クルソン峡 (紅葉)、めがね橋、毘沙門滝、クルソン大橋 (狗留孫峡、くるそん峡、狗留孫大橋、くるそん大橋、毘沙門の滝、ビシャモンの滝、びしゃもんの滝、太鼓橋、たいこ橋、有島川、鉄山川、陸上自衛隊 えびの駐屯地、霧島山、霧島連山、霧島山系、霧島連山の展望)  (宮崎県 えびの市 大字大河平)







<標高、位置>  めがね橋 (たいこ橋)は
標高 約280 m
 北緯32度02分56秒  東経130度53分55秒

<標高、位置>  毘沙門滝(びしゃもんのたき)は
標高 約360 m
 北緯32度03分42秒  東経130度53分42秒

<標高、位置>  クルソン大橋は
標高 約300 m
 北緯32度03分42秒  東経130度54分16秒


 「めがね橋」は宮崎県 えびの市 大字大河平(おこびら)にあります。
 「国登録有形文化財 めがね橋 (平成10年9月25日 登録)」の説明板から、
 この橋は、川内川 最上流の大平官行から吉都線 飯野駅までの約30キロのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局により木材搬出用に造られたものである。
 石造三連アーチをもち、正式には「月の木川橋」といい、昭和3年(1928 年)に完成した。 木材でやぐらを組み、それに基(もと)づいて50 cm角の石を積み重ね、アーチの一番真ん中に要石(かなめいし)として五角の石が組み込まれている。
 鹿児島県 串木野の肥田佐部衛 氏が請負(うけおい)、切石は、この有島川 (川内川の支流)の上流から木馬で運び出されたと言われる。 軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。

 「めがね橋」の説明板から、
 この橋は、熊本営林局が、川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅まで、木材搬出用に建設したものです。 昭和2年に着工し、50 cm角の切石が力強く組み合わされ、高さ20 m、長さ 60 m,全幅 4 m、利用幅 2.5 mで翌3年に完成しました。 当時は軌道が延々30数 km敷(し)かれ直径 2 mにも及ぶ大木がトロッコで運ばれていましたが、自動車の普及により昭和37年に廃止され、現在はえびの市道となっています。
 3つのアーチからなるこの橋は、太鼓橋(たいこ橋)とも呼ばれ、古代ローマよりの技術導入による構造物ともいわれています。 やぐらを組んで、それに基づいて1個1個の石を積み重ね、アーチの一番まん中に親石という五角の石を組み込んで締(し)めてあるという事です。
 建設請負業者は鹿児島県日置郡串木野の肥田佐兵衛 氏で切石はこの有島川の上流から木馬で運び出され、のべ数千人の人達が汗を流してつくりあげたということです。

 毘沙門滝(びしゃもんのたき)は宮崎県 えびの市 大字大河平(おこびら)にあります。
 「毘沙門の滝(びしゃもんのたき)の由来」の説明板から、
 この鉄山川は、川内川の支流で源は約7 km上流の熊本県境に発する。 永野原と柊野原の間を流れる渓谷(けいこく)で、清流は時によって7色に変化するといわれる。 滝の上は約 1 km におよぶ自然林の中に遊歩道が整備され、巨岩奇岩が重なり合い、夫婦岩や毘沙門(びしゃもん)の石もあり、ミニ高千穂峽とも言われている。 毘沙門の滝は、延宝年代(1670年頃(ごろ))に毘沙門寺があり、毘沙門様が住んでおられたことに由来する。 毘沙門様は四天王の一人 須弥山(しゅみさん)の第4層にいて北方を守る。 日本では福徳を授(さず)ける七福神(大黒天、恵比寿(えびす)、弁財天、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人、布袋和尚)の一人。

 クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平(おこびら)にあります。 クルソン峡の南端付近にあります。
 狗留孫大橋は全長 325 m、橋高 70.5 mで橋桁(はしげた)の内部が空洞になった箱桁構造になっています。 クルソン大橋はえびの市 ふるさと農道で、大河平地区の川内川に25億円の工事費で建設されました。 平成18年(2006年)3月に完成しました。

 クルソン峡は宮崎県 えびの市 大字大河平(おこびら)にあります。
紅葉が美しい名所です。 狗留孫(くるそん)とはお釈迦(しゃか)さまになる前の仏陀(ぶつだ)の名前だそうです。 狗留孫峡は川内川 上流にある延長約10 kmの峡谷です。 修験場のクルソン洞穴もあります。 昔、山伏(修験者)が修行をした霊地です。 夏はキャンプ、水遊び、秋は紅葉が美しい。 クルソン峡の源流は熊本県の白髪岳にあります。


写真A: 国道221号線の宮崎県 えびの市 五日市 付近です。 先に行くと加久藤、京町などに行きます。 手前に行くと小林市に行きます。 ガソリンスタンドが見えます。



写真B: 国道221号線に「狗留孫峡(くるそんきょう) 9 km→」、「めがね橋 3 km→」、「毘沙門滝 3 km→」の標識があります。



写真C: バス停「五日市 宮崎交通」があります。 国道221号線。



写真D: 国道221号線沿(ぞ)いの えびの市 五日市にあるガソリンスタンドのところの「えびの市 五日市」交差点を右(北)に曲がって、狗留孫峡(クルソン峡)、めがね橋、毘沙門滝(びしゃもんのたき)に行きます。



写真E: 「えびの市 五日市」交差点。 右(北)に曲がって、狗留孫峡(クルソン峡)、めがね橋、毘沙門滝(びしゃもんのたき)に行きます。 先に行くと加久藤、京町に行きます。 手前に行くと小林市に行きます。



写真F: 国道221号線の「えびの市 五日市」交差点と書いてある道路標識。 ここを右(北)に曲がります。



写真G: この道を北に進んで行きます。



写真H: 十字路があります。 めがね橋へは右折します。 クルソン峡、クルソン橋、毘沙門滝(びしゃもんのたき)に行くにはまっすぐ先に進みます。



写真I: この十字路に「狗留孫峡、毘沙門滝←」の看板(かんばん)があります。



写真J: 十字路に「めがね橋 国登録有形文化財 ここから1.3 km→」の看板もあります。



写真K: 十字路を右折して「めがね橋」に行く途中です。 八幡丘公園(標高 396.1 m)の丘が見えます。 八幡丘公園を北からみると断面が見えるような感じで、このように見えます。



