石神社」です。 もともとこの方(対岸)に陰陽石神社はありました。
写真CG: 陰陽石のそばの岩。
写真CH: 陰陽石のそばの岩。
写真CI: 陰陽石のそばの岩。
写真CJ: 陰陽石のそばの岩。
写真CK: 奥に陰陽石が見えます。
写真CL: 宮崎県 小林市にある「陰陽石」。
写真CM: 対岸の様子。 このあと対岸に行き陰陽石の「女石」も見ました。
写真CN: 対岸の様子。 このあと対岸に行き陰陽石の「女石」も見ました。
写真CO: 対岸の様子。 このあと対岸に行き陰陽石の「女石」も見ました。 見えているところは旧 陰陽石神社の駐車場です。
写真CP: 陰陽石神社の社殿のところに戻(もど)ってきました。
写真CQ: 陰陽石神社の社殿のところに戻(もど)ってきました。 陰陽石の「女石」を見るにはこの建物の左を先に進み階段を下ります。
写真CR: ここを下って陰陽石の「女石」を見に行きます。
写真CS: 旧 陰陽石神社の駐車場が見えてきました。
写真CT: 階段の途中に「陰陽石 女石」と書いた看板(かんばん)がありました。
写真CU: この階段を下って陰陽石の「女石」を見に行きます。
写真CV: 旧 陰陽石神社の駐車場が見えています。
写真CW: 先ほどと反対方向から見た陰陽石の「男石」。 右に先程の展望所が見えます。 展望所も岩の上にあったことが分かります。
写真CX: 「女石」と書いた看板が見えてきました。 その左にショベルカーがありました。
写真CY: 「女石」と書いた看板が見えてきました。 その左にショベルカーがありました。 看板の後ろの建物は「旧 陰陽石神社」です。
写真CZ: 陰陽石の男石。
写真DA: 陰陽石の男石。 右に先程の展望所に人がいるのが見えます。 陰陽石の大きさが分かります。
写真DB: 神橋を渡ります。
写真DC: ショベルカーがありました。 その左に「女石」と書いた看板の裏が見えます。 その左に陰陽石の「男石」が見えます。
写真DD: 赤い太鼓(たいこ)橋の「神橋」が見えます。
写真DE: 「女石」と書いてある看板。
写真DF: ここで初めて陰陽石の「女石」が見えました。 男石の左下でしめ縄と御幣(ごへい)がしてあるところが「女石」です。 男石は男根、女石は女陰の形をしています。
写真DG: ここで初めて陰陽石の「女石」が見えました。 男石の左下でしめ縄と御幣(ごへい)がしてあるところが「女石」です。 男石は男根、女石は女陰の形をしています。
写真DH: 岩瀬川にある陰陽石の「女石」(右端)。
写真DI: 岩瀬川。 岩が多いので岩瀬川という名が付いたのかもしれません。
写真DJ: 陰陽石の近くの景色。
写真DK: 小林市東方にある陰陽石の「女石」です。 しめ縄と御幣(ごへい)が女石にもしてあります。
写真DL: 女石のしめ縄(左)と男石のしめ縄(右)。 女石と男石は同じ岩にあります。
写真DM: 小林市にある陰陽石の「男石」。 右下に展望所が見えています。
写真DN: 陰陽石の「男石」のしめ縄と対岸の展望所。 見えている奥の建物は今は閉まっている結婚式場。
写真DO: 男石の手前の細い方の川には小さな土石流どめのダムがあります。
写真DP: 男石の手前の細い方の川。 陰陽石のところで岩瀬川に合流しています。 陰陽石は川の合流点にあります。
写真DQ: 「旧 陰陽石神社」。 こちらからは陰陽石の「女石」も見ることができます。
写真DR: 「旧 陰陽石神社」のそばから見た陰陽石の「女石」と「男石」。 そのすぐそばを岩瀬川が流れています。 奥が川の上流で手前側が下流です。
写真DS: 「旧 陰陽石神社」のそばから見た陰陽石の「女石」と「男石」。 それぞれのしめ縄も見えています。 ここから見るのが陰陽石の正面と言ってよいでしょう。 左下は岩瀬川。
写真DT: 「旧 陰陽石神社」のそばから見た陰陽石の「女石」と「男石」。 それぞれのしめ縄も見えています。 ここから見るのが陰陽石の正面と言ってよいでしょう。 左下は岩瀬川。
写真DU: 陰陽石の下を流れる岩瀬川。 奥が上流、手前側が下流。
写真DV: 陰陽石の下を流れる岩瀬川。 右側が上流、左側が下流。
写真DW: 陰陽石の下を流れる岩瀬川。 右側が上流、左側が下流。
写真DX: 陰陽石の下を流れる岩瀬川。 奥が下流、手前側が上流。
写真DY: 「旧 陰陽石神社」。 下に奉納された「木製の男根」が置いてあります。
写真DZ: 「旧 陰陽石神社」。 左下に奉納された「木製の男根」が置いてあります。
写真EA: 「旧 陰陽石神社」。
写真EB: 「旧 陰陽石神社」。 男根の石像があります。 左の側面には像が彫(ほ)ってあります。
写真EC: 「旧 陰陽石神社」。 男根の石像があります。 反対側の側面には像が彫(ほ)ってあります。
