八幡丘公園 (桜祭り)、八幡ヶ丘展望台 (八幡山、八幡丘(はちまんがおか)、えびの市の展望、ピクニック広場、NHK中継所、MRT中継所、享保用水路、弘泉寺 馬頭観音堂、八十八ヶ所巡り、えびの大師奥の院、相馬神社、馬頭観音石碑、山頭火歌碑、野カイドウの木、つつじ、藤、戦傷病者之碑、癒しのふれあい公園、霧島山、霧島連山、霧島山系、霧島連山の展望)  (宮崎県 えびの市 大字原田)







<標高、位置>  八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は
標高 396.2 m
 北緯32度02分16秒  東経130度53分17秒

<標高、位置>  弘泉寺 馬頭観音堂は
標高 約400 m
 北緯32度02分23秒  東経130度53分22秒


 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と、島津義弘が乗って木崎原の戦いで活躍した名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀((まつ)る馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。

 「えびの八幡山 弘泉寺 馬頭観音 由来」の説明板から、
当地は旧島津藩時代から家畜の放牧場として栄え、数多く戦場に牛馬が送られた所である。 今でも公園内に土を盛りあげた自然の柵(さく)が見られ、当時の家畜の怪我(けが)や流行病、戦死の慰霊(いれい)と安全の為に奉安されたのが、牧神(まきがみ)即(すなわ)ち、馬頭観世音菩薩であった。 その日が丁度五月八日であったところから、当山の馬頭観音祭は毎年奉修されており、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、御尊像の頭部は紛失したが、御本体は今に伝承されている。 大正12年、当山開基の(うかんむりに玄の文字)融和尚が霊感によって現在位置に定め、前方の塚には無数の家畜遺骨が眠っている。
元来、馬頭観音は六観音の一つに数えられ、「行きとし生ける者を救う」御誓願の仏で、生物一切の慰霊と祈願に霊験あらたかな観音さまである。
尚(なお)、観音絵馬(バゲイ)と云(い)ってお参りの時は、奉納する習慣が伝えられている。

 えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。

 「享保用水路(きょうほようすいろ)」の説明板から、
この用水路は「農業用の施設」です。
農家の人達が、この用水路から田んぼに水を引いて米や野菜を作っています。
とても大切な施設ですから、ゴミや空きかんを捨てないように、みんなできれいな水を守りましょう。
「享保用水路の歴史」
昔の飯野平野は、広い土地がありながら水の便が悪く、水田としてあまり利用する事が出来ませんでした。
そこで、瑞山寺(ずいざんじ)のお坊さんが用水路をつくることを考え、今から約270年前の享保(きょうほ)17年(1732年)にフランス山の上流約200メートルに井堰(いせき)をつくり、飯野平野に水を引きました。
用水路は、長さが6000メートル、幅が2.1メートルで川にそって山をけずってつくったもので、途中は隧道(ずいどう、山の中にトンネルを掘り水を流す事)が5ヶ所もありましたが、当時は測量器具もなく、夜に提灯(ちょうちん)をあちこちに置いて土地の高低を測り、大変な苦労をして完成したといわれています。 これが享保用水路です。
その後、災害を受けたり、古くなったので昭和7年〜10年と昭和54年〜60年にかけて井堰(いせき)と用水路の修理が行われました。
現在では、約300ha(約21000人が1年間に食べるお米を作る面積)の田んぼに水を流しており「えびの米」で有名な米を中心に野菜などの作物が作られ、地域の発展に大きく役立っています。


写真A: この三叉路(さんさろ)から南に曲がります。 国道を先(西)に行くとえびの市の飯野、加久藤、京町などに行きます。
左の細い方は市道 八幡線で右は国道221号線です。



写真B: 国道221号線。 先(東)に行くと小林市の中心部に行きます。



写真C: ここはえびの市 飯野地区です。 左に進んで八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)に行きます。



写真D: 「享保用水路(きょうほようすいろ)」の説明板。
この用水路は「農業用の施設」です。
農家の人達が、この用水路から田んぼに水を引いて米や野菜を作っています。
とても大切な施設ですから、ゴミや空きかんを捨てないように、みんなできれいな水を守りましょう。
「享保用水路の歴史」
 昔の飯野平野は、広い土地がありながら水の便が悪く、水田としてあまり利用する事が出来ませんでした。
 そこで、瑞山寺(ずいざんじ)のお坊さんが用水路をつくることを考え、今から約270年前の享保(きょうほ)17年(1732年)にフランス山の上流約200メートルに井堰(いせき)をつくり、飯野平野に水を引きました。
 用水路は、長さが6000メートル、幅が2.1メートルで川にそって山をけずってつくったもので、途中は隧道(ずいどう、山の中にトンネルを掘り水を流す事)が5ヶ所もありましたが、当時は測量器具もなく、夜に提灯(ちょうちん)をあちこちに置いて土地の高低を測り、大変な苦労をして完成したといわれています。 これが享保用水路です。
 その後、災害を受けたり、古くなったので昭和7年〜10年と昭和54年〜60年にかけて井堰(いせき)と用水路の修理が行われました。
 現在では、約300ha(約21000人が1年間に食べるお米を作る面積)の田んぼに水を流しており「えびの米」で有名な米を中心に野菜などの作物が作られ、地域の発展に大きく役立っています。
 *井堰(いせき)とは
 川の水をせき止め、用水路へ水を引き入れたり、水の量を調節するための施設で、別名「頭首工(とうしゅこう)」とも呼んでいます。
地区概要図も載っています。
管理者 えびの市・上方土地改良区、製作者 宮崎県土地改良事業団体連合会
と書かれています。



