生目古墳群 (国史跡)(紅葉、ススキ、セイタカアワダチソウ)、生目の杜 遊古館 (国指定史跡、古墳時代前期では九州最大の3号墳、いきめこふんぐん、生目古墳群史跡公園、宮崎市埋蔵文化財センター、体験学習館、宮崎市の展望、いきめのもりゆうこかん)  (宮崎県 宮崎市 大字跡江)







<標高、位置>  生目古墳群史跡公園 (いきめこふんぐんしせきこうえん)は
標高 約30 m
 北緯31度56分53秒  東経131度23分09秒


 「国指定史跡 生目古墳群」は宮崎県 宮崎市 大字跡江にあります。
 「豪族の眠る丘、生目古墳群へようそこ」の説明板から、
 今から1400〜1700年前の古墳時代、宮崎平野を一望できるこの丘には、地域一帯を治めていた豪族の墓所がありました。 この墓所はのちに「生目古墳群」と名付けられ、昭和18年に国指定史跡となりました。 古墳群には51基の古墳があり、公園内には前方後円墳8基、円墳25基が含まれます。 このうち、1号墳、3号墳、22号墳はいずれも4世紀の古墳時代前期に造られた、長さが100 mを超す大型の前方後円墳です。
 この他、前方後円墳や円墳などの「高塚墳」とは違う、南九州地方独特のお墓の造り方である「地下式横穴墓」も、数多く発見されています。 一方、前方後円墳は、ヤマト政権から伝わったお墓の造り方で、生目古墳群ではその前方後円墳の周囲に地下式横穴墓を造ることが多く、それぞれの埋葬者が密接な関係を持っていたようです。
 「古墳時代前期で九州最大の3号墳」の説明板から、
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
 「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。

 生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)は宮崎県 宮崎市 大字跡江 4058番地1にあります。
生目古墳群史跡公園と隣接しています。
生目の杜遊古館(いきめのもりゆうこかん) 「宮崎市埋蔵文化財センター」は、宮崎市の埋蔵文化財の「調査・研究」、「整理・保存」、「公開・活用」を目的とした施設であり、隣接する国史跡 生目古墳群のガイダンス施設でもあります。 生目古墳群や市内史跡からの出土遺物の展示、解説、センターでの業務の公開や体験学習を行っています。
エントランス、展示室、研修室、調査研究/整理室、一般収蔵庫などがあります。
起工 平成19年10月、竣工 平成20年9月、使用開始 平成21年4月、建設費 約7億2千万円です。
 生目古墳群 遊古館 「体験学習館」は集団宿泊学習、体験学習を通じて心の教育を実践しています。 多目的広場、炊飯棟、宿泊室、交流室、宿泊棟、エントランス、調理実習室、シャワー室、体験工房、食堂、多目的室などがあります。


写真A: 宮崎市埋蔵文化財センターの建物の前に、バス停「生目の杜遊古館 宮崎交通」があります。
生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)は宮崎県 宮崎市 大字跡江 4058番地1にあります。
生目古墳群史跡公園と隣接しています。



写真B: 「宮崎市埋蔵文化財センター」と入り口に書いてあります。
生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)は、宮崎市の埋蔵文化財の「調査・研究」、「整理・保存」、「公開・活用」を目的とした施設であり、隣接する国史跡 生目古墳群のガイダンス施設でもあります。 生目古墳群や市内史跡からの出土遺物の展示、解説、センターでの業務の公開や体験学習を行っています。
エントランス、展示室、研修室、調査研究/整理室、一般収蔵庫などがあります。
起工 平成19年10月、竣工 平成20年9月、使用開始 平成21年4月25日(開館日)、建設費 約7億2千万円です。



写真C: 宮崎市埋蔵文化財センターの建物の西側。
生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)は宮崎県 宮崎市 大字跡江 4058番地1にあります。
左奥の建物は生目古墳群 遊古館 体験学習館です。 「体験学習館」は集団宿泊学習、体験学習を通じて心の教育を実践しています。 多目的広場、炊飯棟、宿泊室、交流室、宿泊棟、エントランス、調理実習室、シャワー室、体験工房、食堂、多目的室などがあります。



