牧場の桜(桜祭り、菜の花)、霧島岑神社、閉校の頃の県立小林商業高等学校 (まきばの桜、独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場、きりしまみねじんじゃ、霧島山、霧島連山、霧島山系、霧島連山の展望、高千穂峰の展望、閉校する前後の小林商高)  (宮崎県 小林市 大字細野、大字堤)







<標高、位置>  「牧場の桜(まきばのさくら)」の細野の入り口は
標高 約220 m
 北緯31度58分33秒  東経130度57分49秒

<標高、位置>  独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場は
標高 約280 m
 北緯31度58分12秒  東経130度56分49秒

<標高、位置>  霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)は
標高 約240 m
 北緯31度57分58秒  東経130度57分29秒

<標高、位置>  旧 宮崎県立 小林商業高等学校は
標高 約200 m
 北緯31度58分59秒  東経130度59分04秒


 「牧場の桜(まきばの桜)」は宮崎県 小林市 大字細野にあります。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。

 「霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)」は宮崎県 小林市 大字細野 夷守 4937 にあります。
霧島岑神社は社伝によると837年8月に従五位上を授けられました(続日本後紀)。 また、858年、従四位下に叙せられています(延喜式神名帳)。 神仏習合の時代は霧島中央権現宮とも言われました。 その後、霧島六社権現の中心として信仰されました。 初めは高千穂峰と御鉢(おはち)の中間点の「背門丘(せおと)」にありましたが、霧島連山の噴火により社殿が焼けました。 それで、1234年に麓に遷座しました。 1716年、新燃岳が噴火し、社殿が再び焼けました。 1725年に夷守岳(ひなもりだけ)の筑地に遷座しました。 1873年(明治6年)に夷守神社を合祀(ごうし)した後、夷守神社跡地に遷座して、現在に至っています。 1872年(明治5年)に県社に列せられました。

 「旧 宮崎県立 小林商業高等学校」は宮崎県 小林市 大字堤 121 にあります。
小林商業高等学校は昭和39年4月、県立小林高等学校から分離独立しました。 幾多の有能な人材を輩出してきました。 平成22年(2010年)3月31日に閉校し、県立 小林秀峰高等学校(小林市水流迫664-2)に小林工業高等学校と統合されて再編されました。


写真A: 県道104号線です。 手前はJR小林駅付近に行きます。 先は霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)を経(へ)てコスモス牧場、ひなもりオートキャンプ場に行きます。 この三叉路(さんさろ)は細野小学校と細野中学校の間にあります。 電柱の後ろは牧場の桜(まきばのさくら)の端(はし)です。 「牧場の桜」へはこの三叉路を右に曲がります。



写真B: 「まきばの桜 入口」の標識があります。



写真C: 夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)の方向(南西)に向かって桜並木が続いています。 車も通れます。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真D: 右は宮崎県小林市にある「牧場の桜」です。 「牧場の桜」の細野の入り口付近の様子です。 自動販売機もあります。



写真E: 「牧場の桜」の細野の入り口付近の様子です。 右の山が夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)、その左が大幡山(おおはたやま、標高 1352.5 m)です。 この二つの山の間に大幡池があります。
夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真F: 宮崎県小林市にある「牧場の桜(まきばの桜)」です。



写真G: 小林市にある「牧場の桜(まきばの桜)」です。



写真H: 桜の花のトンネルになっています。 牧場の桜。



写真I: 来た道を振り返ったもの。 突き当たりが入り口の三叉路です。



写真J: 左の山が高千穂峰の二子石(ふたごいし)、その右が高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)、御鉢(おはち、1408 m)、矢岳(1131.6 m)、中岳(なかだけ、1332.4 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)、大幡山(おおはたやま、1352.5 m)が見えています。



写真K: 「まきばの桜」。



写真L: 「牧場の桜並木づくりにご協力ください 桜の枝が路上に張り出し、大変ご迷惑をおかけしておりますが、車の運転には十分注意して走行してください。 小林市」と書いてある看板(かんばん)があります。



写真M: 左の山が高千穂峰の二子石(ふたごいし)、その右が高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)、御鉢(おはち、1408 m)、矢岳(1131.6 m)、中岳(なかだけ、1332.4 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)。
高千穂峰は「牧場の桜」から南南西に見えます。



写真N: 左から矢岳(1131.6 m)、中岳(なかだけ、1332.4 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)、大幡山(おおはたやま、1352.5 m)が見えています。



写真O: 桜に半分隠れている右の山が夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)、その左が大幡山(おおはたやま、標高 1352.5 m)です。



写真P: 「牧場の桜(まきばの桜)」。



写真Q: 桜の花のトンネル。



写真R: 桜の花。 ソメイヨシノです。



写真S: 花大根(ハナダイコン、はなだいこん)の花が咲いていました。



写真T: 左に植樹記念碑が見えます。 正面の山は夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)。 右(ミラーの後)は甑岳(こしきだけ、1301.4 m)です。 右手前は茶畑で、防霜扇(ぼうそうせん、霜(しも)が降りるのを防ぐ扇風機)があります。



写真U: 宮崎県小林市にある「牧場の桜(まきばの桜)」。 正面の山は夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)。
夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真V: 植樹記念碑。