写真L: めがね橋へは先(東)に進みます。



写真M: このあたりは畑になっています。



写真N: 北方向には田んぼもあります。 刈り取った稲の藁(わら)が束(たば)ねて並べてあります。



写真O: 北西方向の景色。



写真P: 西方向の様子(ようす)。 鉄山(標高 715.3 m)が見えます。



写真Q: 西を見たものです。 来た道を振り返ったもの。



写真R: 左がめがね橋の駐車場です。 説明板も見えます。 駐車場を左の細い道へ行くと「めがね橋」を渡ることができます。
「めがね橋」は宮崎県 えびの市 大字大河平(おこびら) 字佐牛野 1953-4から1953-6にあります。



写真S: 「国登録有形文化財 めがね橋 (平成10年9月25日 登録)」
 この橋は、川内川 最上流の大平官行から吉都線 飯野駅までの約30キロのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局により木材搬出用に造られたものである。
 石造三連アーチをもち、正式には「月の木川橋」といい、昭和3年(1928 年)に完成した。 木材でやぐらを組み、それに基(もと)づいて50 cm角の石を積み重ね、アーチの一番真ん中に要石(かなめいし)として五角の石が組み込まれている。
 鹿児島県 串木野の肥田佐部衛 氏が請負(うけおい)、切石は、この有島川 (川内川の支流)の上流から木馬で運び出されたと言われる。 軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。
えびの市教育委員会
と書かれています。
このめがね橋の各所の長さ、高さなどの数値も載(の)っています。 長さ 58.2 m、高さ 17.2 mなど。



写真T: 「国登録有形文化財 めがね橋 (平成10年9月25日 登録)」
 この橋は、川内川 最上流の大平官行から吉都線 飯野駅までの約30キロのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局により木材搬出用に造られたものである。
 石造三連アーチをもち、正式には「月の木川橋」といい、昭和3年(1928 年)に完成した。 木材でやぐらを組み、それに基(もと)づいて50 cm角の石を積み重ね、アーチの一番真ん中に要石(かなめいし)として五角の石が組み込まれている。
 鹿児島県 串木野の肥田佐部衛 氏が請負(うけおい)、切石は、この有島川 (川内川の支流)の上流から木馬で運び出されたと言われる。 軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。
えびの市教育委員会
と書かれています。
このめがね橋の各所の長さ、高さなどの数値も載(の)っています。 長さ 58.2 m、高さ 17.2 mなど。



写真U: 「国登録有形文化財 めがね橋 (平成10年9月25日 登録)」
 この橋は、川内川 最上流の大平官行から吉都線 飯野駅までの約30キロのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局により木材搬出用に造られたものである。
 石造三連アーチをもち、正式には「月の木川橋」といい、昭和3年(1928 年)に完成した。 木材でやぐらを組み、それに基(もと)づいて50 cm角の石を積み重ね、アーチの一番真ん中に要石(かなめいし)として五角の石が組み込まれている。
 鹿児島県 串木野の肥田佐部衛 氏が請負(うけおい)、切石は、この有島川 (川内川の支流)の上流から木馬で運び出されたと言われる。 軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。
えびの市教育委員会
と書かれています。
このめがね橋の各所の長さ、高さなどの数値も載(の)っています。 長さ 58.2 m、高さ 17.2 mなど。



写真V: 駐車場からの細い道が車道とは反対方向にあります。



写真W: これが昭和37年までトロッコ軌道があったところです。 めがね橋とは反対方向を見たもの。



写真X: これが昭和37年までトロッコ軌道があったところです。 めがね橋の方向を見たもの。 これを進んでめがね橋の上を歩いて通れます。



写真Y: 宮崎県 えびの市にある「めがね橋(月の木川橋)」の上部が見えてきました。 水面からの高さは17.2 mです。
 昔(昭和37年(1962年)まで)はトロッコ軌道があって木材を運んでいました。 めがね橋は有島川 (川内川の支流)にかかっているめがね型の石積みの橋です。
「めがね橋」は宮崎県 えびの市 大字大河平 字佐牛野 1953-4から1953-6にあります。



写真Z: めがね橋の端(はし)の石に「飯野林道」と書いてあります。



写真AA: めがね橋の端の石に「月の木川橋」と彫(ほ)ってあります。



写真AB: えびの市の「めがね橋」です。 対岸まで歩いて渡れます。  昔(昭和37年(1962年)まで)はトロッコ軌道があって木材を運んでいました。
めがね橋は有島川 (川内川の支流)にかかっているめがね型の石積みの橋です。
 この橋は、熊本営林局が、川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅まで、木材搬出用に建設したものです。 昭和2年に着工し、50 cm角の切石が力強く組み合わされ、高さ20 m、長さ 60 m,全幅 4 m、利用幅 2.5 mで翌3年に完成しました。 当時は軌道が延々30数 km敷(し)かれ直径 2 mにも及ぶ大木がトロッコで運ばれていましたが、自動車の普及により昭和37年に廃止され、現在はえびの市道となっています。
 3つのアーチからなるこの橋は、太鼓橋(たいこ橋)とも呼ばれ、古代ローマよりの技術導入による構造物ともいわれています。 やぐらを組んで、それに基づいて1個1個の石を積み重ね、アーチの一番まん中に親石という五角の石を組み込んで締(し)めてあるという事です。
 建設請負業者は鹿児島県日置郡串木野の肥田佐兵衛 氏で切石はこの有島川の上流から木馬で運び出され、のべ数千人の人達が汗を流してつくりあげたということです。



写真AC: 宮崎県 えびの市にある「めがね橋(月の木川橋)」。 端の方には草も生(は)えています。
この橋は、川内川 最上流の大平官行から吉都線 飯野駅までの約30キロのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局により木材搬出用に造られたものである。
 石造三連アーチをもち、正式には「月の木川橋」といい、昭和3年(1928 年)に完成した。 木材でやぐらを組み、それに基(もと)づいて50 cm角の石を積み重ね、アーチの一番真ん中に要石(かなめいし)として五角の石が組み込まれている。
 鹿児島県 串木野の肥田佐部衛 氏が請負(うけおい)、切石は、この有島川の上流から木馬で運び出されたと言われる。 軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。