写真D: 宮崎市埋蔵文化財センターから西を見た景色です。 生目の杜 運動公園の建物が見えます。



写真E: 「施設総合案内」の絵地図。 国史跡 生目古墳群の古墳、生目の杜 宮崎市埋蔵文化財センター、生目の杜 体験学習館などが書いてあります。
生目古墳群は古墳時代前期から中期の古墳群です。 3世紀後半あるいは4世紀前半頃から造り始め、古墳時代前期としては九州最大の古墳群です。



写真F: 「生目古墳群 史跡公園」の入り口にある石碑(せきひ)。 古墳建設のときの想像図と「生目古墳群 史跡公園」の文字が書いてあります。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。



写真G: 「生目古墳群 史跡公園」の入り口にある石碑(せきひ)。 古墳建設のときの想像図と「生目古墳群 史跡公園」の文字が書いてあります。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。



写真H: 左手に国史跡 生目古墳群があります。



写真I: 生目古墳群史跡公園の駐車場付近から北を見たもの。 階段、休息所、生目古墳群史跡公園案内図などが見えます。
ここは跡江台地です。



写真J: 生目古墳群史跡公園案内図です。
生目古墳群は古墳時代前期から中期の古墳群です。 3世紀後半あるいは4世紀前半頃から造り始め、古墳時代前期としては九州最大の古墳群です。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真K: 階段を登ったところに休憩所(きゅうけいしょ)があります。



写真L: 休憩所のそばにも駐車場があります。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。



写真M: 休憩所付近の様子(ようす)。
ここは跡江台地です。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真N: ブルーシートのかけてあるところは調査中の「生目21号墳」です。



写真O: 駐車場を見下ろしたもの。 黄色のショベルカーがありました。



写真P: 生目古墳群史跡公園の駐車場です。
ここは跡江台地です。



写真Q: 遠くに生目の杜運動公園の大きな建物が見えています。
ここは跡江台地です。



写真R: 建物は休憩所。 ベンチとテーブルもあります。



写真S: 遠くの山の上に平和台公園の「平和の塔」が見えています。
ここは跡江台地です。



写真T: 「豪族の眠る丘、生目古墳群へようそこ」の説明板。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
生目古墳群は古墳時代前期から中期の古墳群です。 3世紀後半あるいは4世紀前半頃から造り始め、古墳時代前期としては九州最大の古墳群です。



写真U: 「豪族の眠る丘、生目古墳群へようそこ」の説明板。



写真V: 「豪族の眠る丘、生目古墳群へようそこ」の説明板。
古墳時代前期で九州最大の3号墳
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
と書いてあります。



写真W: 「豪族の眠る丘、生目古墳群へようそこ」の説明板。
 今から1400〜1700年前の古墳時代、宮崎平野を一望できるこの丘には、地域一帯を治めていた豪族の墓所がありました。 この墓所はのちに「生目古墳群」と名付けられ、昭和18年に国指定史跡となりました。 古墳群には51基の古墳があり、公園内には前方後円墳8基、円墳25基が含まれます。 このうち、1号墳、3号墳、22号墳はいずれも4世紀の古墳時代前期に造られた、長さが100 mを超す大型の前方後円墳です。
 この他、前方後円墳や円墳などの「高塚墳」とは違う、南九州地方独特のお墓の造り方である「地下式横穴墓」も、数多く発見されています。 一方、前方後円墳は、ヤマト政権から伝わったお墓の造り方で、生目古墳群ではその前方後円墳の周囲に地下式横穴墓を造ることが多く、それぞれの埋葬者が密接な関係を持っていたようです。
と書いてあります。



写真X: 「豪族の眠る丘、生目古墳群へようそこ」の説明板。
 「生目古墳群と西都原古墳群」
 前方後円墳は、今の近畿地方を中心に、当時の日本列島で、最も力をもっていたヤマト政権によって造り出されたお墓で、地方にある前方後円墳はそのヤマト政権の勢力下にあったという証拠だと考えられています。 また、前方後円墳は埋葬者が生きていた頃の権力の大きさを表したシンボルだといわれています。
 西都市の西都原古墳群にある女狭穂塚古墳(176 m、めさほづかこふん)と男狭穂塚古墳(176 m、おさほづかこふん)は九州で1位、2位の大きさがあります。 生目の前方後円墳の大きさはこれらの規模にはかないません。 しかし、左の図のように古墳が造られた時代も合わせてみると、生目の1号墳、3号墳、22号墳が造られた頃の西都原には大きな古墳が造られていないことが解ります。 このことは、ほかの九州にある古墳群でも同様で、4世紀にこれほど大規模な古墳が見られるのは、生目古墳群だけです。 生目の1、3、22号墳に眠る埋葬者は、九州一帯に名を馳(は)せるほどの権力者だったのかもしれません。 その生目古墳群も、西都原古墳群に圧倒的な大きさの女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)が造られた頃、前方後円墳墳が小さくなり、生目の豪族の権力は衰退したと推測されます。
と書かれています。



