一ツ葉稲荷神社、江田神社 (ひとつばいなり神社、えだ神社、みそぎ池(御池(みいけ)、みそぎが池)、阿波岐原(あわきがはら)、みそぎ御殿、山崎ホタルの里、宮崎市民の森、江田川)  (宮崎県 宮崎市 阿波岐原町、新別府町)







<標高、位置>  一ツ葉稲荷神社は
標高 約数 m
 北緯31度55分25秒  東経131度27分35秒

<標高、位置>  江田神社は
標高 約10 m
 北緯31度57分38秒  東経131度27分53秒

<標高、位置>  みそぎ池(御池(みいけ)、みそぎが池)は
標高 約10 m
 北緯31度57分49秒  東経131度28分03秒

<標高、位置>  みそぎ御殿は
標高 約10 m
 北緯31度57分39秒  東経131度27分58秒

<標高、位置>  山崎ホタルの里は
標高 約数 m
 北緯31度57分35秒  東経131度27分54秒


  一ツ葉稲荷神社は宮崎県宮崎市新別府町前浜1402番地にあります。
 主祭神は「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」、配座には「猿田彦命」「塩土老翁命」「大国主命」、末社に「恵比寿神」「寿老人」が祀(まつ)ってあります。 神社の名前になった「一葉松」があります。 普通松葉はV字形の一対の葉(2本)になっていますが、まれに一本だけの「一葉松」があります。 見つけると縁起が良いと言われています。
「日向国 阿波岐原(あわきがはら)鎮座 一ツ葉稲荷神社」の説明板から。
 御由緒その他概要
一、 当社は神代のいわゆる、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に人皇第12代 景行天皇の勅によて創建されたと伝えられている。
一、 紀元740年代、(約1900年前)。
一、 後世、貞亨年間(1684−88)に当地に移転遷座した。 この頃より境内松原に一葉の松を生じ、万民奇異の想いをなし 大に崇敬の念を加え これに於いて 禊祓の聖地なるをもって 蓋し 其住吉の神、神威を顕し給いしものなりと信じ この頃より一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも称せり。
一、 往昔より武門豪族の崇敬厚く 殊に貞亨年間 一葉の松生じてより 一般の崇敬激増し 元禄2年 旧延岡城主有馬左衛門尉永純より 御供田高弐石、同11年に幕府は勘定奉行今井九郎;右衛門をして御供田高弐石、 各寄進、遂に累代崇敬の社となれり。
一、 明治維新に至り厳然たる社格を治定せられその後、明治39年4月28日神饌幣供進の社と指定奉祭せらるるに至り、現在崇敬者 県下一円、隣県大分、鹿児島、福岡、四国、京阪神地方に及びその御神徳は普く世人の周知せるところなり。

「一葉の松の由来」
奇なるかな 奇なるかな
数百万樹の松葉
万枝に一葉あり
ここに於いて一葉の名あり
「日向案内記」より


 江田神社は宮崎県宮崎市阿波岐原町字産母127にあります。 山崎街道(県道宮崎島之内線)沿いにあり、「市民の森」の南側です。 837年に官社となった日向国式内四座(都農神社、都萬神社、江田神社、霧島神社)の一つです。 由緒のある神社です。
 「江田神社由緒記」の看板(かんばん)から。
社名 江田神社
御祭神 伊邪那岐尊(イザナギノミコト) 伊邪那美尊(イザナミノミコト)(但伊邪那美尊ハ安徳天皇壽永二年正月配祀)
御祭日 例大祭十一月十二日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 大祓祭六月三日 特殊神事茅ノ輪潜リ
 本神社は太古の御創建にしてその創立の年代は詳かならざるもこの地一帯は古来 日向の橘の小戸阿波岐原としてイザナギの大神禊祓の霊跡と伝承せられて縁起最も極めて深き社ならむ禊祓の際アマテラス皇大神、素佐鳴尊と住吉三神の神々が御降誕あらせられたる霊域の地と伝えすなわち上代における中つ瀬と称せる御池本社を去ること約5丁の東北に現在す後、世人入り江を開墾して江田と称し里人俗に当社を産母様と称へて今日に至る
仁明天皇承和4年丁己8月官社に列せられ文徳天皇仁寿元年辛未正月従4位下を授けられ清和天皇貞観元年己十月従4位上に進められその後丹融天皇天禄元年二月までに天変地妖兵革等の年母に叙位8回におよび正一位に昇階ありしと伝う醍醐天皇の延喜年間において延喜式内社日向四座の一社として神明帳に登載せられ祈年新当の奉幣を承け居りしが後西院天皇寛文年間に神社の制度に変革を来しついに一村落の産土神と同様の取り扱いをうけるに至れり
明治維新に際し明治6年5月25日に社格「縣社(県社)」に列され同40年2月9日神饌幣帛料共進を指定され今日に至る
 1662年(江戸時代初期)に大津波で神殿を失って、しばらく衰退していました。 地元では「産母様(やぼさま)」と親しんで呼ばれています。
 続日本後記(837年)に、都農神社、都萬神社、江田神社、霧島神社を官社にすることが記(しる)されているそうです。

御池(みいけ)(みそぎ池、みそぎが池)は江田神社の北側にある「市民の森」の中にあります。 ここで禊(みそ)ぎが行われました。 「宮崎市民の森公園」は宮崎県宮崎市阿波岐原町産母128にあります。
 古来よりこの地は筑紫日向橘小門之阿波岐原と呼ばれ、イザナミノミコトが禊祓されたと伝えられています。 我が国最古の歴史書である古事記には、イザナミノミコトが禊祓をされ、天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ多くの神々が誕生されたと記されています。 古事記には
<是以伊邪那伎大神  到坐竺紫日向 橘小門之阿波岐原而 禊祓也
於是洗左御目時所成神 名天照大御神 次洗右御目時所成神 名月讀命 次洗御鼻時所成神 名建速須佐之男命>
と書かれています。