写真AD: えびの市の「めがね橋(月の木川橋)」。 昔(昭和37年(1962年)まで)はトロッコ軌道があって木材を運んでいました。



写真AE: めがね橋から下方を見た景色。 下に広場と休憩所(きゅうけいしょ)が見えます。 その左は有島川 (川内川の支流)が流れています。
めがね橋は有島川にかかっているめがね型の石積みの橋です。



写真AF: めがね橋から山側(上流方向)を見た様子(ようす)。



写真AG: これがめがね橋の両側の低い手すりのようなものです。 これも石で出来ています。 遠く下に休憩所が見えています。



写真AH: 橋から上流方向を見たもの。 有島川 (川内川の支流)の水面が見えています。 川の右岸(下流を見て右)に紅葉も見えます。



写真AI: めがね橋から上流方向を見た景色。



写真AJ: めがね橋から下流方向を見た景色。 有島川 (川内川の支流)も見えます。 食堂(風流の里)の建物も見えます。



写真AK: えびの市のめがね橋から下流方向を見た景色。 田んぼ、人家も見えます。 左端は有島川 (川内川の支流)。



写真AL: めがね橋と下流方向を見た景色。 人家も見えます。



写真AM: めがね橋の中央付近から見たもの。
「めがね橋」は宮崎県 えびの市 大字大河平 字佐牛野 1953-4から1953-6にあります。



写真AN: めがね橋からの景色。 上流方向を見たもの。



写真AO: めがね橋から上流方向を見た景色。



写真AP: 休憩所、広場に降りる道も見えます。



写真AQ: めがね橋の中央付近から、振り返ったもの。
「めがね橋」は宮崎県 えびの市 大字大河平 字佐牛野 1953-4から1953-6にあります。



写真AR: ようやく対岸に着きました。 道の真中に車止めの石があります。 右に石碑(せきひ)も見えます。



写真AS: めがね橋の端の石に「熊本営林局」と書いてあります。



写真AT: めがね橋の端の石に「昭和3年」と書いてあります。



写真AU: めがね橋のたもとに「竣工記念(しゅんこうきねん)」と書いてある石碑(せきひ)があります。



写真AV: めがね橋のたもとの石碑。 上の写真の側面。 「昭和2年7月(着工) 同3年2月(完成)(とかいてあるようです。) (めがね橋の工事を請け負った) 鹿児島県串木野 肥田佐部衛(の文字も見えます。)」。



写真AW: 車止め石の先はT字路になっています。



写真AX: 渡っためがね橋から下流方向に道があります。 車道も見えます。 左の建物は食堂です。



写真AY: 下流方向から見ためがね橋。 ここから見ると二連のように見えますが、実際は三連です。
この橋は、熊本営林局が、川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅まで、木材搬出用に建設したものです。 昭和2年に着工し、50 cm角の切石が力強く組み合わされ、高さ20 m、長さ 60 m,全幅 4 m、利用幅 2.5 mで翌3年に完成しました。 当時は軌道が延々30数 km敷(し)かれ直径 2 mにも及ぶ大木がトロッコで運ばれていましたが、自動車の普及により昭和37年に廃止され、現在はえびの市道となっています。
 3つのアーチからなるこの橋は、太鼓橋(たいこ橋)とも呼ばれ、古代ローマよりの技術導入による構造物ともいわれています。 やぐらを組んで、それに基づいて1個1個の石を積み重ね、アーチの一番まん中に親石という五角の石を組み込んで締(し)めてあるという事です。
 建設請負業者は鹿児島県日置郡串木野の肥田佐兵衛 氏で切石はこの有島川の上流から木馬で運び出され、のべ数千人の人達が汗を流してつくりあげたということです。



写真AZ: 宮崎県 えびの市の「めがね橋」。 下流方向からみたもの。
この橋は、川内川 最上流の大平官行から吉都線 飯野駅までの約30キロのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局により木材搬出用に造られたものである。
 石造三連アーチをもち、正式には「月の木川橋」といい、昭和3年(1928 年)に完成した。 木材でやぐらを組み、それに基(もと)づいて50 cm角の石を積み重ね、アーチの一番真ん中に要石(かなめいし)として五角の石が組み込まれている。
 鹿児島県 串木野の肥田佐部衛 氏が請負(うけおい)、切石は、この有島川の上流から木馬で運び出されたと言われる。 軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。



写真BA: 「風流里」の看板と自動販売機があります。



写真BB: 中央奥に八幡丘公園(標高 396.1 m)の丘が見えます。 左は風流里の建物。



写真BC: 下流から見ためがね橋。
「めがね橋」は宮崎県 えびの市 大字大河平 字佐牛野 1953-4から1953-6にあります。



写真BD: 下流から見ためがね橋。



写真BE: 下流から見た「めがね橋」。



写真BF: 下流から見た「めがね橋」。



写真BG: 下流から見た「めがね橋」。



写真BH: 宮崎県 えびの市の「めがね橋」の拡大写真。 石の積み上げ方がよく分かります。 下流から見たもの。
中央部には「五角の石」が嵌(は)めこまれていることがよく分かります。



写真BI: えびの市の「めがね橋」。 下流から見たもの。



写真BJ: めがね橋の拡大写真。 石の積み上げ方がよく分かります。 中央部には「五角の石」が嵌(は)めこまれていることがよく分かります。



写真BK: 風流里の建物。



写真BL: えびの市のめがね橋。 下流から見たもの。



写真BM: 宮崎県 えびの市のめがね橋。 下流から見たもの。



写真BN: 再びめがね橋の上に戻(もど)ってきました。



写真BO: 一度はじめの駐車場に戻って、車道を歩くと別の説明板が見えてきます。



写真BP: 「めがね橋」の説明板。
 この橋は、熊本営林局が、川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅まで、木材搬出用に建設したものです。 昭和2年に着工し、50 cm角の切石が力強く組み合わされ、高さ20 m、長さ 60 m,全幅 4 m、利用幅 2.5 mで翌3年に完成しました。 当時は軌道が延々30数 km敷(し)かれ直径 2 mにも及ぶ大木がトロッコで運ばれていましたが、自動車の普及により昭和37年に廃止され、現在はえびの市道となっています。
 3つのアーチからなるこの橋は、太鼓橋(たいこ橋)とも呼ばれ、古代ローマよりの技術導入による構造物ともいわれています。 やぐらを組んで、それに基づいて1個1個の石を積み重ね、アーチの一番まん中に親石という五角の石を組み込んで締(し)めてあるという事です。
 建設請負業者は鹿児島県日置郡串木野の肥田佐兵衛 氏で切石はこの有島川の上流から木馬で運び出され、のべ数千人の人達が汗を流してつくりあげたということです。
平成2年3月 えびの市むらおこし実行委員会
と書かれています。