写真Y: 「豪族の眠る丘、生目古墳群へようそこ」の説明板。
「生目古墳群と西都原古墳群」
 前方後円墳は、今の近畿地方を中心に、当時の日本列島で、最も力をもっていたヤマト政権によって造り出されたお墓で、地方にある前方後円墳はそのヤマト政権の勢力下にあったという証拠だと考えられています。 また、前方後円墳は埋葬者が生きていた頃の権力の大きさを表したシンボルだといわれています。
 西都市の西都原古墳群にある女狭穂塚古墳(176 m、めさほづかこふん)と男狭穂塚古墳(176 m、おさほづかこふん)は九州で1位、2位の大きさがあります。 生目の前方後円墳の大きさはこれらの規模にはかないません。 しかし、左の図のように古墳が造られた時代も合わせてみると、生目の1号墳、3号墳、22号墳が造られた頃の西都原には大きな古墳が造られていないことが解ります。 このことは、ほかの九州にある古墳群でも同様で、4世紀にこれほど大規模な古墳が見られるのは、生目古墳群だけです。 生目の1、3、22号墳に眠る埋葬者は、九州一帯に名を馳(は)せるほどの権力者だったのかもしれません。 その生目古墳群も、西都原古墳群に圧倒的な大きさの女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)が造られた頃、前方後円墳墳が小さくなり、生目の豪族の権力は衰退したと推測されます。
と書かれています。



写真Z: 「生目21号墳」です。 調査中でブルーシートがかけてありました。
「21号墳」は前方後円墳で約1600年前に造られました。 長さは33 mで壺型(つぼがたはにわ)が出土しました。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。



写真AA: 「生目21号墳 これまでの発掘調査成果」の看板(かんばん)。
「21号墳」は前方後円墳で約1600年前に造られました。 長さは33 mで壺型(つぼがたはにわ)が出土しました。



写真AB: 生目25号墳の近くの様子(ようす)。
ここは跡江台地です。



写真AC: ハゼの木が紅葉していました。



写真AD: 生目古墳群には遊歩道もあります。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真AE: 生目古墳群には小さめのお寺と多くの石像もあります。



写真AF: 石碑(せきひ)と説明板、多くの石像もあります。



写真AG: 「史跡 生目古墳群」の大きな石碑(せきひ)があります。 昭和38年に建立(こんりゅう)されました。



写真AH: 「史跡 生目古墳群配置図」の説明板。
指定年月日 昭和18年9月8日 国指定
 この跡江台地上には、現在22基の古墳が分布しており、これらは、5世紀から7世紀にかけて築造されたものと思われます。
昭和56年5月1日
宮崎市教育委員会
と書いてあります。
これは昭和56年の考え方と思われます。 現在とは異なっています。




写真AI: ここは跡江台地です。



写真AJ: お寺と石碑が見えます。



写真AK: 石碑、石像、ベンチなどがあります。



写真AL: 生目古墳群の遊歩道。 ブルーシートは調査中の古墳(9号墳)です。
「9号墳」は円墳で直径 34 mです。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。



写真AM: 「↑3号墳」、「↑5号墳」、「↑7号墳」の標識があります。
ブルーシートは調査中の古墳(9号墳)です。
「9号墳」は円墳で直径 34 mです。



写真AN: 降りる階段があります。



写真AO: 階段の下は低い土地になっています。



写真AP: ススキの穂と手前にセイタカアワダチソウが見えます。



写真AQ: セイタカアワダチソウです。



写真AR: 下る坂道もあります。



写真AS: 遠くに送電鉄塔が見えます。



写真AT: 「生目古墳群史跡公園 案内図」です。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真AU: 中央奥にも古墳があります。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真AV: 左奥にも古墳があります。



