本庄石仏(桜の花、レンゲの花) (ほんじょういしぼとけ、本庄の石仏、ほんじょうのせきぶつ、田尻の磨崖仏(まがいぶつ)、県指定史跡、宇津野神社、石仏寺、松森山、薬師如来像、日羅上人、照崎寺、観音堂)  (宮崎県 東諸県郡 国富町 田尻)







<標高、位置>  本庄の石仏(田尻の磨崖仏(まがいぶつ))は
標高 約50 m
 北緯31度58分38秒  東経131度18分28秒

<標高、位置>  宇津野神社は
標高 約10 m
 北緯31度58分50秒  東経131度18分35秒


 本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)は宮崎県東諸県郡 国富町 大字田尻にあります。
 「本庄の石仏」の説明板から、
昭和8年12月5日 県指定史跡
 本庄の石仏は、田尻(たじり)地区の松森山(しょうりんざん)の岩壁に刻(きざ)まれている、高さ約6メートル、肩幅1.5メートルの薬師如来像(やくしにょらいぞう)です。
 松森山は、またの名を日羅山(にちらさん)といい、日羅上人(にちらしょうにん)が開いたと伝えられる竜宝山松森寺(りゅうほうざんしょうりんじ)があったところです。 日羅上人は飛鳥時代(6世紀後半)に百済(くだら)より渡来し、聖徳太子にも謁見(えつけん)したと言われる高僧で、政治、芸術にもすぐれ、大分県、熊本県を中心に多くの伝説を残しています。
 松森寺の裏の岸壁に刻(きざ)まれたのが本庄の石仏であり、その右側には5つの小さな仏像が、左側には岩穴が掘られていましたが、現在は寺もなくなり、柔らかい岩質のために薬師如来像(やくしにょらいぞう)以外の仏像も摩耗してしまい、ほとんど残っていません。
本庄の石仏から40メートルほど下った観音堂のあるところにはかって照崎寺があって、こちらにも多くの石像が彫(ほ)られていました。

 宇津野神社は宮崎県東諸県郡 国富町 大字田尻442番地にあります。


写真A: 県道24号線の国富町 嵐田交差点の少し南に「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」の標識があります。



写真B: 県道24号線。 先に行くと宮崎市高岡町に行きます。



写真C: この三叉路(さんさろ)を西に入ります。 手前は県道24号線。



写真D: この三叉路(さんさろ)を西に入ります。 奥の山の中腹に「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」があります。 手前は県道24号線。



写真E: この三叉路からは九州山地の山々が見えます。 左の近くの丘の上に旧 富士通日立プラズマディスプレイ(現 日立プラズマディスプレイ KK)工場の建物が見えています。 手前は県道24号線。



写真F: 県道24号線。 この先に国富町 嵐田交差点があります。 「先に行くと西都、国富市街地、右に曲がると宮崎、左は綾(あや)」の道路標識があります。



写真G: 本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)へは、小さな川に沿(そ)って西に進みます。 「本庄の石仏」は奥の山の中腹にあります。



写真H: ピンクがかった田んぼは「レンゲ畑」です。 レンゲは良い自然の肥料になります。



写真I: この道を西に進みます。



写真J: 遠くは九州山地の山並み(やまなみ)です。 手前の丘に旧 富士通日立プラズマディスプレイ(現 日立プラズマディスプレイ KK)工場の建物が見えています。



写真K: 右先に「宇津野神社」の鎮守(ちんじゅ)の森が見えます。



写真L: 「蓮華(れんげ、レンゲ)の花」が美しい季節でした。



写真M: 右が「宇津野神社」の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真N: 「宇津野神社」の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真O: 「宇津野神社」は宮崎県東諸県郡 国富町 大字田尻442番地にあります。 境内(けいだい)には拝殿、本殿、末社、猿田彦大神の石碑(せきひ)、慰霊塔などがあります。