写真BQ: 「めがね橋」の説明板。
 この橋は、熊本営林局が、川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅まで、木材搬出用に建設したものです。 昭和2年に着工し、50 cm角の切石が力強く組み合わされ、高さ20 m、長さ 60 m,全幅 4 m、利用幅 2.5 mで翌3年に完成しました。 当時は軌道が延々30数 km敷(し)かれ直径 2 mにも及ぶ大木がトロッコで運ばれていましたが、自動車の普及により昭和37年に廃止され、現在はえびの市道となっています。
 3つのアーチからなるこの橋は、太鼓橋(たいこ橋)とも呼ばれ、古代ローマよりの技術導入による構造物ともいわれています。 やぐらを組んで、それに基づいて1個1個の石を積み重ね、アーチの一番まん中に親石という五角の石を組み込んで締(し)めてあるという事です。
 建設請負業者は鹿児島県日置郡串木野の肥田佐兵衛 氏で切石はこの有島川の上流から木馬で運び出され、のべ数千人の人達が汗を流してつくりあげたということです。
平成2年3月 えびの市むらおこし実行委員会
と書かれています。



写真BR: 「めがね橋」の説明板。
 この橋は、熊本営林局が、川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅まで、木材搬出用に建設したものです。 昭和2年に着工し、50 cm角の切石が力強く組み合わされ、高さ20 m、長さ 60 m,全幅 4 m、利用幅 2.5 mで翌3年に完成しました。 当時は軌道が延々30数 km敷(し)かれ直径 2 mにも及ぶ大木がトロッコで運ばれていましたが、自動車の普及により昭和37年に廃止され、現在はえびの市道となっています。
 3つのアーチからなるこの橋は、太鼓橋(たいこ橋)とも呼ばれ、古代ローマよりの技術導入による構造物ともいわれています。 やぐらを組んで、それに基づいて1個1個の石を積み重ね、アーチの一番まん中に親石という五角の石を組み込んで締(し)めてあるという事です。
 建設請負業者は鹿児島県日置郡串木野の肥田佐兵衛 氏で切石はこの有島川の上流から木馬で運び出され、のべ数千人の人達が汗を流してつくりあげたということです。
平成2年3月 えびの市むらおこし実行委員会
と書かれています。



写真BS: めがね橋は3連アーチの石橋です。
 「めがね橋」は、川内川 最上流の大平官行から吉都線 飯野駅までの約30キロのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局により木材搬出用に造られたものである。
 石造三連アーチをもち、正式には「月の木川橋」といい、昭和3年(1928 年)に完成した。 木材でやぐらを組み、それに基(もと)づいて50 cm角の石を積み重ね、アーチの一番真ん中に要石(かなめいし)として五角の石が組み込まれている。
 鹿児島県 串木野の肥田佐部衛 氏が請負(うけおい)、切石は、この有島川 (川内川の支流)の上流から木馬で運び出されたと言われる。 軌道は、昭和37年(1962年)に廃止され自動車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在、人だけ通る道となっている。



写真BT: 宮崎県 えびの市にある「めがね橋(たいこ橋)」です。 上流から見たもの。
中央部には「五角の石」が嵌(は)めこまれていることがよく分かります。



写真BU: えびの市にある「めがね橋(たいこ橋)」です。 上流から見たもの。
中央部には「五角の石」が嵌(は)めこまれていることがよく分かります。



写真BV: 有島川に降りる道、広場にある休憩所(きゅうけいしょ)が見えます。



写真BW: 有島川、広場にある休憩所に降りる道。 周(まわ)りの木が紅葉しています。



写真BX: 宮崎県 えびの市にある「めがね橋」は、熊本営林局が、川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅まで、木材搬出用に建設したものです。 昭和2年に着工し、50 cm角の切石が力強く組み合わされ、高さ20 m、長さ 60 m,全幅 4 m、利用幅 2.5 mで翌3年に完成しました。 当時は軌道が延々30数 km敷(し)かれ直径 2 mにも及ぶ大木がトロッコで運ばれていましたが、自動車の普及により昭和37年に廃止され、現在はえびの市道となっています。
 3つのアーチからなるこの橋は、太鼓橋(たいこ橋)とも呼ばれ、古代ローマよりの技術導入による構造物ともいわれています。 やぐらを組んで、それに基づいて1個1個の石を積み重ね、アーチの一番まん中に親石という五角の石を組み込んで締(し)めてあるという事です。
 建設請負業者は鹿児島県日置郡串木野の肥田佐兵衛 氏で切石はこの有島川の上流から木馬で運び出され、のべ数千人の人達が汗を流してつくりあげたということです。



写真BY: えびの市のめがね橋。 有島川の左岸(川下を見て左)付近のめがね橋の様子(ようす)。
「めがね橋」は宮崎県 えびの市 大字大河平 字佐牛野 1953-4から1953-6にあります。



写真BZ: 手前にアジサイも見えます。 えびの市のめがね橋。 上流から見たもの。



写真CA: 有島川です。 めがね橋は有島川にかかっている石橋です。



写真CB: 真下から見た「めがね橋」。 有島川 (川内川の支流)の右岸(川下を見て右)の部分の「めがね橋」。



写真CC: えびの市のめがね橋。 真下から見上げたもの。



写真CD: 宮崎県 えびの市の「めがね橋」。 真下から見上げたもの。



写真CE: えびの市の「めがね橋」。 真下から見上げたもの。



写真CF: 宮崎県 えびの市の「めがね橋」。 真下から見上げたもの。



写真CG: えびの市のめがね橋。 真下から左岸(川下を見て左)の部分を見たもの。



写真CH: 宮崎県 えびの市のめがね橋。 真下から左岸(川下を見て左)の部分を見たもの。



写真CI: ここから有島川 (川内川の支流)の水面を見ることができます。



写真CJ: めがね橋の下にある広場と休憩所。



写真CK: 左の車道を進むと最初の駐車場に行きます。
「めがね橋」は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真CL: めがね橋と紅葉。



