本庄稲荷神社(剣柄稲荷神社) (ほんじょういなり神社、けんのつか稲荷神社、大くすの木、不老長寿の木、国造神社、剣塚、きんちゃく占い、本庄古墳群)  (宮崎県東諸県郡 国富町)







<標高、位置>  本庄稲荷神社(剣柄稲荷神社)は
標高 約50 m
 北緯31度59分22秒  東経131度19分15秒


 本庄稲荷神社(剣柄稲荷神社(けんのつかいなりじんじゃ))は宮崎県東諸県郡 国富町大字本庄 稲荷4847にあります。
 「本庄剣柄稲荷神社(ほんじょうけんのつかいなりじんじゃ)」は説明板から、
 剣柄稲荷神社は国指定本庄古墳群第38号墳、通称剣の柄(けんのつか)の上に奉鎮されています。
 この塚には神武天皇の兄彦稲飯命(ひこいないのみこと)の陵墓、景行天皇の妃(きさき)御刀姫(みはかしひめ)の陵墓、日本武尊が熊襲武(くまそたける)を刺された短刀の埋蔵塚など、様々な伝説が残っていて、その歴史の古さがしのばれます。
 例祭は旧暦の2月初午(はつうま)、8月の第一土曜、日曜に行われ、特に8月の夏祭りでは、ヨイマカ太鼓(たいこ)が繰り出し、六日町には歌舞伎見立人形も立てられにぎわいます。

 「初午祭(はつうまさい)の由来、苗木市の由来、力餅(もち)とせんぐ」の説明板から、
初午祭(はつうまさい)の由来
 京都伏見の稲荷大社に711年(和銅4年)の2月の初めの午(うま)の日に稲荷の神が降臨されましたという縁起伝説がありました。 本庄稲荷神社には神社の裏の山 藤岡山の遙(はる)か彼方(かなた)より白狐三神神霊を奉じて現れ給(たま)う。 以来神の入り給いし穴に油揚げ、卵などお供えして神を祀(まつ)る風習起これりとの口説あり、今になおこの穴の跡が残っています(神社鎮座由緒書より)。
苗木市の由来
 平安時代参拝者は稲荷山の杉の小枝を折り帰る風習あり。 これを「しるしの杉」と呼びこれを庭や山にさして苗木を育てうまく育てば運が開けるとされていた。 この古事より初午祭に苗木を買い求めると「縁起(えんぎ)がよい」と云(い)われるようになった。
力餅(ちからもち)とせんぐ
 作神様(さくがみさま)として広く知られます本庄稲荷初午祭に餅米(もちごめ)を奉納し今年の作柄(さくがら)を占い五穀園芸の豊穣を始め諸々の願いを込めて固められた餅をかかえたり、ふれたり食べたりすることにより願いが叶(かな)い厄や災いが祓われる。

 「町指定 天然記念物 稲荷のクスノキ」の説明板から、
 本庄古墳群第38号墳の上にそびえ立つこの木は、推定樹齢は七百年から千年になるとも言われており、また生育状態も良好で、天然木としての姿をよく維持している点では県内有数のクスノキと言えます。
幹周は8.1 m、樹高は約30 mに達し、宮崎県内のクスノキでは11番目に大きい木です。 


写真A: 宮崎県東諸県郡 国富町は白玉饅頭(しらたままんじゅう)が名物です。 数軒の白玉まんじゅうを作っている店があります。 国富町は江戸時代は天領(江戸幕府直轄(かつ)の領地で幕府の経済的基盤をなしていた)でした。



写真B: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷神社)の駐車場です。 奥の森が本庄稲荷神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真C: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷神社)の駐車場です。



写真D: 「本庄稲荷神社 参拝専用駐車場」と書いてある看板(かんばん)。 奥の森が本庄稲荷神社の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真E: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の赤い鳥居(とりい)。 本庄稲荷神社(剣柄稲荷神社(けんのつかいなりじんじゃ))は宮崎県東諸県郡 国富町大字本庄 稲荷4847にあります。



写真F: 本庄稲荷神社には背の高い森があります。



写真G: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)のまわりの石積みには植物が張り付いています。



写真H: 本庄稲荷神社のまわりの石積みには植物が張り付いています。



写真I: 宮崎県東諸県郡 国富町大字本庄 稲荷にある「本庄稲荷神社(剣柄稲荷)」。 本庄古墳群の第38号古墳の上に拝殿、本殿があります。 赤い幟(のぼり)に「正一位 稲荷大明神」と書いてあります。 階段の上に赤い拝殿があります。 階段の両側に石灯籠(いしどうろう)があります。