写真E: 「享保用水路(きょうほようすいろ)」の説明板。
この用水路は「農業用の施設」です。
農家の人達が、この用水路から田んぼに水を引いて米や野菜を作っています。
とても大切な施設ですから、ゴミや空きかんを捨てないように、みんなできれいな水を守りましょう。
「享保用水路の歴史」
 昔の飯野平野は、広い土地がありながら水の便が悪く、水田としてあまり利用する事が出来ませんでした。
 そこで、瑞山寺(ずいざんじ)のお坊さんが用水路をつくることを考え、今から約270年前の享保(きょうほ)17年(1732年)にフランス山の上流約200メートルに井堰(いせき)をつくり、飯野平野に水を引きました。
 用水路は、長さが6000メートル、幅が2.1メートルで川にそって山をけずってつくったもので、途中は隧道(ずいどう、山の中にトンネルを掘り水を流す事)が5ヶ所もありましたが、当時は測量器具もなく、夜に提灯(ちょうちん)をあちこちに置いて土地の高低を測り、大変な苦労をして完成したといわれています。 これが享保用水路です。
 その後、災害を受けたり、古くなったので昭和7年〜10年と昭和54年〜60年にかけて井堰(いせき)と用水路の修理が行われました。
 現在では、約300ha(約21000人が1年間に食べるお米を作る面積)の田んぼに水を流しており「えびの米」で有名な米を中心に野菜などの作物が作られ、地域の発展に大きく役立っています。
 *井堰(いせき)とは
 川の水をせき止め、用水路へ水を引き入れたり、水の量を調節するための施設で、別名「頭首工(とうしゅこう)」とも呼んでいます。
地区概要図も載っています。
管理者 えびの市・上方土地改良区、製作者 宮崎県土地改良事業団体連合会
と書かれています。



写真F: 「享保用水路(きょうほようすいろ)」の説明板。
この用水路は「農業用の施設」です。
農家の人達が、この用水路から田んぼに水を引いて米や野菜を作っています。
とても大切な施設ですから、ゴミや空きかんを捨てないように、みんなできれいな水を守りましょう。
「享保用水路の歴史」
 昔の飯野平野は、広い土地がありながら水の便が悪く、水田としてあまり利用する事が出来ませんでした。
 そこで、瑞山寺(ずいざんじ)のお坊さんが用水路をつくることを考え、今から約270年前の享保(きょうほ)17年(1732年)にフランス山の上流約200メートルに井堰(いせき)をつくり、飯野平野に水を引きました。
 用水路は、長さが6000メートル、幅が2.1メートルで川にそって山をけずってつくったもので、途中は隧道(ずいどう、山の中にトンネルを掘り水を流す事)が5ヶ所もありましたが、当時は測量器具もなく、夜に提灯(ちょうちん)をあちこちに置いて土地の高低を測り、大変な苦労をして完成したといわれています。 これが享保用水路です。
 その後、災害を受けたり、古くなったので昭和7年〜10年と昭和54年〜60年にかけて井堰(いせき)と用水路の修理が行われました。
 現在では、約300ha(約21000人が1年間に食べるお米を作る面積)の田んぼに水を流しており「えびの米」で有名な米を中心に野菜などの作物が作られ、地域の発展に大きく役立っています。
 *井堰(いせき)とは
 川の水をせき止め、用水路へ水を引き入れたり、水の量を調節するための施設で、別名「頭首工(とうしゅこう)」とも呼んでいます。
地区概要図も載っています。
管理者 えびの市・上方土地改良区、製作者 宮崎県土地改良事業団体連合会
と書かれています。



写真G: 享保用水路(きょうほようすいろ)です。 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)に行くにはここを左(東)に曲がります。



写真H: 享保用水路(きょうほようすいろ)です。 先に国道221号線が見えています。



写真I: えびの市立 「八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)」に行くにはここを左(東)に曲がります。



写真J: 曲がり角にも桜の花があります。 奥に「八幡丘公園の絵地図」が見えます。



写真K: 「八幡丘公園入口」
えびの市立 八幡丘公園の絵地図が載っています。
平成5年度 森とのふれあいの道整備事業
えびの市
と書いてあります。



写真L: 八幡丘公園の絵地図。
桜並木、馬頭観音堂、駐車場、こども広場、トイレ、管理棟、休憩棟(きゅうけいとう)、森とのふれあいの道、流末排水、現在地、市道八幡線、国道221号線、展望台、テレビ中継所、憩(いこ)いの広場、木の体験広場などが載っています。



写真M: 八幡丘公園の絵地図。
桜並木、馬頭観音堂、駐車場、こども広場、トイレ、管理棟、休憩棟(きゅうけいとう)、森とのふれあいの道、流末排水、現在地、市道八幡線、国道221号線、展望台、テレビ中継所、憩(いこ)いの広場、木の体験広場などが載っています。



写真N: 八幡丘公園の絵地図。
桜並木、馬頭観音堂、駐車場、こども広場、トイレ、管理棟、休憩棟(きゅうけいとう)、森とのふれあいの道、流末排水、現在地、市道八幡線、国道221号線、展望台、テレビ中継所、憩(いこ)いの広場、木の体験広場などが載っています。