写真W: 「植樹記念碑の沿革 平成9年3月吉日」と書いてあります。



写真X: 植樹記念碑。



写真Y: 車道のそばには遊歩道もあります。 この付近は三列の桜並木になっています。 遊歩道にも桜の花が散っていてきれいです。



写真Z: 右から甑岳(こしきだけ、1301.4 m)、夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)、大幡山(おおはたやま、1352.5 m)が見えています。
手前は茶畑で防霜扇(ぼうそうせん、霜(しも)が降りるのを防ぐ扇風機)が見えます。 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。
夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真AA: 甑岳(こしきだけ、1301.4 m)。 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。 手前は茶畑と防霜扇(ぼうそうせん、霜(しも)が降りるのを防ぐ扇風機)。



写真AB: 夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)。 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。 手前は茶畑と防霜扇(ぼうそうせん、霜(しも)が降りるのを防ぐ扇風機)。
夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真AC: 右は夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)、左は大幡山(おおはたやま、1352.5 m)。 霧島山(霧島連山、霧島山系のことです)を背景に桜の花が美しい「牧場の桜(まきばの桜)」です。
夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真AD: 遊歩道ではカメラマンがモデル撮影を行っていました。



写真AE: 左の山が高千穂峰の二子石(ふたごいし)、その右が高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)、御鉢(おはち、1408 m)、矢岳(1131.6 m)、中岳(なかだけ、1332.4 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)、大幡山(おおはたやま、1352.5 m)が見えています。
 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。
中央右寄りに宮崎自動車道のサービスエリア「霧島」の2本の塔が見えます。
高千穂峰は「牧場の桜」から南南西に見えます。



写真AF: 左の山が高千穂峰の二子石(ふたごいし)、その右が高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)、御鉢(おはち、1408 m)、矢岳(1131.6 m)、中岳(なかだけ、1332.4 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)、大幡山(おおはたやま、1352.5 m)が見えています。
 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。



写真AG: 左の山が高千穂峰の二子石(ふたごいし)、その右が高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)、御鉢(おはち、1408 m)、矢岳(1131.6 m)、中岳(なかだけ、1332.4 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)が見えています。
 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。
右端に宮崎自動車道のサービスエリア「霧島」の2本の塔が見えます。
高千穂峰は「牧場の桜」から南南西に見えます。



写真AH: 左の山が、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)、大幡山(おおはたやま、1352.5 m)、夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)が見えています。 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。
左寄に宮崎自動車道のサービスエリア「霧島」の2本の塔と周りの桜の花が見えます。



写真AI: 左の山が大幡山(おおはたやま、1352.5 m)、その右が夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)。 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。 その奥に独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場の高い木の列が見えています。
夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真AJ: 牧場の桜と夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)。



写真AK: 牧場の桜の「桜祭り」。 道路沿いに「ぼんぼり(街灯)」があります。 ちょうど農機具が通っていました。



写真AL: 「まきばの桜まつり」と書いてある「ぼんぼり(街灯)」。



写真AM: ボンボリの柱に「小林市観光協会」と書いてあります。



写真AN: 小林市の牧場の桜祭り。



写真AO: 宮崎県 小林市の「牧場の桜祭り」。 農機具が通っています。



写真AP: 小林市の「牧場の桜祭り」。



写真AQ: そばには畑もあります。 右から甑岳(こしきだけ、1301.4 m)、夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)が見えています。
夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真AR: 左奥は甑岳(こしきだけ、1301.4 m)。 奥に手前の桜並木と直角の桜並木が見えています。



写真AS: 「牧場の桜」の周(まわ)りの景色。



写真AT: 「牧場の桜」の周(まわ)りの景色。



写真AU: 「牧場の桜」の周(まわ)りの景色。



写真AV: まきばの桜。



写真AW: 夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真AX: 高千穂峰は「牧場の桜」から南南西に見えます。



写真AY: 「牧場の桜」の周(まわ)りの景色。



写真AZ: 「牧場の桜」の周(まわ)りの景色。



写真BA: 小林市の「まきばの桜」。



写真BB: 宮崎県 小林市の「まきばの桜」。



写真BC: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。 染井吉野(ソメイヨシノ)の花です。



写真BD: 高千穂峰は「牧場の桜」から南南西に見えます。



写真BE: 高千穂峰は「牧場の桜」から南南西に見えます。



写真BF: 宮崎自動車道のサービスエリア「霧島」の2つの塔も見えています。 矢岳(1131.6 m)、新燃岳(しんもえだけ、1420.8 m)が見えています。



写真BG: スミレの花が咲いていました。



写真BH: キンポウゲ(ウマノアシガタ)の黄色の花が咲いていました。



写真BI: 「まきばの桜まつり、本格焼酎 牧場の桜」と書いてあるボンボリがあります。



写真BJ: 小林市の「牧場の桜」。



写真BK: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。



写真BL: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。 染井吉野(ソメイヨシノ)の花です。



写真BM: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。 染井吉野(そめいよしの)の花です。



写真BN: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。 染井吉野(ソメイヨシノ)の花です。



写真BO: ここはT字路になっています。



写真BP: 夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。



写真BQ: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。 染井吉野(ソメイヨシノ)の花です。 後ろ(右)は夷守岳(ひなもりだけ)と大幡山(左、おおはたやま)です。



写真BR: 「植樹記念碑」と書いてある石碑(せきひ)があります。



写真BS: 「植樹記念碑」と書いてある石碑(せきひ)があります。



写真BT: 右手は駐車場です。



写真BU: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真BV: 桜の木を寄贈したという石碑(せきひ)。



写真BW: 「フラワーラリー、みやざきフラワーフェスタ 2010、牧場の桜並木通り、牧場(まきば)の桜」と書いてある丸い看板(かんばん)がありました。 下の箱には桜祭りのパンフレットが入れてあります。