写真P: 本庄石仏へはこの三叉路(さんさろ)を左に行きます。



写真Q: 「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」の標識があります。



写真R: この三叉路(さんさろ)を左に進みます。



写真S: この三叉路(さんさろ)を左に進みます。 左の建物の壁には蔦(つた)があります。



写真T: 三叉路(さんさろ)の建物の壁には蔦(つた)があります。



写真U: 道は上(のぼ)り坂になっています。



写真V: 駐車場に着きました。 左の建物はトイレです。



写真W: 宮崎県東諸県郡 国富町 大字田尻にある本庄石仏の駐車場。



写真X: 桜の花が咲いていました。



写真Y: 本庄石仏の駐車場。



写真Z: 本庄石仏の駐車場。



写真AA: 「夫婦岩(めおといわ)」です。 2つの岩が駐車場の近くにあります。



写真AB: この参道を登ると本庄石仏に行きます。 説明板も見えます。



写真AC: 「夫婦岩(めおといわ)」です。 2つの岩が駐車場の近くにあります。
「夫婦岩(めおといわ)」の説明板。
 この山を観音山とも呼び,これより約120 メートル登ったところに観音堂があり正観自在菩薩が安置さています。 観音様にはこの岩の間を通って参拝しないと御利益(ごりやく)がないと言われており安産で、すこやかに育つ子供への夫婦の願いがこの岩に秘められていると言い伝えられています。
平成元年7月
国富町観光協会
と書かれています。



写真AD: 「夫婦岩(めおといわ)」の説明板。
 この山を観音山とも呼び,これより約120 メートル登ったところに観音堂があり正観自在菩薩が安置さています。 観音様にはこの岩の間を通って参拝しないと御利益(ごりやく)がないと言われており安産で、すこやかに育つ子供への夫婦の願いがこの岩に秘められていると言い伝えられています。
平成元年7月
国富町観光協会
と書かれています。



写真AE: 「本庄の石仏」の説明板。



写真AF: 「本庄の石仏」の説明板。
昭和8年12月5日 県指定史跡
 本庄の石仏は、田尻(たじり)地区の松森山(しょうりんざん)の岩壁に刻(きざ)まれている、高さ約6メートル、肩幅1.5メートルの薬師如来像(やくしにょらいぞう)です。
 松森山は、またの名を日羅山(にちらさん)といい、日羅上人(にちらしょうにん)が開いたと伝えられる竜宝山松森寺(りゅうほうざんしょうりんじ)があったところです。 日羅上人は飛鳥時代(6世紀後半)に百済(くだら)より渡来し、聖徳太子にも謁見(えつけん)したと言われる高僧で、政治、芸術にもすぐれ、大分県、熊本県を中心に多くの伝説を残しています。
 松森寺の裏の岸壁に刻(きざ)まれたのが本庄の石仏であり、その右側には5つの小さな仏像が、左側には岩穴が掘られていましたが、現在は寺もなくなり、柔らかい岩質のために薬師如来像(やくしにょらいぞう)以外の仏像も摩耗してしまい、ほとんど残っていません。
本庄の石仏から40メートルほど下った観音堂のあるところにはかって照崎寺があって、こちらにも多くの石像が彫(ほ)られていました。
国富町教育委員会
と書かれています。



写真AG: 「本庄の石仏」の説明板。
昭和8年12月5日 県指定史跡
 本庄の石仏は、田尻(たじり)地区の松森山(しょうりんざん)の岩壁に刻(きざ)まれている、高さ約6メートル、肩幅1.5メートルの薬師如来像(やくしにょらいぞう)です。
 松森山は、またの名を日羅山(にちらさん)といい、日羅上人(にちらしょうにん)が開いたと伝えられる竜宝山松森寺(りゅうほうざんしょうりんじ)があったところです。 日羅上人は飛鳥時代(6世紀後半)に百済(くだら)より渡来し、聖徳太子にも謁見(えつけん)したと言われる高僧で、政治、芸術にもすぐれ、大分県、熊本県を中心に多くの伝説を残しています。
 松森寺の裏の岸壁に刻(きざ)まれたのが本庄の石仏であり、その右側には5つの小さな仏像が、左側には岩穴が掘られていましたが、現在は寺もなくなり、柔らかい岩質のために薬師如来像(やくしにょらいぞう)以外の仏像も摩耗してしまい、ほとんど残っていません。
本庄の石仏から40メートルほど下った観音堂のあるところにはかって照崎寺があって、こちらにも多くの石像が彫(ほ)られていました。
国富町教育委員会
と書かれています。



写真AH: 「本庄の石仏」の説明板。
昭和8年12月5日 県指定史跡
 本庄の石仏は、田尻(たじり)地区の松森山(しょうりんざん)の岩壁に刻(きざ)まれている、高さ約6メートル、肩幅1.5メートルの薬師如来像(やくしにょらいぞう)です。
 松森山は、またの名を日羅山(にちらさん)といい、日羅上人(にちらしょうにん)が開いたと伝えられる竜宝山松森寺(りゅうほうざんしょうりんじ)があったところです。 日羅上人は飛鳥時代(6世紀後半)に百済(くだら)より渡来し、聖徳太子にも謁見(えつけん)したと言われる高僧で、政治、芸術にもすぐれ、大分県、熊本県を中心に多くの伝説を残しています。
 松森寺の裏の岸壁に刻(きざ)まれたのが本庄の石仏であり、その右側には5つの小さな仏像が、左側には岩穴が掘られていましたが、現在は寺もなくなり、柔らかい岩質のために薬師如来像(やくしにょらいぞう)以外の仏像も摩耗してしまい、ほとんど残っていません。
本庄の石仏から40メートルほど下った観音堂のあるところにはかって照崎寺があって、こちらにも多くの石像が彫(ほ)られていました。
国富町教育委員会
と書かれています。