写真A: 権現町のほうから一ツ葉稲荷神社に行く道。 昔から道に張り出した目立つ大木があります。 タブの木のようです。



写真B: 一ツ葉稲荷に行くときに目立つ木。 十字路の近くにあります。 タブの木のようです。



写真C: バス停「新別府」があります。



写真D: 電気量販店「100満ボルト」が一ツ葉稲荷神社に行く途中にあります。



写真E: 一ツ葉神社に行く道。 左の建物はガソリンスタンド。 右はイオンショッピングセンター(イオンモール)。



写真F: 一ツ葉稲荷神社に行く途中に宮崎市郡 医師会病院があります。 手前の川は新別府川 (しんびゅうがわ)の支流である「江田川」です。
「江田川 (えだがわ)」は江田神社 (市民の森)が源流となっています。 宮崎県中央部の新別府川 (しんびゅうがわ)の支流です。 江田川は1級河川、延長 4.8 km、流域 6.3 平方キロメートル。 流域の約50 %が農地で稲作、ハウス園芸が行われています。 東部にシーガイア、サンビーチ 一ツ葉、一ツ葉稲荷神社、阿波岐原森林公園などがあります。 源流の江田神社の東側では山崎ホタルの里 (山崎ホタルピア)があり、ゲンジボタルが見られます。 江田川にはコウホネ、ミズキンバイ、ホテイアオイなどが自生しています。



写真G: 一ツ葉稲荷神社に行く道。 左はイオンショッピングセンター(イオンモール)。



写真H: 一ツ葉神社に行くときにあるイオンショッピングセンター(イオンモール)。



写真I: 江田川とイオンショッピングセンター(イオンモール)。



写真J: 道の突き当たりに一ツ葉稲荷神社があります。



写真K: 一ツ葉稲荷の赤い鳥居が見えてきました。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真L: 一ツ葉稲荷神社。 左奥は駐車場です。



写真M: 一ツ葉稲荷神社の前の様子。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真N: 一ツ葉稲荷神社。 一ツ葉稲荷神社は宮崎市新別府町にあります。 ここには「一葉松」があります。



写真O: 一ツ葉稲荷神社の鳥居(とりい)。



写真P: 一ツ葉稲荷神社の赤い鳥居(とりい)。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真Q: 「日向の国 一ツ葉稲荷神社」と書かれた石碑。 「商売繁盛、交通安全、家内安全、その他祈願」の看板(かんばん)もあります。



写真R: 一ツ葉稲荷神社には鳥居(とりい)が多く並(なら)んでいます。



写真S: 一ツ葉稲荷神社は竹が境内(けいだい)に生(は)えています。 石碑(せきひ)も見えています。
 昭和30年ごろ小学生だった私は釣竿(つりざお)用の竹をここにもらいに来て、家で焚(た)き火の火で竹をあぶり乾いた雑巾(ぞうきん)で出てきた脂(あぶら)をふき取り竹ざおを作りました。 そして一ツ葉の入り江に友人と釣りに行っていました。 ゴリン橋の下流に当時「渡し舟」があり、対岸に渡っていました。 ハゼやワタリ蟹(がに)などが釣れたのを思い出します。



写真T: 一ツ葉稲荷神社にある石碑(せきひ)。 大正4年4月建立。



写真U: 一ツ葉稲荷神社にある石碑(せきひ、昭和29年3月18日建立)と案内板。



写真V: 一ツ葉稲荷神社の御手洗(みたらい)。 左の赤い祠(ほこら)は「銭洗い(ぜにあらい)」をする所です。



写真W: 「日向国 阿波岐原(あわきがはら)鎮座 一ツ葉稲荷神社」の説明板。
 御由緒その他概要
一、 当社は神代のいわゆる、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に人皇第12代 景行天皇の勅によて創建されたと伝えられている。
一、 紀元740年代、(約1900年前)。
一、 後世、貞亨年間(1684−88)に当地に移転遷座した。 この頃より境内松原に一葉の松を生じ、万民奇異の想いをなし 大に崇敬の念を加え これに於いて 禊祓の聖地なるをもって 蓋し 其住吉の神、神威を顕し給いしものなりと信じ この頃より一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも称せり。
一、 往昔より武門豪族の崇敬厚く 殊に貞亨年間 一葉の松生じてより 一般の崇敬激増し 元禄2年 旧延岡城主有馬左衛門尉永純より 御供田高弐石、同11年に幕府は勘定奉行今井九郎;右衛門をして御供田高弐石、 各寄進、遂に累代崇敬の社となれり。
一、 明治維新に至り厳然たる社格を治定せられその後、明治39年4月28日神饌幣供進の社と指定奉祭せらるるに至り、現在崇敬者 県下一円、隣県大分、鹿児島、福岡、四国、京阪神地方に及びその御神徳は普く世人の周知せるところなり。

「一葉の松の由来」
奇なるかな 奇なるかな
数百万樹の松葉
万枝に一葉あり
ここに於いて一葉の名あり
「日向案内記」より
と書かれています。



写真X: 「日向国 阿波岐原(あわきがはら)鎮座 一ツ葉稲荷神社」の説明板。
 御由緒その他概要
一、 当社は神代のいわゆる、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に人皇第12代 景行天皇の勅によて創建されたと伝えられている。
一、 紀元740年代、(約1900年前)。
一、 後世、貞亨年間(1684−88)に当地に移転遷座した。 この頃より境内松原に一葉の松を生じ、万民奇異の想いをなし 大に崇敬の念を加え これに於いて 禊祓の聖地なるをもって 蓋し 其住吉の神、神威を顕し給いしものなりと信じ この頃より一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも称せり。
一、 往昔より武門豪族の崇敬厚く 殊に貞亨年間 一葉の松生じてより 一般の崇敬激増し 元禄2年 旧延岡城主有馬左衛門尉永純より 御供田高弐石、同11年に幕府は勘定奉行今井九郎;右衛門をして御供田高弐石、 各寄進、遂に累代崇敬の社となれり。
一、 明治維新に至り厳然たる社格を治定せられその後、明治39年4月28日神饌幣供進の社と指定奉祭せらるるに至り、現在崇敬者 県下一円、隣県大分、鹿児島、福岡、四国、京阪神地方に及びその御神徳は普く世人の周知せるところなり。

