宮崎八幡宮、御旅所(瀬頭御旅所)、恒久神社 (宮崎はちまんぐう、せがしら御旅所、つねひさ神社、宮崎地方裁判所、宮崎県警察本部、八幡保育園、赤江小学校)  (宮崎県宮崎市)







<標高、位置>  宮崎八幡宮(宮崎はちまんぐう)は
標高 約数 m
 北緯31度54分41秒  東経131度25分32秒

<標高、位置>  瀬頭御旅所(せがしら御旅所)は
標高 約数 m
 北緯31度54分26秒  東経131度25分44秒

<標高、位置>  恒久神社(つねひさ神社)は
標高 約数 m
 北緯31度53分11秒  東経131度25分42秒


 宮崎八幡宮の説明板から
 宮崎八幡宮は
一、御祭神
 応神天皇(八幡大神)
仲哀天皇
神功皇后 
  伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)
  伊邪那美命  (いざなみのみこと)
  橘 大 神  (たちばなのおおかみ)
末社: 稲荷社、祖霊社
一、御祭日
 歳旦祭 1月1日、どんど焼祭 1月14日、新年祭 2月17日、春祭 4月15日、子供の日祭典 5月5日、夏祭り 7月下旬、例祭 10月15日、新嘗祭(にいなめさい) 11月23日、大祓 6月12月末日
一、御由緒
 応神天皇は弓矢武芸の神としてのみならず我が国の文教開発の祖神、殖産興業の守護神として古来あまねく国民の崇敬するところであります。 御父、仲哀天皇、御母、神功皇后と共に約4万社に奉斎せられ八幡大神と称(とな)えられています。
 宮崎八幡宮は平安時代に創建された古社であります。 永承年間 国司 海為隆がこの地に来り、宮崎平野の開拓に当たり上下の尊崇のあつかった宇佐八幡宮を勧請し、旧来この地に奉祀されていた橘の大神と共に合祀したのが当社の創建であります。
 古くは領主武将の崇敬あつく明治4年八幡神社としていち早く郷社に列せられてきました。 昭和43年12月神社の発展と共に宮崎八幡宮と御改称になり境域の拡大、整備、御造営が行われ昭和53年10月、御拝殿、神門が竣工しました。

 瀬頭御旅所は10月末の宮崎神宮大祭の御神輿(おみこし)が泊(と)まります。 瀬頭御旅所は1913年に建設されました。 1965年から御旅所は瀬頭(奇数年)、中村(偶数年、中村4丁目)の隔年交代となりました。

 恒久神社の説明板から
 恒久神社は都万(つま)の宮(西都市都万神社)を寛治4年(西暦1090年)4月勧請し奉り、同11月15日現在地に祭祀された。
 御祭神は木花開耶姫(このはなさくやひめ)の命(みこと)(天孫ににぎのみこと の妻)外4神。
 勧請の経緯(いきさつ)は平安時代中頃から江南地方(大淀川以南、本郷南方を中心とした地)に進出し、同地方を開拓し、いわゆる江南国富(くどみ)の荘(荘園)の創始者である妻(都万)の豪族、日下部(くさかべ)氏が同荘園の鎮守の神として同族の氏神 都万の宮を勧請し、江南一宮大明神と称号し祭祀した。 明治4年、恒久神社と改称さる。
 御神徳は江南地方住民の守護神、特に安産子授の神(うぶすの神)、五穀豊穣の神、悪疫 厄払の神 等等、御神徳が語り継がれている。


写真A: 宮崎小学校。 この北の方に「宮崎八幡宮」があります。



写真B: この十字路を先に進みます。 左奥に宮崎八幡宮の鎮守(ちんじゅ)の森が見えています。 右に行くと宮崎県警、裁判所があります。 手前側には宮崎小学校があります。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真C: 十字路にある「奉献 宮崎八幡宮」と書かれた石柱。 上に赤い社殿が付いています。 先に進むと宮崎八幡宮があります。 右に行くと宮崎県警、裁判所があり、手前側には宮崎小学校があります。



写真D: 面白い形の「宮崎八幡宮」の標識。 右は宮崎八幡宮の鎮守の森。



写真E: 宮崎八幡宮へは先に進みます。



写真F: このあたりは「宮田町 3」です。



写真G: 左は宮崎八幡宮の建物です。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真H: 宮崎八幡宮の御祈願受付 神符守札授与所と宮崎八幡宮参集殿です。 建物中へは境内(けいだい)側から入ります。



