佐土原人形、弁天山 (べんてん山、ベンテン山、べんてんやま) (宮崎市 佐土原町 上田島)







<標高、位置> 弁天山は
標高 約50 m
 北緯32度2分59秒  東経131度25分38秒


「弁天山」は宮崎市 佐土原町 上田島にある山です。 昔は、弁天山、城山(本丸があったところ)、宝塔山 一帯が山城だったそうです。 山の上には弁天様が祀(まつ)られています。 第二次世界大戦前は山の上に鐘があって、鐘突の夫婦の方が弁天山の中腹の家に住んでいました。 第二次世界大戦の時に鐘は供出されて無くなりました。 弁天様の祭りの時には、弁天山の登山道に戸板を並べ、物を売っていたそうです。 現在、山の上には弁天神社(金比羅神社(こんぴら神社))、テレビ中継アンテナ、弁天石像、御手洗(3つ)などがあります。 登山道は整備されていて、山麓にある佐土原神社の拝殿左手に登山口があります。 佐土原神社は後島津である歴代の佐土原島津藩主を祀(まつ)っています。 佐土原神社には駐車場があります。 佐土原神社の隣には佐土原保育園、佐土原小学校などがあります。

 「佐土原人形」は宮崎県 宮崎市 佐土原町で江戸時代から作られている名物、伝統工芸品です。 400年以上の歴史を持つ佐土原町の伝統工芸です。 佐土原町 上田島にある「ますや」は約160年前に創業した老舗です。 ひな人形、節句人形など各種の佐土原人形を作っています。 昔からの手法は「手押し型」と呼(よ)ばれます。 粘土を棒で伸ばし型に押し付けて形を作ります。 水性絵の具を重ねて図柄、色を付けます。

 宮崎市立 佐土原小学校は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1350番地9 にあります。
佐土原小学校は元 (もと)は佐土原藩藩校の「学習館」でした。 設立は1825年11月2日です。 創立者は佐土原藩です。


写真A: 松巌寺(しょうがんじ)と佐土原小学校を結ぶ道から見た弁天山。 山頂にテレビ中継アンテナが見えています。 奥の大きな建物は佐土原小学校。 右手に宮崎銀行の看板の一部が見えています。



写真B: 弁天山の山麓にある佐土原神社の説明盤。 佐土原神社は明治34年に建立されました。 当時 佐土原藩十ヶ町村 と言われていた 都於郡、三納、三財、新田、富田、広瀬、住吉、那珂、佐土原、妻の旧藩民の手で造られました。 例祭日は10月18日で、祭礼の日には第二次大戦前までは、各町村から選出された子供たちが十ヵ町村大運動会で競い合いました。 会場は佐土原小学校で行われていました。 境内には社殿、石の鳥居、いくつかの石碑、駐車場などがあり、第二次大戦の時に掘られた防空壕もいくつか残っています。 また、社殿の左手には弁天山に登る登山口があります。



写真C: 佐土原神社の鳥居。 手前は車道になっています。 この左には佐土原保育所があります。



写真D: 佐土原神社の社殿、石碑、駐車場、左の建物は佐土原保育所です。 後ろの山は弁天山。



写真E: 佐土原神社の石碑。 左は戊辰戦争(ぼしんせんそう)から日露戦争までの戦死者を祀る「招魂碑」。 江戸期の安政8年祭田を開き、その収穫を佐土原7神社のものすることになったが、中央はその農業祭の「祭田の碑」です。



写真F: 佐土原神社の境内にある 第二次大戦の時に掘られた防空壕跡。



写真G: 佐土原神社の拝殿。 奥には奥の院が見えています。 島津藩の 丸に十の字 の紋が拝殿の屋根に付けられています。 祭神は後島津の佐土原藩祖 島津以久(ゆくひさ)から藩最終第10代 忠寛(ただひろ)までの歴代藩主を祀っています。