「一葉の松の由来」
奇なるかな 奇なるかな
数百万樹の松葉
万枝に一葉あり
ここに於いて一葉の名あり
「日向案内記」より
と書かれています。



写真Y: 「日向国 阿波岐原(あわきがはら)鎮座 一ツ葉稲荷神社」の説明板。
 御由緒その他概要
一、 当社は神代のいわゆる、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に人皇第12代 景行天皇の勅によて創建されたと伝えられている。
一、 紀元740年代、(約1900年前)。
一、 後世、貞亨年間(1684−88)に当地に移転遷座した。 この頃より境内松原に一葉の松を生じ、万民奇異の想いをなし 大に崇敬の念を加え これに於いて 禊祓の聖地なるをもって 蓋し 其住吉の神、神威を顕し給いしものなりと信じ この頃より一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも称せり。
一、 往昔より武門豪族の崇敬厚く 殊に貞亨年間 一葉の松生じてより 一般の崇敬激増し 元禄2年 旧延岡城主有馬左衛門尉永純より 御供田高弐石、同11年に幕府は勘定奉行今井九郎;右衛門をして御供田高弐石、 各寄進、遂に累代崇敬の社となれり。
一、 明治維新に至り厳然たる社格を治定せられその後、明治39年4月28日神饌幣供進の社と指定奉祭せらるるに至り、現在崇敬者 県下一円、隣県大分、鹿児島、福岡、四国、京阪神地方に及びその御神徳は普く世人の周知せるところなり。

「一葉の松の由来」
奇なるかな 奇なるかな
数百万樹の松葉
万枝に一葉あり
ここに於いて一葉の名あり
「日向案内記」より
と書かれています。



写真Z: 「日向国 阿波岐原(あわきがはら)鎮座 一ツ葉稲荷神社」の説明板。
 御由緒その他概要
一、 当社は神代のいわゆる、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(禊祓の聖地)に人皇第12代 景行天皇の勅によて創建されたと伝えられている。
一、 紀元740年代、(約1900年前)。
一、 後世、貞亨年間(1684−88)に当地に移転遷座した。 この頃より境内松原に一葉の松を生じ、万民奇異の想いをなし 大に崇敬の念を加え これに於いて 禊祓の聖地なるをもって 蓋し 其住吉の神、神威を顕し給いしものなりと信じ この頃より一葉稲荷大明神、一葉住吉大明神とも称せり。
一、 往昔より武門豪族の崇敬厚く 殊に貞亨年間 一葉の松生じてより 一般の崇敬激増し 元禄2年 旧延岡城主有馬左衛門尉永純より 御供田高弐石、同11年に幕府は勘定奉行今井九郎;右衛門をして御供田高弐石、 各寄進、遂に累代崇敬の社となれり。
一、 明治維新に至り厳然たる社格を治定せられその後、明治39年4月28日神饌幣供進の社と指定奉祭せらるるに至り、現在崇敬者 県下一円、隣県大分、鹿児島、福岡、四国、京阪神地方に及びその御神徳は普く世人の周知せるところなり。

「一葉の松の由来」
奇なるかな 奇なるかな
数百万樹の松葉
万枝に一葉あり
ここに於いて一葉の名あり
「日向案内記」より
と書かれています。



写真AA: 「一葉の松葉」。 写真の上は普通の松葉で2本が一対になっています。 ごくまれに写真の下の松葉のように一本のものがあるそうです。



写真AB: 一ツ葉稲荷神社の御手洗(みたらい)。



写真AC: 一ツ葉稲荷神社の御手洗。 水の中に「亀(かめ)」の石像があります。



写真AD: 「銭洗い」の看板(かんばん)。 この神水でお金を洗うと金運向上なるという江戸時代からの慣わしです。 みそぎ祓いの行を意味するものです。
と書いてあります。



写真AE: 一ツ葉稲荷神社の祠(ほこら)。 ここで「銭洗い」をします。



写真AF: ここで「銭洗い」をします。



写真AG: 一ツ葉稲荷神社の御手洗(みたらい)。



写真AH: 一ツ葉稲荷神社の境内(けいだい)。 奥に社殿が見えています。



写真AI: 一ツ葉稲荷神社の石灯籠(いしどうろう)。



写真AJ: 一ツ葉稲荷神社の境内。 ソテツの木、石灯籠、狛犬(こまいぬ)、おみくじを縛り付けたもの、社殿などが見えます。



写真AK: 一ツ葉稲荷神社の石碑(せきひ)、おみくじを縛り付けたものも見えます。



写真AL: 一ツ葉稲荷神社の石灯籠(いしどうろう)。 奥は神主さんの住居。



写真AM: 一ツ葉稲荷神社の境内(けいだい)。



写真AN: 一ツ葉稲荷神社の境内。



写真AO: 一ツ葉稲荷神社の境内。 右は駐車場。



写真AP: 一ツ葉稲荷神社の境内。 石碑(せきひ)も見えています。



写真AQ: 一ツ葉稲荷神社のトイレ。



写真AR: 一ツ葉稲荷神社の赤い鳥居の並(なら)び。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真AS: 一ツ葉稲荷神社の境内。 左奥に「一葉の松葉がある松の木」があります。 右は駐車場です。



写真AT: 一ツ葉稲荷神社の境内(けいだい)。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真AU: 一ツ葉稲荷神社の境内。



写真AV: 一ツ葉稲荷神社の石碑(せきひ、平成8年3月1日建立)。



写真AW: 一ツ葉稲荷神社の「御造営の記」。
 古史によれば、一葉神社は日向の阿波岐原に人皇第12代景行天皇の御治世に創建されたと伝えられている御社であります。 御祭神は、当地において唯一の商売繁盛の神を合祀して以来、氏子ならびに来拝者には御神威をかしこみ御加護をお受けして御祭神に真心を捧げて代々継承して今日に至りました。
と書かれています。



写真AX: 一ツ葉神社の社殿。
主祭神は「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」。
配座には「猿田彦命」「塩土老翁命」「大国主命」。
末社に「恵比寿神」「寿老人」が祀(まつ)ってあります。



写真AY: 一ツ葉神社の境内。 御札、お守り、破魔矢、おみくじなどを売っている建物も見えています。



写真AZ: 御札、お守り、破魔矢、おみくじなどを売っている建物。



写真BA: 一ツ葉神社の境内にはソテツの木もあります。



写真BB: 一ツ葉神社の境内。 駐車場の東の所。 看板(かんばん)の右手に「一葉の葉が付く松の木」があります。



写真BC: 一ツ葉神社の境内。 「一ツ葉桜の里 <宮崎はまゆうライオンズクラブ 結成35周年記念事業>」の看板。



写真BD: 一ツ葉神社の境内。 「20年後の”タイムカプセルに夢をのせて”」 1997年6月(平成9年)。



写真BE: 一ツ葉神社の境内。 「20年後の”タイムカプセルに夢をのせて”」。



写真BF: 一ツ葉神社の境内にある駐車場。



写真BG: 一ツ葉稲荷神社の境内の駐車場の東側にある「一葉の葉が付く松の木。 「一葉松」」。 縄で囲ってある木がそれです。 普通松葉は付け根で一対になっていますが、まれにただ一本の葉があるそうです。