写真ED: 「旧 陰陽石神社」。 下に奉納された「木製の男根」が置いてあります。 左に新しい木製のお賽銭箱(さいせんばこ)が見えます。 奥には石像が多くあります。
写真EE: 大きな古い木の幹(みき)が寝かしてあります。 奥には石像が多く安置してあります。
写真EF: 奥には石像が多く安置してあります。 真新しい木製のお賽銭箱(さいせんばこ)に「賽奉(さいほう)」と書いてあります。 右に説明板が見えます。
写真EG: 「種貸宝銭: お金を入れると千倍になって返って来ると言い伝えられる。 金運強し。」と書いてある看板があります。 その後ろに「大陰陽神石」の説明板があります。 右上には御籤(おみくじ)が縄に縛り付けてあります。
写真EH: 「大陰陽神石」の説明板(旧 陰陽石神社にあります。)。
正面展望台
陽石(ようせき、男石)と陰石(いんせき、女石)の配置は東(陽)と西(陰)にあります。 またその寸法が似あって一体(一つ岩)男女円満の意味を表しています。 これは我が国、古代の法儀にかなうものです。
股(また、桃)太郎を生む川(よう水)が流れ水中には女神の花神(かしん、水鏡)が見える。 女石にしたたり落ちる男石の精水(きみず)萱薄(かやすすき)の生いしげるさまなど心ありげで誠に神秘なり。
古絵図に描かれまた、正しく写真撮影される神石のお姿はここから望むことができます。
そもそも日本神話の最初にまします産霊(むすび)の大神(生命力の根源の神)の御神体として深く信仰されてきました。
宮崎県は「神話のふるさと」と言われ楽しいロマンの聖地となっております。 (恒久平和のシンボル)
陽石(男石)は頭回り: 19 m、高さ:18 m。
陰石(女石)は縦割れ: 9 m、潤み舌: 3 m。
花芯、水鏡
と書かれています。
写真EI: 「大陰陽神石」の説明板(旧 陰陽石神社にあります。)。
正面展望台
陽石(ようせき、男石)と陰石(いんせき、女石)の配置は東(陽)と西(陰)にあります。 またその寸法が似あって一体(一つ岩)男女円満の意味を表しています。 これは我が国、古代の法儀にかなうものです。
股(また、桃)太郎を生む川(よう水)が流れ水中には女神の花神(かしん、水鏡)が見える。 女石にしたたり落ちる男石の精水(きみず)萱薄(かやすすき)の生いしげるさまなど心ありげで誠に神秘なり。
古絵図に描かれまた、正しく写真撮影される神石のお姿はここから望むことができます。
そもそも日本神話の最初にまします産霊(むすび)の大神(生命力の根源の神)の御神体として深く信仰されてきました。
宮崎県は「神話のふるさと」と言われ楽しいロマンの聖地となっております。 (恒久平和のシンボル)
陽石(男石)は頭回り: 19 m、高さ:18 m。
陰石(女石)は縦割れ: 9 m、潤み舌: 3 m。
花芯、水鏡
と書かれています。
写真EJ: 「旧 陰陽石神社」の多くの石像。
約100体の「田の神」石像、男根の石像などが安置してあります。 田の神石像は高さ約30 cmの農民型が多いようです。 陰陽石も田の神も五穀豊穣の祈願のためのもので、両者は深い関係があります。
写真EK: 「旧 陰陽石神社」の多くの石像。 左上に男根の形をしたものも奉納されています。
約100体の「田の神」石像、男根の石像などが安置してあります。 田の神石像は高さ約30 cmの農民型が多いようです。 陰陽石も田の神も五穀豊穣の祈願のためのもので、両者は深い関係があります。
写真EL: 「旧 陰陽石神社」の多くの石像。 右上に男根の形をしたものも奉納されています。
約100体の「田の神」石像、男根の石像などが安置してあります。 田の神石像は高さ約30 cmの農民型が多いようです。 陰陽石も田の神も五穀豊穣の祈願のためのもので、両者は深い関係があります。
写真EM: 多くの御籤(おみくじ)がヒモに縛り付けてありました。
約100体の「田の神」石像、男根の石像などが安置してあります。 田の神石像は高さ約30 cmの農民型が多いようです。 陰陽石も田の神も五穀豊穣の祈願のためのもので、両者は深い関係があります。
写真EN: 古い大きな木の幹(みき)が奉納されています。 木の中は空洞化しています。
写真EO: 旧 陰陽石神社から空を見ると「丸い月」が出ていました。
写真EP: 旧 陰陽石神社の境内はショベルカーで整地が行われていました。 石垣の石も新しいようです。 ここが「女石」を見るための展望所になるのでしょう。 こちらから見ると「陰陽石の正面」が見えます。
写真EQ: 宮崎県 小林市 東方にある陰陽石。
by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)