神柱宮 (かんばしらぐう)、日本一の大鳥居 (とりい、高さ25 m) (旧県社 神柱宮 (かみばしらぐう)、都城市立 神柱公園、皇后 御手植えの樅(もみ)、末社 基柱神社 (もとはしらじんじゃ))  (宮崎県 都城市 前田町)







<標高、位置>  「神柱宮 (かみばしらぐう)」は
標高 約140 m
 北緯31度43分55秒  東経131度04分19秒


 「神柱宮 (かみばしらぐう)」は宮崎県 都城市 前田町 1417番地1 にあります。 「かんばしらぐう」とも発音します。
「神柱宮 (かんばしらぐう)」の説明板から、
祭神
 主神 天照皇大神・豊受姫大神
相殿 天津彦火瓊々杵命・天手力雄命・天太玉命
    天津兒屋命・萬旗豊秋津姫命
由緒
 人皇第68代後一条天皇 御宇万寿3年(1026年) (福岡県の太宰府から来た)大監平季基 島津御荘(西日本最大とも言われます。) 開拓に当たり神託により梅北町に島津御荘の総鎮守として創建し、旧藩始祖 島津忠久 公をはじめ都城旧領主 資忠 公以下 代々また旧島津荘内の人々朝詣暮参し厚く崇敬し来る。
 廃藩置県 明治4年 都城県 設置に伴い県内総鎮守神社として明治6年10月28日にこの小松原に遷座された。 昭和47年遷座100年・創建950年 昭和天皇 御在位50年記念に、第60回伊勢神宮 式年遷宮古下賜材をもとに本殿改築、諸施設改装、境内整備などはかり崇敬の誠をささげ今日に至(いた)る。
万寿3年9月9日市内梅北町創建
享保19年5月13日神階正一位授位
明治6年5月25日県社列格
明治6年10月28日現小松原へ遷座
昭和51年7月1日別表に掲(かか)げる神社加列
昭和57年3月31日神柱宮と社名変更
大祭
例祭10月29日、祈年祭2月17日、新嘗祭(にいなめさい)11月23日、神幸祭11月
中祭
歳旦祭1月1日、元始祭1月3日、紀元祭2月11日、神嘗当日祭10月17日、天長祭12月23日、夏祭6月、灯祭7月、末社基柱神社10月28日
小祭
月並祭 毎1日・15日、外七草参祭1月7日、節分厄祓、七五三参11月15日、安産・初宮参・車祓・その他。

 「末社 基柱神社 (もとはしらじんじゃ)」の説明板から、
昭和60年10月28日鎮座。 祭神 平季基命(島津の荘を開拓した人)、菅原道真命。
平季基命は神柱宮創立者で事業繁栄振興の神さまです。
菅原道真命は天神様で、学問文芸上達の神様です。 太宰府天満宮の御分霊を祀(まつ)ってあります。

 神柱宮にある「日本一の大鳥居(とりい)」に、
「明神造大鳥居建設、起工式 昭和53年11月2日、竣工式 昭和54年7月8日、柱廻り 8.9 m、高さ 25 m、幅 32.4 m、額 長さ 4 m、幅 2.6 m。」と彫(ほ)ってあります。
昭和54年4月に宮崎国体を記念して建立されました。 鉄筋コンクリート造りでは日本一 (建立時)を誇る大鳥居(とりい)です。

 神柱宮の境内(けいだい)に、
「皇太后陛下 (良子女王殿下、昭和天皇の皇后) 御手植樅(もみ) 大正12年5月20日」のモミの木があります。

 神柱宮では7月9日に「献燈祭6月燈 (けんとうさい6月とう)」が行われます。 これは、第19代藩主 島津光久が城山の観音堂完成の記念に灯籠(とうろう)を奉納した祭、家臣や領民たちまでも光久に習って奉納したことが始まりとされる祭りです。
「七草詣り(まいり)」は数え年7歳を迎えた男女児の歳祝いのお祭りです。 古くは、近所の7軒の家を回って「七草がゆ」をもらい、それを食べて厄災を軽減するというものでした。 今ではその風習もすたれ、神社へお参りをしてお祓い(はらい)を受けることが一般的になっています。 7軒の家を回ることから「7とこさん」とも呼(よ)ばれます。 この2つとも旧薩摩藩の伝統的な祭りです。