写真O: 坂道を登ってえびの市立 「八幡丘公園」に行きます。



写真P: 道の両脇(わき)に桜の花が咲いています。



写真Q: 道の両脇(わき)に桜の花が咲いています。



写真R: 左に「いやしのふれあい公園」があります。



写真S: 三叉路(さんさろ)のところに「いやしのふれあい公園」があります。



写真T: 「いやしのふれあい公園」と棒に書いてあります。 奥に神社、休息所も見えています。



写真U: 神社と休息所があります。



写真V: 2つの祠(ほこら)があります。



写真W: 三角形の御手洗(みたらい)があります。



写真X: 鳥居(とりい)にはしめ縄(なわ)と御幣(ごへい)があります。 2つの祠(ほこら)があります。



写真Y: 休息所です。 テーブルとベンチがあります。



写真Z: 「いやしのふれあい公園」から南東を見た景色。 桜の花も見えます。



写真AA: 先程の道に戻(もど)ってきました。



写真AB: 八幡丘公園に北から登る途中(とちゅう)の桜の花です。



写真AC: 八幡丘公園に北から登る途中(とちゅう)の桜の花。



写真AD: 八幡丘公園に北から登る道です。



写真AE: 道の途中から北東を見た景色。



写真AF: 道の途中から北を見た景色。 中央奥に紅葉や夏の水遊びなどで有名な「クルソン峡」があります。 左の手前の山は鉄山(標高 715.3 m)です。



写真AG: 北西を見たもの。 鉄山(標高 715.3 m)が見えています。



写真AH: 来た坂道を振り返ったもの。



写真AI: 八幡丘公園に北から登る道の途中から有名なクルソン峡の「狗留孫大橋(クルソン大橋)」が白いT字型に見えています。 クルソン大橋の先がクルソン峡です。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平(おこびら)にあります。 クルソン峡の南端付近にあります。
 狗留孫大橋は全長 325 m、橋高 70.5 mで橋桁(はしげた)の内部が空洞になった箱桁構造になっています。 クルソン大橋はえびの市 ふるさと農道で、大河平地区の川内川に25億円の工事費で建設されました。 平成18年(2006年)3月に完成しました。



写真AJ: 鉄山(標高 715.3 m)が見えています。



写真AK: 北西を見た景色。



写真AL: えびの市にある海上自衛隊の「VLFアンテナ」が遠くの山の上に見えています。
VLFアンテナが数本見えています。
VLF(very low frequency、超長波)通信基地は海上自衛隊の電波送信施設です。 VLFは波長 10〜100 kmの非常に長い波長を持つ電波で、潜水艦との通信などに用います。 主に地表波で伝わり、低い山も越えます。 水中でも伝わります。 この基地は1991年(平成3年)にえびの市の国有林に建設され、周波数 22.2 kHz、出力 500 W。 高さ 160 mから270 mの4基2列 計8基の鉄塔間にアンテナワイヤーを張ってあります。 宮崎県 えびの市 大字大明司 字六本原にあります。



写真AM: ほぼ八幡丘の上に登って来ました。 右に古い階段があります。



写真AN: 「←八十八ヶ所巡り」、「えびの弘泉寺」と書いてある看板(かんばん)があります。 そばに八十八ヶ所の石像があります。



写真AO: 「←八十八ヶ所巡り」、「えびの弘泉寺」と書いてある看板(かんばん)。



写真AP: この階段を登っていきます。



写真AQ: 八十八ヶ所の石像があります。



写真AR: 八十八ヶ所の石像。



写真AS: 八十八ヶ所の石像があります。



写真AT: 弘泉寺 馬頭観音堂が見えてきました。



写真AU: 弘泉寺 馬頭観音堂を裏から見たもの。 手前の道を右に行くと「えびの大師奥の院」があります。



写真AV: 先に行くと「えびの大師奥の院」があります。



写真AW: 弘泉寺 馬頭観音堂の境内(けいだい)です。 家畜、ペットなどの墓が見えています。



写真AX: 弘泉寺 馬頭観音堂の境内(けいだい)。 石像も見えています。



写真AY: こちらからも境内に入る道があります。 石像があります。



写真AZ: 石像が並んでいます。



写真BA: 絵馬をかけるところです。



写真BB: 宮崎県 えびの市 八幡丘にある「弘泉寺 馬頭観音堂」です。 右に絵馬をかけるところがあります。 左奥はトイレです。



写真BC: 「八幡山 弘泉寺 馬頭観音堂」と書いてあります。 左奥には「御祈祷 御祈願受付所」と書いてあります。



写真BD: 「安置仏 馬頭観世音菩薩 弘法大師」と書いてあります。



写真BE: 弘泉寺 馬頭観音堂。 お賽銭箱(さいせんばこ)などがあります。



写真BF: 弘泉寺 馬頭観音堂の鈴です。



写真BG: 「左の御札は家畜の流行病を除く御札です。 家畜やペットなど飼っている場所にお貼り下さい。」、「絵馬(バゲ) 各種」、「紙札」などと書いてあります。
左には「御祈祷 御祈願受付所」と書いてあります。