写真AI: 「本庄石仏の由来と案内」の説明板。
 「龍宝山松森寺と申候而日羅聖人開基之由申傅候」とまた日羅聖人は「第31代敏達天皇12年帰化せる人の由」と記してあります。 この山を松森山、龍宝山、日羅山、観音山などと呼んでおります。 県内にただ一ヶ所しかない石仏はこの山の中腹に刻(きざ)まれています。 地上より背光上端まで約5.7 メートル、肩幅 1.6 メートルもある薄肉彫刻の巨像で尊容端麗あり手法まことにすぐれていると言われます。 この石仏の左右に六観音の小像石仏また参道には13仏の石仏が刻まれ夫婦岩硯(すずり)の水と石仏薬師如来を奥の院として石仏寺をなしていたことが偲(しの)ばれます。
 昭和48年11月吉日
本庄石仏協賛会
と書かれています。



写真AJ: 「本庄石仏の由来と案内」の説明板。
 「龍宝山松森寺と申候而日羅聖人開基之由申傅候」とまた日羅聖人は「第31代敏達天皇12年帰化せる人の由」と記してあります。 この山を松森山、龍宝山、日羅山、観音山などと呼んでおります。 県内にただ一ヶ所しかない石仏はこの山の中腹に刻(きざ)まれています。 地上より背光上端まで約5.7 メートル、肩幅 1.6 メートルもある薄肉彫刻の巨像で尊容端麗あり手法まことにすぐれていると言われます。 この石仏の左右に六観音の小像石仏また参道には13仏の石仏が刻まれ夫婦岩硯(すずり)の水と石仏薬師如来を奥の院として石仏寺をなしていたことが偲(しの)ばれます。
 昭和48年11月吉日
本庄石仏協賛会
と書かれています。



写真AK: 駐車場に来るまでの道です。



写真AL: 宮崎県の国富町にある「夫婦岩(めおといわ)」。 左の参道を登って本庄石仏に行きます。



写真AM: 「不法投棄の禁止、国富町役場 町民生活課 高岡警察署」と書いてある看板(かんばん)があります。



写真AN: 夫婦岩、説明板、参道。



写真AO: 手前は夫婦岩の間を通ってからの道です。



写真AP: 夫婦岩(めおといわ)を裏から見たもの。 この間を通ります。



写真AQ: 坂道を登って「本庄石仏」に行きます。



写真AR: 先の方に階段も見えます。



写真AS: 本庄石仏への参道。



写真AT: 振り返って見た参道。



写真AU: 大きな岩が見えてきました。



写真AV: 右の岩には窪(くぼ)みが作ってあります。



写真AW: 岩の上には木が生(は)えています。



写真AX: この岩の間を登って進みます。 階段が作ってあります。



写真AY: 左手にも通路があります。
「不動明王(ふどうみょうおう)と観音像((かんのんぞう)」の説明板。
 左に観音像、右に不動明王がこの岩に相対顔して刻(きざ)まれ石仏寺の山門をなしております。 この岩間の参道は約3 メートルありましたが、不動明王の刻んである岩が倒れ観音像の頭部をつぶし今はその一部が残っています。 刀法は決して凡作のものではないといわれ不動明王が持つ剣先には、生首がささっており、他に見られぬ不動尊であります。 また、この岩の下は,心清き人のみが通行でき、悪事を働く者は不動明王の怒りを受けて通り抜けることができないと言い伝えられています。
平成元年7月
国富町観光協会
と書かれています。



写真AZ: 岩の上にも木が生(は)えています。
「不動明王(ふどうみょうおう)と観音像((かんのんぞう)」の説明板。
 左に観音像、右に不動明王がこの岩に相対顔して刻(きざ)まれ石仏寺の山門をなしております。 この岩間の参道は約3 メートルありましたが、不動明王の刻んである岩が倒れ観音像の頭部をつぶし今はその一部が残っています。 刀法は決して凡作のものではないといわれ不動明王が持つ剣先には、生首がささっており、他に見られぬ不動尊であります。 また、この岩の下は,心清き人のみが通行でき、悪事を働く者は不動明王の怒りを受けて通り抜けることができないと言い伝えられています。
平成元年7月
国富町観光協会
と書かれています。



