仏舎利塔 紫波洲崎城城山公園 宮崎白浜オートキャンプ場 (宮崎市)






<仏舎利塔、紫波洲崎城跡の標高、位置>
標高 62 m
 北緯31度47分22秒  東経131度28分44秒


青島から南を見ると、岬の山の上に白い建物が目立ちます。 これが宮崎 仏舎利塔です。 標高62 m です。 仏舎利塔があるところは城山と言われています。 ここは昔、紫波洲崎城があった所です。 この城山の岬の南には、白浜があります。 そこには、白浜オートキャンプ場、白浜海水浴場があります。

 「紫波洲崎城」の説明板から、
 日向灘に突出した丘陵端部に立地する。 北西側から西側眼下に突波川河口、青島漁港、折生迫集落が広がり、北側に青島、東側では日向灘を一望できる断崖絶壁の天然の要害上に築造されている。 その特異な立地条件より、海 (港)を治めた城と推定される。
 現在、仏舎利塔がある平面L字形の平坦面 (標高 65 m)が当時の主郭 (しゅかく)と推定され、主郭を中心に北西側 (現在、展望台がある箇所 (かしょ))、南西側に曲輪 (くるわ)が築かれており、南西側曲輪との間は、深い空堀 (からぼり)で区切られている。
 本城は戦国時代を通して伊東 氏、島津 氏の争奪の舞台となった。 永禄年間 (1558−1570年)には伊東48城 (塁)のひとつに数えられ、川崎上総府が城主であった。 天正5年 (1577年)以降は島津 氏 領となり、宮崎地頭で上井覚兼の父、上井薫兼が在城した。 天正15年の豊臣秀吉の九州平定後は、再び伊東 氏 領となり元和元年 (1615年)の一国一城令により廃城となった。


写真A: 「宮崎白浜オートキャンプ場」。 ここから車道が城山の中腹まであります。 仏舎利塔に登るときには、この道を使います。
 

写真B: 「宮崎白浜オートキャンプ場」。 このようなテントが張られます。 背の高い木は、ワシントン椰子(やし)です。



写真C: 先には日向灘が見えています。 ワシントン椰子の間の芝生に、テントが張られています。



写真D: 白浜オートキャンプ場。 遠くの左の山には、戸崎鼻灯台があります。 夜になると灯台の光が回転します。



写真E: 城山の中腹にある駐車場には、城山公園の地図と説明板があります。 城山公園には遊歩道があり、青島港の方に下ることも出来ます。 この地図の真ん中にある丸いものが、仏舎利塔です。



写真F: 城山に昔あった「紫波洲崎城の説明板」。 この城は伊東氏、島津氏、豊臣秀吉軍が来たとき以後は伊東氏のものになっていました。 1615年の一国一城令で廃城になりました。
「紫波洲崎城」の説明板があります。
 日向灘に突出した丘陵端部に立地する。 北西側から西側眼下に突波川河口、青島漁港、折生迫集落が広がり、北側に青島、東側では日向灘を一望できる断崖絶壁の天然の要害上に築造されている。 その特異な立地条件より、海 (港)を治めた城と推定される。
 現在、仏舎利塔がある平面L字形の平坦面 (標高 65 m)が当時の主郭 (しゅかく)と推定され、主郭を中心に北西側 (現在、展望台がある箇所 (かしょ))、南西側に曲輪 (くるわ)が築かれており、南西側曲輪との間は、深い空堀 (からぼり)で区切られている。
 本城は戦国時代を通して伊東 氏、島津 氏の争奪の舞台となった。 永禄年間 (1558−1570年)には伊東48城 (塁)のひとつに数えられ、川崎上総府が城主であった。 天正5年 (1577年)以降は島津 氏 領となり、宮崎地頭で上井覚兼の父、上井薫兼が在城した。 天正15年の豊臣秀吉の九州平定後は、再び伊東 氏 領となり元和元年 (1615年)の一国一城令により廃城となった。
と書かれています。



写真G: 中腹の駐車場に車を置いて、遊歩道を登ります。



写真H: 「宮崎仏舎利塔 (ぶっしゃりとう)」。 宮崎市権現町のお寺の尼さんが造られたそうです。 白亜の建物が青空と夕日でとてもきれいでした。 側面の穴には仏像があります。



写真I: 宮崎仏舎利塔の銘碑。



写真J: 仏舎利塔の正面です。 左の木の上に見えるものは、テレビ中継所のアンテナです。



写真K: 上の写真 中央の暗い部分には、このような仏像が安置されています。



写真L: 上の写真を拡大したものです。 昭和47年に造られたと書いてあります。



写真M: 仏舎利塔の西に設置してある、NHKとMRTのテレビ中継所とアンテナ。



写真N: NHKとMRTのテレビ中継所。



写真O: 仏舎利塔の側面の穴にある仏陀(ぶつだ)の涅槃像(ねはんぞう)。



写真P: 仏舎利塔の側面の穴にある仏像。



写真Q: 仏舎利塔の側面にある仏像。



写真R: 城山公園からは青島も見えます。



写真S: 城山公園から見た青島。 浜辺の赤い鳥居や青島神社の社殿、青島に渡る橋(弥生橋)も見えています。 遠くに霞(かす)んでいるのは宮崎市です。



写真T: 城山公園から見た青島の対岸。 廃墟になった大型ホテル(橘ホテル)、グランドホテル、県の運動公園の木の花ドーム(このはなドーム、コノハナドーム)、青島に渡る橋(弥生橋)なども見えています。



写真U: 城山公園の遊歩道。 展望所も見えています。



写真V: 城山公園から南の海岸を望む。 白浜海水浴場、白浜オートキャンプ場(右手前)、農協JAのサンクマールの建物(岬の先端)なども見えています。 岬の山には戸崎鼻灯台があります。 私は昭和31年(1956年)夏に、白浜海水浴場で江平小学校主催のキャンプをしたことがあります。 夜には戸崎鼻灯台の光が、海上を回転しながら照らしていました。



写真W: 戸崎鼻灯台の丘。 先端には農協JAのサンクマールの建物が見えています。 この浜が白浜海水浴場です。



写真X: 城山公園から見た白浜オートキャンプ場、白浜海水浴場、集落などです。



写真Y: 城山公園の展望所です。 右手に戸崎鼻灯台の丘が見えています。



写真Z: 城山公園にあるUMKテレビ中継所とアンテナ。 右下に青島の一部も見えています。



写真AA: UMK青島TV中継局。 映像3ワット、音声0.75ワットで電波を出しています。



写真AB: 城山公園の遊歩道。



写真AC: 城山公園の遊歩道。



写真AD: 城山公園の遊歩道。 遠くに東屋(あずまや)も見えています。 青島港の方に下ることも出来ます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)