 「神柱公園 (かんばしらこうえん)」は宮崎県 都城市 前田町 1330-1 にあります。 神柱宮の参道に隣接(りんせつ)しています。
面積が4.5 ha の都城市立の公園です。



写真A: 宮崎県 都城市 前田町 1417番地1にある「神柱宮 (かみばしらぐう)」の日本一の大きさ(建立時)の鳥居(とりい)です。 北を見たもの。



写真B: 都城市 前田町 1417番地1にある「神柱宮 (かみばしらぐう)」の日本一の大きさ (建立時)の鳥居(とりい)です。
昭和54年4月に宮崎国体を記念して建立されました。 鉄筋コンクリート造りでは日本一を誇る大鳥居(とりい)です。
この鳥居には「明神造大鳥居建設、起工式 昭和53年11月2日、竣工式 昭和54年7月8日、柱廻り 8.9 m、高さ 25 m、幅 32.4 m、額 長さ 4 m、幅 2.6 m。」と彫(ほ)ってあります。



写真C: 日本一の大きさ (建立時)の鳥居(とりい)に「神柱宮」と書いてある額(がく)があります。
一の鳥居です。



写真D: 駐車場です。



写真E: 「神柱公園」と書いてあります。 都城市立 神柱公園。
「神柱公園 (かんばしらこうえん)」は宮崎県 都城市 前田町 1330-1 にあります。 神柱宮の参道に隣接(りんせつ)しています。
面積が4.5 ha の都城市立の公園です。



写真F: 胸像と石碑(せきひ)が神柱宮の参道脇(わき)にあります。



写真G: 胸像があります。



写真H: 日本一 (建立時)の大鳥居を下から見上げたものです。 「神柱宮」と書いてある額(がく)があります。



写真I: 都城市にある神柱宮の「日本一 (建立時)の大鳥居」です。



写真J: 大鳥居の柱の下部です。



写真K: 大きな鳥居の柱です。



写真L: もう一方の下部です。 左にも駐車場があります。 左奥に神柱公園の東屋(あずまや)が見えます。 鳥居の柱と自動車の大きさを比べて下さい。 鳥居の大きさが分かります。



写真M: 「神柱大鳥居 建設協賛者芳名」の石碑(せきひ)が鳥居のそばにあります。



写真N: 古い石碑があります。



写真O: 「明神造大鳥居建設、起工式 昭和53年11月2日、竣工式 昭和54年7月8日、柱廻り 8.9 m、高さ 25 m、幅 32.4 m、額 長さ 4 m、幅 2.6 m。」と彫(ほ)ってあります。