写真BX: 「フラワーラリー、みやざきフラワーフェスタ 2010、牧場の桜並木通り、牧場(まきば)の桜」と書いてある丸い看板(かんばん)がありました。



写真BY: 桜祭りのパンフレット。



写真BZ: 桜祭りのパンフレット。 夜間照明点灯期間(ライトアップ) 3/19〜4/11まで、ステージイベント、スケッチ大会、お茶会、夜桜花火、山桜苗木プレゼント、主催 まきばの桜まつり実行委員会 共催小林市、小林市教育委員会、小林市観光協会、小林商工会議所
などと書いてあります。



写真CA: 先程来た道を振り返ったもの。



写真CB: 牧場の桜。



写真CC: 「桜の木の植樹記念」の木の棒。



写真CD: 右は駐車場。



写真CE: 駐車場。



写真CF: 駐車場と桜。 遠くは小林市 須木(すき)の山並み。 「牧場の桜」の周(まわ)りの景色。



写真CG: 牧場の桜。



写真CH: 「牧場の桜」の三叉路(さんさろ)付近。



写真CI: 「牧場の桜」の三叉路(さんさろ)付近。



写真CJ: 「牧場の桜」の三叉路(さんさろ)付近。



写真CK: 桜の木の先は牧草地になっています。



写真CL: 左手は「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」です。



写真CM: 左手は「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」です。



写真CN: 国の施設である「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」です。 左右に門柱があります。 夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。
住所は宮崎県 小林市 大字細野 ムバンチ です。



写真CO: 国の施設である「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」です。 中を通り抜ける道路も両側に桜の並木が見事です。 この道は一般の人や車も通ることが出来ます。 途中で宮崎自動車道の高架(こうか)の下を通ります。



写真CP: 宮崎県 小林市にある「牧場(まきば)の桜」。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真CQ: 小林市にある「牧場(まきば)の桜」。 夷守岳(ひなもりだけ)が正面に見えます。



写真CR: 国の施設である「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」と書いてある古い門柱があります。 家畜改良センターは広大な敷地の中に、牛の放牧場、建物、牧草地などの施設があります。
住所は宮崎県 小林市 大字細野 ムバンチ です。



写真CS: 「牧場通りの彼岸花(ひがんばな)について」の説明板。
 この彼岸花は、森田氏が「牧場通りを彼岸花が咲く通りにしたい」と自費を投じて、平成14年から3年間にわたり2.2 kmの両側に22万株を植栽されたものです。
平成17年9月 小林市長
と書いてあります。



写真CT: 「狩猟禁止 牧場長」の看板(かんばん)があります。



写真CU: 桜の記念植樹の表示棒。



写真CV: 「ゴミは持ち帰りましょう」と書いてある棒があります。 こちらの道にも桜並木があります。 石碑(せきひ)があります。



写真CW: 「植樹記念碑、昭和57年2月 二宮明 建立之碑」と彫(ほ)られている石碑(せきひ)があります。



写真CX: 「植樹記念碑、昭和57年2月 二宮明 建立之碑」と彫(ほ)られている石碑(せきひ)があります。



写真CY: 「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)。
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。
昭和57年2月
と書かれています。



写真CZ: 仮設トイレも用意されていました。



写真DA: ここは三叉路(さんさろ)になっています。 左は駐車場、右には家畜改良センターの門柱があります。 手前には石碑(せきひ)が2つあります。



写真DB: 左端はトイレです。 舞台、建物もあります。



写真DC: 左は駐車場。



写真DD: 左右は「家畜改良センター」の牧草地になっています。 門柱も見えています。 奥の山は夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)。



写真DE: 左には溝(みぞ)があります。



写真DF: 牧草地の奥に一列の林があります。



写真DG: 牧草地の奥に一列の林があります。



写真DH: 溝(みぞ)があります。



写真DI: 牧草地の奥に一列の林があります。



写真DJ: 牧草地の奥に一列の林があります。



写真DK: 門柱も見えています。



写真DL: 国の施設である「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」の中の車道の両側にソメイヨシノの桜並木があります。 これが宮崎県小林市にある「牧場の桜」です。 家畜改良センターは広大な敷地の中に、牛の放牧場、建物、牧草地などの施設があります。



写真DM: 牧場の桜。



写真DN: 牧草地が見えます。



写真DO: 牧草地と立木、林が見えます。 林は牧草地と牧草地の境界に一列に植えてあります。 このような境界の林はここには多くあります。



写真DP: 牧草地と立木、林、柵(さく)が見えます。



写真DQ: ここも広大な家畜改良センターの中です。



写真DR: 小林市にある「牧場の桜」。 国の施設である家畜改良センターは広大な敷地の中に、牛の放牧場、建物、牧草地などの施設があります。



写真DS: 国の施設である家畜改良センターは広大な敷地の中に、牛の放牧場、建物、牧草地などの施設があります。



写真DT: 遠くに建物も見えています。



写真DU:  遠くに建物も見えています。



写真DV:  国の施設である「家畜改良センター」は広大な敷地の中に、牛の放牧場、建物、牧草地などの施設があります。



写真DW: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。 奥に宮崎自動車道の高架(こうか)が見えています。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真DX: 左端に高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)が見えます。



写真DY: 左の山が高千穂峰の二子石(ふたごいし)、その右が高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)です。



写真DZ: 左の山が高千穂峰の二子石(ふたごいし)、その右が高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)です。