写真AW: 生目古墳群史跡公園。 宮崎県 宮崎市 大字跡江にあります。



写真AX: 生目古墳群史跡公園。 宮崎県 宮崎市 大字跡江にあります。



写真AY: 休息所と南の遠くの山々。 花切山(標高 669.2 m、はなきりやま、左端)、双石山(509.3 m、ぼろいしやま)も見えています。



写真AZ: 右の山は鰐塚山(1118.1 m、わにづかやま)。 左に丸目山も見えています。



写真BA: 左寄りの遠くに展望台が見えます。 この坂道を下って行くと展望台に行くことができます。



写真BB: 右寄りの木の下に石像が多く見えます。 ブルーシートのかけてあるところは9号墳です。 「9号墳」は円墳で直径 34 mです。



写真BC: これが展望台です。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真BD: 池の水面が見えています。 遠くに小さく展望台が見えます。 手前はセイタカアワダチソウの穂です。



写真BE: 池の畔(ほとり)の道です。



写真BF: 池のような湿地があります。



写真BG: 池のような湿地。



写真BH: 階段も見えます。



写真BI: 「まむし にご注意下さい。 管理者 宮崎市」の看板もあります。 蝮(マムシ)の写真も載っています。 マムシの胴体の模様(もよう)を覚えておくとよいでしょう。



写真BJ: 展望台の下にある休憩所が見えてきました。



写真BK: 展望台のシルエット。



写真BL: 生目古墳群史跡公園の展望台です。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
生目古墳群は古墳時代前期から中期の古墳群です。 3世紀後半あるいは4世紀前半頃から造り始め、古墳時代前期としては九州最大の古墳群です。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真BM: 生目古墳群の「展望台」から南を見た景色です。 手前に池(深田池)があります。 田んぼ、生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)、体験学習館も見えます。



写真BN: 左の花切山(標高 669.2 m、はなきりやま、左端)、双石山(509.3 m、ぼろいしやま)も見えています。 ビニールハウス、田んぼも見えます。 手前は生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)、体験学習館。



写真BO: 生目古墳群の展望台から南を見た景色。 左は双石山(509.3 m、ぼろいしやま)、荒平山(602.9 m)、丸目山も見えています。



写真BP: 生目古墳群史跡公園の展望台から南を見たもの。 右の淡(あわ)く見えている山は鰐塚山(1118.1 m、わにづかやま)です。



写真BQ: 展望台から見える池(深田池)です。



写真BR: 展望台から西を見た景色。 展望台は尾根の上にあります。



写真BS: 展望台から北西を見たものです。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真BT: 展望台から北を見たもの。 休憩所もあります。



写真BU: 展望台から北を見たもの。 休憩所もあります。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。
昭和18年(1943年)に前方後円墳 7基、円墳 36基、計43基の古墳が国指定史跡になりました。 その後、計51基の古墳、地下式横穴墓 36基、土坑墓 49基、円形周溝墓 3基が確認され、昭和18年指定のうち1基が古墳でないことが分かりました。



写真BV: 展望台から北東を見た景色。 左寄りに大淀川の相生橋(あいおいはし)も見えます。 その上は平和台団地の建物。 生目古墳群の紅葉も見えています。



写真BW: 展望台から東を見たもの。
この駐車場は谷になっています。



写真BX: 展望台から東を見た景色。 オーシャン45の高層ホテルも見えます。



写真BY: 展望台から東を見たものです。



写真BZ: 展望台から南東を見たものです。 右手前は池です。



写真CA: 展望台にある説明板。



写真CB: 展望台にある説明板。



写真CC: 南の池(深田池)と生目の杜 遊古館。



写真CD: 展望台の下方の様子。



写真CE: 階段を登ります。



写真CF: 谷から台地に戻(もど)ってきました。



写真CG: ブルーシートは発掘調査が行われている古墳(9号墳)です。 「9号墳」は円墳で直径 34 mです。



写真CH: 2ヶ所のブルーシートがかけてある古墳の発掘現場があります。 右は9号墳、左は8号墳です。
「8号墳」は円墳で約1500年前に造られました。
「9号墳」は円墳で直径 34 mです。
「↑3号墳」、「↑5号墳」、「↑7号墳」の標識が見えます。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。