写真J: 赤い鳥居の上部と鎮守(ちんじゅ)の森。



写真K: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)には石碑(せきひ)もあります。



写真L: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)。 「国富町 大力もち 神事一式 大くすの木 不老長寿の木 稲荷神社」と書いてある看板(かんばん)があります。 石灯籠(いしどうろう)も見えています。



写真M: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)。 「国富町 大力もち 神事一式 大くすの木 不老長寿の木 稲荷神社」と書いてある看板(かんばん)があります。



写真N: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の拝殿と階段。



写真O: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)。 階段の照明もあります。



写真P: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)。 階段の照明もあります。



写真Q: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)。 石碑(せきひ)、石灯籠(いしどうろう)もあります。



写真R: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)。



写真S: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)。 拝殿、照明、階段。



写真T: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)。 面白い形の狛犬(こまいぬ)。



写真U: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)にある赤い手水舎(ちょうずや)と国造神社。



写真V: 手水舎(ちょうずや)。



写真W: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)。 御手洗(みたらい)もあります。 右の建物は国造神社。



写真X: 「県内唯一社 国造神社 豊国別命 老男命」と書かれています。



写真Y: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)にある国造神社と赤い手水舎(ちょうずや)。



写真Z: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)にある国造神社と赤い手水舎(ちょうずや)。



写真AA: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)にある国造神社の中。



写真AB: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)にある国造神社の中。



写真AC: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)にある国造神社のお賽銭箱(さんせんばこ)。



写真AD: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の境内(けいだい)。 左は拝殿。



写真AE: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の拝殿。



写真AF: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の拝殿。



写真AG: 社務所に降りる階段があります。 左は国造神社。



写真AH: この右手に本庄稲荷神社の社務所があります。



写真AI: 本庄稲荷神社の社務所。



写真AJ: 社務所の前の庭。



写真AK: 社務所の前の庭。 社務所の門も見えています。



写真AL: 社務所に降りる階段の脇(わき)にしめ縄がある大きな杉の木があります。



写真AM: 社務所に降りる階段の脇(わき)にしめ縄がある大きな杉の木があります。 その根の部分です。



写真AN: 社務所に降りる階段の脇(わき)にしめ縄がある大きな杉の木があります。



写真AO: 社務所に降りる階段の脇(わき)にしめ縄がある大きな杉の木があります。



写真AP: 社務所に降りる階段の脇(わき)にしめ縄がある大きな杉の木があります。



写真AQ: 右は国造神社です。



写真AR: 階段の左にお神籤(おみくじ)がしばり付けてあります。



写真AS: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の本殿。



写真AT: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の本殿の下部。



写真AU: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の本殿。



写真AV: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の本殿。



写真AW: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の本殿とその先の拝殿。



写真AX: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の拝殿の上部。



写真AY: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の拝殿。 しめ縄、国旗、照明も見えています。



写真AZ: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の拝殿。 しめ縄、国旗、照明も見えています。



写真BA: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の拝殿。



写真BB: 「「きんちゃく」の形をした右手の大くす幹(みき)の穴に5円玉を投げ入れて金(かね)の運を試してみましょう。 1回で入れば金(かね)やくじ運に恵まれます。」と書いてあります。



写真BC: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の鈴。



写真BD: 「初午祭(はつうまさい)の由来、苗木市の由来、力餅(もち)とせんぐ」の説明板。
初午祭(はつうまさい)の由来
 京都伏見の稲荷大社に711年(和銅4年)の2月の初めの午(うま)の日に稲荷の神が降臨されましたという縁起伝説がありました。 本庄稲荷神社には神社の裏の山 藤岡山の遙(はる)か彼方(かなた)より白狐三神神霊を奉じて現れ給(たま)う。 以来神の入り給いし穴に油揚げ、卵などお供えして神を祀(まつ)る風習起これりとの口説あり、今になおこの穴の跡が残っています(神社鎮座由緒書より)。
苗木市の由来
 平安時代参拝者は稲荷山の杉の小枝を折り帰る風習あり。 これを「しるしの杉」と呼びこれを庭や山にさして苗木を育てうまく育てば運が開けるとされていた。 この古事より初午祭に苗木を買い求めると「縁起(えんぎ)がよい」と云(い)われるようになった。
力餅(ちからもち)とせんぐ
 作神様(さくがみさま)として広く知られます本庄稲荷初午祭に餅米(もちごめ)を奉納し今年の作柄(さくがら)を占い五穀園芸の豊穣を始め諸々の願いを込めて固められた餅をかかえたり、ふれたり食べたりすることにより願いが叶(かな)い厄や災いが祓われる。
社務所
と書かれています。



