巨田神社、巨田大池、佐野原神社 (こた神社、巨田の大池(農水省 ため池「百選」)、こた大池、さのばる神社) (宮崎市佐土原町上田島)





<標高、位置>   巨田神社(こた神社)は
標高 約10 m
 北緯32度03分28秒  東経131度24分14秒

<標高、位置>   巨田大池(こた大池)は
標高 約10 m
 北緯32度03分25秒  東経131度24分29秒

<標高、位置>   佐野原神社(さのばる神社)は
標高 約90 m
 北緯32度02分27秒  東経131度24分29秒


 宮崎市佐土原町上田島にある巨田神社は国指定重要文化財です。 例祭日には巨田神楽が奉納されます。 巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。 巨田大池のまわりの丘では、宮崎県指定無形民族文化財である「巨田池の鴨網猟」が行われています。 巨田の大池とそれを囲む丘陵地は400年以前から越網の猟場として受け継がれ、現在 石川県片野と巨田のみに残る古式狩猟地です。 佐野原神社のある佐野原聖地は佐野尊(さののみこと、後の神武天皇)がお生まれになったところと伝えられています。


写真A: 巨田神社(こたじんじゃ)に行くには、この三叉路(さんさろ)を左に曲がります。



写真B: 看板には 「国指定 重要文化財 巨田神社」と書かれています。



写真C: 右の鳥居が巨田神社。 左の建物は佐土原町観光民芸館。 壁に巨田神楽(こたかぐら)の面の大きなものが飾ってあります。



写真D: 巨田神楽の大きな面。



写真E: 宮崎市佐土原町上田島にある 佐土原町観光民芸館。



写真F: 佐土原町観光民芸館の看板。



写真G: 佐土原町観光民芸館にある「巨田神楽」、「巨田神社本殿と棟札22枚」、「巨田池の鴨網猟」の説明板。 鴨供養塔の石碑も見えています。



写真H: 「巨田神楽(こたかぐら)」の説明板。 巨田神楽は、巨田神社に古くから伝わる神楽で、神楽面や大太鼓などの紀年銘から1600年頃には舞われていたようです。 毎年、秋の例祭日には巨田神社の境内で「神座祭」から「神送り」までの三十三番が奉納され、町内外の見学者も集まります。 この神楽は、哀愁を帯びた旋律と軽快なリズムを横笛と太鼓で表現し、他所の神楽とは違った独特の趣を有しています。



写真I: 「巨田神社本殿と棟札22枚」の説明板。 これは、昭和53年国指定重要文化財です。 831年の鎮座と伝えられ、応神天皇と住吉四社の神を祀(まつ)ってあります。 室町時代の神社建築様式をそのまま残している南九州にも数少なく、県下では唯一の社殿です。 神社には中世から江戸期までの棟札が22枚残り、この棟札によって修造と二度の再興を経たことが分かります。 棟札のいくつかは鶴松館に展示してあります。 本殿両側の摂社は昭和58年指定の宮崎県指定文化財で棟札から本殿と同時期の建立と考えられます。 社殿前庭には、1699年5月28日、佐土原城主 島津惟久が祈願成就のために奉納した石灯籠(いしどうろう)一基が現存しています。



写真J: 鴨供養塔(かもくようとう)。 近くにある巨田大池 近くで、古くからの方法を用い鴨が捕(と)られています。



写真K: 宮崎県指定無形民族文化財である「巨田池の鴨網猟」の説明板。 「鴨の越網(かものこえあみ)」は歴代佐土原藩の保護のもと、400年前から伝えられている猟です。
 巨田の大池とそれを囲む丘陵地は400年以前から越網の猟場として受け継がれ、現在 石川県片野と巨田のみに残る古式狩猟地です。 渡り鳥の季節、昼間池を埋めた鴨は、日の入りに飛び立って、餌場へ、日の出のときも同様に 池を囲む丘陵の上すれすれの高度で丘を越します。 この習性を利用してここからも見えるような丘の上の木を切り、鴨の通る道(坪)を開きます。 鴨の出入りは日の出、日没の20分前後と定まっています。 このとき坪に隠れて越網を構え矢のような速さで通る鴨の鼻先に投げ上げます。 網の目に首をつっこんだ鴨は網と共に落下します。 熟練した技法が要求されます。 江戸期は佐土原藩の猟場として許可された者のみが坪に立つことを許され、心身鍛練の一つとして受け継がれ現在に至っています。



写真L: 巨田大池と上池のまわりの丘にある「坪」の名前。



写真M: 右の絵は、鴨(かも)の通る道(坪(つぼ))の説明です。 丘の上の木を切り、鴨の道を作ります。 鴨はこの木の間を通ります。 左の絵は、鴨を捕るために投げ上げる網。 網の幅は約2 m で、逆三角形をしています。 取っ手の長さは約1.5 m です。 網は昔は、畳糸くらいの太さの麻糸(あさいと)でしたが、今は絹糸を2−3本撚(よ)ったものを用いています。



写真N: 丘の上に鴨(かも)の通る道(坪)が見えています。 木を切って低くなっているところが坪(つぼ)です。



写真O: 巨田神社(こたじんじゃ)の鳥居。 巨田神社は佐土原西部に宇佐神宮領の荘園である田島荘が開発されたとき、その鎮守の神社として建てられたもので大分県の宇佐神宮(八幡宮)の祭神を分祀したものです。 神様は八幡様です。 八幡様は奈良時代に九州宇佐に起こった信仰で、15代応神天皇を主座として祀(まつ)ります。