写真I: 宮崎八幡宮。 赤い鳥居(とりい)、柵(さく)が見えてきました。



写真J: 宮崎八幡宮の柵(さく)。



写真K: 右端は宮崎八幡宮。 先の方は今来た道で、先に宮崎小学校があります。



写真L: 宮崎市宮田町にある宮崎八幡宮。



写真M: 宮崎市の宮崎八幡宮。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真N: 宮崎八幡宮。



写真O: 宮崎八幡宮と彫(ほ)られた石碑(せきひ)、赤い鳥居(とりい)、赤い神門も見えます。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真P: 宮崎八幡宮。 石灯籠(いしどうろう)、説明板も見えます。



写真Q: 宮崎八幡宮の前から北を見た景色。



写真R: 宮崎八幡宮の参集殿(左端)、石灯籠(いしどうろう)、鳥居(とりい)、神門が見えています。



写真S: 宮崎八幡宮の参集殿(左端)、石灯籠(いしどうろう)。



写真T: 宮崎八幡宮参集殿。



写真U: 「宮崎八幡宮」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真V: 宮崎八幡宮の鳥居と神門。



写真W: 宮崎八幡宮の鳥居と神門。



写真X: 宮崎八幡宮の神門。 「萬世泰平」の額(がく)があります。



写真Y: 宮崎市宮田町にある宮崎八幡宮の神門。



写真Z: 宮崎八幡宮の看板(かんばん)。
結婚式、安産祈願、宮詣(みやもうで)、七五三詣、厄祓(やくはらい)、商売繁昌、、学業成就、自動車祓(はらい)、地鎮祭、上棟祭、竣工祭、安全祈願
と書いてあります。



写真AA: 宮崎八幡宮の手水舎(ちょうずや)。
赤い灯篭(とうろう)の右に「百度石」も見えます。



写真AB: 宮崎八幡宮の説明板、石灯籠など。
宮崎八幡宮の説明板には
宮崎八幡宮
一、御祭神
応神天皇(八幡大神)
仲哀天皇
神功皇后 
  伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)
  伊邪那美命  (いざなみのみこと)
  橘 大 神  (たちばなのおおかみ)
末社: 稲荷社、祖霊社
一、御祭日
歳旦祭 1月1日、どんど焼祭 1月14日、新年祭 2月17日、春祭 4月15日、子供の日祭典 5月5日、夏祭り 7月下旬、例祭 10月15日、新嘗祭(にいなめさい) 11月23日、大祓 6月12月末日
一、御由緒
 応神天皇は弓矢武芸の神としてのみならず我が国の文教開発の祖神、殖産興業の守護神として古来あまねく国民の崇敬するところであります。 御父、仲哀天皇、御母、神功皇后と共に約4万社に奉斎せられ八幡大神と称(とな)えられています。
 宮崎八幡宮は平安時代に創建された古社であります。 永承年間 国司 海為隆がこの地に来り、宮崎平野の開拓に当たり上下の尊崇のあつかった宇佐八幡宮を勧請し、旧来この地に奉祀されていた橘の大神と共に合祀したのが当社の創建であります。
 古くは領主武将の崇敬あつく明治4年八幡神社としていち早く郷社に列せられてきました。 昭和43年12月神社の発展と共に宮崎八幡宮と御改称になり境域の拡大、整備、御造営が行われ昭和53年10月、御拝殿、神門が竣工しました。
平成元年11月
宮司謹記
と書かれています。