写真BE: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の中。 「剣柄神社 稲荷神社」と書かれた額(がく)があります。 手前はお賽銭箱(さいせんばこ)。



写真BF: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の中。



写真BG: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の中。



写真BH: 「樹齢 1000年の大くすの木(不老長寿)」と書いた看板(かんばん)があります。



写真BI: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の石碑(せきひ)など。



写真BJ: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷)の「樹齢 1000年の大くすの木(不老長寿)」。



写真BK: 樹齢1000年の大きな楠(くすのき)。



写真BL: 樹齢1000年の大クス。



写真BM: 「剣柄稲荷神社(けんのつかいなりじんじゃ)」の説明板。
 国富町の中央台地本庄の第38号古墳の上に鎮座し俗に本庄稲荷神社と称している。 今からおよそ1900年余年前の景行天皇の即位12年11月の創建で御祭神は彦稲飯命、玉依姫命、神倭盤余彦命で、その相殿には倉稲魂命、太田命、大宮姫命を祝ってある。 さて「剣柄(けんのつか)」とはここの古墳の称にて神武天皇御兄 彦稲飯命とも言い、命の「御剣」を埋めた塚とも言い、あるいは日本武尊がクマソを刺し給える時の「御刀」を埋めたる所、または日神、素命が剣玉の誓いをなし給いし時の「御剣柄(おんけんのつか)」を納め奉りし所とも称し、あるいは景行天皇の御妃(きさき)、御刀媛命の墳墓とも伝えられるも創建あまりにも古く諸説多し。 現在境内に残る元 天然記念物「本庄のいちいかし(イチイカシ)」は樹齢千数百余年を経たものである。 なお社殿右手にあった。
と書かれています。



写真BN: 「剣柄稲荷神社(けんのつかいなりじんじゃ)」の説明板と石碑(せきひ)。



写真BO: 「剣柄稲荷神社(けんのつかいなりじんじゃ)」の説明板。
 国富町の中央台地本庄の第38号古墳の上に鎮座し俗に本庄稲荷神社と称している。 今からおよそ1900年余年前の景行天皇の即位12年11月の創建で御祭神は彦稲飯命、玉依姫命、神倭盤余彦命で、その相殿には倉稲魂命、太田命、大宮姫命を祝ってある。 さて「剣柄(けんのつか)」とはここの古墳の称にて神武天皇御兄 彦稲飯命とも言い、命の「御剣」を埋めた塚とも言い、あるいは日本武尊がクマソを刺し給える時の「御刀」を埋めたる所、または日神、素命が剣玉の誓いをなし給いし時の「御剣柄(おんけんのつか)」を納め奉りし所とも称し、あるいは景行天皇の御妃(きさき)、御刀媛命の墳墓とも伝えられるも創建あまりにも古く諸説多し。 現在境内に残る元 天然記念物「本庄のいちいかし(イチイカシ)」は樹齢千数百余年を経たものである。 なお社殿右手にあった。
と書かれています。



写真BP: 「剣柄稲荷神社(けんのつかいなりじんじゃ)」の説明板。
 国富町の中央台地本庄の第38号古墳の上に鎮座し俗に本庄稲荷神社と称している。 今からおよそ1900年余年前の景行天皇の即位12年11月の創建で御祭神は彦稲飯命、玉依姫命、神倭盤余彦命で、その相殿には倉稲魂命、太田命、大宮姫命を祝ってある。 さて「剣柄(けんのつか)」とはここの古墳の称にて神武天皇御兄 彦稲飯命とも言い、命の「御剣」を埋めた塚とも言い、あるいは日本武尊がクマソを刺し給える時の「御刀」を埋めたる所、または日神、素命が剣玉の誓いをなし給いし時の「御剣柄(おんけんのつか)」を納め奉りし所とも称し、あるいは景行天皇の御妃(きさき)、御刀媛命の墳墓とも伝えられるも創建あまりにも古く諸説多し。 現在境内に残る元 天然記念物「本庄のいちいかし(イチイカシ)」は樹齢千数百余年を経たものである。 なお社殿右手にあった。
と書かれています。