写真BA: 「不動明王(ふどうみょうおう)と観音像((かんのんぞう)」の説明板。
 左に観音像、右に不動明王がこの岩に相対顔して刻(きざ)まれ石仏寺の山門をなしております。 この岩間の参道は約3 メートルありましたが、不動明王の刻んである岩が倒れ観音像の頭部をつぶし今はその一部が残っています。 刀法は決して凡作のものではないといわれ不動明王が持つ剣先には、生首がささっており、他に見られぬ不動尊であります。 また、この岩の下は,心清き人のみが通行でき、悪事を働く者は不動明王の怒りを受けて通り抜けることができないと言い伝えられています。
平成元年7月
国富町観光協会
と書かれています。



写真BB: 右手の岩には窪(くぼ)みが作ってあり、中にこのような物が置いてあります。



写真BC: 岩の間の参道。 階段が作ってあります。



写真BD: 説明板から、「この岩間の参道は約3 メートルありましたが、不動明王の刻んである岩が倒れ観音像の頭部をつぶし今はその一部が残っています。」



写真BE: 「石仏寺の往時を偲(しの)ぶ参道の仏前観行次第13仏 木彫刻仏像合尊 平成元年吉日 石仏協賛会」と書いてあります。 左に木彫りの仏像が見えます。



写真BF: 「石仏寺の往時を偲(しの)ぶ参道の仏前観行次第13仏 木彫刻仏像合尊 平成元年吉日 石仏協賛会」と書いてあります。 木彫りの仏像が見えます。



写真BG: 「石仏寺の往時を偲(しの)ぶ参道の仏前観行次第13仏 木彫刻仏像合尊 平成元年吉日 石仏協賛会」と書いてあります。 木彫りの仏像が見えます。



写真BH: 「石仏寺の往時を偲(しの)ぶ参道の仏前観行次第13仏 木彫刻仏像合尊 平成元年吉日 石仏協賛会」と書いてあります。 木彫りの仏像が見えます。



写真BI: 右の細い通路も人が通れます。



写真BJ: 右の細い通路も人が通れます。



写真BK: 参道に階段があります。



写真BL: 参道の近くに木があります。



写真BM: ここはベンチもあり、桜の花が美しいところです。



写真BN: 桜の花が満開でした。



写真BO: ここは少し高くなっています。



写真BP: 白っぽいところは桜の花です。



写真BQ: 桜の花びらが散っていました。



写真BR: 見事な桜の花です。 手前はベンチです。 遠くの景色も見えます。



写真BS: 赤い桃の花、ソテツの木、桜の花が見えています。



写真BT: 赤い桃の花、桜の花が見えています。



写真BU: 桜の花です。



写真BV: 桜の花は満開でした。 遠くの景色も見えます。



写真BW: 白く見えるのは桜の花です。



写真BX: 桜の花。



写真BY: 桜の花。



写真BZ: 水蕗(みずぶき)の葉と散った桜の花。



写真CA: 本庄石仏の少し下に「観音堂」があります。 観音堂のあるところにはかって照崎寺がありました。 観音堂の右奥には大きく古い木の根の穴に仏像があります。 右手前には石造物があります。
「観音堂」の説明板。
 この観音堂には安産の祈願仏、聖観自在菩薩が安置されています。 近郷近在の参拝は香のたえたる事がなかったと言われてきました。 本山の寺は伽藍造りでなく日羅石仏寺の中興のため天文年代(戦国時代、1532年〜1555年)に観音堂を建立したと言われています。
 本尊は高さ約45センチの木像坐像で元禄1年(江戸中期、1688年)と記してあります。
平成3年9月
国富町観光協会



写真CB: 本庄石仏の少し下に「観音堂」があります。 観音堂のあるところにはかって照崎寺がありました。 観音堂の右奥には大きく古い木の根の穴に仏像があります。



写真CC: 本庄石仏の少し下に「観音堂」があります。 観音堂のあるところにはかって照崎寺がありました。 観音堂の右奥には大きく古い木の根の穴に仏像があります。
「観音堂」の説明板。
 この観音堂には安産の祈願仏、聖観自在菩薩が安置されています。 近郷近在の参拝は香のたえたる事がなかったと言われてきました。 本山の寺は伽藍造りでなく日羅石仏寺の中興のため天文年代(戦国時代、1532年〜1555年)に観音堂を建立したと言われています。
 本尊は高さ約45センチの木像坐像で元禄1年(江戸中期、1688年)と記してあります。
平成3年9月
国富町観光協会