写真BH: 弘泉寺(真言宗のお寺)の境内です。



写真BI: 真言宗の弘泉寺 馬頭観音堂。



写真BJ: 真言宗の弘泉寺 馬頭観音堂の側面。 左奥はトイレです。



写真BK: 大きな石灯籠(いしどうろう)があります。 その奥に「弘泉寺納骨堂、弘泉寺有縁霊名標 (昭和52年10月9日建立)」が見えます。 右はトイレです。



写真BL: 弘泉寺の境内。 大きな石灯籠(いしどうろう)が見えます。



写真BM: 八幡山 弘泉寺の境内。 石像があります。 奥は杉林になっています。



写真BN: 厠(かわや、トイレ)です。



写真BO: 大きな石灯籠(いしどうろう)と右の「弘泉寺 納骨堂、弘泉寺有縁霊名標 (昭和52年10月9日建立)」です。



写真BP: 「弘泉寺 納骨堂」と書いてある石碑(せきひ)があります。



写真BQ: 「弘泉寺 納骨堂、弘泉寺有縁霊名標 (昭和52年10月9日建立)」です。



写真BR: 「弘泉寺 納骨堂」と書いてある石碑(せきひ)。



写真BS: 「弘泉寺 納骨堂、弘泉寺有縁霊名標 (昭和52年10月9日建立)」です。



写真BT: 宮崎県 えびの市にある真言宗 八幡山 弘泉寺の境内(けいだい)。



写真BU: 絵馬には牛の親子の絵があります。



写真BV: 右に「愛犬リナ」の墓もあります。



写真BW: 「←至 えびの大師奥の院」と書いてある道しるべがあります。



写真BX: 「えびの八幡山 弘泉寺 馬頭観音 由来」の説明板。
 当地は旧島津藩時代から家畜の放牧場として栄え、数多く戦場に牛馬が送られた所である。 今でも公園内に土を盛りあげた自然の柵(さく)が見られ、当時の家畜の怪我(けが)や流行病、戦死の慰霊(いれい)と安全の為に奉安されたのが、牧神(まきがみ)即(すなわ)ち、馬頭観世音菩薩であった。 その日が丁度五月八日であったところから、当山の馬頭観音祭は毎年奉修されており、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、御尊像の頭部は紛失したが、御本体は今に伝承されている。 大正12年、当山開基の(うかんむりに玄の文字)融和尚が霊感によって現在位置に定め、前方の塚には無数の家畜遺骨が眠っている。
 元来、馬頭観音は六観音の一つに数えられ、「行きとし生ける者を救う」御誓願の仏で、生物一切の慰霊と祈願に霊験あらたかな観音さまである。
 尚(なお)、観音絵馬(バゲイ)と云(い)ってお参りの時は、奉納する習慣が伝えられている。
当山主 敬白
と書かれています。



写真BY: 「えびの八幡山 弘泉寺 馬頭観音 由来」の説明板。
 当地は旧島津藩時代から家畜の放牧場として栄え、数多く戦場に牛馬が送られた所である。 今でも公園内に土を盛りあげた自然の柵(さく)が見られ、当時の家畜の怪我(けが)や流行病、戦死の慰霊(いれい)と安全の為に奉安されたのが、牧神(まきがみ)即(すなわ)ち、馬頭観世音菩薩であった。 その日が丁度五月八日であったところから、当山の馬頭観音祭は毎年奉修されており、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、御尊像の頭部は紛失したが、御本体は今に伝承されている。 大正12年、当山開基の(うかんむりに玄の文字)融和尚が霊感によって現在位置に定め、前方の塚には無数の家畜遺骨が眠っている。
 元来、馬頭観音は六観音の一つに数えられ、「行きとし生ける者を救う」御誓願の仏で、生物一切の慰霊と祈願に霊験あらたかな観音さまである。
 尚(なお)、観音絵馬(バゲイ)と云(い)ってお参りの時は、奉納する習慣が伝えられている。
当山主 敬白
と書かれています。



写真BZ: 「えびの八幡山 弘泉寺 馬頭観音 由来」の説明板。
 当地は旧島津藩時代から家畜の放牧場として栄え、数多く戦場に牛馬が送られた所である。 今でも公園内に土を盛りあげた自然の柵(さく)が見られ、当時の家畜の怪我(けが)や流行病、戦死の慰霊(いれい)と安全の為に奉安されたのが、牧神(まきがみ)即(すなわ)ち、馬頭観世音菩薩であった。 その日が丁度五月八日であったところから、当山の馬頭観音祭は毎年奉修されており、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、御尊像の頭部は紛失したが、御本体は今に伝承されている。 大正12年、当山開基の(うかんむりに玄の文字)融和尚が霊感によって現在位置に定め、前方の塚には無数の家畜遺骨が眠っている。
 元来、馬頭観音は六観音の一つに数えられ、「行きとし生ける者を救う」御誓願の仏で、生物一切の慰霊と祈願に霊験あらたかな観音さまである。
 尚(なお)、観音絵馬(バゲイ)と云(い)ってお参りの時は、奉納する習慣が伝えられている。
当山主 敬白
と書かれています。



写真CA: 八幡丘公園の中心部から弘泉寺 馬頭観音堂の方向を振り返ったもの。 桜の花が咲いています。
左奥に黄色の「八幡丘 至 奥の院(毎月21日) ばとう観音堂(毎年5月8日)  至修行大師堂(1番〜88番)12月31日〜1月3日初詣(はつもうで)  八十八ヶ所巡拝路」と書いてある看板が見えます。



写真CB: 「八幡丘 至 奥の院(毎月21日) ばとう観音堂(毎年5月8日)  至修行大師堂(1番〜88番)12月31日〜1月3日初詣(はつもうで)  八十八ヶ所巡拝路」と書いてある看板があります。



写真CC: 携帯電話の基地局のアンテナが見えます。 桜の花が咲いています。



写真CD: 「キランソウの花」が咲いていました。



写真CE: トイレです。



写真CF: 「えびの市立 八幡丘公園管理事務所」と書いてあります。



写真CG: 「素朴で表情豊かな田の神さあ巡りをしてみませんか。」の説明板。
 田の神は、五穀豊穣を祈ってその多くが石で造られ広い田んぼを見渡す場所に鎮座してます。 えびの市では「田の神さあ」と呼ばれ、市内には、農民型、神官型、地蔵型、自然石など約150体にも及びます。
 旧薩摩藩独自の石像として18世紀初めに始まるもので、貴重な文化財であり、観光資源でもあります。 田の神は、冬は山の神となり、春に里へ下りて田の神となって田んぼを守り、豊作を約束する神として信仰されてきています。 田の神さあのもつ魅力は、その表情豊かさにもあります。 素朴なほほえみをたたえた田の神さあ巡りをしてみませんか。
えびの市、えびの市観光協会
と書かれています。



写真CH: 大きな車輪が飾ってあります。



写真CI: 桜の花の間に滑り台などの遊具があります。



写真CJ: 公園内での注意事項の看板です。 えびの市長。



写真CK: えびの市にある八幡丘公園です。 桜の花、出店、左は駐車場。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真CL: 桜の花、藤棚(ふじだな)などが見えます。