写真BQ: 「剣柄稲荷神社(けんのつかいなりじんじゃ)」の説明板。
 国富町の中央台地本庄の第38号古墳の上に鎮座し俗に本庄稲荷神社と称している。 今からおよそ1900年余年前の景行天皇の即位12年11月の創建で御祭神は彦稲飯命、玉依姫命、神倭盤余彦命で、その相殿には倉稲魂命、太田命、大宮姫命を祝ってある。 さて「剣柄(けんのつか)」とはここの古墳の称にて神武天皇御兄 彦稲飯命とも言い、命の「御剣」を埋めた塚とも言い、あるいは日本武尊がクマソを刺し給える時の「御刀」を埋めたる所、または日神、素命が剣玉の誓いをなし給いし時の「御剣柄(おんけんのつか)」を納め奉りし所とも称し、あるいは景行天皇の御妃(きさき)、御刀媛命の墳墓とも伝えられるも創建あまりにも古く諸説多し。 現在境内に残る元 天然記念物「本庄のいちいかし(イチイカシ)」は樹齢千数百余年を経たものである。 なお社殿右手にあった。
と書かれています。



写真BR: 大正10年11月5日建立された「剣塚」と書いてある石碑(せきひ)とその右下に「古墳第38号墳(宮崎県)」と書いてある石碑が大クスノキの下にあります。



写真BS: 「探してみましょう? 千年のクスノキを支えている根っ子でたくましい男の人がうつ伏せをした形によく似たものがあります(坊主頭)。 頭を撫(な)でて不老長寿を祈りましょう。」と書いてある看板(かんばん)。



写真BT: 「町指定 天然記念物 稲荷のクスノキ」の説明板。
 本庄古墳群第38号墳の上にそびえ立つこの木は、推定樹齢は七百年から千年になるとも言われており、また生育状態も良好で、天然木としての姿をよく維持している点では県内有数のクスノキと言えます。
幹周は8.1 m、樹高は約30 mに達し、宮崎県内のクスノキでは11番目に大きい木です。
国富町教育委員会
と書かれています。



写真BU: 本庄稲荷神社の大クスノキの根元。



写真BV: 本庄稲荷神社の大クスノキの根元。
奥の左の方が「うつ伏せの男の人」に似ている根(大クスの)です。 この頭部を撫(な)でて不老長寿を祈る風習があります。



写真BW: 本庄稲荷神社の大クスノキの根元。
これが「うつ伏せの男の人」に似ている根(大クスの)です。 この頭部を撫(な)でて不老長寿を祈る風習があります。



写真BX: 本庄稲荷神社の大クスノキの根元。
これが「うつ伏せの男の人」に似ている根(大クスの)です。 この頭部を撫(な)でて不老長寿を祈る風習があります。



写真BY: 宮崎県東諸県郡国富町にある本庄稲荷神社の「大くすのき」にはこのような凹(くぼ)みが幹(みき)にあります。 「「きんちゃく」の形をした大くす幹(みき)の穴に5円玉を投げ入れて金(かね)の運を試してみましょう。 1回で入れば金(かね)やくじ運に恵まれます。」と書いてある看板が拝殿にあります。 これが5円玉を投げ入れる穴です。



写真BZ: 本庄稲荷神社の拝殿と本殿(右)。 右に大くすが見えています。



写真CA: 本庄稲荷神社の拝殿。



写真CB: 本庄稲荷神社の説明板、石碑、拝殿。



写真CC: 本庄稲荷神社の境内。



写真CD: 本庄稲荷神社の大楠の根元。 「剣塚」と書いてある大正10年11月5日建立された石碑も左に見えています。



写真CE: 本庄稲荷神社の「大くすのき」にはこのような凹(くぼ)みが幹(みき)にあります。 「「きんちゃく」の形をした大くす幹(みき)の穴に5円玉を投げ入れて金(かね)の運を試してみましょう。 1回で入れば金(かね)やくじ運に恵まれます。」と書いてある看板が拝殿にあります。 これが5円玉を投げ入れる穴です。