写真CM: 手前は車止めです。 奥は有島川 (川内川の支流)の右岸。



写真CN: こちらにもめがね橋の駐車場があります。



写真CO: 「↑狗留孫峡(くるそんきょう) 7 km」、「めがね橋→ 1 km」、「←毘沙門滝(びしゃもんのたき)← 1 km」の道路標識のある十字路に再び戻(もど)ってきました。



写真CP: 「↑狗留孫峡(くるそんきょう) 7 km」、「めがね橋→ 1 km」、「←毘沙門滝(びしゃもんのたき)← 1 km」の道路標識です。



写真CQ: 狗留孫峡の方向に進むと、左にガソリンスタンドがあります。 「毘沙門滝(びしゃもんのたき)」に行くにはここを左折します。 狗留孫峡、狗留孫大橋に行くには真っすぐ進みます。 ここは三叉路(さんさろ)になっています。



写真CR: この三叉路には酒店もあります。 まっすぐ行くと狗留孫峡(クルソン峡)や狗留孫大橋(クルソン大橋)、今城跡があります。



写真CS: 毘沙門滝の方に進むとまた三叉路があります。 ここを左に進んで毘沙門滝に行きます。



写真CT: 毘沙門滝(びしゃもんのたき)に行く道です。 遠くに霧島連山の、左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)が見えています。



写真CU: 毘沙門滝(びしゃもんのたき)に行く道です。 遠くに霧島連山の、左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、栗野岳(標高 1087.7 m)、飯盛山(標高 846.3 m) が見えています。



写真CV: 毘沙門滝(びしゃもんのたき)に行く道です。 遠くに霧島連山の、左から甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、栗野岳(標高 1087.7 m)、飯盛山(標高 846.3 m) が見えています。



写真CW: ここで広い車道に出ます。 毘沙門滝(びしゃもんのたき)へは右に曲がります。



写真CX: 「毘沙門の滝 あと100 m →」の標識があります。



写真CY: このあたりはゆるい登り坂になっています。 先に進むと「毘沙門滝(びしゃもんのたき)」があります。



写真CZ: 右に毘沙門の滝の駐車場が見えてきました。



写真DA: 宮崎県 えびの市の毘沙門滝(びしゃもんのたき)の駐車場です。
「ビシャモンの滝」の説明板が見えています。
毘沙門滝(びしゃもんのたき)は宮崎県 えびの市 大字大河平(おこびら)にあります。



写真DB: 「毘沙門の滝の由来」の説明板。
 この鉄山川は、川内川の支流で源は約7 km上流の熊本県境に発する。 永野原と柊野原の間を流れる渓谷(けいこく)で、清流は時によって7色に変化するといわれる。 滝の上は約 1 km におよぶ自然林の中に遊歩道が整備され、巨岩奇岩が重なり合い、夫婦岩や毘沙門(びしゃもん)の石もあり、ミニ高千穂峽とも言われている。 毘沙門の滝は、延宝年代(1670年頃(ごろ))に毘沙門寺があり、毘沙門様が住んでおられたことに由来する。 毘沙門様は四天王の一人 須弥山(しゅみさん)の第4層にいて北方を守る。 日本では福徳を授(さず)ける七福神(大黒天、恵比寿(えびす)、弁財天、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人、布袋和尚)の一人。
下大河平区
平成2年3月 えびの市むらおこし実行委員会
と書かれています。



写真DC: 「毘沙門の滝の由来」の説明板。
 この鉄山川は、川内川の支流で源は約7 km上流の熊本県境に発する。 永野原と柊野原の間を流れる渓谷(けいこく)で、清流は時によって7色に変化するといわれる。 滝の上は約 1 km におよぶ自然林の中に遊歩道が整備され、巨岩奇岩が重なり合い、夫婦岩や毘沙門(びしゃもん)の石もあり、ミニ高千穂峽とも言われている。 毘沙門の滝は、延宝年代(1670年頃(ごろ))に毘沙門寺があり、毘沙門様が住んでおられたことに由来する。 毘沙門様は四天王の一人 須弥山(しゅみさん)の第4層にいて北方を守る。 日本では福徳を授(さず)ける七福神(大黒天、恵比寿(えびす)、弁財天、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人、布袋和尚)の一人。
下大河平区
平成2年3月 えびの市むらおこし実行委員会
と書かれています。



写真DD: 「毘沙門の滝の由来」の説明板。
 この鉄山川は、川内川の支流で源は約7 km上流の熊本県境に発する。 永野原と柊野原の間を流れる渓谷(けいこく)で、清流は時によって7色に変化するといわれる。 滝の上は約 1 km におよぶ自然林の中に遊歩道が整備され、巨岩奇岩が重なり合い、夫婦岩や毘沙門(びしゃもん)の石もあり、ミニ高千穂峽とも言われている。 毘沙門の滝は、延宝年代(1670年頃(ごろ))に毘沙門寺があり、毘沙門様が住んでおられたことに由来する。 毘沙門様は四天王の一人 須弥山(しゅみさん)の第4層にいて北方を守る。 日本では福徳を授(さず)ける七福神(大黒天、恵比寿(えびす)、弁財天、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人、布袋和尚)の一人。
下大河平区
平成2年3月 えびの市むらおこし実行委員会
と書かれています。



写真DE: 駐車場のそばに毘沙門滝に降りる歩道があります。 左に「毘沙門の滝」と書いてある標識があります。



写真DF: 坂道を下って毘沙門滝に行きます。



写真DG: 鉄山川が見えてきました。
毘沙門滝(びしゃもんのたき)は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真DH: 毘沙門滝へは鉄の階段を下ります。 手すりがあります。



写真DI: 宮崎県 えびの市の毘沙門滝の鉄製の展望台が見えてきました。 展望台の右奥の暗いところに「毘沙門滝(びしゃもんのたき)」があります。 鉄山川の苔(こけ)むした岩が多くあります。 展望台に行く階段も見えます。
毘沙門滝(びしゃもんのたき)は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真DJ: 中央の暗いところに毘沙門の滝の白い水が見えています。 まわりはコケむした岩があります。
毘沙門滝は総落差が約 12 mの3段の滝です。