写真BH: 一ツ葉稲荷神社の境内の駐車場の東側にある「一葉の葉が付く松の木「一葉松」」。 縄で囲ってある木がそれです。 普通松葉は付け根で一対になっていますが、まれにただ一本の葉があるそうです。



写真BI: 一ツ葉稲荷神社の境内の駐車場の東側にある「一葉の葉が付く松の木「一葉松」」。 縄で囲ってある木がそれです。 普通松葉は付け根で一対になっていますが、まれにただ一本の葉があるそうです。



写真BJ: 一ツ葉稲荷神社の境内の駐車場の東側にある「一葉の葉が付く松の木「一葉松」」。 普通松葉は付け根で一対になっていますが、まれにただ一本の葉があるそうです。 「皆さん、この写真に一本の葉を見つけられますか?」。 「一葉松」は昔から縁起物として珍重されています。 これが神社名、地域名になりました。  宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。 この一葉松も黒松です。



写真BK:  一ツ葉稲荷神社の境内にある東に向かう道。



写真BL: 一ツ葉稲荷神社の社殿。 紅梅が咲いています。 周(まわ)りにおみくじが縛り付けてあります。
主祭神は「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」。
配座には「猿田彦命」「塩土老翁命」「大国主命」が祀(まつ)ってあります。



写真BM: 一ツ葉稲荷神社の拝殿。 鈴も見えています。



写真BN: 一ツ葉稲荷神社の拝殿。 お賽銭箱(おさいせんばこ)の上にアブラアゲなどの奉納物が入れてあります。 お供(そな)えの酒もあります。



写真BO: 一ツ葉稲荷神社の絵馬を掛(か)ける所です。



写真BP: 一ツ葉稲荷神社の境内にある「えびす神社」。 石像もあります。



写真BQ: 一ツ葉稲荷神社の境内にある祠(ほこら)。



写真BR: 一ツ葉稲荷神社の境内。 東側の駐車場に行く道です。



写真BS: 一ツ葉稲荷神社の境内。 古い社(やしろ)の瓦(かわら)が積んでありました。



写真BT: 一ツ葉稲荷神社の境内。



写真BU: 一ツ葉稲荷神社の境内。 赤い社(やしろ)は「えびす神社」。



写真BV: 一ツ葉稲荷神社の境内。



写真BW: 一ツ葉稲荷神社の境内。 左は拝殿。



写真BX: 一ツ葉稲荷神社の社殿。



写真BY: 一ツ葉稲荷神社の本殿(奥の院)。
主祭神は「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」。
配座には「猿田彦命」「塩土老翁命」「大国主命」が祀(まつ)ってあります。



写真BZ: 一ツ葉稲荷神社の本殿(奥の院)。



写真CA: 一ツ葉稲荷神社の本殿(奥の院)。



写真CB: 一ツ葉稲荷神社の本殿(奥の院)。



写真CC: 一ツ葉稲荷神社の本殿(奥の院)。



写真CD: 一ツ葉稲荷神社の本殿(奥の院)。



写真CE: 一ツ葉稲荷神社の本殿(右)と拝殿。



写真CF: 一ツ葉稲荷神社の境内にある竹林。



写真CG: 一ツ葉稲荷神社の拝殿。



写真CH: 一ツ葉稲荷神社の拝殿。



写真CI: 一ツ葉稲荷神社の拝殿。



写真CJ: 一ツ葉稲荷神社の拝殿。



写真CK: 一ツ葉稲荷神社の境内。



写真CL: 一ツ葉稲荷神社の境内にある駐車場。



写真CM: 一ツ葉稲荷神社の境内。



写真CN: 一ツ葉稲荷神社の西側の車道。 一ツ葉稲荷神社の看板(かんばん)も見えます。 黒松の林があります。 地面は砂地です。 松林の間に赤い鳥居(とりい)が見えています。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真CO: 一ツ葉稲荷神社の境内。



写真CP: 一ツ葉稲荷神社の境内。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真CQ: 一ツ葉稲荷神社の境内。 「車祓(くるまはらい)」の看板があります。



写真CR: 一ツ葉稲荷神社の西側の車道。



写真CS: 一ツ葉稲荷神社の北側駐車場。 赤い鳥居も見えます。



写真CT: 一ツ葉稲荷神社の西側の景色。



写真CU: 一ツ葉稲荷神社の西側の景色。 左の道を行くとイオンショッピングセンター(イオンモール)があります。



写真CV: 一ツ葉稲荷神社の西側の景色。



写真CW: 一ツ葉稲荷神社の西側の景色。



写真CX: 一ツ葉稲荷神社の北側の景色。



写真CY: 江田神社の近くに宮崎ガスのガスタンクが見えます。



写真CZ: 江田神社の西側を通る車道。 「江田神社」のバス停が見えています。



写真DA: バス停「江田神社」。



写真DB: 江田神社の一の鳥居(とりい)が見えます。 左は山崎街道(県道宮崎島之内線)です。 「市民の森」の南側にあります。 創建は不明。 「続日本後紀」では837年「江田神社」として官社に加えられた「日向国式内四座」の一つで、由緒ある古い神社です。 地元では「産母(やぼ)様」と親しまれ安産の神です。 御祭神は日本神話で国産み、神産みの神であるイザナギノミコトとイザナミノミコトです。 



写真DC: 江田神社の一の鳥居(とりい)。 石灯籠(いしどうろう)も二つ見えます。 江田神社は宮崎市阿波岐原町にあります。 日本最古の男女神を祭る格式高い神社です。



写真DD: 「江田神社」の石碑(せきひ、昭和9年12月31日建立)。 縣社(県社)の文字は消されたあとがあります。 これは第二次世界大戦後に神社の社格が廃止されたためでしょう。