写真CM: 赤松の木、滑り台などの遊具が見えます。



写真CN: 藤棚(ふじだな)、桜の花などが見えます。



写真CO: 道路(車も通ります)の両側にぼんぼりの照明、桜の花がきれいです。 えびの市の八幡丘公園。



写真CP: 八幡丘公園には赤松も多く生(は)えています。 休憩所(きゅうけいしょ)、遊具、桜の花も見えます。



写真CQ: 宮崎県 えびの市にある「八幡丘公園の桜祭り」です。 道の両側にボンボリの照明があります。
桜の花のトンネルになっています。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真CR: えびの市にある「八幡丘公園の桜祭り」です。 道の両側にボンボリの照明があります。



写真CS: えびの市にある「八幡丘公園の桜祭り」です。 道の両側にボンボリの照明があります。 桜は満開でした。
桜の花のトンネルになっています。



写真CT: えびの市の八幡丘公園にはツツジも多くあります。 八幡丘公園はツツジと藤(ふじ)の名所でもあります。



写真CU: ちょうど満開のえびの市 八幡丘公園の桜です。
夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真CV: 宮崎県 えびの市 「八幡丘公園の満開の桜」。
桜の花のトンネルになっています。



写真CW: えびの市 「八幡丘公園の満開桜」。



写真CX: えびの市 「八幡丘公園の満開の桜」。
桜の花のトンネルになっています。



写真CY: 照明の柱に「えびの市飯野商工会」と書いてあります。



写真CZ: 広場があります。 水飲み場も見えます。



写真DA: トイレが見えます。



写真DB: えびの市の八幡丘公園の桜の花。



写真DC: 夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。



写真DD: 照明に「桜まつり」と書いてあります。



写真DE: 奥にモウソウダケも見えます。



写真DF: 左に「相馬神社」が見えてきました。 赤い鳥居(とりい)もあります。



写真DG: えびの市の八幡丘公園にある「相馬神社」と鳥居(とりい)です。 左に「馬頭観音石碑(せきひ)」と「牛神」と彫(ほ)られた石碑が見えています。



写真DH: 「馬頭観音石碑(せきひ)」と書いた標識があります。



写真DI: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DJ: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DK: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DL: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DM: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DN: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DO: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DP: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DQ: えびの市にある八幡丘公園に「相馬神社」があります。 そこに「馬頭観音石碑(せきひ)」があります。 これがそうです。
この石碑は元は1572年5月4日の木崎原の戦いが行われたところの付近にありました。 木崎原の戦いで島津義弘が乗って戦った名馬「膝(ひざ)つき栗毛(くりげ)」の分霊を祀(まつ)ったものです。 昭和47年にえびの飯野駅付近からここに移転したそうです。
この石碑の裏に「天保7年3月吉日 狗留孫山(くるそんやま)」と書かれています。 天保は1830年から1844年までで、江戸幕府の末期の頃です。



写真DR: 夜になるとボンボリが点灯されます。



写真DS: 宮崎県 えびの市にある「八幡丘公園の桜祭り」です。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真DT: 八幡丘にある「相馬神社」の鳥居(とりい)。



写真DU: 「相馬神社」と書いてあります。



写真DV: えびの市の八幡丘にある「相馬神社」。



写真DW: 相馬神社には馬頭観音石碑(左、ばとうかんのんせきひ)と「牛神」と彫(ほ)られた石碑(右)があります。 社殿の左側にあります。



写真DX: ここにも駐車場があります。 桜の花も見えます。



写真DY: 八幡丘の尾根道沿(ぞ)いに桜の木があります。



写真DZ: 桜の花の奥は梅林(梅園)になっています。



写真EA: 八幡丘公園の桜の花の間から遠くの山頂にVLFアンテナが見えています。
VLF(very low frequency、超長波)通信基地は海上自衛隊の電波送信施設です。 VLFは波長 10〜100 kmの非常に長い波長を持つ電波で、潜水艦との通信などに用います。 主に地表波で伝わり、低い山も越えます。 水中でも伝わります。 この基地は1991年(平成3年)にえびの市の国有林に建設され、周波数 22.2 kHz、出力 500 W。 高さ 160 mから270 mの4基2列 計8基の鉄塔間にアンテナワイヤーを張ってあります。 宮崎県 えびの市 大字大明司 字六本原にあります。



写真EB: 葉が多く花も咲いている桜の木があります。



写真EC: この辺(あた)りは道の両側が盛り上がっています。
これは古道の特徴です。 道ができると人が歩いて少し削(けず)れます。 そこに雨水が流れて土を削ります。 このようにして古い道(数百年以上前の古道)はたいてい道が低くなって両側がこのように盛り上がっています。



写真ED: この辺(あた)りは道の両側が盛り上がっています。
これは古道の特徴です。 道ができると人が歩いて少し削(けず)れます。 そこに雨水が流れて土を削ります。 このようにして古い道(数百年以上前の古道)はたいてい道が低くなって両側がこのように盛り上がっています。



写真EE: 八幡丘公園には多く赤松が生えています。 赤松は涼しいところに生えます。 宮崎市付近では平地は黒松、山の上は赤松が生えています。 茨城県などではほとんどが赤松です。



写真EF: 赤松は幹(みき)が美しいと思います。



写真EG: 赤松は幹(みき)が美しい。



写真EH: 杉林もあります。 「間伐(かんばつ)モデル林」の看板(かんばん)があります。



写真EI: 「間伐(かんばつ)モデル林」の看板(かんばん)があります。



写真EJ: 八幡丘の尾根道の両側に桜の木があります。



写真EK: この辺(あた)りは道の両側が盛り上がっています。
これは古道の特徴です。 道ができると人が歩いて少し削(けず)れます。 そこに雨水が流れて土を削ります。 このようにして古い道(数百年以上前の古道)はたいてい道が低くなって両側がこのように盛り上がっています。