写真DK: えびの市の「毘沙門滝」です。 上から白く見える水が落ちています。
毘沙門滝(びしゃもんのたき)は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真DL: これが宮崎県 えびの市の「毘沙門滝」です。 滝は上の部分で2段になっていることが分かります。 下の部分でも段になっています。 合(あ)わせて毘沙門滝は3段の滝です。
毘沙門滝は総落差が約 12 mの3段の滝です。



写真DM: えびの市の「毘沙門滝」です。 滝は上の部分で2段になっていることが分かります。 下の部分でも段になっています。 合(あ)わせて毘沙門滝は3段の滝です。



写真DN: これが毘沙門滝の展望台です。 鉄製です。 落ち葉が床に載っています。



写真DO: 展望台からは滝壺(たきつぼ)も見えます。 ここからは上部が見えないので2段の滝に見えますが、実際は3段の滝です。
神秘的な感じがする滝です。
宮崎県 えびの市の毘沙門滝(びしゃもんのたき)です。
毘沙門滝は総落差が約 12 mの3段の滝です。



写真DP: 左は滝壺(たきつぼ)で、その下流にはコケむした岩がゴロゴロしています。 この岩は「滝の後進」の跡の岩と思われます。 滝は水で削(け)られて、長い年月の間に後ろへ後ろへと後進します。



写真DQ: 毘沙門滝。 滝壺(たきつぼ)の少し下流の様子(ようす)。



写真DR: 毘沙門滝。 滝壺(たきつぼ)の少し下流の様子(ようす)。



写真DS: 毘沙門滝。 滝壺(たきつぼ)の下流の様子(ようす)。 展望台から。 うっそうと木が茂(しげ)っています。



写真DT: 毘沙門滝。 滝壺(たきつぼ)の下流の様子(ようす)。 展望台から。 うっそうと木が茂(しげ)っています。



写真DU: 宮崎県 えびの市にある「毘沙門滝(びしゃもんのたき)」。
毘沙門滝は総落差が約 12 mの3段の滝です。



写真DV: えびの市にある「毘沙門滝(びしゃもんのたき)」。 滝の下部と滝壺(たきつぼ)。 滝壺には枯れた木の枝もあります。



写真DW: えびの市にある「毘沙門の滝」。 展望台から。
毘沙門滝(びしゃもんのたき)は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。
毘沙門滝は総落差が約 12 mの3段の滝です。



写真DX: 毘沙門滝の上部には木があります。



写真DY: 毘沙門滝の上部には木があります。



写真DZ: 毘沙門滝のそばの岩壁(がんぺき)。



写真EA: 毘沙門滝のそばの岩壁(がんぺき)。



写真EB: 展望台の下から、下ってきた道を振り返ったも。 鉄山川に毘沙門滝はあります。 谷川になっています。



写真EC: 鉄山川の岩の様子(ようす)。 コケむした岩があります。



写真ED: 鉄山川のほとり。 上に戻(もど)る階段も見えます。



写真EE: えびの市の鉄山川。



写真EF: 階段のところに戻ってきました。



写真EG: この階段を登って駐車場に戻ります。
毘沙門滝(びしゃもんのたき)は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真EH: 毘沙門滝の近くの車道。 南を見た景色です。 遠くに八幡丘公園(標高 396.1 m)が見えます。



写真EI: 毘沙門滝の近くの車道。 南を見た景色です。 遠くに霧島連山の左から、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)、栗野岳(標高 1087.7 m)、飯盛山(標高 846.3 m) が見えています。



写真EJ: 宮崎県 えびの市にある「狗留孫大橋(くるそんおおはし)」が遠くに見えてきました。 この手前の道を先に進むと狗留孫峡(くるそんきょう)に行きます。



写真EK: えびの市のクルソン大橋。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。
狗留孫大橋は全長 325 m、橋高 70.5 mで橋桁(はしげた)の内部が空洞になった箱桁構造になっています。



写真EL: 先にまっすぐ行くとクルソン峡に行きます。 左に曲がるとクルソン大橋、今城跡、に行きます。



写真EM: 「くるそん大橋 毘沙門の滝←」、「狗留孫峡まで6 km↑」、「狗留孫大橋まで1 km←」、「今城跡 公園慰霊碑 これより3 km←」の看板(かんばん)があります。



写真EN: 「狗留孫峡まで6 km↑」、「狗留孫大橋まで1 km←」の看板。



写真EO: 「くるそん大橋 毘沙門の滝←」の看板。



写真EP: 狗留孫大橋(くるそんおおはし)の西端付近です。 ここは川内川の右岸(下流を見て右)の付近です。 北側に歩道のある片側1車線の橋です。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平(おこびら)にあります。



写真EQ: 「くるそんおおはし」と書いてあります。



写真ER: クルソン大橋はえびの市 ふるさと農道の橋です。 大河平地区の川内川に、25億円の工事費で建設されました。 平成18年(2006年)3月に完成しました。



写真ES: クルソン大橋から上流方向の下方を見た景色。 木々が紅葉していました。 川内川も見えます。 川内川のそばに田んぼが見えます。



写真ET: この川内川の谷川が狗留孫渓谷(クルソン渓谷、くるそん渓谷)です。 美しい紅葉が見えています。
クルソン峡の源流は熊本県の白髪岳にあります。
クルソン峡はえびの市 大字大河平(おこびら)にあります。



写真EU: これはえびの市のクルソン大橋から南(川内川の下流側)を見た景色です。 遠くに霧島連山の、左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)が見えてます。



写真EV: クルソン大橋から南を見た景色です。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真EW: クルソン大橋はクルソン峡の南端付近にあります。



写真EX: クルソン峡の上流方向の眺望(ちょうぼう)。 クルソン大橋の上から見たもの。
狗留孫(くるそん)とはお釈迦(しゃか)さまになる前の仏陀(ぶつだ)の名前だそうです。 狗留孫峡は川内川 上流にある延長約10 kmの峡谷です。 修験場のクルソン洞穴もあります。 昔、山伏(修験者)が修行をした霊地です。 夏はキャンプ、水遊び、秋は紅葉が美しい。
クルソン大橋はえびの市 ふるさと農道の橋です。 大河平(おこびら)地区の川内川に、25億円の工事費で建設されました。 平成18年(2006年)3月に完成しました。
クルソン峡の源流は熊本県の白髪岳にあります。