写真AC: 宮崎八幡宮の説明板。
宮崎八幡宮
一、御祭神
応神天皇(八幡大神)
仲哀天皇
神功皇后 
  伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)
  伊邪那美命  (いざなみのみこと)
  橘 大 神  (たちばなのおおかみ)
末社: 稲荷社、祖霊社
一、御祭日
歳旦祭 1月1日、どんど焼祭 1月14日、新年祭 2月17日、春祭 4月15日、子供の日祭典 5月5日、夏祭り 7月下旬、例祭 10月15日、新嘗祭(にいなめさい) 11月23日、大祓 6月12月末日
一、御由緒
 応神天皇は弓矢武芸の神としてのみならず我が国の文教開発の祖神、殖産興業の守護神として古来あまねく国民の崇敬するところであります。 御父、仲哀天皇、御母、神功皇后と共に約4万社に奉斎せられ八幡大神と称(とな)えられています。
 宮崎八幡宮は平安時代に創建された古社であります。 永承年間 国司 海為隆がこの地に来り、宮崎平野の開拓に当たり上下の尊崇のあつかった宇佐八幡宮を勧請し、旧来この地に奉祀されていた橘の大神と共に合祀したのが当社の創建であります。
 古くは領主武将の崇敬あつく明治4年八幡神社としていち早く郷社に列せられてきました。 昭和43年12月神社の発展と共に宮崎八幡宮と御改称になり境域の拡大、整備、御造営が行われ昭和53年10月、御拝殿、神門が竣工しました。
平成元年11月
宮司謹記
と書かれています。



写真AD: 境内(けいだい)から見た神門、手水舎。



写真AE: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真AF: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真AG: 宮崎八幡宮のクスノキの神木。



写真AH: 宮崎八幡宮のクスノキの神木。



写真AI: 宮崎八幡宮の絵馬を掛ける所。



写真AJ: 拝殿の前にある「御鎮座所址(あと)」の石碑(せきひ)。 上に神社の模型があります。



写真AK: 宮崎八幡宮の社殿。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真AL: 宮崎八幡宮の社殿。



写真AM: 宮崎八幡宮の境内。



写真AN: 宮崎八幡宮の社殿。



写真AO: 宮崎八幡宮の境内。 桜の花が咲いていました。



写真AP: 宮崎八幡宮の桜の花。



写真AQ: 宮崎八幡宮の桜の花と青銅のコマイヌ。



写真AR: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真AS: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真AT: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真AU: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。 中央は御神木(クスノキ)。



写真AV: 宮崎八幡宮の御神木(クスノキ)と石碑(せきひ)。 後ろは武徳殿。



写真AW: 御神木(クスノキ)。



写真AX: 御神木(クスノキ)。



写真AY: 御神木(クスノキ)。



写真AZ: 「緑の保全地区」の看板(かんばん)。
地区名 宮崎八幡宮、面積 6,219平方メートル、樹種 クスノキ、イヌマキ等、指定番号 I-18 、指定年月日 平成16年4月1日、宮崎市
と書いてあります。
左は楠(くすのき)の神木。



写真BA: 宮崎八幡宮の石碑(せきひ)。 これは昭和56年10月竣工。



写真BB: 宮崎八幡宮の武徳殿。



写真BC: 宮崎八幡宮の武徳殿。



写真BD: 宮崎八幡宮の武徳殿。



写真BE: 宮崎八幡宮の武徳殿。



写真BF: 宮崎八幡宮の武徳殿。



写真BG: 宮崎八幡宮の武徳殿。



写真BH: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真BI: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真BJ: 宮崎八幡宮の桜の花。



写真BK: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。 右は宮崎八幡宮参集殿。



写真BL: 宮崎八幡宮の御祈願受付、神符守札授与所、宮崎八幡宮参集殿。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真BM: 宮崎八幡宮の御祈願受付、神符守札授与所、宮崎八幡宮参集殿。



写真BN: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真BO: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真BP: 宮崎八幡宮参集殿。



写真BQ: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真BR: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真BS: 宮崎八幡宮の手水舎(ちょうずや)。



写真BT: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真BU: 右は宮崎八幡宮参集殿。 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真BV: 水神、地神、荒神と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。



写真BW: 宮崎八幡宮の手水(ちょうず)。 龍(りゅう)の口から水が出ています。



写真BX: 宮崎八幡宮の手水(ちょうず)。 龍(りゅう)の口から水が出ています。



写真BY: 宮崎八幡宮の中。



写真BZ: 宮崎八幡宮の額(がく)と鈴。



写真CA: 宮崎八幡宮の祓殿と鳥居(とりい)。



写真CB: 石像があります。



写真CC: 宮崎八幡宮のおみくじを掛ける所。



写真CD: 古い石碑があります。



写真CE: 宮崎八幡宮の祓殿。



写真CF: 宮崎八幡宮の祓殿。



写真CG: 稲荷神社(いなり神社)の赤い鳥居が多く並んでいます。



写真CH: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真CI: 宮崎八幡宮の稲荷神社(いなり神社)。