写真EL: 「タチツボスミレの花」が咲いていました。



写真EM: 桜の花の奥に携帯電話の基地局アンテナが見えます。



写真EN: 桜の花の奥に携帯電話の基地局アンテナが見えます。



写真EO: ここにも駐車場があります。



写真EP: 桜の木の根元にレンギョウの黄色の花があります。



写真EQ: 桜のトンネルです。



写真ER: 桜のトンネル。



写真ES: 黄色の「レンギョウの花」が咲いていました。



写真ET: 車道からこのような脇道(わきみち)が何本かあります。 レンギョウの黄色花が見えています。



写真EU: 桜の下のレンギョウの花です。



写真EV: 桜の下のレンギョウの花。



写真EW: えびの市にある八幡丘公園の桜のトンネルです。



写真EX: 八幡丘公園の桜のトンネル。



写真EY: レンギョウの黄色花と桜の花が混じり合ってきれいです。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真EZ: えびの市の八幡丘の尾根道です。



写真FA: 宮崎県 えびの市にある八幡丘公園の「黄色のレンギョウの花」と「桜の花のトンネル」です。
奥の道は片側1車線の広い車道になっていることが分かります。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真FB: えびの市の八幡丘公園の桜まつりです。



写真FC: 八幡丘公園の桜のトンネル。



写真FD: このような広場があります。 奥には茶畑とその防霜ファン柱が見えます。



写真FE: 杉林の手前に茶畑とその3本の防霜ファン柱が見えます。



写真FF: えびの市の桜どころである「八幡丘公園の桜」です。 この辺(あた)りは下り坂になっています。



写真FG: 八幡丘の麓(ふもと)の景色です。 人家も見えます。 茶畑の防霜ファン柱、杉林、山なども見えています。



写真FH: 八幡丘公園。



写真FI: 八幡丘公園の桜並木。



写真FJ: 八幡丘公園。



写真FK: ここにも駐車場があります。



写真FL: ここから車道が片側1車線になっていて広くなります。 これを下ると丘の下(西側)に降りることが出来ます。 帰るときには車でここを下りました。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真FM: 高い木の左に霧島連山の夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)がうっすらと見えています。



写真FN: 黄色のレンギョウの花と桜の花です。



写真FO: 緑の部分は牧草地です。



写真FP: 茶畑の防霜ファン柱が7本見えます。 手前の緑は牧草地です。



写真FQ: 牧草地の右に白いビニールで巻いた牛、馬の餌(えさ)の牧草が多く積(つ)んであります。



写真FR: 桜の左に白いビニールで巻いた牛、馬の餌(えさ)の牧草が多く積(つ)んであります。 帰りはこの車道を下りました。



写真FS: ここから先は片側1車線の広い道になっています。



写真FT: 赤い大きな矢印の道路標識があります。



写真FU: レンギョウと桜です。



写真FV: レンギョウと桜。



写真FW: レンギョウと桜。



写真FX: この辺りは下り坂になっています。



写真FY: 遠くに送電線鉄塔が見えます。



写真FZ: 「スミレの花」です。



写真GA: 牧草地と茶畑。



写真GB: 霧島連山の夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)がうっすらと見えています。



写真GC: 中央に霧島連山の甑岳(こしきだけ、標高 1301.4 m)がうっすらと見えています。



写真GD: 牧草地と白いビニールで巻いた牧草が見えます。



写真GE: 八幡丘公園の桜です。



写真GF: 八幡丘公園の桜。 これから歩いてきた尾根道を戻(もど)ります。



写真GG: 杉の木です。



写真GH: 杉の木です。



写真GI: 八幡丘の尾根道。



写真GJ: 「第2駐車場」と書いた看板(かんばん)があります。



写真GK: 第2駐車場。



写真GL: 赤松の根元です。 面白いと思います。
この辺(あた)りは道の両側が盛り上がっています。
これは古道の特徴です。 道ができると人が歩いて少し削(けず)れます。 そこに雨水が流れて土を削ります。 このようにして古い道(数百年以上前の古道)はたいてい道が低くなって両側がこのように盛り上がっています。



写真GM: 木の根元です。
この辺(あた)りは道の両側が盛り上がっています。
これは古道の特徴です。 道ができると人が歩いて少し削(けず)れます。 そこに雨水が流れて土を削ります。 このようにして古い道(数百年以上前の古道)はたいてい道が低くなって両側がこのように盛り上がっています。



写真GN: ヤマザクラの白い花です。



写真GO: 桜のトンネル。



写真GP: 「八幡丘展望台」、「ピクニック広場 焼肉禁止」と書いた看板(かんばん)があります。
(焼肉禁止とあるのはこの近くに馬頭観音があるせいかもしれません。)



写真GQ: 「八幡丘公園 明治百年記念公園碑 昭和43年12月1日 えびの町長 中間俊範 書」と書いてあります。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真GR: 「八幡丘公園 明治百年記念公園碑 昭和43年12月1日 えびの町長 中間俊範 書」と書いてあります。



写真GS: 滑り台などの遊具、赤松なども見えます。



写真GT: つつじ、赤松もあります。



写真GU: えびの市 八幡丘公園のシダレザクラです。



写真GV: 「木の体験広場」と書いた門があります。 滑り台などの遊具もあります。



写真GW: 休息所に人が座(すわ)っています。



写真GX: アンテナは「NHKテレビ中継放送所」です。 左に戦傷病者之碑が見えます。 ここは広場になっています。



写真GY: 「ゆれて すずしく はだしであるく 山頭火」と彫(ほ)ってある山頭火の歌碑が宮崎県 えびの市の八幡丘公園にあります。
種田山頭火(明治15年〜昭和15年)。 昭和5年6月17日、人吉から肥薩線で、矢岳高原を越え・・・に入った。 翌18日、加久藤で・・・飯野駅前の旅館で宿をとった。 この句はその旅中に詠まれた。
平成6年3月
えびの市誕生
と彫(ほ)ってあります。