写真EA: 牧草地と牧草地の間の林です。



写真EB: 左の山が高千穂峰の二子石(ふたごいし)、その右が高千穂峰(たかちほのみね、標高 1574.0 m)、御鉢(おはち、1408 m)、矢岳(1131.6 m)、中岳(なかだけ、1332.4 m))が見えています。 高千穂峰は「牧場の桜」から南南西に見えます。



写真EC: 宮崎自動車道のサービスエリア「霧島」の桜の花と2本の塔が家畜改良センターから見えます。



写真ED: 手前は家畜改良センターの牧草地で、宮崎自動車道の車も2台見えています。 右から甑岳(こしきだけ、1301.4 m)、夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)が見えます。
 夷守岳(ひなもりだけ)は「牧場の桜」から南西に見えます。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真EE: 左遠くは甑岳(こしきだけ、1301.4 m)。 手前は牧草地。



写真EF: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。 宮崎自動車道の高架(こうか)が見えています。



写真EG: 宮崎県 小林市の「牧場の桜」。 宮崎自動車道の高架(こうか)が見えています。



写真EH: 国の施設である「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。 多くの牛が放牧されています。 後ろに円筒形のサイロ(牧草、とうもろこしなどを発酵させて貯蔵する倉庫)、牛舎、建物も見えます。 手前に針金の「電気牧柵(でんきぼくさく、触(ふ)れると電気ショックを与える柵(さく))」が張ってあります。 この柵(さく)につけてある黄色のプラスティックの板には、「電気牧柵(でんきぼくさく) きけん」と書いてあります。
住所は宮崎県 小林市 大字細野 ムバンチ です。



写真EI: 牛のいる牧場のそばに宮崎自動車道が見えます。
手前に針金の「電気牧柵(でんきぼくさく、触(ふ)れると電気ショックを与える柵(さく))」が張ってあります。 この柵(さく)につけてある黄色のプラスティックの板には、「電気牧柵(でんきぼくさく) きけん」と書いてあります。



写真EJ: 牧場のそばに宮崎自動車道が見えます。
手前に針金の「電気牧柵(でんきぼくさく、触(ふ)れると電気ショックを与える柵(さく))」が張ってあります。



写真EK: 家畜改良センターの中の車道の先に夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)が見えます。



写真EL: 独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場。
住所は宮崎県 小林市 大字細野 ムバンチ です。



写真EM: 独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場。



写真EN: 大きな円筒形のサイロも見えます。 住所は宮崎県 小林市 大字細野 ムバンチ です。



写真EO: 独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場。 遠くの山は甑岳(こしきだけ、1301.4 m)。



写真EP: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真EQ: 宮崎県小林市にある「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。
住所は宮崎県 小林市 大字細野 ムバンチ です。



写真ER: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。



写真ES: 宮崎県小林市にある「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。



写真ET: 門柱も見えています。 後ろは夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真EU: 「電気牧柵(でんきぼくさく) きけん」と書いてあります。



写真EV: 「警告 家畜の病気の侵入を防止するため、当分の間、許可なく入場することを堅く禁じます。 無断入場の場合は責任を取ってもらいます。 牧場長」と書いてある看板(かんばん)があります。



写真EW: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」と書いてある門柱があります。
住所は宮崎県 小林市 大字細野 ムバンチ です。



写真EX: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」と書いてある門柱があります。



写真EY: 「飼料生産基地」と書いてある看板(かんばん)があります。



写真EZ: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」と書いてある門柱があります。



写真FA: 来た道を振り返ったもの。



写真FB: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」の中の道。 交差点もあります。



写真FC: 宮崎県小林市にある「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。



写真FD: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」の桜並木(牧場の桜)。



写真FE: 家畜の飼料(刈り取った牧草)をビニールで巻いてくるんだものが数多く並(なら)べてありました。 左に農機具も見えます。



写真FF: 家畜の飼料(刈り取った牧草)をビニールで巻いてくるんだものが数多く並(なら)べてありました。 農機具も見えます。



写真FG: 家畜の飼料(刈り取った牧草)をビニールで巻いてくるんだものが数多く並(なら)べてありました。



写真FH: みやまきりしまロードです。 「霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)」、コスモス牧場、ひなもりオートキャンプ場へは先に行きます。
この道にも「牧場の桜」の花が咲いています。



写真FI: みやまきりしまロードです。 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)、コスモス牧場、ひなもりオートキャンプ場へは先に行きます。
この道にも「牧場の桜」の花が咲いています。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真FJ: 「牧場の桜」から見た夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344.1 m)。 左の方に大幡山(おおはたやま、1352.5 m)も見えています。 見えている集落は大王 地区です。
手前は、みやまきりしまロード。



写真FK: 手前は、みやまきりしまロード。



写真FL: みやまきりしまロードです。 先に行くと生駒高原(いこまこうげん)に行きます。
この道にも「牧場の桜」の花が咲いています。



写真FM: 通ってきた道を振り返ったもの。



写真FN: 通ってきた道を振り返ったもの。 遠くの山は小林市 須木(すき)の山並み。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真FO: みやまきりしまロードとの十字路からの景色。



写真FP: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。



写真FQ: 宮崎県小林市にある「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。



写真FR: 「独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場」。



写真FS: 大王地区から見た桜並木と須木(すき)の山並み。



写真FT: 大王地区から見た桜並木と須木(すき)の山並み。



写真FU: 大王地区から見た桜並木と須木(すき)の山並み。



写真FV: 大王地区から見た桜並木。
「牧場の桜の沿革」の説明石碑(せきひ)から、
 この牧場の桜は明治42年当時の軍馬補充部陸軍 二宮信 大尉が圃場(ほじょう、農園のこと)沿道に延々2 km に亘(わた)り染井吉野桜を植えたのが発祥であり、補植を重ね現在の3000本の桜並木がある。 この桜を訪(たず)ねる観光客はあとを絶たず、この桜を訪(たず)ねた文人墨客の詩歌文章は数多い。