写真P: 年見川が流れています。 参道はこの橋を渡っています。



写真Q: 年見川です。



写真R: 年見川の対岸です。



写真S: 「年見川」と橋に書いてあります。



写真T: 都城市にある神柱宮の参道です。 奥の鎮守(ちんじゅ)の森に社殿があります。



写真U: 参道の東側に「神柱公園」と駐車場があります。



写真V: 「前田町 18街区」と書いてある標柱があります。



写真W: 池と赤い神橋が見えます。 参道の西側です。



写真X: 都城市にある神柱宮の赤い神橋です。



写真Y: 西側の池に橋があります。 「おかげはし」と橋に書いてあります。



写真Z: 神柱宮の池です。 右に池の中の東屋(あずまや)が見えます。



写真AA: 「おかげはし」と橋に書いてあります。



写真AB: おかげ橋にドバト(伝書バト)が2羽止(と)まっていました。



写真AC: 池の中にある東屋(あずまや)です。 中に椅子(いす)もあります。



写真AD: 赤い神橋が見えてきました。 ベンチもあります。



写真AE: 赤い神橋(太鼓橋(たいこばし))とベンチです。



写真AF: 宮崎県 都城市にある「神柱宮」の池です。



写真AG: 都城市にある「神柱宮」の池。



写真AH: 「まつばらはし (松原橋)」です。 赤い神橋(太鼓橋)です。



写真AI: 「まつばらはし」と書いてあります。



写真AJ: 赤い神橋の欄干(らんかん)にドバト(伝書バト)が止まっていました。



写真AK: 神橋の欄干(らんかん)にドバト(伝書バト)が止まっていました。



写真AL: 建物はトイレです。



写真AM: 公衆電話、飲料水の自動販売機(丸に十の字の島津の家紋(かもん)、島津茶園と書いてあります。)が参道にあります。



写真AN: 飲料水の自動販売機(丸に十の字の島津の家紋(かもん)、島津茶園と書いてあります。)。



写真AO: 奥は駐車場とトイレです。



写真AP: コカ・コーラを飲みました。



写真AQ: 参道を振り返ったもの。 日本一の大鳥居が見えます。 南を見たもの。



写真AR: 神柱宮の参道です。 南を見たもの。



写真AS: 参道にこのような石があります。



写真AT: 奥に神柱宮の石段と鳥居(とりい)が見えます。



写真AU: 奥に神柱宮の石段と鳥居(とりい)、拝殿、石碑(せきひ)などが見えます。
神柱宮では7月9日に「献燈祭6月燈 (けんとうさい6月とう)」が行われます。 これは、第19代藩主 島津光久が城山の観音堂完成の記念に灯籠(とうろう)を奉納した祭、家臣や領民たちまでも光久に習って奉納したことが始まりとされる祭りです。
「七草詣り(まいり)」は数え年7歳を迎えた男女児の歳祝いのお祭りです。 古くは、近所の7軒の家を回って「七草がゆ」をもらい、それを食べて厄災を軽減するというものでした。 今ではその風習もすたれ、神社へお参りをしてお祓い(はらい)を受けることが一般的になっています。 7軒の家を回ることから「7とこさん」とも呼(よ)ばれます。 この2つとも旧薩摩藩の伝統的な祭りです。



写真AV: 二の鳥居(とりい、昭和5年6月1日建立)の奥に拝殿も見えます。
神柱宮では7月9日に「献燈祭6月燈 (けんとうさい6月とう)」が行われます。 これは、第19代藩主 島津光久が城山の観音堂完成の記念に灯籠(とうろう)を奉納した祭、家臣や領民たちまでも光久に習って奉納したことが始まりとされる祭りです。
「七草詣り(まいり)」は数え年7歳を迎えた男女児の歳祝いのお祭りです。 古くは、近所の7軒の家を回って「七草がゆ」をもらい、それを食べて厄災を軽減するというものでした。 今ではその風習もすたれ、神社へお参りをしてお祓い(はらい)を受けることが一般的になっています。 7軒の家を回ることから「7とこさん」とも呼(よ)ばれます。 この2つとも旧薩摩藩の伝統的な祭りです。



写真AW: 右手には「神柱公園」があります。
「神柱公園 (かんばしらこうえん)」は宮崎県 都城市 前田町 1330-1 にあります。 神柱宮の参道に隣接(りんせつ)しています。
面積が4.5 ha の都城市立の公園です。



写真AX: 神柱公園です。



写真AY: 「神柱公園」と書いてあります。
「神柱公園 (かんばしらこうえん)」は宮崎県 都城市 前田町 1330-1 にあります。 神柱宮の参道に隣接(りんせつ)しています。
面積が4.5 ha の都城市立の公園です。