写真EY: 川内川の真上付近から下を見たものです。 上流方向です。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真EZ: 宮崎県 えびの市のクルソン峡の展望。 山の紅葉が絶景です。 北(上流方向)を見た景色です。
狗留孫(くるそん)とはお釈迦(しゃか)さまになる前の仏陀(ぶつだ)の名前だそうです。 狗留孫峡は川内川 上流にある延長約10 kmの峡谷です。 修験場のクルソン洞穴もあります。 昔、山伏(修験者)が修行をした霊地です。 夏はキャンプ、水遊び、秋は紅葉が美しい。
クルソン峡の源流は熊本県の白髪岳にあります。



写真FA: クルソン大橋から南(下流)側の下を見た景色。 左端の道がクルソン峡の道です。 遠くに川内川にかかる別の普通の橋も見えます。 田んぼと人家も見えます。
遠くに霧島連山の、左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)が見えてます。



写真FB: このあたりは川内川の両岸が田んぼです。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真FC: 下流の橋、人家、田んぼ、クルソン峡の左岸(下流を見て左)の道が見えています。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。
クルソン大橋はえびの市 ふるさと農道の橋です。 大河平地区の川内川に、25億円の工事費で建設されました。 平成18年(2006年)3月に完成しました。



写真FD: 左の道がクルソン峡の左岸の道です。



写真FE: 宮崎県 えびの市の狗留孫峡(くるそん峡)です。 紅葉した木々が見えます。



写真FF: えびの市の狗留孫峡(くるそん峡)です。 紅葉した木々が見えます。



写真FG: えびの市の狗留孫峡(くるそん峡)です。 紅葉が美しい名所です。
狗留孫(くるそん)とはお釈迦(しゃか)さまになる前の仏陀(ぶつだ)の名前だそうです。 狗留孫峡は川内川 上流にある延長約10 kmの峡谷です。 修験場のクルソン洞穴もあります。 昔、山伏(修験者)が修行をした霊地です。 夏はキャンプ、水遊び、秋は紅葉が美しい。
クルソン峡の源流は熊本県の白髪岳にあります。



写真FH: 狗留孫峡(くるそん峡)です。 紅葉が美しい名所です。



写真FI: クルソン峡から霧島連山が美しく展望できます。 遠くに霧島連山の、左から夷守岳(ひなもりだけ、標高 1344 m)、大幡山(おおはたやま、標高 1353 m)、韓国岳(からくにだけ、標高 1700 m)、甑岳(こしきだけ、標高1301 m)、白鳥山(しらとりやま、標高 1363 m)が見えてます。
クルソン大橋はえびの市 ふるさと農道の橋です。 大河平地区の川内川に、25億円の工事費で建設されました。 平成18年(2006年)3月に完成しました。



写真FJ: 宮崎県 えびの市にある狗留孫大橋(くるそん大橋)。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真FK: えびの市にある狗留孫大橋(くるそん大橋)。



写真FL: 右がクルソン峡の左岸の道です。 左は川内川(せんだいがわ)。



写真FM: 右がクルソン峡の左岸の道です。 左は川内川(せんだいがわ)。



写真FN: クルソン峡の紅葉。
狗留孫(くるそん)とはお釈迦(しゃか)さまになる前の仏陀(ぶつだ)の名前だそうです。 狗留孫峡は川内川 上流にある延長約10 kmの峡谷です。 修験場のクルソン洞穴もあります。 昔、山伏(修験者)が修行をした霊地です。 夏はキャンプ、水遊び、秋は紅葉が美しい。
クルソン峡の源流は熊本県の白髪岳にあります。



写真FO: 右がクルソン峡の左岸の道です。 左は川内川(せんだいがわ)。



写真FP: えびの市のクルソン峡。



写真FQ: 霧島連山の手前に八幡丘公園(標高 396.1 m)が見えます。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真FR: 霧島連山の手前に八幡丘公園(標高 396.1 m)が見えます。 八幡丘公園の上にはアンテナが見えています。 クルソン大橋の上から。



写真FS: 左はクルソン峡の左岸の道です。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真FT: クルソン大橋から西を見た景色です。 左の山は鉄山(標高 715.3 m)です。 鉄山を北東方向から見たものです。
クルソン大橋はえびの市 ふるさと農道の橋です。 大河平地区の川内川に、25億円の工事費で建設されました。 平成18年(2006年)3月に完成しました。



写真FU: クルソン大橋から西を見た景色です。 左の山は鉄山(標高 715.3 m)です。 鉄山を北東方向から見たものです。



写真FV: これは鳥(おそらくカラス)が食べて皮だけになった柿の実です。 クルソン大橋の上にありました。



写真FW: これはクルソン大橋の東端付近です。



写真FX: 「狗留孫大橋」と書いてあります。



写真FY: 「川内川(せんだいがわ)」と書いてあります。



写真FZ: 「額桁の狗留孫大橋 風光る、橋の長さ 325 m、橋の高さ(水面から) 80 m」と書いてある石碑(せきひ)があります。



写真GA: 「額桁の狗留孫大橋 風光る、橋の長さ 325 m、橋の高さ(水面から) 80 m」と書いてある石碑(せきひ)があります。



写真GB: 「額桁の狗留孫大橋 風光る、橋の長さ 325 m、橋の高さ(水面から) 80 m」と書いてある石碑(せきひ)があります。



写真GC: 橋のたもとの楓(かえで)が紅葉していました。



写真GD: クルソン大橋のたもとのハゼの木も紅葉していました。



写真GE: 橋のたもとの楓(かえで)が紅葉していました。



写真GF: クルソン大橋の東端から西を見た景色です。 鉄山(標高 715.3 m)が見えています。
クルソン大橋はえびの市 ふるさと農道の橋です。 大河平地区の川内川に、25億円の工事費で建設されました。 平成18年(2006年)3月に完成しました。



写真GG: この位置からは、クルソン大橋の側面も見えます。 橋がカーブしているからです。
狗留孫大橋は全長 325 m、橋高 70.5 mで橋桁(はしげた)の内部が空洞になった箱桁構造になっています。