写真CI: 奥に大きな「生目古墳群 第3号」が見えます。
右手前のブルーシートのかけてあるところは8号墳です。 「8号墳」は円墳で約1500年前に造られました。
 左に見えるのは「古代の職人への挑戦」で現代の職人さんが練習で造ったものです。
右に薄(すすき、ススキ)の穂が多く見えます。
生目古墳群は古墳時代前期から中期の古墳群です。 3世紀後半あるいは4世紀前半頃から造り始め、古墳時代前期としては九州最大の古墳群です。



写真CJ: 「古代の職人への挑戦」で現代の職人さんが練習で造ったものが見えています。 右端は大きな「生目古墳群 第3号」。
生目古墳群は古墳時代前期から中期の古墳群です。 3世紀後半あるいは4世紀前半頃から造り始め、古墳時代前期としては九州最大の古墳群です。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。



写真CK: 「古代の職人への挑戦」の説明板。



写真CL: 手前は「古代の職人への挑戦」のため現代の職人さんが練習で造ったものです。 丸い石が並べてあります。 奥は「生目古墳群 第3号」。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
生目古墳群は古墳時代前期から中期の古墳群です。 3世紀後半あるいは4世紀前半頃から造り始め、古墳時代前期としては九州最大の古墳群です。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。



写真CM: 北を見たもの。



写真CN: 北を見た景色。 山の上に平和台公園の平和の塔が見えています。



写真CO: 大きな「生目古墳群 第3号」です。 上に登る道が見えます。
古墳時代前期で九州最大の3号墳
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
「3号墳」は生目古墳群で最大のもので、九州でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)、男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)に次いで3番目の大きさです。



写真CP: 大きな「生目古墳群 第3号」。



写真CQ: 「生目古墳群 第3号 宮崎市教育委員会」と書いてある標識があります。



写真CR: 「生目古墳群 第3号」に途中まで登って来ました。
前方後円墳の「方(四角)」の部分です。
古墳時代前期で九州最大の3号墳
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
「3号墳」は生目古墳群で最大のもので、九州でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)、男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)に次いで3番目の大きさです。



写真CS: 「生目古墳群 第3号」の頂上付近です。
前方後円墳の「方(四角)」の部分です。



写真CT: 「生目古墳群 第3号」の頂上付近。
前方後円墳の「方(四角)」の部分です。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
古墳時代前期で九州最大の3号墳
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
「3号墳」は生目古墳群で最大のもので、九州でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)、男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)に次いで3番目の大きさです。



写真CU: 「生目古墳群 第3号」の頂上から東を見たものです。 宮崎市が展望できます。 手前にブルーシートをかぶせた調査中の古墳(7号墳)があります。 「7号墳」は長さ 46 m、高さ 3.9 mの前方後円墳で5世紀後半に造られました。 多くの土器を出土しました。 特殊な須恵器は祭祀専用のものと考えられています。
ススキの穂とセイタカアワダチソウの花も見えます。



写真CV: 「生目古墳群 第3号」の頂上から東を見たものです。 宮崎市が展望できます。 手前にブルーシートをかぶせた調査中の古墳(7号墳)があります。 「7号墳」は長さ 46 m、高さ 3.9 mの前方後円墳で5世紀後半に造られました。 多くの土器を出土しました。 特殊な須恵器は祭祀専用のものと考えられています。
右端にオーシャン45の高層ホテルが見えています。 左端に平和台公園の平和の塔も見えます。
ススキの穂とセイタカアワダチソウの花も見えます。



写真CW: 「生目古墳群 第3号」の頂上から東を見たものです。 宮崎市が展望できます。 手前にブルーシートをかぶせた調査中の古墳(7号墳)があります。 「7号墳」は長さ 46 m、高さ 3.9 mの前方後円墳で5世紀後半に造られました。 多くの土器を出土しました。 特殊な須恵器は祭祀専用のものと考えられています。
左寄りにオーシャン45の高層ホテルが見えています。
また、ススキの穂とセイタカアワダチソウの花も見えます。



写真CX: 前方後円墳の「方(四角)」の部分から「円」に向かう道です。 ここも「生目古墳群 第3号」の上です。
古墳時代前期で九州最大の3号墳
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
「3号墳」は生目古墳群で最大のもので、九州でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)、男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)に次いで3番目の大きさです。



写真CY: 前方後円墳の「方(四角)」の部分から「円」に向かう道です。 ここも「生目古墳群 第3号」の上です。



写真CZ: 前方後円墳の「円」の部分は少しさらに高くなっています。 「生目古墳群 第3号」。
古墳時代前期で九州最大の3号墳
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
「3号墳」は生目古墳群で最大のもので、九州でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)、男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)に次いで3番目の大きさです。