写真FW: 駐車場にあるトイレです。



写真FX: 駐車場の建物。 ごみ収集の曜日などのポスターが貼(は)ってあります。



写真FY: 駐車場のトイレと建物。



写真FZ: 駐車場のそばで桜見の宴会(えんかい)が行われていました。



写真GA: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の入り口です。 車道は県道104号線です。 見えている集落は夷守(ひなもり) 地区です。

 

写真GB: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の入り口付近です。 車道は県道104号線です。 先に行くと、みやまきりしまロードとの十字路があります。



写真GC: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の赤い一の鳥居(とりい) 石灯籠(いしどうろう)もあります。 「霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)」と書いてある看板(かんばん)もあります。
住所は小林市 大字細野 夷守 4937 です。
 霧島岑神社は社伝によると837年8月に従五位上を授けられました(続日本後紀)。 また、858年、従四位下に叙せられています(延喜式神名帳)。 神仏習合の時代は霧島中央権現宮とも言われました。 その後、霧島六社権現の中心として信仰されました。 初めは高千穂峰と御鉢(おはち)の中間点の「背門丘(せおと)」にありましたが、霧島連山の噴火により社殿が焼けました。 それで、1234年に麓に遷座しました。 1716年、新燃岳が噴火し、社殿が再び焼けました。 1725年に夷守岳(ひなもりだけ)の筑地に遷座しました。 1873年(明治6年)に夷守神社を合祀(ごうし)した後、夷守神社跡地に遷座して、現在に至っています。 1872年(明治5年)に県社に列せられました。



写真GD: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の赤い鳥居(とりい) 石灯籠(いしどうろう)もあります。



写真GE: 「霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)」と書いてある看板(かんばん)もあります。



写真GF: 「小林市指定 有形文化財 霧島岑神社 御神像六躰 小林市教育委員会」と書いてある看板が左に見えます。



写真GG: 「小林市指定 有形文化財 霧島岑神社 御神像六躰 小林市教育委員会」と書いてある看板。



写真GH: 鳥居(とりい)の奥に桜の花が見えます。



写真GI: 石灯籠(いしどうろう)の下部。



写真GJ: 「霧島岑神社」の看板(かんばん)。
祭儀
歳旦祭 1月1日、元始祭 1月3日、七草祝祭 1月7日七草祓(はらい)、節分祭 2月節分日 厄年祓、紀元祭 2月11日、祈年祭 3月18日、馬頭観音祭 5月8日、大祓式 6月30日 12月31日、臨時祭 9月26日、例大祭 11月18日、除夜祭 12月31日
と書かれています。



写真GK: 赤い鳥居(とりい)に、しめ縄と御幣(ごへい)があります。
住所は小林市 大字細野 夷守 4937 です。



写真GL: 鳥居の下部。



写真GM: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の参道。 奥に桜の花が見えます。



写真GN: 一の鳥居建設に寄付をした人の名前が書いてあります。



写真GO: 中の方から一の鳥居を見たもの。



写真GP: このあたりは夷守地区(ひなもりちく)です。 夷守岳と同じ夷守です。



写真GQ: 参道のそばの景色。 下に車道もあります。



写真GR: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の参道。 奥に桜の花が見えます。



写真GS: 参道のそばの景色。 下に車道もあります。



写真GT: 霧島岑神社参道の桜の花。



写真GU: 一の鳥居を振り返ったもの。



写真GV: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)。 仁王像(におうぞう、伽藍(がらん)守護の神で口を開けた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の像)、石碑(せきひ)、石灯籠(いしどうろう)、階段、樹齢400年のイチイガシなどがあります。 右の車道は中の駐車場にも行きます。
住所は小林市 大字細野 夷守 4937 です。



写真GW: この車道は中の駐車場にも行きます。



写真GX: 左にも細い道があります。



写真GY: 仁王像(におうぞう、伽藍(がらん)守護の神で口を開けた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の像)。 像の後ろに樹齢400年のイチイガシがあります。



写真GZ: 仁王像(におうぞう、伽藍(がらん)守護の神で口を開けた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の像)。 左に「水道通水の碑(ひ)」があります。



写真HA: 「水道通水の碑(ひ)」。



写真HB: 「水道通水の碑(ひ)」の説明碑。
 当 夷守(ひなもり)部落は先祖代々飲料水が少なく今日までに常に不自由をしてきました。 33年の大干魃(かんばつ)のときは、特に困窮したので発起人の努力と部落の協力により水道施設をなし水不足を解消し今年で15回を迎えた。 よってここに碑を建て永久に記念する。
昭和34年5月通水
と書かれています。



写真HC: 霧島岑神社の入り口にある石碑(せきひ)など。



写真HD: 霧島岑神社の階段。 奥に赤い鳥居(とりい)が見えています。 右端の大きな木は樹齢400年のイチイガシ(宮崎の巨樹百選)です。 左に手水舎(ちょうずや)も見えます。



写真HE: 霧島岑神社にある樹齢400年のイチイガシ(宮崎の巨樹百選)です。
「みやざきの巨樹百選」の説明板。
樹木名 イチイガシ、樹齢 400年、幹周 590 cm、樹高 38 m、所有者 霧島岑神社
平成4年3月認定 宮崎県
と書かれています。