写真CD: 観音堂の左には御手洗(みたらい)、石碑(せきひ)があります。



写真CE: 「観音堂」の説明板。
 この観音堂には安産の祈願仏、聖観自在菩薩が安置されています。 近郷近在の参拝は香のたえたる事がなかったと言われてきました。 本山の寺は伽藍造りでなく日羅石仏寺の中興のため天文年代(戦国時代、1532年〜1555年)に観音堂を建立したと言われています。
 本尊は高さ約45センチの木像坐像で元禄1年(江戸中期、1688年)と記してあります。
平成3年9月
国富町観光協会



写真CF: 御手洗(みたらい)と柄杓(ひしゃく)があります。



写真CG: 石碑(せきひ)があります。



写真CH: 観音堂の左側。



写真CI: 観音堂の右側。



写真CJ: 「観音堂」の説明板。
 この観音堂には安産の祈願仏、聖観自在菩薩が安置されています。 近郷近在の参拝は香のたえたる事がなかったと言われてきました。 本山の寺は伽藍造りでなく日羅石仏寺の中興のため天文年代(戦国時代、1532年〜1555年)に観音堂を建立したと言われています。
 本尊は高さ約45センチの木像坐像で元禄1年(江戸中期、1688年)と記してあります。
平成3年9月
国富町観光協会



写真CK: 観音堂の中。 お賽銭箱(おさいせんばこ)に「奉納 平成18年3月」と書かれています。



写真CL: 観音堂の中。



写真CM: 左は観音堂です。 古く大きい木の根の穴に仏像が安置されています。 照崎寺の歴代の住職の墓が左右に並んでいます。
「日羅上人坐像(にちらしょうにんざぞう)」の説明板。
樹齢およそ800年、しいの大樹の根株につつまれている仏像は「日羅之影之様相に見得彫物数々之有」と記してあります。
 石仏寺を開基された日羅上人の自刻像であると言われ、この仏像には金の目玉が彫り込まれていたが心なき者によって仏像の顔が割られ金の目玉が取られたと言い伝えられています。 坐像を中心に歴代の住職の墓が左右に並んでおり、初代 照崎寺 住職の墓も右端にあったと言われています。
平成3年9月
国富町観光協会
と書かれています。



写真CN: 古く大きい木の根の穴に仏像が安置されています。 照崎寺の歴代の住職の墓が左右に並んでいます。



写真CO: 「日羅上人坐像(にちらしょうにんざぞう)」の説明板。
樹齢およそ800年、しいの大樹の根株につつまれている仏像は「日羅之影之様相に見得彫物数々之有」と記してあります。
 石仏寺を開基された日羅上人の自刻像であると言われ、この仏像には金の目玉が彫り込まれていたが心なき者によって仏像の顔が割られ金の目玉が取られたと言い伝えられています。 坐像を中心に歴代の住職の墓が左右に並んでおり、初代 照崎寺 住職の墓も右端にあったと言われています。
平成3年9月
国富町観光協会
と書かれています。



写真CP: 「日羅上人坐像(にちらしょうにんざぞう)」の説明板。
樹齢およそ800年、しいの大樹の根株につつまれている仏像は「日羅之影之様相に見得彫物数々之有」と記してあります。
 石仏寺を開基された日羅上人の自刻像であると言われ、この仏像には金の目玉が彫り込まれていたが心なき者によって仏像の顔が割られ金の目玉が取られたと言い伝えられています。 坐像を中心に歴代の住職の墓が左右に並んでおり、初代 照崎寺 住職の墓も右端にあったと言われています。
平成3年9月
国富町観光協会
と書かれています。



写真CQ: 古く大きい木の根の穴に仏像が安置されています。 照崎寺の歴代の住職の墓が左右に並んでいます。
「日羅上人坐像(にちらしょうにんざぞう)」の説明板。
樹齢およそ800年、しいの大樹の根株につつまれている仏像は「日羅之影之様相に見得彫物数々之有」と記してあります。
 石仏寺を開基された日羅上人の自刻像であると言われ、この仏像には金の目玉が彫り込まれていたが心なき者によって仏像の顔が割られ金の目玉が取られたと言い伝えられています。 坐像を中心に歴代の住職の墓が左右に並んでおり、初代 照崎寺 住職の墓も右端にあったと言われています。
平成3年9月
国富町観光協会
と書かれています。