写真CJ: 宮崎八幡宮の本殿。



写真CK: 宮崎八幡宮の本殿(右)と拝殿。



写真CL: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真CM: 宮崎八幡宮の稲荷神社(いなり神社)。



写真CN: 宮崎八幡宮の本殿の裏にある水神などの石造物。



写真CO: 宮崎八幡宮の本殿の裏にある石造物。



写真CP: 宮崎八幡宮の本殿の裏にあるソテツの木。



写真CQ: 水神の石造物。



写真CR: 水神の石造物。



写真CS: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真CT: 宮崎八幡宮の本殿(左)。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真CU: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真CV: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真CW: 宮崎八幡宮の末社。



写真CX: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真CY: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真CZ: 宮崎八幡宮の「八幡保育園」。



写真DA: 宮崎八幡宮の「八幡保育園」。



写真DB: 宮崎八幡宮の祖霊殿。



写真DC: 宮崎八幡宮の祖霊殿。



写真DD: 宮崎八幡宮の祖霊殿。



写真DE: 宮崎八幡宮の拝殿。 左にオミクジを売っています。



写真DF: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真DG: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真DH: 宮崎八幡宮の神門。



写真DI: 宮崎八幡宮の神門から外を見た景色。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真DJ: 宮崎八幡宮の前の景色。 左に説明板が見えます。



写真DK: 宮崎八幡宮にある説明板。
[渡別府]
 このあたりは、平安時代から鎌倉時代にかけては渡別府(わたりのべっぷ)といわれ、その頃、ここに橘大神と共に宇佐八幡を祀(まつ)り、この地域の開拓にあたったと言われています。 又、江戸時代には上別府(かみのびゅう)といわれ明治時代末期に宮田町と変更されました。
[杉田塾]
この場所は江戸時代に杉田千蔭が大分の日田の学者 広瀬淡窓の威宣園に修学し帰郷の後 杉田塾という学舎を開設した所です。 江戸時代 庶民の学問をするところは少なくここには多数の門下生が学び、世に送り出されました。 (江戸時代末期から明治5年まで続きました。)
 明治5年学制領布により、ここに上別府小学校が開設され、それが今の宮崎小学校の母体となりました。
と書かれています。



写真DL: 宮崎八幡宮にある説明板。
[渡別府]
 このあたりは、平安時代から鎌倉時代にかけては渡別府(わたりのべっぷ)といわれ、その頃、ここに橘大神と共に宇佐八幡を祀(まつ)り、この地域の開拓にあたったと言われています。 又、江戸時代には上別府(かみのびゅう)といわれ明治時代末期に宮田町と変更されました。
[杉田塾]
この場所は江戸時代に杉田千蔭が大分の日田の学者 広瀬淡窓の威宣園に修学し帰郷の後 杉田塾という学舎を開設した所です。 江戸時代 庶民の学問をするところは少なくここには多数の門下生が学び、世に送り出されました。 (江戸時代末期から明治5年まで続きました。)
 明治5年学制領布により、ここに上別府小学校が開設され、それが今の宮崎小学校の母体となりました。
と書かれています。



写真DM: 宮崎八幡宮の境内(けいだい)。



写真DN: 宮崎八幡宮の前の景色。 南方向を見たもの。
宮崎八幡宮は宮崎県宮崎市宮田町3番27号にあります。



写真DO: 宮崎八幡宮の前の景色。 南方向を見たもの。



写真DP: 宮崎八幡宮の柵(さく)。 宮田町 3-27と書いてあります。



写真DQ: 最初に来た道を宮崎八幡宮から南に進みます。



写真DR: 宮崎市にある裁判所。 宮崎市旭2-3-13にある宮崎地方裁判所、宮崎家庭裁判所、宮崎簡易裁判所。



写真DS: バス停「裁判所前」。



写真DT: 宮崎市にある裁判所と宮崎県警察本部(右の建物)。



写真DU: バス停「瀬頭(せがしら)2丁目」。 先に行くと宮崎駅があります。



写真DV: 瀬頭交差点(せがしら交差点)。



写真DW: 瀬頭交差点(せがしら交差点)。 先に進むと大淀川の大淀大橋があります。 その途中に「瀬頭御旅所」があります。 右に行くと宮崎市役所があります。 左に進むと宮崎港に行きます。