写真H: 佐土原神社の石碑。 後島津の第10代佐土原藩主 島津忠寛(ただひろ)をたたえる「懐徳揚烈碑」です。



写真I: 佐土原神社の拝殿。 左手にソテツの木、中央奥に弁天山への登山口が見えています。



写真J: 弁天山の佐土原神社登山口。



写真K: 弁天山の登山道。



写真L: 弁天山の登山道。 所々に階段があります。



写真M: 弁天山の登山道。 柵(さく)が作ってあるところもあります。



写真N: 弁天山の登山道。 左に竹が見えています。



写真O: 弁天山の登山道。 古い階段があります。



写真P: 中腹に祠(ほこら)があります。



写真Q: 中腹の祠(ほこら)には、弁天様の石像(弁天石像)があります。 お線香、水、花も供(そな)えられています。



写真R: 上の写真の祠(ほこら)のそばには、古い壊れた弁天様の石像、古い御手洗(みたらい)などが置かれています。



写真S: 弁天様の祠(ほこら)。 この左奥に古い弁天石像、古い御手洗(みたらい)などがあります。



写真T: 弁天山登山道の階段。 奥にトイレが見えています。



写真U: 弁天山山頂の少し下にある 開園紀念碑。 大正5年4月13日に建てられたもの。



写真V: 最後の階段です。 山頂のテレビ中継アンテナが見えています。



写真W: 山頂にある弁天神社の御手洗(みたらい)です。 大正13年10月10日に作られたもの。



写真X: 弁天山の山頂。 ソテツの木と御手洗(みたらい)の間から登ってきます。



写真Y: 弁天山の山頂にある弁天神社(金比羅神社(こんぴら神社))の建物です。



写真Z: 奥の茶色の建物が弁天神社(金比羅神社)の社殿です。 右の金網はテレビ中継アンテナのまわりのものです。



写真AA: 弁天山山頂のテレビ中継アンテナ。 1998年とアンテナに書かれています。 まわりの木は桜です。



写真AB: 弁天山山頂のテレビ中継アンテナ。 「佐土原テレビジョン放送局」と書かれています。



写真AC: 弁天神社(金比羅神社(こんぴら神社))の社殿。 しめ縄がしてあります。 左は白い建物です。



写真AD: 弁天神社(金比羅神社)の右手にある 古い御手洗(みたらい)。



写真AE: 弁天神社(金比羅神社)の右手にも下る道があります。 これは、あまり使っている人が少ないようです。



写真AF: 上の写真の 道の先には電柱があります。 テレビ中継アンテナの電源はここを通ってきているのでしょう。



写真AG: 右の建物は弁天神社(金比羅神社)の社殿、左の木は桜、奥にテレビ中継アンテナも見えています。



写真AH: 左はテレビ中継アンテナ、右は弁天神社(金比羅神社)の建物、大きな木は桜です。



写真AI: 弁天山山頂から見た宮崎市佐土原町上田島の町並みと一ッ瀬川、一ッ瀬川の橋など。



写真AJ: 弁天山山頂からの景色。 木の間から見えています。



写真AK: 佐土原神社から宝塔山方面を望む。 正面は佐土原小学校、奥の山は宝塔山など、右の建物は佐土原保育所、車道も見えています。



写真AL: 佐土原小学校から見た弁天山。歩道橋も見えています。



写真AM: 佐土原人形を作っている「佐土原人形ますや」。 佐土原小学校の隣にあります。
佐土原人形製作所と佐土原人形販売店です。



写真AN: 佐土原人形の販売店です。
佐土原人形は400年以上の歴史を持つ佐土原町の伝統工芸です。 佐土原町 上田島にある「ますや」は約160年前に創業した老舗です。 ひな人形、節句人形など各種の佐土原人形を作っています。 昔からの手法は「手押し型」と呼(よ)ばれます。 粘土を棒で伸ばし型に押し付けて形を作ります。 水性絵の具を重ねて図柄、色を付けます。



写真AO: 宮崎市 佐土原町の伝統工芸品 「佐土原人形」です。
饅頭喰い(まんじゅうくい)
「お父さんとお母さんとどちらが好き」という問に童子が、持っていた饅頭を2つに割り「このどちらがおいしい」と問い返したという話をもとに作られた人形です。 (京都府の)伏見人形に原型をもつこの人形は佐土原ではまげをつけて女の子になったものが有名です。
と書かれています。



写真AP: 佐土原のシンボルである鯨(くじら)に子供が乗った佐土原人形です。
佐土原人形は400年以上の歴史を持つ佐土原町の伝統工芸です。 佐土原町 上田島にある「ますや」は約160年前に創業した老舗です。 ひな人形、節句人形など各種の佐土原人形を作っています。 昔からの手法は「手押し型」と呼(よ)ばれます。 粘土を棒で伸ばし型に押し付けて形を作ります。 水性絵の具を重ねて図柄、色を付けます。



写真AQ: お雛様(ひなさま)の佐土原人形です。 3月3日の「ひな祭り」のときに飾られます。



写真AR: おじいさんとおばあさんが箒(ほうき)を持った佐土原人形です。



写真AS: 明治時代に作られた古い「佐土原人形」も展示してあります。
佐土原人形は400年以上の歴史を持つ佐土原町の伝統工芸です。 佐土原町 上田島にある「ますや」は約160年前に創業した老舗です。 ひな人形、節句人形など各種の佐土原人形を作っています。 昔からの手法は「手押し型」と呼(よ)ばれます。 粘土を棒で伸ばし型に押し付けて形を作ります。 水性絵の具を重ねて図柄、色を付けます。



写真AT: お猿さんの佐土原人形です。



写真AU: 佐土原人形の製作所の窓に「佐土原人形」が展示してあります。



写真AV: 佐土原小学校からの弁天山。 山頂にテレビ中継アンテナが見えています。 右は佐土原小学校。



写真AW: 宮崎市立 佐土原小学校です。 門に「学習館」と書いてあります。
宮崎市立 佐土原小学校は宮崎県 宮崎市 佐土原町 上田島 1350番地9 にあります。
佐土原小学校は元 (もと)は佐土原藩藩校の「学習館」でした。 設立は1825年11月2日です。 創立者は佐土原藩です。



写真AX: 学習館の門の右側に大きなブングルマ (神代コマ)があります。 佐土原小学校です。
佐土原町の名物 「ぶんぐるま」。
佐土原町の「ぶんぐるま」は竹製の うなりごま(唸り独楽) です。 竹製の黒い胴と上下の赤く塗られた蓋(ふた)、回すための竹の棒で出来ています。 江戸時代からの伝統竹細工です。 江戸時代の参勤交代の時に、お土産に渡すと、喜ばれたそうです。 胴の部分には四角の穴が開いていて、回すとぶーんぶんと唸(うな)ります。 これが名前の由来です。 胴の黒い部分は、丸の十の字(島津家の家紋)の模様の和紙を水で貼り付けて、松の枝でいぶし焼きします。 竹の皮の油と松ヤニが混ざって、黒く仕上がります。 「神代ごま」とも呼ばれますが、これは近年、地方に売り出すための商品名です。



写真AY: 学習館の門の左に大きなウズラ車が2つ飾ってあります。 佐土原小学校。
うずら車は伝統民芸品の木製おもちゃです。 野鳥の 鶉(うずら) に2つ車が付いて、動きます。 広瀬の久峰観音や国富町の法華嶽薬師で売られていました。 子供の頃、うずら車で遊んだ記憶があります。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)