写真HF: 樹齢400年のイチイガシ(宮崎の巨樹百選)です。
「みやざきの巨樹百選」の説明板。
樹木名 イチイガシ、樹齢 400年、幹周 590 cm、樹高 38 m、所有者 霧島岑神社
平成4年3月認定 宮崎県
と書かれています。



写真HG: 「みやざきの巨樹百選」の説明板。
樹木名 イチイガシ、樹齢 400年、幹周 590 cm、樹高 38 m、所有者 霧島岑神社
平成4年3月認定 宮崎県
と書かれています。



写真HH: 霧島岑神社の入り口にある石造物。



写真HI: 「霧島岑神社 表参道 →」と書いてある看板(かんばん)。



写真HJ: 木のしたに石造物があります。



写真HK: 霧島岑神社の手水舎(ちょうずや)。



写真HL: 霧島岑神社の御手洗(みたらい)。



写真HM: 「奉納 神宮奉賛会 宮崎県綾支部」と書いてある布が手水舎(ちょうずや)にあります。 これと同じ文字が書かれた布は宮崎県 西都市 (東米良) 大字銀鏡の「銀鏡神社」にもありました。



写真HN: 「奉納 神宮奉賛会 宮崎県綾支部」と書いてある布が手水舎(ちょうずや)にあります。 これと同じ文字が書かれた布は宮崎県 西都市 (東米良) 大字銀鏡の「銀鏡神社」にもありました。



写真HO: 樹齢400年のイチイガシ(宮崎の巨樹百選)の下部です。
「みやざきの巨樹百選」の説明板。
樹木名 イチイガシ、樹齢 400年、幹周 590 cm、樹高 38 m、所有者 霧島岑神社
平成4年3月認定 宮崎県



写真HP: 樹齢400年のイチイガシ(宮崎の巨樹百選)の中部です。
「みやざきの巨樹百選」の説明板。
樹木名 イチイガシ、樹齢 400年、幹周 590 cm、樹高 38 m、所有者 霧島岑神社
平成4年3月認定 宮崎県



写真HQ: 樹齢400年のイチイガシ(宮崎の巨樹百選)の上部です。
「みやざきの巨樹百選」の説明板。
樹木名 イチイガシ、樹齢 400年、幹周 590 cm、樹高 38 m、所有者 霧島岑神社
平成4年3月認定 宮崎県



写真HR: 鬱蒼(うっそう)とした木のトンネルの中を通って石段を登ります。 奥に二の鳥居(とりい)が見えます。



写真HS: ドングリが落ちていました。 楢(なら)の木の実のどんぐりのようです。



写真HT: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の赤い二の鳥居(とりい)です。 しめ縄がしてあります。 石灯籠(いしどうろう)もあります。



写真HU: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)。
住所は小林市 大字細野 夷守 4937 です。
 霧島岑神社は社伝によると837年8月に従五位上を授けられました(続日本後紀)。 また、858年、従四位下に叙せられています(延喜式神名帳)。 神仏習合の時代は霧島中央権現宮とも言われました。 その後、霧島六社権現の中心として信仰されました。 初めは高千穂峰と御鉢(おはち)の中間点の「背門丘(せおと)」にありましたが、霧島連山の噴火により社殿が焼けました。 それで、1234年に麓に遷座しました。 1716年、新燃岳が噴火し、社殿が再び焼けました。 1725年に夷守岳(ひなもりだけ)の筑地に遷座しました。 1873年(明治6年)に夷守神社を合祀(ごうし)した後、夷守神社跡地に遷座して、現在に至っています。 1872年(明治5年)に県社に列せられました。



写真HV: 宮崎県 小林市 大字細野 夷守 4937 にある「霧島岑神社の拝殿」。



写真HW: 右の建物はトイレです。



写真HX: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の建物。



写真HY: 霧島岑神社の境内(けいだい)。



写真HZ: 右寄に階段が見えます。



写真IA: 霧島岑神社の境内(けいだい)。



写真IB: 霧島岑神社の境内(けいだい)。



写真IC: 国旗が掲揚(けいよう)してありました。



写真ID: 宮崎県 小林市 大字細野 夷守 4937 にある「霧島岑神社の拝殿」。



写真IE: 霧島岑神社の中。



写真IF: お賽銭箱(さいせんばこ)、記帳台も見えます。



写真IG: 柱の下部。



写真IH: 霧島岑神社。



写真II: 霧島岑神社。



写真IJ: 霧島岑神社。



写真IK: 霧島岑神社の境内(けいだい)。



写真IL: 霧島岑神社の境内(けいだい)。



写真IM: 霧島岑神社の境内(けいだい)。



写真IN: 霧島岑神社の境内(けいだい)。



写真IO: 霧島岑神社。



写真IP: しめ縄と御幣(ごへい)があります。



写真IQ: 天井(てんじょう)。



写真IR: 霧島岑神社の中。



写真IS: 「霧島岑神社の御祭神」の説明板。



写真IT: 右は本殿、左は拝殿。



写真IU: 霧島岑神社の拝殿を横から見たもの。



写真IV: 霧島岑神社を横から見たもの。



写真IW: 石造物があります。



写真IX: 駐車場です。



写真IY: 宮崎県 小林市 大字細野 夷守 4937 にある「霧島岑神社の本殿」。 手前に塀(へい)があります。
 霧島岑神社は社伝によると837年8月に従五位上を授けられました(続日本後紀)。 また、858年、従四位下に叙せられています(延喜式神名帳)。 神仏習合の時代は霧島中央権現宮とも言われました。 その後、霧島六社権現の中心として信仰されました。 初めは高千穂峰と御鉢(おはち)の中間点の「背門丘(せおと)」にありましたが、霧島連山の噴火により社殿が焼けました。 それで、1234年に麓に遷座しました。 1716年、新燃岳が噴火し、社殿が再び焼けました。 1725年に夷守岳(ひなもりだけ)の筑地に遷座しました。 1873年(明治6年)に夷守神社を合祀(ごうし)した後、夷守神社跡地に遷座して、現在に至っています。 1872年(明治5年)に県社に列せられました。