写真DE: 江田神社にある「日向神話 天皇家のふるさと宮崎」の看板(かんばん)。



写真DF: 江田神社の参道。



写真DG: 江田神社の境内(けいだい)にある「みそぎの碑(ひ)」、「海 日 月」と書いてあります。
イザナギノミコトはけがれた体を清めるため、ここ阿波岐原で禊(みそ)ぎを行いました。 左目を洗うとアマテラスオオミカミ、右目を洗うとツクヨミノミコト、鼻を洗うとサノオノミコトが生まれました。
中央奥の茶色のものはイザナギ、手前の左から海・スサノオ、日・アマテラス、月・ツクヨミを表現しています。



写真DH: 江田神社の境内(けいだい)にある「みそぎの碑(ひ)」。
イザナギノミコトはけがれた体を清めるため、ここ阿波岐原で禊(みそ)ぎを行いました。 左目を洗うとアマテラスオオミカミ、右目を洗うとツクヨミノミコト、鼻を洗うとサノオノミコトが生まれました。
中央奥の茶色のものはイザナギ、手前の左から海・スサノオ、日・アマテラス、月・ツクヨミを表現しています。



写真DI: 「みそぎの碑(ひ)」の看板。
江田神社: イザナギとイザナミを祀(まつ)り、平安中期の法典「延喜式」にも記された由緒ある古社です。 当神社のある阿波岐原町は、古事記に出てくる「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」としてイザナギが禊(みそぎ)を行った地と言われています。 全国各地の神社で行われるお祓い(はらい)の祝詞(のりと)にでてくる舞台となった所です。
みそぎ池: 御池(みいけ)とも呼ばれ、イザナギが黄泉(よみ)の国のけがれをはらうため、みそぎを行った場所と言われています。
と書いてあります。



写真DJ: 江田神社の境内(けいだい)。



写真DK: 「宮崎の神話」の看板。



写真DL: 「宮崎の神話」の看板。



写真DM: 「宮崎の神話」の看板。



写真DN: 「宮崎の神話」の看板。



写真DO: 「宮崎の神話」の看板。



写真DP: 「宮崎の神話」の看板。



写真DQ: 江田神社の境内(けいだい)。



写真DR: 建物は江田神社社務所。



写真DS: 江田神社の古木。



写真DT: 江田神社社務所。



写真DU: 江田神社の鳥居(とりい)。



写真DV: 江田神社の境内(けいだい)。 右のしめ縄のある大きな木は「神木」です。 クスノキです。
 2006年頃からのブームで、県外からの参拝客などがこの「神木」に頭と手を押し付けて祈ったり、抱きついて祈願することがよく見られます。
地面から浮き出した長い根にもオミクジが縛り付けてあります。 奥に社殿が見えています。



写真DW: 江田神社の御神木(楠(クスノキ))。
2006年頃からのブームで、県外からの参拝客などがこの「神木」に頭と手を押し付けて祈ったり、抱きついて祈願することがよく見られます。
地面から浮き出した長い根にもオミクジが縛り付けてあります。 



写真DX: 江田神社の境内(けいだい)。 石灯籠(いしどうろう)も見えます。



写真DY: 江田神社の御手洗(みたらい)と石灯籠(いしどうろう)。



写真DZ: 江田神社の御手洗(みたらい)。



写真EA: 「江田神社由緒記」の看板(かんばん)。
社名 江田神社
御祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊(但伊邪那美尊ハ安徳天皇壽永二年正月配祀)
御祭日 例大祭十一月十二日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 大祓祭六月三日 特殊神事茅ノ輪潜リ
 本神社は太古の御創建にしてその創立の年代は詳かならざるもこの地一帯は古来 日向の橘の小戸阿波岐原としてイザナギの大神禊祓の霊跡と伝承せられて縁起最も極めて深き社ならむ禊祓の際アマテラス皇大神、素佐鳴尊と住吉三神の神々が御降誕あらせられたる霊域の地と伝えすなわち上代における中つ瀬と称せる御池本社を去ること約5丁の東北に現在す後、世人入り江を開墾して江田と称し里人俗に当社を産母様と称へて今日に至る
仁明天皇承和4年丁己8月官社に列せられ文徳天皇仁寿元年辛未正月従4位下を授けられ清和天皇貞観元年己十月従4位上に進められその後丹融天皇天禄元年二月までに天変地妖兵革等の年母に叙位8回におよび正一位に昇階ありしと伝う醍醐天皇の延喜年間において延喜式内社日向四座の一社として神明帳に登載せられ祈年新当の奉幣を承け居りしが後西院天皇寛文年間に神社の制度に変革を来しついに一村落の産土神と同様の取り扱いをうけるに至れり
明治維新に際し明治6年5月25日に社格「縣社(県社)」に列され同40年2月9日神饌幣帛料共進を指定され今日に至る
と書かれています。



写真EB: 「江田神社由緒記」の看板(かんばん)。
社名 江田神社
御祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊(但伊邪那美尊ハ安徳天皇壽永二年正月配祀)
御祭日 例大祭十一月十二日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 大祓祭六月三日 特殊神事茅ノ輪潜リ
 本神社は太古の御創建にしてその創立の年代は詳かならざるもこの地一帯は古来 日向の橘の小戸阿波岐原としてイザナギの大神禊祓の霊跡と伝承せられて縁起最も極めて深き社ならむ禊祓の際アマテラス皇大神、素佐鳴尊と住吉三神の神々が御降誕あらせられたる霊域の地と伝えすなわち上代における中つ瀬と称せる御池本社を去ること約5丁の東北に現在す後、世人入り江を開墾して江田と称し里人俗に当社を産母様と称へて今日に至る
仁明天皇承和4年丁己8月官社に列せられ文徳天皇仁寿元年辛未正月従4位下を授けられ清和天皇貞観元年己十月従4位上に進められその後丹融天皇天禄元年二月までに天変地妖兵革等の年母に叙位8回におよび正一位に昇階ありしと伝う醍醐天皇の延喜年間において延喜式内社日向四座の一社として神明帳に登載せられ祈年新当の奉幣を承け居りしが後西院天皇寛文年間に神社の制度に変革を来しついに一村落の産土神と同様の取り扱いをうけるに至れり
明治維新に際し明治6年5月25日に社格「縣社(県社)」に列され同40年2月9日神饌幣帛料共進を指定され今日に至る
と書かれています。