写真GZ: 「ゆれて すずしく はだしであるく 山頭火」と彫(ほ)ってある山頭火の歌碑が宮崎県 えびの市の八幡丘公園にあります。
 種田山頭火(明治15年〜昭和15年)。 昭和5年6月17日、人吉から肥薩線で、矢岳高原を越え・・・に入った。 翌18日、加久藤で・・・飯野駅前の旅館で宿をとった。 この句はその旅中に詠まれた。
平成6年3月
えびの市誕生
と彫(ほ)ってあります。



写真HA: 立派な野外舞台が広場にあります。 右に休息所も見えます。



写真HB: 八幡丘公園の広場です。



写真HC: アンテナは「NHKテレビ中継放送所」。 桜の花も見えます。



写真HD: 戦傷病者之碑です。 八幡丘公園の展望台の近くにあります。
碑文
 この碑はは明治以降の国難に際し当時の陸・海・空軍の兵として従軍し、敵弾に傷つき或は病魔に侵された者の記念碑である。
 吾等は戦争の悲惨さを身を以(もっ)て体験し、平和日本の永遠の幸を願うこと切なり。
昭和53年4月吉日
えびの市傷痍(しょうい)軍人會
と書いてあります。



写真HE: 戦傷病者之碑。 八幡丘公園の展望台の近くにあります。



写真HF: 戦傷病者之碑。
碑文
 この碑はは明治以降の国難に際し当時の陸・海・空軍の兵として従軍し、敵弾に傷つき或は病魔に侵された者の記念碑である。
 吾等は戦争の悲惨さを身を以(もっ)て体験し、平和日本の永遠の幸を願うこと切なり。
昭和53年4月吉日
えびの市傷痍(しょうい)軍人會
と書いてあります。



写真HG: 戦傷病者之碑です。



写真HH: 宮崎県 えびの市の八幡丘の上にある「NHKテレビ中継放送所」です。 パラボラアンテナもあります。
建物の壁に「NHK」と書いてあります。



写真HI: 「NHK 飯野テレビ中継放送所。 ここの設備は、総合テレビおよび教育テレビの電波を皆さんのご家庭にお届けしています。
●総合テレビ 4チャンネル 10 W。 ●教育テレビ 3チャンネル 10 W。 どうかこの施設を痛めないようにお願いします。 NHK宮崎放送局。」
と書いてあります。



写真HJ: えびの市の八幡丘の上にある「NHKテレビ中継放送所」です。 パラボラアンテナがあります。



写真HK: こちらはMRTテレビの中継放送所です。 屋根の上に「MRT」と書いた看板(かんばん)があります。 NHKテレビ中継放送所のそばにあります。



写真HL: 奥にえびの市 八幡丘公園の「展望台」が見えてきました。 右の柵(さく)はNHKテレビ中継放送所です。



写真HM: えびの野カイドウ 植樹記念碑です。 「えびの野カイドー 植樹記念碑 平成20年3月20日植栽」と書いてあります。 八幡丘公園の展望台の近くにあります。



写真HN: えびの野カイドウの小木です。



写真HO: えびの野カイドウの小木。



写真HP: 「えびの野カイドー 植樹記念碑 平成20年3月20日植栽」と書いてあります。



写真HQ: 黄緑色の葉が見える木は「ノカイドウ(のかいどう)」です。
「樹種 のかいどう 飯野中 40年卒 還暦記念」と書いてあります。



写真HR: 「樹種 のかいどう 飯野中 40年卒 還暦記念」と書いてあります。



写真HS: 宮崎県 えびの市 八幡丘公園の展望台です。 周(まわ)りの桜の花が美しい。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真HT: えびの市 八幡丘公園の展望台です。 周(まわ)りの桜の花が美しい。



写真HU: 階段の右に「八幡丘公園展望台」と書いてあります。



写真HV: 「八幡丘公園展望台」と書いてあります。



写真HW: えびの市 八幡丘公園の展望台。 木製でベンチもあります。



写真HX: 宮崎県 えびの市 八幡丘公園の展望台。 木製でベンチもあります。 奥は桜の花です。



写真HY: 展望台の上部です。



写真HZ: 展望台のそばの桜も素晴(すば)らしい。



写真IA: 展望台のそばの桜も見事です。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真IB: 展望台からの景色です。 左に鉄山(標高 715.3 m)が見えています。



写真IC: 八幡丘公園の展望台からの景色です。 見えている山は鉄山(標高 715.3 m)。 平地はえびの市 飯野地区です。



写真ID: 八幡丘公園の展望台から西を見たもの。 えびの盆地が見えています。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。



写真IE: 展望台の近くの桜も満開でした。



写真IF: 宮崎県 えびの市の八幡丘公園の展望台と桜の花。



写真IG: えびの市の八幡丘公園の展望台。



写真IH: 川内川のそばの飯野団地 鉄筋住宅、大平警察職員住宅、麓(ふもと)橋、飯野城に行く道の桜の花の列、白いホームセンター コメリの建物なども見えています。 遠くの山の上に海上自衛隊のVLFアンテナが数本見えます。 飯野城も見えます。
VLF(very low frequency、超長波)通信基地は海上自衛隊の電波送信施設です。 VLFは波長 10〜100 kmの非常に長い波長を持つ電波で、潜水艦との通信などに用います。 主に地表波で伝わり、低い山も越えます。 水中でも伝わります。 この基地は1991年(平成3年)にえびの市の国有林に建設され、周波数 22.2 kHz、出力 500 W。 高さ 160 mから270 mの4基2列 計8基の鉄塔間にアンテナワイヤーを張ってあります。 宮崎県 えびの市 大字大明司 字六本原にあります。