写真IZ: 霧島岑神社の境内。



写真JA: 左は駐車場。



写真JB: 宮崎県 小林市 大字細野 夷守 4937 にある「霧島岑神社の本殿」。



写真JC: 「霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の本殿」。



写真JD: 「霧島岑神社の本殿」。



写真JE: 「霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の本殿」。



写真JF: 「霧島岑神社の本殿」。



写真JG: 「霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)の本殿」。



写真JH: 「霧島岑神社の本殿」。



写真JI; 本殿のそばの石垣(いしがき)。



写真JJ: 駐車場とトイレ。



写真JK: 霧島岑神社の境内(けいだい)。



写真JL: 大きな木があります。



写真JM: 拝殿の横の様子。 奥は本殿。



写真JN: 拝殿の横の様子。 奥は本殿。



写真JO: 石造物があります。



写真JP: 末社があります。 その奥は塀(へい)があります。



写真JQ: 奥は本殿、手前は拝殿。



写真JR: 霧島岑神社の横。



写真JS: 霧島岑神社の横。



写真JT: 霧島岑神社の横。



写真JU: 霧島岑神社 拝殿の横。



写真JV: 霧島岑神社 拝殿の横。



写真JW: 霧島岑神社 拝殿の横。



写真JX: 霧島岑神社の境内。 石灯籠(いしどうろう)も見えます。



写真JY: 階段を上がると小さな神社があります。 馬頭神社です。



写真JZ: 霧島岑神社の境内。



写真KA: 御手洗(みたらい)があります。



写真KB: 「手水(ちょうず)の作法」の説明板。



写真KC: 二の鳥居と赤い末社。 石灯籠も見えます。



写真KD: 末社。



写真KE: 立派な彫(ほ)り物が横木にあります。



写真KF: 末社。



写真KG: 階段を上がると小さな神社があります。



写真KH: 末社があります。



写真KI: 鳥居があります。



写真KJ: 馬頭神社の建物。



写真KK: 右が馬頭神社。



写真KL: 霧島岑神社の馬頭神社。



写真KM: 「馬頭神社造替竣工執行」と書いてあります。



写真KN: 馬頭神社のそばの様子(ようす)。



写真KO: 馬頭神社のそばの様子(ようす)。



写真KP: 馬頭神社のそばの様子(ようす)。



写真KQ: 古い木から新しい枝が出ています。 しめ縄などがしてあります。



写真KR: 古い木から新しい枝が出ています。 しめ縄などがしてあります。



写真KS: 馬頭神社のそばの様子(ようす)。



写真KT: 霧島岑神社の階段。
 霧島岑神社は社伝によると837年8月に従五位上を授けられました(続日本後紀)。 また、858年、従四位下に叙せられています(延喜式神名帳)。 神仏習合の時代は霧島中央権現宮とも言われました。 その後、霧島六社権現の中心として信仰されました。 初めは高千穂峰と御鉢(おはち)の中間点の「背門丘(せおと)」にありましたが、霧島連山の噴火により社殿が焼けました。 それで、1234年に麓に遷座しました。 1716年、新燃岳が噴火し、社殿が再び焼けました。 1725年に夷守岳(ひなもりだけ)の筑地に遷座しました。 1873年(明治6年)に夷守神社を合祀(ごうし)した後、夷守神社跡地に遷座して、現在に至っています。 1872年(明治5年)に県社に列せられました。



写真KU: 一の鳥居が見えてきました。



写真KV: 桜の花が満開でした(霧島岑神社)。



写真KW: 独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場に戻(もど)ってきました。 宿舎が見えています。
左に黄色の菜の花があります。



写真KX: 菜の花畑と夷守岳(ひなもりだけ、右)、と大幡山(おおはたやま)。 菜の花畑は独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場のものです。 みやまきりしまロードの道路標識も見えています。



写真KY: 菜の花畑と夷守岳(ひなもりだけ、右)、と大幡山(おおはたやま)。 菜の花畑は独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場のものです。 みやまきりしまロードの道路標識も見えています。



写真KZ: 菜の花畑と夷守岳(ひなもりだけ、右)、と大幡山(おおはたやま)。 菜の花畑は独立行政法人 家畜改良センター 宮崎牧場のものです。 みやまきりしまロードの道路標識も見えています。



写真LA: 右の道は みやまきりしまロード。



写真LB: 手前の山の上に薄く見えているのは高千穂峰(たかちほのみね)。



写真LC: 「↑御池 10 km、夷守台 7 km→、オートキャンプ場 7 km→、コスモス牧場 5 km→」と書いてある道路標識。
霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)はこの十字路を左折します。