写真CF: 本庄稲荷神社の「大くすのき」。



写真CG: 本庄稲荷神社の「大クスの木」の上部。



写真CH: 本庄稲荷神社の「大クスノキ」の上部。



写真CI: 「きんちゃく(お金などを入れる袋)占い、 この場所から木の穴に5円玉を投げ入れてみませんか、うまく穴に入ると金運、幸運に恵まれます。」と書いてある看板。



写真CJ: 「きんちゃく(お金などを入れる袋)占い、 この場所から木の穴に5円玉を投げ入れてみませんか、うまく穴に入ると金運、幸運に恵まれます。」と書いてある看板と大くす。



写真CK: 本庄稲荷神社の境内(けいだい)。 ここは低くなっています。



写真CL: 本庄稲荷神社の境内(けいだい)からの景色。 宮崎銀行国富支店の建物が見えます。



写真CM: 本庄稲荷神社の境内(けいだい)。



写真CN: 本庄稲荷神社の石の柵(さく)とベンチ。



写真CO: 本庄稲荷神社の拝殿にある「稲荷神社 剣柄神社」と書かれた額(がく)。



写真CP: 本庄稲荷神社の境内(けいだい)。



写真CQ: ツワブキが境内にありました。 「国指定 本庄古墳群 昭和9年8月9日指定」の標識も見えます。



写真CR: 「本庄剣柄稲荷神社(ほんじょうけんのつかいなりじんじゃ)」の説明板。
 剣柄稲荷神社は国指定本庄古墳群第38号墳、通称剣の柄(けんのつか)の上に奉鎮されています。
 この塚には神武天皇の兄彦稲飯命(ひこいないのみこと)の陵墓、景行天皇の妃(きさき)御刀姫(みはかしひめ)の陵墓、日本武尊が熊襲武(くまそたける)を刺された短刀の埋蔵塚など、様々な伝説が残っていて、その歴史の古さがしのばれます。
 例祭は旧暦の2月初午(はつうま)、8月の第一土曜、日曜に行われ、特に8月の夏祭りでは、ヨイマカ太鼓(たいこ)が繰り出し、六日町には歌舞伎見立人形も立てられにぎわいます。
国富町教育委員会
と書かれています。



写真CS: 「本庄剣柄稲荷神社(ほんじょうけんのつかいなりじんじゃ)」の説明板。
 剣柄稲荷神社は国指定本庄古墳群第38号墳、通称剣の柄(けんのつか)の上に奉鎮されています。
 この塚には神武天皇の兄彦稲飯命(ひこいないのみこと)の陵墓、景行天皇の妃(きさき)御刀姫(みはかしひめ)の陵墓、日本武尊が熊襲武(くまそたける)を刺された短刀の埋蔵塚など、様々な伝説が残っていて、その歴史の古さがしのばれます。
 例祭は旧暦の2月初午(はつうま)、8月の第一土曜、日曜に行われ、特に8月の夏祭りでは、ヨイマカ太鼓(たいこ)が繰り出し、六日町には歌舞伎見立人形も立てられにぎわいます。
国富町教育委員会
と書かれています。



写真CT: 本庄稲荷神社の境内(けいだい)。 ここは拝殿の場所より低くなっています。



写真CU: 本庄稲荷神社の境内(けいだい)。 拝殿と本殿も見えます。 手前に椅子(いす)と机が見えています。



写真CV: 本庄稲荷神社の境内(けいだい)。 大楠(くすのき)も見えています。



写真CW: 本庄稲荷神社(剣柄神社(けんのつかじんじゃ))の境内(けいだい)。 大きなクスノキも見えています。



写真CX: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷(けんのつかいなり))の境内。



写真CY: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷(けんのつかいなり))の境内。



写真CZ: 境内にクチナシの花が咲いていました。



写真DA: 本庄稲荷神社のそばの様子(ようす)。



写真DB: 本庄稲荷神社の前の様子(ようす)。



写真DC: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷(けんのつかいなり))の境内。
「剣柄稲荷神社」と書かれた石碑(せきひ)があります。



写真DD: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷(けんのつかいなり))の駐車場から下方を見たもの。



写真DE: 本庄稲荷神社(剣柄稲荷(けんのつかいなり))の駐車場。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)