写真II: 左端に川内川のそばの飯野団地 鉄筋住宅、麓(ふもと)橋、飯野城に行く道の桜の花の列、飯野城なども見えています。
また、JA野菜集荷所も見えます。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。



写真IJ: 飯野中学校、飯野小学校、市民体育館、左端に飯野高校(飯野高等学校)、片木場自衛隊団地、遠くに煙突があるえびの市美化センター(ごみ焼却所)も見えます。 八幡丘公園の展望台から。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。


写真IK: 飯野高等学校(飯野高校)、市民体育館も見えます。 遠くに矢岳高原も見えます。 えびの市 八幡丘公園の展望台からえびの盆地が一望できます。 飯野、加久藤、京町、真幸などが見えます。



写真IL: 飯野城の島津義弘が活躍した「木崎原の戦い」の戦場が見渡せます。 この八幡ヶ丘の上にも島津義弘の家臣が陣取っているように敵軍(伊東)に思わせるため、幟(のぼり)などを立てて「擬兵(ぎへい)」としました。
 元亀3年(1572年)5月3日夜、三ツ山城(小林市)を出発した伊東軍 3、000 余人は2軍に別れ、4日未明、まず一軍が加久藤城を攻め落とそうとしたが失敗し、木崎原の地に還(かえ)り、鳥越城に布陣した後続軍と合流した。
 しかし、眼前の島津軍劣勢との判断から決戦の機会を失い、この間に敵襲のノロシにより吉田、馬関田、吉松郷および北薩の各地から急ぎ集まった島津軍に包囲され、一大激戦を交えた古戦場跡です。
 島津・伊東両氏は、この一戦を境として、その後、島津氏は三州(日向、大隅、薩摩)制圧の夢を果(は)たし、一方 伊東氏は居城 都於郡(とのこおり)を追われ衰退の一途をたどるという両氏の明暗を分けた一戦であったため、古来世に「南九州の関ヶ原の戦い」といわれています。

えびの市 八幡丘公園の展望台からは、島津義弘の居た飯野城、義弘の夫人が居た加久藤城のあるところも見えます。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。



写真IM: えびの市 八幡丘公園の展望台のそばの桜も見事です。



写真IN: 八幡丘公園の展望台。



写真IO: えびの市 八幡丘公園の展望台。



写真IP: 赤松、ツツジ、桜が見えます。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真IQ: 休息所、滑り台などの遊具も見えています。



写真IR: えびの市 八幡丘公園の桜祭りには出店もありました。 奥に携帯電話の基地局アンテナが見えます。 トイレの屋根も見えています。



写真IS: はじめに車を置いた駐車場に戻ってきました。
 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



写真IT: はじめに車を置いた駐車場。



写真IU: 駐車場付近も桜が満開でした。



写真IV: えびの市 八幡丘の西にある県道407号線からみた八幡ヶ丘です。 携帯電話の基地局アンテナが見えます。 今回は左(北)から登りました。 手前の田んぼはまだ田植えが行われていません。 えびの盆地は早期水稲ではない美味しい米が取れるところとして有名です。



写真IW: 宮崎県 えびの市 八幡丘の西にある県道407号線からみた八幡ヶ丘です。 携帯電話の基地局アンテナが見えます。 農業用ハウス、人家も見えます。



写真IX: えびの市 八幡丘の西にある県道407号線からみた八幡ヶ丘です。 携帯電話の基地局アンテナが見えます。 農業用ハウス、人家も見えます。 この車道は県道407号線。



写真IY: 南を見た景色です。 県道407号線から。



写真IZ: 西を見た景色です。 県道407号線から。
日本穀物検定協会 (東京)の2015年産米の食味ランキングで、霧島地区のヒノヒカリ (えびの市産)が最上級の「特A」評価を獲得しました。 それまでは宮崎県は九州で唯一特Aを獲得していませんでした。



写真JA: 北西を見た景色です。 県道407号線から。



写真JB: 北を見た景色です。 鉄山(標高 715.3 m)が見えています。 県道407号線から。



写真JC: 北北東を見た景色です。 左に鉄山(標高 715.3 m)が見えています。 右遠くに紅葉や夏の水遊び、魚釣りなどで知られている「クルソン峡」がある山並(やまな)みが見えています。 県道407号線から。



写真JD: 北東を見た景色です。 左遠くに紅葉や夏の水遊び、魚釣りなどで知られている「クルソン峡」がある山並(やまな)みが見えています。 右は八幡丘(はちまんがおか)です。 県道407号線から。



写真JE: 宮崎県 えびの市にある「八幡丘」の北部分です。 八幡丘は標高 約400 mです。



写真JF: この部分がえびの市 八幡丘公園の展望台のところです。 NHKテレビ中継放送所のアンテナ、展望台の両側の桜の花が白く見えています。 MRTのテレビ中継所のアンテナも見えています。 県道407号線から東を見たもの。

 八幡丘公園(はちまんがおかこうえん)は宮崎県 えびの市 大字原田 1279番地にあります。
八幡丘公園はえびの市立の公園です。 標高約400 mの山でえびの盆地の東に目立ちます。 南北に尾根道があり、車で上に登ることもできます。 尾根道には弘泉寺 馬頭観音堂と馬頭観音石碑のある相馬神社があります。 近くには茶畑などもあり、夷守岳(ひなもりだけ)、甑岳(こしきだけ)などの霧島連山も望(のぞ)めます。 オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラなど650本の桜、200本のツバキ、野カイドウ、レンギョウ、つつじ、藤、梅、エビネなどがあります。 桜の時期の夜はボンボリが点灯され夜桜も楽しめます。 藩政時代から明治、大正の頃、八幡丘では馬、牛などが放牧されていました。 また、屋根の茅(かや)の刈場(かりば)、人々の憩(いこ)いの場所でもありました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)