写真CR: 古く大きい木の根の穴に仏像が安置されています。 照崎寺の歴代の住職の墓が左右に並んでいます。



写真CS: 古く大きい木の根の穴に仏像が安置されています。 照崎寺の歴代の住職の墓が左右に並んでいます。



写真CT: 古く大きい木の根の穴に仏像が安置されています。 照崎寺の歴代の住職の墓が左右に並んでいます。
「日羅上人坐像(にちらしょうにんざぞう)」の説明板。
樹齢およそ800年、しいの大樹の根株につつまれている仏像は「日羅之影之様相に見得彫物数々之有」と記してあります。
 石仏寺を開基された日羅上人の自刻像であると言われ、この仏像には金の目玉が彫り込まれていたが心なき者によって仏像の顔が割られ金の目玉が取られたと言い伝えられています。 坐像を中心に歴代の住職の墓が左右に並んでおり、初代 照崎寺 住職の墓も右端にあったと言われています。
平成3年9月
国富町観光協会
と書かれています。



写真CU: 観音堂の背面。



写真CV: 墓もあります。



写真CW: 観音堂から「本庄石仏」に行く道です。 坂道を登ります。 道には木の根が多くあります。



写真CX: 参道の周(まわ)りの景色。



写真CY: 先の明るいところが先程の桜の花が多くあった場所です。



写真CZ: 参道を振り返ったもの。 左端に観音堂が見えています。



写真DA: 振り返って見た観音堂。



写真DB: 「ようこそ 本庄石仏においでくださいました。 石仏はここより30メートル先のところです。 本庄石仏協賛会」と書いてあります。



写真DC: 参道に浮き出ている「木の根」です。



写真DD: 「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」に着きました。 風化を防ぐための屋根付き建物の中に「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」はあります。 建物の裏の岸壁に大きな石仏が彫(ほ)ってあります。 「田尻の磨崖仏(まがいぶつ)」とも呼ばれます。 田尻はここの地名です。



写真DE: 左に石碑(せきひ)も見えます。



写真DF: 石碑の左には山頂への道もあります。



写真DG: 本庄石仏に来るまでの坂道を振り返ったもの。



写真DH: 「石仏覆屋さしかけ 環境整備 事業記念碑」の説明板。
龍宝山松森寺と申候而日羅聖人開基之由申傅候。 日羅聖人は第31代敏達天皇12年帰化せる人の由。 今より1400年前薬師如来の石仏を本尊に脇尊六観音の小像石仏また参道に13仏の彫物数々。 石仏群松森寺の隆盛をなして来たと高岡名勝誌並びに口碑にて伝わる。 その後...悉(ことごと)く散失幾多の変歴をへて昭和8年 県文化財指定を受け県下唯一の石仏である。 近年本尊薬師如来の風化著しくこれの防止の一環として覆屋さしかけ工事を施行し保存顕彰と石仏周辺の用地買収をなし環境保全に努めるものである。
昭和49年8月25日
本庄石仏協賛会
と書いてあります。



写真DI: 「石仏覆屋さしかけ 環境整備 事業記念碑」の説明板。
龍宝山松森寺と申候而日羅聖人開基之由申傅候。 日羅聖人は第31代敏達天皇12年帰化せる人の由。 今より1400年前薬師如来の石仏を本尊に脇尊六観音の小像石仏また参道に13仏の彫物数々。 石仏群松森寺の隆盛をなして来たと高岡名勝誌並びに口碑にて伝わる。 その後...悉(ことごと)く散失幾多の変歴をへて昭和8年 県文化財指定を受け県下唯一の石仏である。 近年本尊薬師如来の風化著しくこれの防止の一環として覆屋さしかけ工事を施行し保存顕彰と石仏周辺の用地買収をなし環境保全に努めるものである。
昭和49年8月25日
本庄石仏協賛会
と書いてあります。



写真DJ: 「石仏覆屋さしかけ 環境整備 事業記念碑」の説明板。
龍宝山松森寺と申候而日羅聖人開基之由申傅候。 日羅聖人は第31代敏達天皇12年帰化せる人の由。 今より1400年前薬師如来の石仏を本尊に脇尊六観音の小像石仏また参道に13仏の彫物数々。 石仏群松森寺の隆盛をなして来たと高岡名勝誌並びに口碑にて伝わる。 その後...悉(ことごと)く散失幾多の変歴をへて昭和8年 県文化財指定を受け県下唯一の石仏である。 近年本尊薬師如来の風化著しくこれの防止の一環として覆屋さしかけ工事を施行し保存顕彰と石仏周辺の用地買収をなし環境保全に努めるものである。
昭和49年8月25日
本庄石仏協賛会
と書いてあります。