写真AZ: 右に「別表神社 神柱宮」と書いてある石碑があります。



写真BA: 都城市にある神柱宮の石段と鳥居、拝殿などです。
鳥居の左に門守社が見えます。



写真BB: 都城市にある神柱宮です。 北を見たもの。



写真BC: 左に車道があります。 西を見たもの。



写真BD: 南西を見たものです。 駐車場が見えます。



写真BE: 南を見たもの。 大きな鳥居も見えます。



写真BF: 神柱公園です。



写真BG: 東を見たものです。



写真BH: 細い道も右手にあります。



写真BI: 「別表神社 神柱宮」と書いてある石碑(せきひ)です。



写真BJ: 神柱宮の鳥居の奥に拝殿も見えます。 左に手水舎(ちょうずや)も見えます。 石灯籠(いしどうろう)もあります。



写真BK: 神柱宮の境内(けいだい)です。



写真BL: 「神柱宮 (かんばしらぐう)」の説明板があります。
祭神
 主神 天照皇大神・豊受姫大神
相殿 天津彦火瓊々杵命・天手力雄命・天太玉命
    天津兒屋命・萬旗豊秋津姫命
由緒
 人皇第68代後一条天皇 御宇万寿3年(1026年) (福岡県の太宰府から来た)大監平季基 島津御荘(西日本最大とも言われます。) 開拓に当たり神託により梅北町に島津御荘の総鎮守として創建し、旧藩始祖 島津忠久 公をはじめ都城旧領主 資忠 公以下 代々また旧島津荘内の人々朝詣暮参し厚く崇敬し来る。
 廃藩置県 明治4年 都城県 設置に伴い県内総鎮守神社として明治6年10月28日にこの小松原に遷座された。 昭和47年遷座100年・創建950年 昭和天皇 御在位50年記念に、第60回伊勢神宮 式年遷宮古下賜材をもとに本殿改築、諸施設改装、境内整備などはかり崇敬の誠をささげ今日に至(いた)る。
万寿3年9月9日市内梅北町創建
享保19年5月13日神階正一位授位
明治6年5月25日県社列格
明治6年10月28日現小松原へ遷座
昭和51年7月1日別表に掲(かか)げる神社加列
昭和57年3月31日神柱宮と社名変更
大祭
例祭10月29日、祈年祭2月17日、新嘗祭(にいなめさい)11月23日、神幸祭11月
中祭
歳旦祭1月1日、元始祭1月3日、紀元祭2月11日、神嘗当日祭10月17日、天長祭12月23日、夏祭6月、灯祭7月、末社基柱神社10月28日
小祭
月並祭 毎1日・15日、外七草参祭1月7日、節分厄祓、七五三参11月15日、安産・初宮参・車祓・その他。
と書かれています。



写真BM: 「神柱宮 (かんばしらぐう)」の説明板があります。
祭神
 主神 天照皇大神・豊受姫大神
相殿 天津彦火瓊々杵命・天手力雄命・天太玉命
    天津兒屋命・萬旗豊秋津姫命
由緒
 人皇第68代後一条天皇 御宇万寿3年(1026年) (福岡県の太宰府から来た)大監平季基 島津御荘(西日本最大とも言われます。) 開拓に当たり神託により梅北町に島津御荘の総鎮守として創建し、旧藩始祖 島津忠久 公をはじめ都城旧領主 資忠 公以下 代々また旧島津荘内の人々朝詣暮参し厚く崇敬し来る。
 廃藩置県 明治4年 都城県 設置に伴い県内総鎮守神社として明治6年10月28日にこの小松原に遷座された。 昭和47年遷座100年・創建950年 昭和天皇 御在位50年記念に、第60回伊勢神宮 式年遷宮古下賜材をもとに本殿改築、諸施設改装、境内整備などはかり崇敬の誠をささげ今日に至(いた)る。
万寿3年9月9日市内梅北町創建
享保19年5月13日神階正一位授位
明治6年5月25日県社列格
明治6年10月28日現小松原へ遷座
昭和51年7月1日別表に掲(かか)げる神社加列
昭和57年3月31日神柱宮と社名変更
大祭
例祭10月29日、祈年祭2月17日、新嘗祭(にいなめさい)11月23日、神幸祭11月
中祭
歳旦祭1月1日、元始祭1月3日、紀元祭2月11日、神嘗当日祭10月17日、天長祭12月23日、夏祭6月、灯祭7月、末社基柱神社10月28日
小祭
月並祭 毎1日・15日、外七草参祭1月7日、節分厄祓、七五三参11月15日、安産・初宮参・車祓・その他。
と書かれています。