写真DX: 瀬頭交差点から南に行くと左に「瀬頭御旅所」の鎮守(ちんじゅ)の森が見えてきました。



写真DY: 瀬頭交差点のレストラン跡。



写真DZ: 瀬頭交差点から東方向を見た景色。 JR日豊線の高架が見えます。



写真EA: 「瀬頭(せがしら) 御旅所」。 鳥居(とりい)、建物、柵(さく)、右手に「宮崎神宮御旅所」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)が見えます。 ここは大淀川の北になります。 10月末の宮崎神宮大祭の御神輿(おみこし)が泊(と)まる瀬頭御旅所は1913年に建設されました。 1965年から御旅所は瀬頭(奇数年)、中村(偶数年、中村4丁目)の隔年交代となりました。



写真EB: 宮崎神宮の瀬頭御旅所。 「宮崎神宮御旅所」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)が見えます。



写真EC: 宮崎神宮の瀬頭御旅所。



写真ED: 宮崎神宮の瀬頭御旅所。 歩道橋の上から見たもの。



写真EE: 「宮崎神宮御旅所」と彫(ほ)られた石碑(せきひ)。
10月末の宮崎神宮大祭の御神輿(おみこし)が泊(と)まる瀬頭御旅所は1913年に建設されました。 1965年から御旅所は瀬頭(奇数年)、中村(偶数年、中村4丁目)の隔年交代となりました。



写真EF: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の建物。 ここは大淀川の北になります。 10月末の宮崎神宮大祭の御神輿(おみこし)が泊(と)まる瀬頭御旅所は1913年に建設されました。 1965年から御旅所は瀬頭(奇数年)、中村(偶数年、中村4丁目)の隔年交代となりました。



写真EG: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の石碑(せきひ)が手前に見えます。



写真EH: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の建物。



写真EI: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の境内(けいだい)。
10月末の宮崎神宮大祭の御神輿(おみこし)が泊(と)まる瀬頭御旅所は1913年に建設されました。 1965年から御旅所は瀬頭(奇数年)、中村(偶数年、中村4丁目)の隔年交代となりました。



写真EJ: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の境内(けいだい)。



写真EK: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の境内(けいだい)。 ベンチも見えます。



写真EL: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の境内(けいだい)。



写真EM: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の建物。
10月末の宮崎神宮大祭の御神輿(おみこし)が泊(と)まる瀬頭御旅所は1913年に建設されました。 1965年から御旅所は瀬頭(奇数年)、中村(偶数年、中村4丁目)の隔年交代となりました。



写真EN: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の建物。



写真EO: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の境内(けいだい)。 ブランコ、ベンチも見えます。



写真EP: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の境内(けいだい)。 鳥居(とりい)も見えます。



写真EQ: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の境内(けいだい)。



写真ER: 宮崎神宮の瀬頭御旅所。
10月末の宮崎神宮大祭の御神輿(おみこし)が泊(と)まる瀬頭御旅所は1913年に建設されました。 1965年から御旅所は瀬頭(奇数年)、中村(偶数年、中村4丁目)の隔年交代となりました。