写真DK: 石碑の裏側です。



写真DL: この屋根の下奥の岸壁(がんぺき)に「本庄石仏」があります。
左側に説明板が見えます。
「田尻の磨崖仏(まがいぶつ)」の説明板。
県指定文化財(昭和8年) 「本庄の石仏」
 地上より光背(こうはい)上端まで約5.8 メートル、肩幅約1.6メートルの真東に向かって岸壁に彫られた県内最大の磨崖仏です。 慈悲深く端麗な容姿から薬師如来像と言い伝えられています。 右手を上げた施無畏印(せむいいん)は民の恐れを去らせる意味があり、同時に無病息災を念じている御姿です。 奥の院らしい静けさに包まれた当地は遠い昔の様子を偲(しの)ばせます。 この仏像の左右にも磨崖仏の六観音が彫られていましたが、風化が著しく現在は左側にかすかに確認されるのみです。
平成17年 国富町観光協会
と書かれています。



写真DM: 屋根のある建物の下部。



写真DN: 屋根のある建物の右のほうの様子。



写真DO: これが「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」です。 田尻の磨崖仏(まがいぶつ)とも呼ばれます。



写真DP: 「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」の下部です。 シダなどが岩に生えています。 御幣(ごへい)などが供(そな)えてあります。



写真DQ: 「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」。 田尻の磨崖仏(まがいぶつ)とも呼ばれます。



写真DR: 「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」です。 田尻の磨崖仏(まがいぶつ)とも呼ばれます。



写真DS: 「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」の下部です。 シダなどが岩に生えています。 御幣(ごへい)などが供(そな)えてあります。



写真DT: 「本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)」の中部です。 シダなどが岩に生えています。



写真DU: 本庄石仏(ほんじょういしぼとけ)。



写真DV: 「田尻の磨崖仏(まがいぶつ)」の説明板。
県指定文化財(昭和8年) 「本庄の石仏」
 地上より光背(こうはい)上端まで約5.8 メートル、肩幅約1.6メートルの真東に向かって岸壁に彫られた県内最大の磨崖仏です。 慈悲深く端麗な容姿から薬師如来像と言い伝えられています。 右手を上げた施無畏印(せむいいん)は民の恐れを去らせる意味があり、同時に無病息災を念じている御姿です。 奥の院らしい静けさに包まれた当地は遠い昔の様子を偲(しの)ばせます。 この仏像の左右にも磨崖仏の六観音が彫られていましたが、風化が著しく現在は左側にかすかに確認されるのみです。
平成17年 国富町観光協会
と書かれています。



写真DW: 「田尻の磨崖仏(まがいぶつ)」の説明板。
県指定文化財(昭和8年) 「本庄の石仏」
 地上より光背(こうはい)上端まで約5.8 メートル、肩幅約1.6メートルの真東に向かって岸壁に彫られた県内最大の磨崖仏です。 慈悲深く端麗な容姿から薬師如来像と言い伝えられています。 右手を上げた施無畏印(せむいいん)は民の恐れを去らせる意味があり、同時に無病息災を念じている御姿です。 奥の院らしい静けさに包まれた当地は遠い昔の様子を偲(しの)ばせます。 この仏像の左右にも磨崖仏の六観音が彫られていましたが、風化が著しく現在は左側にかすかに確認されるのみです。
平成17年 国富町観光協会
と書かれています。



写真DX: 「田尻の磨崖仏(まがいぶつ)」の説明板。
県指定文化財(昭和8年) 「本庄の石仏」
 地上より光背(こうはい)上端まで約5.8 メートル、肩幅約1.6メートルの真東に向かって岸壁に彫られた県内最大の磨崖仏です。 慈悲深く端麗な容姿から薬師如来像と言い伝えられています。 右手を上げた施無畏印(せむいいん)は民の恐れを去らせる意味があり、同時に無病息災を念じている御姿です。 奥の院らしい静けさに包まれた当地は遠い昔の様子を偲(しの)ばせます。 この仏像の左右にも磨崖仏の六観音が彫られていましたが、風化が著しく現在は左側にかすかに確認されるのみです。
平成17年 国富町観光協会
と書かれています。