写真P: 宮崎市佐土原町上田島にある 巨田神社の境内。



写真Q: 巨田神社の境内。



写真R: 巨田神社の説明板。 巨田神社は1093年に創立されました。 現在の本殿は1550年の建立です。 摂社は左に若宮社、右に今宮社が建てられています。



写真S: 巨田神社。 社殿、石灯籠(いしどうろう)、御手洗(みたらい)、記念碑などが見えています。



写真T: 巨田神社。 御手洗(みたらい)、石灯籠などが見えています。



写真U: 第五代佐土原藩主 島津惟久(これひさ)が奉納した石灯籠。



写真V: 石灯籠の標識。



写真W: 石灯籠の説明棒。 佐土原はもともと城地だったので、江戸幕府が城主格を与えました。 後島津 第五代藩主 島津惟久(これひさ)は念願が叶ったので、この石灯籠を巨田神社に奉納しました(1699年5月28日)。 同じ時に、同様の石灯籠を佐土原の愛宕神社にも寄進しました。 これも現存しています。 この石灯籠は愛宕神社の大階段を登りきった所の右手にあります。 デザインもよく似ています。



写真X: 景行天皇 御腰掛の石。 柵(さく)で囲われた細長い石がそれです。 巨田神社の境内にあります。



写真Y: 「景行天皇御腰掛の石」の説明棒。



写真Z: 巨田神社にある「景行天皇御腰掛の石」。



写真AA: 「景行天皇御腰掛の石」。



写真AB: 赤い建物が、巨田神社の本殿と摂社(せっしゃ)です。



写真AC: 巨田神社。



写真AD: 巨田神社の摂社(せっしゃ)と本殿。 左から二番目の赤い建物が本殿です。 向かって本殿の左の摂社が「若宮」で、右が「今宮」です。



写真AE: 巨田神社の本殿。



写真AF: 巨田神社の本殿。 室町時代の神社建築様式をそのまま残している南九州にも数少なく、県下では唯一の社殿です。 神社には中世から江戸期までの棟札が22枚残り、この棟札によって修造と二度の再興を経たことが分かります。



写真AG: 巨田神社の境内にある祠(ほこら)。 大将軍神社です。



写真AH: 巨田神社の境内。 地面に石で四角の枠が作ってあります。 例祭の時の巨田神楽で使われます。



写真AI: 巨田大池の堤(つつみ)に立つ改修記念碑の石碑。 そばに彼岸花(曼珠沙華(まんじゅしゃげ))が咲いていました。 巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AJ: 巨田大池の改修記念碑。 巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AK: 巨田大池の堤防。 右に巨田大池の水面が見えています。 巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AL: 巨田大池。 巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AM: 宮崎市佐土原町上田島にある 巨田大池。 毎年、11−2月には数多くの鴨(かも)が泳いでいます。 巨田の大池とそれを囲む丘陵地は400年以前から越網の猟場として受け継がれ、現在 石川県片野と巨田のみに残る古式狩猟地です。
巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AN: 巨田大池。 巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AO: 巨田大池。 巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AP: 巨田大池の対岸にある建物と塔。 巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AQ: 巨田大池のそばの看板。



写真AR: 11月15日から2月15日の午後5時−午後7時まで進入禁止になります。
巨田の大池は、農水省 ため池「百選」に選ばれています。



写真AS: 巨田大池の近くの看板。



写真AT: 「佐野原神社(さのばるじんじゃ)」のある佐野原聖地(さのばるせいち)に行くには、この三叉路を右に行き、またすぐに三叉路を右に進みます。



写真AU: 三叉路にある佐野原聖地への標識。



写真AV: 佐野原神社がある鎮守の森が見えてきました。



写真AW: 宮崎市佐土原町上田島にある 佐野原神社(さのばるじんじゃ)の森。 「ふるさとの名木指定の雑木」です。 後島津の第6代佐土原藩主 島津忠雅(ただまさ)は佐野原神社のそばに「具せん閣」という御茶屋(休息所)を作りました。



写真AX: 宮崎市佐土原町上田島にある 佐野原神社の説明板。 佐野原聖地は佐野尊(さののみこと、後の神武天皇)がお生まれになったところと伝えられています。 中世以後 佐土原を領した伊東、島津は皇祖を奉祀する神社をこの佐野原聖地に建立し、お参りしてきましたが、明治2年に佐土原城を広瀬に移転した際(広瀬の城は、計画の途中で、廃藩置県になり完成はしませんでした。)に巨田神社に合祀されることになりました。 昭和35年、90年ぶりに佐野原神社を再建造営して、巨田神社から御神霊をお迎えし祀(まつ)りました。 例祭は毎年10月初めに行われます。



写真AY: 佐野原神社の階段と石碑。



写真AZ: 佐野原神社の石碑と階段。



写真BA: 佐野原神社の境内。 ここが佐野原聖地です。



写真BB: 「聖地佐野原」と書かれた石碑。



写真BC: 古い石の柵(さく)が残っています。



写真BD: 佐野原神社の社殿。



写真BE: 佐野原神社の社殿。



写真BF: 佐野原神社の社殿の側面にある寄付金者の名前など。



写真BG: 佐野原神社の社殿。



写真BH: 宮崎市佐土原町上田島にある 佐野原神社の社殿。



写真BI: 佐野原神社の境内。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)