写真ES: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の建物の中。



写真ET: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の建物の中。



写真EU: 宮崎神宮の瀬頭御旅所の建物の中。



写真EV: 宮崎市立 赤江小学校。 車道の先の森が「恒久神社(つねひさ神社)」です。 この車道を手前に行くと大淀川の小戸之橋があります。



写真EW: バス停「赤江小前」。 ここは大淀川の南になります。



写真EX: 先の森が「恒久神社(つねひさ神社)」の鎮守(ちんじゅ)の森です。



写真EY: この道を先に進むと宮崎空港、清武町があります。 左に曲がると一ッ葉有料道路があります。



写真EZ: 恒久神社の鳥居(とりい)が見えてきました。 ここは大淀川の南になります。 恒久神社は宮崎県宮崎市大字恒久582にあります。



写真FA: 恒久神社(つねひさ神社)の鳥居(とりい)。



写真FB: 恒久神社(つねひさ神社)の前の景色。 



写真FC: 恒久神社(つねひさ神社)。



写真FD: 恒久神社(つねひさ神社)。



写真FE: 恒久神社(つねひさ神社)の前の様子。



写真FF: 恒久神社(つねひさ神社)は宮崎県宮崎市大字恒久582にあります。
恒久神社は都万(つま)の宮(西都市都万神社)を寛治4年(西暦1090年)4月勧請し奉り、同11月15日現在地に祭祀された。
 御祭神は木花開耶姫(このはなさくやひめ)の命(みこと)(天孫ににぎのみこと の妻)外4神。
勧請の経緯(いきさつ)は平安時代中頃から江南地方(大淀川以南、本郷南方を中心とした地)に進出し、同地方を開拓し、いわゆる江南国富(くどみ)の荘(荘園)の創始者である妻(都万)の豪族、日下部(くさかべ)氏が同荘園の鎮守の神として同族の氏神 都万の宮を勧請し、江南一宮大明神と称号し祭祀した。 明治4年、恒久神社と改称さる。
御神徳は江南地方住民の守護神、特に安産子授の神(うぶすの神)、五穀豊穣の神、悪疫 厄払の神 等等、御神徳が語り継がれている。



写真FG: 恒久神社の入り口。



写真FH: 宮崎市恒久の恒久神社の鳥居(とりい)。



写真FI: 恒久神社(つねひさ神社)は宮崎県宮崎市大字恒久582にあります。



写真FJ: 鳥居にある「恒久神社」と書かれた額(がく)。



写真FK: 恒久神社の拝殿と石灯籠(いしどうろう)、説明板。 恒久神社(つねひさ神社)は宮崎県宮崎市大字恒久582にあります。
恒久神社は都万(つま)の宮(西都市都万神社)を寛治4年(西暦1090年)4月勧請し奉り、同11月15日現在地に祭祀された。
 御祭神は木花開耶姫(このはなさくやひめ)の命(みこと)(天孫ににぎのみこと の妻)外4神。
勧請の経緯(いきさつ)は平安時代中頃から江南地方(大淀川以南、本郷南方を中心とした地)に進出し、同地方を開拓し、いわゆる江南国富(くどみ)の荘(荘園)の創始者である妻(都万)の豪族、日下部(くさかべ)氏が同荘園の鎮守の神として同族の氏神 都万の宮を勧請し、江南一宮大明神と称号し祭祀した。 明治4年、恒久神社と改称さる。
御神徳は江南地方住民の守護神、特に安産子授の神(うぶすの神)、五穀豊穣の神、悪疫 厄払の神 等等、御神徳が語り継がれている。



写真FL: 「緑の保全地区」の看板(かんばん)。
地区名 恒久神社、面積 5,743平方メートル、樹種 スギ、イヌマキなど、指定番号 I-1 、指定年月日 平成16年4月1日、 宮崎市
と書いてあります。



写真FM: 恒久神社の石碑(せきひ)。 大砲の砲弾の石造物も見えます。



写真FN: 恒久神社の石碑(せきひ)。 大砲の砲弾の石造物も見えます。



写真FO: 恒久神社の石碑(せきひ)。 大砲の砲弾の石造物も見えます。



写真FP: 恒久神社の狛犬(こまいぬ、大正15年3月建立)、石灯籠(いしどうろう)。



写真FQ: 恒久神社の狛犬(こまいぬ)、石灯籠(いしどうろう)。



写真FR: 恒久神社の石灯籠(いしどうろう)。 奥に手水舎(ちょうずや)も見えます。



写真FS: 恒久神社の石灯籠(いしどうろう)。 奥に手水舎(ちょうずや)も見えます。



写真FT: 恒久神社の狛犬(こまいぬ、大正15年3月建立)と石灯籠(いしどうろう)。



写真FU: 恒久神社の狛犬(こまいぬ)、石灯籠(いしどうろう)。



写真FV: 恒久神社の石灯籠(いしどうろう)。



写真FW: 恒久神社の石灯籠(いしどうろう)。



写真FX: 恒久神社の社殿。
恒久神社は都万(つま)の宮(西都市都万神社)を寛治4年(西暦1090年)4月勧請し奉り、同11月15日現在地に祭祀された。
 御祭神は木花開耶姫(このはなさくやひめ)の命(みこと)(天孫ににぎのみこと の妻)外4神。
勧請の経緯(いきさつ)は平安時代中頃から江南地方(大淀川以南、本郷南方を中心とした地)に進出し、同地方を開拓し、いわゆる江南国富(くどみ)の荘(荘園)の創始者である妻(都万)の豪族、日下部(くさかべ)氏が同荘園の鎮守の神として同族の氏神 都万の宮を勧請し、江南一宮大明神と称号し祭祀した。 明治4年、恒久神社と改称さる。
御神徳は江南地方住民の守護神、特に安産子授の神(うぶすの神)、五穀豊穣の神、悪疫 厄払の神 等等、御神徳が語り継がれている。