写真BN: 「神柱宮 (かんばしらぐう)」の説明板があります。
祭神
 主神 天照皇大神・豊受姫大神
相殿 天津彦火瓊々杵命・天手力雄命・天太玉命
    天津兒屋命・萬旗豊秋津姫命
由緒
 人皇第68代後一条天皇 御宇万寿3年(1026年) (福岡県の太宰府から来た)大監平季基 島津御荘(西日本最大とも言われます。) 開拓に当たり神託により梅北町に島津御荘の総鎮守として創建し、旧藩始祖 島津忠久 公をはじめ都城旧領主 資忠 公以下 代々また旧島津荘内の人々朝詣暮参し厚く崇敬し来る。
 廃藩置県 明治4年 都城県 設置に伴い県内総鎮守神社として明治6年10月28日にこの小松原に遷座された。 昭和47年遷座100年・創建950年 昭和天皇 御在位50年記念に、第60回伊勢神宮 式年遷宮古下賜材をもとに本殿改築、諸施設改装、境内整備などはかり崇敬の誠をささげ今日に至(いた)る。
万寿3年9月9日市内梅北町創建
享保19年5月13日神階正一位授位
明治6年5月25日県社列格
明治6年10月28日現小松原へ遷座
昭和51年7月1日別表に掲(かか)げる神社加列
昭和57年3月31日神柱宮と社名変更
大祭
例祭10月29日、祈年祭2月17日、新嘗祭(にいなめさい)11月23日、神幸祭11月
中祭
歳旦祭1月1日、元始祭1月3日、紀元祭2月11日、神嘗当日祭10月17日、天長祭12月23日、夏祭6月、灯祭7月、末社基柱神社10月28日
小祭
月並祭 毎1日・15日、外七草参祭1月7日、節分厄祓、七五三参11月15日、安産・初宮参・車祓・その他。
と書かれています。



写真BO: 左端は「皇太后陛下 (良子女王殿下、昭和天皇の皇后) 御手植樅(もみ) 大正12年5月20日」のモミの木です。 鳥居、末社、階段も見えます。



写真BP: 神柱宮の境内(けいだい)です。 右は「皇太后陛下 (良子女王殿下、昭和天皇の皇后) 御手植樅(もみ) 大正12年5月20日」のモミの木です。 石灯籠(いしどうろう)、石碑(せきひ)、看板(かんばん)も見えます。



写真BQ: 都城市にある「神柱宮」の社殿(昭和47年建立)、左は社務所、上手前は手水舎(ちょうずや)です。
神柱宮では7月9日に「献燈祭6月燈 (けんとうさい6月とう)」が行われます。 これは、第19代藩主 島津光久が城山の観音堂完成の記念に灯籠(とうろう)を奉納した祭、家臣や領民たちまでも光久に習って奉納したことが始まりとされる祭りです。
「七草詣り(まいり)」は数え年7歳を迎えた男女児の歳祝いのお祭りです。 古くは、近所の7軒の家を回って「七草がゆ」をもらい、それを食べて厄災を軽減するというものでした。 今ではその風習もすたれ、神社へお参りをしてお祓い(はらい)を受けることが一般的になっています。 7軒の家を回ることから「7とこさん」とも呼(よ)ばれます。 この2つとも旧薩摩藩の伝統的な祭りです。