写真EC: 「江田神社由緒記」の看板(かんばん)。
社名 江田神社
御祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊(但伊邪那美尊ハ安徳天皇壽永二年正月配祀)
御祭日 例大祭十一月十二日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 大祓祭六月三日 特殊神事茅ノ輪潜リ
 本神社は太古の御創建にしてその創立の年代は詳かならざるもこの地一帯は古来 日向の橘の小戸阿波岐原としてイザナギの大神禊祓の霊跡と伝承せられて縁起最も極めて深き社ならむ禊祓の際アマテラス皇大神、素佐鳴尊と住吉三神の神々が御降誕あらせられたる霊域の地と伝えすなわち上代における中つ瀬と称せる御池本社を去ること約5丁の東北に現在す後、世人入り江を開墾して江田と称し里人俗に当社を産母様と称へて今日に至る
仁明天皇承和4年丁己8月官社に列せられ文徳天皇仁寿元年辛未正月従4位下を授けられ清和天皇貞観元年己十月従4位上に進められその後丹融天皇天禄元年二月までに天変地妖兵革等の年母に叙位8回におよび正一位に昇階ありしと伝う醍醐天皇の延喜年間において延喜式内社日向四座の一社として神明帳に登載せられ祈年新当の奉幣を承け居りしが後西院天皇寛文年間に神社の制度に変革を来しついに一村落の産土神と同様の取り扱いをうけるに至れり
明治維新に際し明治6年5月25日に社格「縣社(県社)」に列され同40年2月9日神饌幣帛料共進を指定され今日に至る
と書かれています。



写真ED: 江田神社の境内。 いくつかの石碑(せきひ)が見えます。



写真EE: 江田神社の石碑。



写真EF: 江田神社の石碑(せきひ)。



写真EG: 江田神社の境内。



写真EH: 江田神社の記念樹。



写真EI: 宮崎市にある江田神社。
創建は不明。 「続日本後紀」では837年「江田神社」として官社に加えられた「日向国式内四座」の一つで、由緒ある古い神社です。 地元では「産母(やぼ)様」と親しまれ安産の神です。 御祭神は日本神話で国産み、神産みの神であるイザナギノミコトとイザナミノミコトです。



写真EJ: 江田神社の石碑。



写真EK: 江田神社の石灯籠(いしどうろう)と石碑。



写真EL: 江田神社の境内。



写真EM: 江田神社の境内。 石灯籠(いしどうろう)も見えます。



写真EN: 江田神社の境内。 おみくじを縛り付けたもの、石灯籠も見えます。



写真EO: 宮崎市にある江田神社。
社名 江田神社
御祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊(但伊邪那美尊ハ安徳天皇壽永二年正月配祀)
御祭日 例大祭十一月十二日 祈年祭二月十七日 新嘗祭十一月二十三日 大祓祭六月三日 特殊神事茅ノ輪潜リ
 本神社は太古の御創建にしてその創立の年代は詳かならざるもこの地一帯は古来 日向の橘の小戸阿波岐原としてイザナギの大神禊祓の霊跡と伝承せられて縁起最も極めて深き社ならむ禊祓の際アマテラス皇大神、素佐鳴尊と住吉三神の神々が御降誕あらせられたる霊域の地と伝えすなわち上代における中つ瀬と称せる御池本社を去ること約5丁の東北に現在す後、世人入り江を開墾して江田と称し里人俗に当社を産母様と称へて今日に至る
仁明天皇承和4年丁己8月官社に列せられ文徳天皇仁寿元年辛未正月従4位下を授けられ清和天皇貞観元年己十月従4位上に進められその後丹融天皇天禄元年二月までに天変地妖兵革等の年母に叙位8回におよび正一位に昇階ありしと伝う醍醐天皇の延喜年間において延喜式内社日向四座の一社として神明帳に登載せられ祈年新当の奉幣を承け居りしが後西院天皇寛文年間に神社の制度に変革を来しついに一村落の産土神と同様の取り扱いをうけるに至れり
明治維新に際し明治6年5月25日に社格「縣社(県社)」に列され同40年2月9日神饌幣帛料共進を指定され今日に至る



写真EP: 江田神社にある「郷土の名木 オガタマノキ (宮崎市)」。



写真EQ: 江田神社にある「郷土の名木 オガタマノキ (宮崎市)」。



写真ER: 江田神社にある「郷土の名木 オガタマノキ (宮崎市)」。



写真ES: 御札(おふだ)焼き所。



写真ET: 江田神社の記念樹。



写真EU: 江田神社の建物。



写真EV: 宮崎市にある江田神社。
創建は不明。 「続日本後紀」では837年「江田神社」として官社に加えられた「日向国式内四座」の一つで、由緒ある古い神社です。 地元では「産母(やぼ)様」と親しまれ安産の神です。 御祭神は日本神話で国産み、神産みの神であるイザナギノミコトとイザナミノミコトです。



写真EW: 江田神社のおみくじを縛り付けた木。



写真EX: 江田神社のおみくじを縛り付けた木と石碑(せきひ)。



写真EY: 江田神社の拝殿。
創建は不明。 「続日本後紀」では837年「江田神社」として官社に加えられた「日向国式内四座」の一つで、由緒ある古い神社です。 地元では「産母(やぼ)様」と親しまれ安産の神です。 御祭神は日本神話で国産み、神産みの神であるイザナギノミコトとイザナミノミコトです。



写真EZ: 江田神社の拝殿。



写真FA: 江田神社の拝殿。



写真FB: 江田神社の拝殿。



写真FC: 江田神社の境内(けいだい)。



写真FD: 江田神社のお賽銭箱(おさいせんばこ)、太鼓(たいこ)など。



写真FE: 江田神社の中。



写真FF: 江田神社の中。



写真FG: 江田神社の拝殿。



写真FH: 江田神社の拝殿。



写真FI: 江田神社の本殿(奥の院)と拝殿(左)。



写真FJ: 江田神社の拝殿。



写真FK: 江田神社の拝殿。



写真FL: 江田神社の本殿。



写真FM: 江田神社の本殿。



写真FN: 江田神社の本殿(奥の院)のそばにある「当屋敷ノ地ノ主」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。