写真FY: 恒久神社の御手洗(みたらい)と石灯籠。 説明板も左奥に見えています。



写真FZ: 恒久神社の御手洗(みたらい)。



写真GA: 「恒久神社 御祭神並行事表」
祭神(正殿) このはなさくやひめ命、1月1日 元旦祭、2月11日 建国記念祭、3月4日 祈年祭 作祈祷神楽舞、6月30日 大祓祭、旧6月28日 神幸前夜祭、旧6月29日 神幸祭、旧9月8日 例祭前夜祭、旧9月9日 例祭、11月15日 七五三祭典、11月23日 新穀感謝祭、12月23日 天皇誕生祭 氏子誕生安泰祭、星祭り、12月31日 大祓祭 除夜祭、毎月1日 交通安全 家内安全 氏子安全 祈願。
と書かれています。



写真GB: 恒久神社の境内(けいだい)。



写真GC: 恒久神社の境内(けいだい)。 本殿、末社も見えます。



写真GD: 恒久神社の「郷土の名木 ナギ (宮崎市)」とその標識棒。



写真GE: 恒久神社の「郷土の名木 ナギ (宮崎市)」。



写真GF: 恒久神社の「郷土の名木 ナギ (宮崎市)」。



写真GG: 恒久神社の「郷土の名木 クロガネモチ (宮崎市)」。 右奥の切り倒されているものがそれと思われます。



写真GH: 恒久神社の「郷土の名木 クロガネモチ (宮崎市)」。 右奥の切り倒されているものがそれと思われます。



写真GI: 「恒久神社社務所」。



写真GJ: 恒久神社の社務所。



写真GK: 恒久神社の駐車場。



写真GL: 恒久神社の駐車場。 左の木の陰の建物は社務所。



写真GM: 恒久神社の駐車場。



写真GN: 恒久神社の駐車場。



写真GO: 恒久神社の駐車場。



写真GP: 恒久神社の東側の車道。



写真GQ: 恒久神社掲示板。



写真GR: 恒久神社のそばの十字路。 先に行くと宮崎空港、清武町に行きます。



写真GS: 恒久神社の「車はらい所」。



写真GT: 寄付をした人の名前を書いた看板。 車祓(はら)い所。



写真GU: 駐車場と社殿を結ぶ道。 物置小屋もあります。



写真GV: 恒久神社の境内(けいだい)。



写真GW: 恒久神社の境内(けいだい)。



写真GX: 恒久神社の末社(ひだり)、本殿(中央)、拝殿(右)。



写真GY: 恒久神社の拝殿。



写真GZ: 恒久神社の拝殿。



写真HA: 恒久神社の拝殿(左)、石灯籠、鳥居(とりい)、説明板も見えています。



写真HB: 恒久神社の境内(けいだい)。



写真HC: 恒久神社(つねひさ神社)の本殿。



写真HD: 恒久神社(つねひさ神社)の本殿。



写真HE: 恒久神社(つねひさ神社)の本殿。



写真HF: 恒久神社の本殿(左)と拝殿(右)。



写真HG: 恒久神社(つねひさ神社)の本殿。



写真HH: 恒久神社の末社。 説明板も見えます。



写真HI: 恒久神社の末社の説明板。
若宮様(童子の守護神(まもりがみ))
 江南の恒久の地に、四方に楠(くすのき)4本立つ所あり。 そこに宮居造営せよと、一人の童子忽然(こつぜん)と現れ御信託を告げて姿消えたもうたとある。 童子(男)を祀(まつ)る人皇73代堀川院の御世 国富の荘大官、稲富宿称は神禄300石を寄付したとある。
後世、稲荷の神を合祀(ごうし)す。 以上、日下部(くさかべ)の子孫 金田氏(奉仕堂)所蔵 一の宮大明神(恒久神社)縁起による。
と書かれています。