写真DY: 「石仏寺の往時を偲(しの)ぶ奥の院 薬師如来 六観音 木彫刻仏像合尊 平成元年吉日 石仏協賛会」と書いてあります。 木彫りの仏像があります。



写真DZ: 「石仏寺の往時を偲(しの)ぶ奥の院 薬師如来 六観音 木彫刻仏像合尊 平成元年吉日 石仏協賛会」と書いてあります。 木彫りの仏像があります。



写真EA: 「石仏寺の往時を偲(しの)ぶ奥の院 薬師如来 六観音 木彫刻仏像合尊 平成元年吉日 石仏協賛会」と書いてあります。 木彫りの仏像があります。



写真EB: 「石仏寺の往時を偲(しの)ぶ奥の院 薬師如来 六観音 木彫刻仏像合尊 平成元年吉日 石仏協賛会」と書いてあります。 木彫りの仏像があります。



写真EC: 「松森山頂上への案内」の説明板。
 本山は松森山、龍宝山、日羅山、観音山の呼び名があります。 標高約104メートル頂上には三角点が設けられ、自然石には奉神大日如来、また、梵字が刻まれ、山頂は寺僧が行を修めた所といわれ、ここに立てば一望ができます。 山頂の真下に照崎寺があります。 本山の宝物として金の鶏が埋蔵されていると言い伝わっており、旧元旦には時を告げるとの言い伝えもあります。
平成2年10月
国富町観光協会
と書かれています。



写真ED: 「松森山頂上への案内」の説明板。
 本山は松森山、龍宝山、日羅山、観音山の呼び名があります。 標高約104メートル頂上には三角点が設けられ、自然石には奉神大日如来、また、梵字が刻まれ、山頂は寺僧が行を修めた所といわれ、ここに立てば一望ができます。 山頂の真下に照崎寺があります。 本山の宝物として金の鶏が埋蔵されていると言い伝わっており、旧元旦には時を告げるとの言い伝えもあります。
平成2年10月
国富町観光協会
と書かれています。



写真EE: 本庄石仏。



写真EF: 本庄石仏。



写真EG: 本庄石仏。



写真EH: 本庄石仏の右には岸壁がほってあり、小さな祠(ほこら)あるいはお堂があります。



写真EI: 本庄石仏の右には岸壁がほってあり、小さな祠(ほこら)あるいはお堂があります。



写真EJ: 横から見た様子。



写真EK: 横から見た様子。



写真EL: 横から見た様子。



写真EM: 本庄石仏の参道です。



写真EN: 本庄石仏の右のほうの景色。



写真EO: 本庄石仏の右のほうの景色。



写真EP: 本庄石仏の上のほうの景色。



写真EQ: 本庄石仏の周(まわ)り。



写真ER: 本庄石仏の左の景色。 モウソウ竹もあります。
「松森山頂上への案内」の説明板。
 本山は松森山、龍宝山、日羅山、観音山の呼び名があります。 標高約104メートル頂上には三角点が設けられ、自然石には奉神大日如来、また、梵字が刻まれ、山頂は寺僧が行を修めた所といわれ、ここに立てば一望ができます。 山頂の真下に照崎寺があります。 本山の宝物として金の鶏が埋蔵されていると言い伝わっており、旧元旦には時を告げるとの言い伝えもあります。
平成2年10月
国富町観光協会
と書かれています。



写真ES: モウソウ竹もあります。



写真ET: サトイモ科のマムシ草も見えます。



写真EU: 左に石碑が見えます。



写真EV: 帰路から見た本庄石仏。



写真EW: 帰路から見た本庄石仏。



写真EX: 周(まわ)りの木です。



写真EY: こちらの方の参道は岩が濡(ぬ)れていたので通りませんでした。 滑って転ぶのを避(さ)けるためです。



写真EZ: こちらの方の参道は岩が濡(ぬ)れていたので通りませんでした。 滑って転ぶのを避(さ)けるためです。



写真FA: 大きな岩があります。



写真FB: 階段を下ります。



写真FC: 初めの駐車場が見えてきました。



写真FD: 駐車場に戻(もど)ってきました。



写真FE: 夫婦岩(めおといわ)が見えてきました。



写真FF: 夫婦岩(めおといわ)と駐車場。



写真FG: 説明板のわきに竹ほうきがあります。



写真FH: 駐車場。



写真FI: 帰り道に蓮華(れんげ、レンゲ)が満開でした。



写真FJ: この山に「本庄石仏」があります。 中腹の白く見えるところは先程の「桜の花が多く咲いていた場所」です。
手前は蓮華(れんげ)の花です。



写真FK: この山に「本庄石仏」があります。 中腹の白く見えるところは先程の「桜の花が多く咲いていた場所」です。



写真FL: 「宇津野神社」の鎮守(ちんじゅ)の森が道の左に見えています。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)