写真FO: 江田神社の本殿。



写真FP: 江田神社の本殿(ひだり)と拝殿。



写真FQ: 江田神社の拝殿。



写真FR: 江田神社の右手裏にある「みそぎ御殿の鳥居(とりい、昭和53年5月11日建立)」。



写真FS: 「みそぎ御殿」に行く道。 「みそぎ御殿」は江田神社とは何の関係もありません。



写真FT: 「みそぎ御殿」に行く道。 「みそぎ御殿」は江田神社とは何の関係もありません。



写真FU: 「みそぎ御殿」に行く道。 奥にみそぎ御殿が見えてきました。 右に降りる道を下ると「山崎ホタルの里」に行きます。



写真FV: 「山崎ほたるの里」が見えてきました。 山崎ホタルの里は江田神社の東にあります。



写真FW: 山崎ホタルの里。 右に水のきれいな小川があります。 江田川の源流付近です。 池もあります。



写真FX: 「山崎ホタルの里」の小川。 江田川の源流付近です。



写真FY: 「ホタルの里づくりにご協力を!」と書いてある看板(かんばん)。
 この川では、ホタルを育てています。 ごみを捨てたり、ホタルのエサとなるカワニナをとったりしないで、大切に育てましょう。
山崎エコアップ会
と書いてあります。



写真FZ: 「山崎ホタルの里」の池です。



写真GA: ホタルの里の溝(みぞ)。 江田川の源流付近です。



写真GB: ホタルの里の池。 遠くの建物は福祉施設です。



写真GC: 「山崎ホタルの里」には青いテントもありました。



写真GD: 「山崎ホタルの里」の青いテント。



写真GE: 「山崎ホタルの里」には小川に橋がかかっています。 この橋を渡ると江田神社の境内(けいだい)に行きます。



写真GF: 「山崎ホタルの里」には小川が流れています。 江田川の源流付近です。 小川には草も茂っています。
「江田川 (えだがわ)」は江田神社 (市民の森)が源流となっています。 宮崎県中央部の新別府川 (しんびゅうがわ)の支流です。 江田川は1級河川、延長 4.8 km、流域 6.3 平方キロメートル。 流域の約50 %が農地で稲作、ハウス園芸が行われています。 東部にシーガイア、サンビーチ 一ツ葉、一ツ葉稲荷神社、阿波岐原森林公園などがあります。 源流の江田神社の東側では山崎ホタルの里 (山崎ホタルピア)があり、ゲンジボタルが見られます。 江田川にはコウホネ、ミズキンバイ、ホテイアオイなどが自生しています。



写真GG: 「山崎ホタルの里」のそばの道。 奥の建物はシーガイアのオーシャン45です。 これはホテルになっています。



写真GH: 「ホタルの里」の看板。 そばに菜の花が咲いていました。



写真GI: 「ホタルの里」の看板。 ホタルの生態の説明が書いてあります。



写真GJ: 「みそぎ御殿」に行く道。 手すりがあります。



写真GK: 「みそぎ御殿」が見えてきました。 これと江田神社とは何の関係もないそうです。



写真GL: 「みそぎ御殿」の御手洗(みたらい)。



写真GM: 「みそぎ御殿」の御手洗(みたらい)。



写真GN: 「みそぎ御殿 社務所」。



写真GO: 「みそぎ御殿」の休憩所(きゅうけいしょ)。



写真GP: 「みそぎ御殿御祭神」の説明版。



写真GQ: 「みそぎ御殿」の社殿。 左に石碑(せきひ)もあります。 周(まわ)りは松林になっています。



写真GR: 「みそぎ御殿」の境内にある水神社の建物。



写真GS: 「みそぎ御殿」の水神社。



写真GT: 「みそぎ御殿」の水神社。 井戸もあります。



写真GU: 「みそぎ御殿」の境内。 2つの鳥居(とりい)と青い幟(のぼり)も見えています。



写真GV: 「みそぎ御殿」の社殿と石碑。



写真GW: 「みそぎ御殿」の境内(けいだい)。



写真GX: 「みそぎ御殿」の幟(のぼり)。



写真GY: 「みそぎ御殿」の鳥居と社殿。 おみくじを縛り付けたものも見えます。 周りは松林です。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真GZ: 「みそぎ御殿」の拝殿。



写真HA: 「阿波岐原 みそぎ御殿 由緒記」の看板。 伊勢神宮より御神霊を拝授しておまつりしているお宮。
と書かれています。



写真HB: 「みそぎ御殿」の境内。 石造物があります。



写真HC: 「みそぎ御殿」の境内。



写真HD: 「みそぎ御殿」の拝殿。



写真HE: 「みそぎ御殿」の境内(けいだい)。



写真HF: 「みそぎ御殿」の鳥居(とりい)。



写真HG: 「みそぎ御殿」の鳥居(とりい)。



写真HH: 「みそぎ御殿」の境内にある説明版。



写真HI: 「みそぎ御殿」の境内にある説明版。



写真HJ: 「みそぎ御殿」の境内にある石碑(せきひ)と説明版。



写真HK: 「みそぎ御殿」の境内にある説明版。



写真HL: 「みそぎ御殿」の本殿(奥の院)と拝殿(左)。



写真HM: 「みそぎ御殿」の境内にある説明版。



写真HN:  「みそぎ御殿」の拝殿。



写真HO:  「みそぎ御殿」の拝殿。



写真HP:  「みそぎ御殿」の赤い鳥居(とりい)。



写真HQ: 「みそぎ御殿」から宮崎市 「市民の森」に行く道。 このあたりは松林です。 宮崎県の平地の松はほとんどすべて「黒松」です。



写真HR: 宮崎市 「市民の森」の遊歩道。 「フローランテ宮崎 距離0.66 km、市民の森」と書かれた道路標識。



写真HS: 宮崎市 「市民の森」の遊歩道。 「御池、国際海浜エントランスプラザ、フローランテ宮崎 距離0.8 km」と書かれた道路標識。



写真HT: 宮崎市 「市民の森」の遊歩道。 このあたりは椿園(つばきえん)になっています。



写真HU: 宮崎市 「市民の森」の遊歩道。



写真HV: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」。 禊ぎ(みそぎ)の発祥の地です。 江田神社の近くにあります。 日本神話によると、すべての神を産んだイザナミノミコトは最後に火の神「カグツチ」を産みました。 このとき大やけどをして死にました。 イザナミノミコトに会いたいイザナミノミコトは、黄泉(よみ)の国へ行きます。 そこで見たのはウジにたかられ腐敗したイザナミノミコトの姿でした。 難を逃れたイザナギノミコトはこの「みそぎ池(御池)」で体を洗いました。 このときアマテラス、ツクヨミ、スサノオなどの神々が産まれました。
全国で行われている神事のときの祓詞(はらいことば)に「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」はこの「みそぎ池」のことと言われています。 今でも水を湛(たた)えています。