写真BR: 宮崎県 都城市にある「神柱宮 (かんばしらぐう)」です。 拝殿と左に社務所が見えます。 狛犬(こまいぬ)も見えます。



写真BS: 社務所の前にマイクロバスが来ていました。 神柱宮。



写真BT: 神柱宮の手水舎(ちょうずや)です。 左は神社の説明板です。



写真BU: 末社、説明板、右端の手水舎(ちょうずや)が見えます。



写真BV: 神柱宮の御手洗(みたらい)です。 「心洗」と彫(ほ)ってあります。



写真BW: 「皇太后陛下 (良子女王殿下、昭和天皇の皇后) 御手植樅(もみ) 大正12年5月20日」の看板(かんばん)とモミの木、石灯籠(いしどうろう)、石碑(せきひ)などが見えます。



写真BX: お手植えのモミの木 (昭和天皇の皇后)です。



写真BY: 「皇太后陛下 (良子女王殿下、昭和天皇の皇后) 御手植樅(もみ) 大正12年5月20日」のモミの木です。 都城市にある神柱宮。



写真BZ: 「皇太后陛下 (良子女王殿下、昭和天皇の皇后) 御手植樅(もみ) 大正12年5月20日」と書いてあります。



写真CA: 石碑(せきひ)が並(なら)んでいます。



写真CB: 「八方除(よ)け (方位除け)のご案内」の説明板があります。



写真CC: 宮崎県 都城市にある「神柱宮 (かみばしらぐう)」です。 絵馬(えま)をかける所、手前に狛犬(こまいぬ)も見えます。



写真CD: 神柱宮の社務所です。 「おみくじ所」の看板(かんばん)もあります。



写真CE: 奥は末社の「基柱神社 (もとはしらじんじゃ)」です。 右に「古札納所」の看板もあります。 神柱宮の境内。



写真CF: 「末社 基柱神社 (もとはしらじんじゃ)」の説明板です。
昭和60年10月28日鎮座。 祭神 平季基命(島津の荘を開拓した人)、菅原道真命。
平季基命は神柱宮創立者で事業繁栄振興の神さまです。
菅原道真命は天神様で、学問文芸上達の神様です。 太宰府天満宮の御分霊を祀(まつ)ってあります。
祝吉、郡元、早水あたりは奈良時代ごろから島津という地名でした。
 飛鳥時代の大化の新政(大化元年(645年))で駅馬・伝馬の「駅制」ができました。 大隅街道の1駅であった「島津駅」は鎌倉時代まで交通の要衝(ようしょう)として都城開発に力がありました。 「院」は「役所」のことで、平安時代の桓武天皇時代に諸国に「正倉院」を設置した(延暦14年=795年)ことに由来があります。 「島津院」はその1つです。 平安時代には島津を中心として荘園(しょうえん)があり、「島津の荘」と呼(よ)ばれました。 平安時代中期の万寿年間(1024年〜1028年)に平秀基(すえもと)が「島津の荘」を開きました。 これは忠久が島津の荘に関係する約160年前のことです。 そして平秀基は関白 藤原頼通にそれを寄進し、領主になりました。 荘園を広げたのは季基の後裔(入り婿)である肝付(きもつき)氏でした。 近くの三股院にも荘園は広がり中世時代に肝付の重要な領地でした。 島津の荘は国内最大級の荘園でした。



写真CG: まわりの塀(へい)も見えます。



写真CH: 神柱宮 拝殿の鈴です。 「神柱宮」と書いてある額(がく)も見えます。



写真CI: 鈴の紐(ひも)、お賽銭箱(さいせんばこ)、記帳台、絵馬(えま)をかける所、社務所も見えます。



写真CJ: 拝殿の上部です。 横木の彫刻、しめ縄、御幣(ごへい)も見えます。



写真CK: はじめに見た「日本一の大鳥居(とりい)、(建立時)」のところまで戻(もど)って来ました。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)