写真HJ: 恒久神社の本殿。



写真HK: 恒久神社の境内。



写真HL: 恒久神社の末社。 説明板も見えます。



写真HM: 恒久神社の末社の説明板。
駒宮(こまみや)様(童女の守護神(まもりがみ))
 都万の宮(西都市にある都萬神社)を江南の地に遷(うつ)すべし、吾(われ)江南の住民を守らんと神懸(かみがかり)して御神託(しんたく)を告げた。 都万神社(都萬神社)の神主、日下部春隆の息女、隆姫を祀(まつ)る。
 後世、御年の神(豊作の神)を合祀(ごうし)す。
と書かれています。



写真HN: 恒久神社の末社。



写真HO: 恒久神社の末社。



写真HP: 境内にあるモウソウダケの竹林。



写真HQ: 恒久神社の境内には美しい竹林があります。



写真HR: 恒久神社の境内(けいだい)。



写真HS: 「平成2年11月 祝 恒久神社 遷座 900年祭、寄贈 飛江田保育園」と書かれた看板が残っていました。



写真HT: 恒久神社の境内。



写真HU: 恒久神社の境内。



写真HV: 恒久神社の境内。



写真HW: 恒久神社の末社。



写真HX: 境内には南恒久公民館があります。



写真HY: 南恒久公民館。



写真HZ: 南恒久公民館。 左奥に恒久神社の末社も見えます。



写真IA: 「南恒久公民館」と書かれた看板。



写真IB: 恒久神社の石碑(せきひ)。



写真IC: 恒久神社の拝殿と石灯籠(いしどうろう)。



写真ID: 恒久神社の石碑(せきひ)。



写真IE: 境内にはイチョウの木があります。



写真IF: 恒久神社のイチョウの木。



写真IG: 恒久神社のコマイヌ(昭和5年建立、1匹だけのようです。)、石灯籠、石碑。



写真IH: 恒久神社の境内。 鳥居の外に工事のトラックが来ていました。



写真II: 宮崎市にある恒久神社の社殿。



写真IJ: 「江南一宮大明神」と書かれた額(がく)が拝殿に掛(か)けてあります。 恒久神社は宮崎県宮崎市大字恒久582にあります。



写真IK: 恒久神社。 「龍(竜)の彫(ほ)り物」があります。



写真IL: 「恒久神社由緒(ゆいしょ)」の看板。
恒久神社は都万(つま)の宮(西都市都万神社)を寛治4年(西暦1090年)4月勧請し奉り、同11月15日現在地に祭祀された。
 御祭神は木花開耶姫(このはなさくやひめ)の命(みこと)(天孫ににぎのみこと の妻)外4神。
勧請の経緯(いきさつ)は平安時代中頃から江南地方(大淀川以南、本郷南方を中心とした地)に進出し、同地方を開拓し、いわゆる江南国富(くどみ)の荘(荘園)の創始者である妻(都万)の豪族、日下部(くさかべ)氏が同荘園の鎮守の神として同族の氏神 都万の宮を勧請し、江南一宮大明神と称号し祭祀した。 明治4年、恒久神社と改称さる。
御神徳は江南地方住民の守護神、特に安産子授の神(うぶすの神)、五穀豊穣の神、悪疫 厄払の神 等等、御神徳が語り継がれている。
昭和64年1月1日
と書かれています。



写真IM: 宮崎市の恒久神社の鈴。



写真IN: 恒久神社の拝殿。



写真IO: 恒久神社の中。 手前はお賽銭箱(おさいせんばこ)。



写真IP: 恒久神社の中。 手前はお賽銭箱(おさいせんばこ)。



写真IQ: 恒久神社の中。 手前はお賽銭箱(おさいせんばこ)。



写真IR: 恒久神社(つねひさ神社)は宮崎県宮崎市大字恒久582にあります。 鳥居の外に工事のトラックが止まっていました。



写真IS: 恒久神社の前の様子。



写真IT: 恒久神社の北東にある赤江小学校(左の4階建て)、フーデリー(食料品店)、携帯電話のアンテナの左奥は赤江東中学校。



写真IU: フーデリー(Foodaly、食料品店)、携帯電話のアンテナの左奥は赤江東中学校。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)