写真GH: クルソン大橋の側面も見えます。 橋がカーブしているからです。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。
狗留孫大橋は全長 325 m、橋高 70.5 mで橋桁(はしげた)の内部が空洞になった箱桁構造になっています。



写真GI: クルソン大橋の側面も見えます。 橋がカーブしているからです。 橋脚(きょうきゃく)の下部は正方形のコンクリートの上に建っている事がわかります。
狗留孫大橋は全長 325 m、橋高 70.5 mで橋桁(はしげた)の内部が空洞になった箱桁構造になっています。



写真GJ: クルソン大橋の歩道の部分です。



写真GK: クルソン大橋の東端付近から見た狗留孫峡(くるそんきょう)。



写真GL: くるそん大橋と西の景色。



写真GM: くるそん大橋の東端近くから見た狗留孫峡(くるそんきょう)。 クルソン峡は紅葉の名所です。
狗留孫(くるそん)とはお釈迦(しゃか)さまになる前の仏陀(ぶつだ)の名前だそうです。 狗留孫峡は川内川 上流にある延長約10 kmの峡谷です。 修験場のクルソン洞穴もあります。 昔、山伏(修験者)が修行をした霊地です。 夏はキャンプ、水遊び、秋は紅葉が美しい。
クルソン峡の源流は熊本県の白髪岳にあります。



写真GN: クルソン大橋の東岸の山。



写真GO: クルソン大橋の西岸の様子(ようす)。
クルソン大橋は宮崎県 えびの市 大字大河平にあります。



写真GP: クルソン大橋と鉄山(標高 715.3 m)。



写真GQ: クルソン大橋からは西方の遠い山の上に海上自衛隊のVLFアンテナが数本見えています。
VLF(very low frequency、超長波)通信基地は海上自衛隊の電波送信施設です。 VLFは波長 10〜100 kmの非常に長い波長を持つ電波で、潜水艦との通信などに用います。 主に地表波で伝わり、低い山も越えます。 水中でも伝わります。 この基地は1991年(平成3年)にえびの市の国有林に建設され、周波数 22.2 kHz、出力 500 W。 高さ 160 mから270 mの4基2列 計8基の鉄塔間にアンテナワイヤーを張ってあります。 宮崎県 えびの市 大字大明司 字六本原にあります。



写真GR: クルソン大橋からは北東から見た鉄山(標高 715.3 m)が大きく見えます。 鉄山も紅葉していることが分かります。



写真GS: クルソン大橋からは北東から見た鉄山(標高 715.3 m)が大きく見えます。 鉄山も紅葉していることが分かります。



写真GT: クルソン大橋から南西の近くの山を見たもの。



写真GU: クルソン大橋からクルソン峡の左岸(下流を見て左)の道を見下ろしたもの。 ちょうど車がクルソン峡の奥の方から帰る途中でした。



写真GV: クルソン大橋の西端の山も紅葉していることが分かります。



写真GW: クルソン大橋の西端の山も紅葉しています。



写真GX: クルソン大橋の西端の山の紅葉。



写真GY: 下流側の川内川の右岸にも紅葉が見えています。



写真GZ: 川内川の右岸の紅葉。



写真HA: クルソン大橋の西岸側に戻(もど)ります。



写真HB: クルソン大橋から戻(もど)る途中の道に、クルソン峡、クルソン神社、天狗山、今城跡、夫婦岩、浄水場、赤燈炉、遊歩道、毘沙門天、毘沙門の滝、めがね橋などが載っていいる絵地図があります。
柊野、至 鉄山、柿木原、川上、菖蒲野、久保原、至 大河平小学校、小牧、佐牛野、至 国道221号線なども載っています。
新緑と清流で心呼吸、下大河平地区ふるさと活性化推進協議会
と書いてあります。



写真HC: クルソン大橋から戻(もど)る途中の道に、クルソン峡、クルソン神社、天狗山、今城跡、夫婦岩、浄水場、赤燈炉、遊歩道、毘沙門天、毘沙門の滝、めがね橋などが載っていいる絵地図があります。
柊野、至 鉄山、柿木原、川上、菖蒲野、久保原、至 大河平小学校、小牧、佐牛野、至 国道221号線なども載っています。
新緑と清流で心呼吸、下大河平地区ふるさと活性化推進協議会
と書いてあります。



写真HD: クルソン大橋から戻(もど)る途中の道に、クルソン峡、クルソン神社、天狗山、今城跡、夫婦岩、浄水場、赤燈炉、遊歩道、毘沙門天、毘沙門の滝、めがね橋などが載っていいる絵地図があります。
柊野、至 鉄山、柿木原、川上、菖蒲野、久保原、至 大河平小学校、小牧、佐牛野、至 国道221号線なども載っています。
新緑と清流で心呼吸、下大河平地区ふるさと活性化推進協議会
と書いてあります。



写真HE: クルソン大橋から戻(もど)る途中の道に、クルソン峡、クルソン神社、天狗山、今城跡、夫婦岩、浄水場、赤燈炉、遊歩道、毘沙門天、毘沙門の滝、めがね橋などが載っていいる絵地図があります。
柊野、至 鉄山、柿木原、川上、菖蒲野、久保原、至 大河平小学校、小牧、佐牛野、至 国道221号線なども載っています。
新緑と清流で心呼吸、下大河平地区ふるさと活性化推進協議会
と書いてあります。



写真HF: 宮崎県 えびの市にある陸上自衛隊 えびの駐屯地。 えびの市にはえびの駐屯地、霧島演習場、VLFアンテナなどの自衛隊の施設が幾つかあります。



写真HG: えびの市にある陸上自衛隊 えびの駐屯地。 えびの市にはえびの駐屯地、霧島演習場、VLFアンテナなどの自衛隊の施設が幾つかあります。



写真HH: えびの市にある陸上自衛隊 えびの駐屯地。 えびの市にはえびの駐屯地、霧島演習場、VLFアンテナなどの自衛隊の施設が幾つかあります。



写真HI: 宮崎県 えびの市にある陸上自衛隊 えびの駐屯地。 えびの市にはえびの駐屯地、霧島演習場、VLFアンテナなどの自衛隊の施設が幾つかあります。



写真HJ: えびの駐屯地の近くからも加久藤の山の上にあるVLFアンテナが見えます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)