写真HW: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」のそばのベンチと看板、石碑。



写真HX: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」。 禊ぎ(みそぎ)の発祥の地です。 江田神社の近くにあります。 日本神話によると、すべての神を産んだイザナミノミコトは最後に火の神「カグツチ」を産みました。 このとき大やけどをして死にました。 イザナミノミコトに会いたいイザナミノミコトは、黄泉(よみ)の国へ行きます。 そこで見たのはウジにたかられ腐敗したイザナミノミコトの姿でした。 難を逃れたイザナギノミコトはこの「みそぎ池(御池)」で体を洗いました。 このときアマテラス、ツクヨミ、スサノオなどの神々が産まれました。
全国で行われている神事のときの祓詞(はらいことば)に「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」はこの「みそぎ池」のことと言われています。 今でも水を湛(たた)えています。



写真HY: 「御池」と書かれた大きな石碑(せきひ)。 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」のそばにあります。



写真HZ: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」のそばの石碑の説明版。
御池(みいけ)(みそぎが池)
 古来よりこの地は筑紫日向橘小門之阿波岐原と呼ばれ、イザナミノミコトが禊祓されたと伝えられています。 我が国最古の歴史書である古事記には、イザナミノミコトが禊祓をされ、天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ多くの神々が誕生されたと記されています。
古事記には
<是以伊邪那伎大神  到坐竺紫日向 橘小門之阿波岐原而 禊祓也
於是洗左御目時所成神 名天照大御神 次洗右御目時所成神 名月讀命 次洗御鼻時所成神 名建速須佐之男命>
と書かれています。



写真IA: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」のそばの石碑の説明版。
御池(みいけ)(みそぎが池)
 古来よりこの地は筑紫日向橘小門之阿波岐原と呼ばれ、イザナミノミコトが禊祓されたと伝えられています。 我が国最古の歴史書である古事記には、イザナミノミコトが禊祓をされ、天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ多くの神々が誕生されたと記されています。
古事記には
<是以伊邪那伎大神  到坐竺紫日向 橘小門之阿波岐原而 禊祓也
於是洗左御目時所成神 名天照大御神 次洗右御目時所成神 名月讀命 次洗御鼻時所成神 名建速須佐之男命>
と書かれています。



写真IB: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」のそばの石碑の説明版。
御池(みいけ)(みそぎが池)
 古来よりこの地は筑紫日向橘小門之阿波岐原と呼ばれ、イザナミノミコトが禊祓されたと伝えられています。 我が国最古の歴史書である古事記には、イザナミノミコトが禊祓をされ、天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ多くの神々が誕生されたと記されています。
古事記には
<是以伊邪那伎大神  到坐竺紫日向 橘小門之阿波岐原而 禊祓也
於是洗左御目時所成神 名天照大御神 次洗右御目時所成神 名月讀命 次洗御鼻時所成神 名建速須佐之男命>
と書かれています。



写真IC: 「御池」と書かれた大きな石碑(せきひ)。 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」のそばにあります。



写真ID: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」。 禊ぎ(みそぎ)の発祥の地です。 江田神社の近くにあります。 手前の岸に御幣(ごへい)の白い和紙が見えています。 日本神話によると、すべての神を産んだイザナミノミコトは最後に火の神「カグツチ」を産みました。 このとき大やけどをして死にました。 イザナミノミコトに会いたいイザナミノミコトは、黄泉(よみ)の国へ行きます。 そこで見たのはウジにたかられ腐敗したイザナミノミコトの姿でした。 難を逃れたイザナギノミコトはこの「みそぎ池(御池)」で体を洗いました。 このときアマテラス、ツクヨミ、スサノオなどの神々が産まれました。
全国で行われている神事のときの祓詞(はらいことば)に「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」はこの「みそぎ池」のことと言われています。 今でも水を湛(たた)えています。



写真IE: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」。 手前の岸に御幣(ごへい)の白い和紙が見えています。
 禊ぎ(みそぎ)の発祥の地です。 江田神社の近くにあります。 日本神話によると、すべての神を産んだイザナミノミコトは最後に火の神「カグツチ」を産みました。 このとき大やけどをして死にました。 イザナミノミコトに会いたいイザナミノミコトは、黄泉(よみ)の国へ行きます。 そこで見たのはウジにたかられ腐敗したイザナミノミコトの姿でした。 難を逃れたイザナギノミコトはこの「みそぎ池(御池)」で体を洗いました。 このときアマテラス、ツクヨミ、スサノオなどの神々が産まれました。
全国で行われている神事のときの祓詞(はらいことば)に「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」はこの「みそぎ池」のことと言われています。 今でも水を湛(たた)えています。



写真IF: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」。 禊ぎ(みそぎ)の発祥の地です。 江田神社の近くにあります。 日本神話によると、すべての神を産んだイザナミノミコトは最後に火の神「カグツチ」を産みました。 このとき大やけどをして死にました。 イザナミノミコトに会いたいイザナミノミコトは、黄泉(よみ)の国へ行きます。 そこで見たのはウジにたかられ腐敗したイザナミノミコトの姿でした。 難を逃れたイザナギノミコトはこの「みそぎ池(御池)」で体を洗いました。 このときアマテラス、ツクヨミ、スサノオなどの神々が産まれました。
全国で行われている神事のときの祓詞(はらいことば)に「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」はこの「みそぎ池」のことと言われています。 今でも水を湛(たた)えています。



写真IG: 宮崎市 市民の森にある「みそぎ池(御池(みいけ))」。 禊ぎ(みそぎ)の発祥の地です。 江田神社の近くにあります。 日本神話によると、すべての神を産んだイザナミノミコトは最後に火の神「カグツチ」を産みました。 このとき大やけどをして死にました。 イザナミノミコトに会いたいイザナミノミコトは、黄泉(よみ)の国へ行きます。 そこで見たのはウジにたかられ腐敗したイザナミノミコトの姿でした。 難を逃れたイザナギノミコトはこの「みそぎ池(御池)」で体を洗いました。 このときアマテラス、ツクヨミ、スサノオなどの神々が産まれました。
全国で行われている神事のときの祓詞(はらいことば)に「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」はこの「みそぎ池」のことと言われています。 今でも水を湛(たた)えています。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)