写真LD: 「神の郷温泉 50 m先」の看板(かんばん)。 神の郷温泉は霧島岑神社の近くにあります。



写真LE: 「コスモス牧場 5 km→」の看板があります。



写真LF: 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)はこの道を先に進みます。



写真LG: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。
住所は小林市 大字堤 121 です。
2010年3月31日に小林商業高校は閉校しました。 (小林工業高校と統合されて秀峰高校になりました。)
写真はその前日、2010年3月30日に撮(と)ったものです。
最後の3枚の写真は閉校日の翌日、2010年4月1日に撮ったものです。
 小林商業高等学校は昭和39年4月、県立小林高等学校から分離独立しました。 幾多の有能な人材を輩出してきました。 平成22年(2010年)3月31日に閉校し、県立 小林秀峰高等学校(小林市水流迫664-2)に小林工業高等学校と統合されて再編されました。



写真LH: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LI: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LJ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LK: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LL: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LM: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。
住所は小林市 大字堤 121 です。
 小林商業高等学校は昭和39年4月、県立小林高等学校から分離独立しました。 幾多の有能な人材を輩出してきました。 平成22年(2010年)3月31日に閉校し、県立 小林秀峰高等学校(小林市水流迫664-2)に小林工業高等学校と統合されて再編されました。



写真LN: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LO: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LP: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LQ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LR: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LS: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LT: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LU: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LV: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LW: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LX: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真LY: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。
 小林商業高等学校は昭和39年4月、県立小林高等学校から分離独立しました。 幾多の有能な人材を輩出してきました。 平成22年(2010年)3月31日に閉校し、県立 小林秀峰高等学校(小林市水流迫664-2)に小林工業高等学校と統合されて再編されました。



写真LZ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MA: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MB: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MC: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MD: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真ME: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MF: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MG: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MH: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MI: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MJ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MK: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。



写真ML: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MM: 「第36回卒業記念 平成14年3月」の丸い時計です。



写真MN: 桜の木は花が満開でした。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MO: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MP: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MQ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MR: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MS: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MT: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MU: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MV: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MW: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MX: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MY: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真MZ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NA: 霧島連山が美しく見えます。 左端は高千穂峰(たかちほのみね)です。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NB: 霧島連山が美しく見えます。 左端は高千穂峰(たかちほのみね)です。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NC: 霧島連山が美しく見えます。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真ND: 霧島連山が美しく見えます。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NE: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の体育館です。
住所は小林市 大字堤 121 です。
 小林商業高等学校は昭和39年4月、県立小林高等学校から分離独立しました。 幾多の有能な人材を輩出してきました。 平成22年(2010年)3月31日に閉校し、県立 小林秀峰高等学校(小林市水流迫664-2)に小林工業高等学校と統合されて再編されました。



写真NF: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の体育館です。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真NG: 左に店の看板「黒こうじ」が見えています。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NH: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NI: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NJ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NK: ハンドボール部の練習が行われていました。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NL: ハンドボール部の練習が行われていました。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NM: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NN: 職員住宅。
旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NO: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NP: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の運動場です。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真NQ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NR: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NS: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NT: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NU: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校のプールです。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真NV: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NW: カラスウリの実です。



写真NX: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NY: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真NZ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OA: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OB: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OC: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OD: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OE: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OF: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OG: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OH: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OI: キランソウの花が咲いていました。



写真OJ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OK: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OL: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の野球場のバックネットです。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真OM: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真ON: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OO: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校のサッカー場のゴールです。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真OP: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OQ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OR: ハンドボール部の練習が行われていました。



写真OS: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。
 小林商業高等学校は昭和39年4月、県立小林高等学校から分離独立しました。 幾多の有能な人材を輩出してきました。 平成22年(2010年)3月31日に閉校し、県立 小林秀峰高等学校(小林市水流迫664-2)に小林工業高等学校と統合されて再編されました。



写真OT: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OU: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真OV: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の運動場です。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真OW: 霧島連山が美しく見えます。 右端は夷守岳(ひなもりだけ)です。



写真OX: 霧島連山が美しく見えます。 左は高千穂峰(たかちほのみね)です。



写真OY: 霧島連山が美しく見えます。 左端は高千穂峰です。



写真OZ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PA: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の運動場です。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真PB: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の運動場です。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真PC: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の運動場です。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真PD: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PE: 美しい桜が満開でした。



写真PF: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PG: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PH: 桜の木です。



写真PI: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。
右は桜の花です。



写真PJ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PK: ハンドボール部の練習が行われていました。



写真PL: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PM: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の校舎です。
住所は小林市 大字堤 121 です。



写真PN: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PO: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PP: 小林商高からは霧島連山がとても美しく見えます。
高千穂峰(たかちほのみね)も見えています。



写真PQ: 小林商高から見た霧島連山。



写真PR: 小林商業高等学校から見た霧島連山。
右端は夷守岳(ひなもりだけ)です。



写真PS: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の校舎です。
住所は小林市 大字堤 121 です。
 小林商業高等学校は昭和39年4月、県立小林高等学校から分離独立しました。 幾多の有能な人材を輩出してきました。 平成22年(2010年)3月31日に閉校し、県立 小林秀峰高等学校(小林市水流迫664-2)に小林工業高等学校と統合されて再編されました。



写真PT: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PU: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PV: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。
桜と青空がきれいです。



写真PW: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。
桜が満開でした。



写真PX: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PY: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真PZ: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QA: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QB: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QC: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QD: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QE: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QF: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QG: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QH: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QI: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校の付近。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QJ: 「夷守焼(ひなもりやき)」と書いてあります。



写真QK: 旧 宮崎県立 小林商業高等学校。 閉校日の前日(2010年3月30日)の写真です。



写真QL: この写真は閉校日の翌日、2010年4月1日に撮ったものです。



写真QM: この写真は閉校日の翌日、2010年4月1日に撮ったものです。



写真QN: この写真は閉校日の翌日、2010年4月1日に撮ったものです。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)