写真DA: 前方後円墳の「円」の部分。 石碑(せきひ)があります。 「生目古墳群 第3号」。



写真DB: 「生目古墳群 第3号」の頂上にある石碑(せきひ)です。 ここは前方後円墳の「円」の部分です。
古墳時代前期で九州最大の3号墳
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
「3号墳」は生目古墳群で最大のもので、九州でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)、男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)に次いで3番目の大きさです。



写真DC: 「生目古墳群 第3号」の頂上にある石碑(せきひ)です。 ここは前方後円墳の「円」の部分。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。



写真DD: 前方後円墳の「円」の部分。 「生目古墳群 第3号」。
古墳時代前期で九州最大の3号墳
 長さ143 mの古墳群最大の3号墳の迫力には圧巻、埋葬者の威厳が今でも伝わってきそうです。 古墳の上から眺める景色も最高です。 発掘調査では、古墳の表面にきれいに残る葺石(ふきいし)が発見されました。 また、この3号墳と5号墳の間の周堤部分では地下式横穴墓が数多く発見されました。
「3号墳」は生目古墳群で最大のもので、九州でも西都原古墳群の女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)、男狭穂塚古墳(おさほづかこふん)に次いで3番目の大きさです。



写真DE: 「生目古墳群 第3号」の円の部分の頂上からはあまり展望は効(き)きませんが、ちょうど大淀川に建設中の「新 相生橋(あいおいはし)」が見えていました。



写真DF: 生目古墳群の5号墳です。



写真DG: 生目古墳群の5号墳です。 前方後円墳の「円」の部分です。
復元された5号墳の葺石(ふきいし)は大淀川から運ばれました。 人の手で敷き詰(つ)められました。
「5号墳」は長さ 54 m、高さ 4.4 mの前方後円墳で、特殊な形の円筒埴輪(はにわ)が出土しました。 最近、本来あった葺石(ふきいし)の上に土をかぶせ、その上に新たに葺石を載せました。



写真DH: 生目古墳群の5号墳です。 前方後円墳の「方(四角)」の部分です。
復元された5号墳の葺石(ふきいし)は大淀川から運ばれました。 人の手で敷き詰(つ)められました。
「5号墳」は長さ 54 m、高さ 4.4 mの前方後円墳で、特殊な形の円筒埴輪(はにわ)が出土しました。 最近、本来あった葺石(ふきいし)の上に土をかぶせ、その上に新たに葺石を載せました。



写真DI: 左は生目古墳群 5号墳。
宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。



写真DJ: 「5号墳に寄り添う19号地下式横穴墓」。
これはレプリカ(複製品)です。
地下式横穴墓は南九州地方だけにあります。



写真DK: 「5号墳に寄り添う19号地下式横穴墓」の説明板。



写真DL: 生目古墳群 5号墳の近くに跡江台地から下の住宅地に降りる階段があります。



写真DM: 西空の美しい夕焼けを見ることができました。
 宮崎県 宮崎市 大字跡江にある生目古墳群。
「生目古墳群史跡公園」は大淀川右岸(川下を見て右)にあります。 宮崎県 宮崎市 大字跡江 字井尻にあります。 平成20年(2008年)4月1日に開園しました。 園内には前方後円墳8基、円墳25基、地下式横穴墓(南九州地方にだけあります。)、展望台、東屋(あずまや)、トイレ、駐車場などがあります。



写真DN: 生目古墳群から見た素晴らしい夕焼けです。



写真DO: 生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)は宮崎県 宮崎市 大字跡江 4058番地1にあります。
生目古墳群史跡公園と隣接しています。
生目の杜遊古館(宮崎市埋蔵文化財センター)は、宮崎市の埋蔵文化財の「調査・研究」、「整理・保存」、「公開・活用」を目的とした施設であり、隣接する国史跡 生目古墳群のガイダンス施設でもあります。 生目古墳群や市内史跡からの出土遺物の展示、解説、センターでの業務の公開や体験学習を行っています。
エントランス、展示室、研修室、調査研究/整理室、一般収蔵庫などがあります。
起工 平成19年10月、竣工 平成20年9月、使用開始 平成21年4月25日(開館日)、建設費 約7億2千万円です。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)