生目神社 (いきめじんじゃ) (旧県社、生目八幡宮、活目八幡宮、源平合戦で負けた平家側の武将 藤原景清(かげきよ)伝説、市指定天然記念物 生目神社のオガタマノキ、市指定天然記念物 生目神社のクスノキ、みやざきの巨樹百選 イチョウ)  (宮崎県 宮崎市 大字生目 345番地)







<標高、位置>  生目神社 (いきめじんじゃ)は
標高 約30 m
 北緯31度55分06秒  東経131度22分38秒


 「生目神社」は宮崎県 宮崎市 大字生目 亀井山 345番地にあります。
 「日本一社 生目神社御由緒」の説明板から、
 一.御祭神
(主祭神) 品陀和気命(応神天皇)、藤原景清公(平安時代の平家側の武将)  (御相殿) 彦火瓊々杵尊、彦火々出見尊、鵜茅葺不合尊
一.祭日
旧正月15日16日17日 縁日祭(一年で一番賑(にぎ)わい、参拝者はひきもきらず日に万を超える。)
毎月1日15日 月祭
一.御由緒
 本神社は古来、生目八幡宮(活目とも書く)と称(とな)えていましたが、明治維新に至(いた)り、生目神社と改称せられた。 (旧県社)
(御霊験のこと) 昔より眼疾(がんしつ)に霊験あらたかなりとして崇敬殊(こと)に厚く、「日向の生目八幡様」として、広く知られ、九州はもとより、北は北海道、本州から直参(じきさん)祈願(きがん)される参詣者(さんけいしゃ)も多い。
(御創建のこと) 本神社の創建に関しては、元亀(1570-1573年)、天正(1573-1592年)の兵火で古書、棟札等が焼失し尽(つ)くし詳(つまび)らかではないが、「宇佐大鑑」には天喜4年(1056年)に既(すで)にこの八幡社が建立されてあったと記(しる)され、なお僅(わず)かに残された棟札によっても、宝徳2年5月(1056年)に既(すで)に遷宮祭が行われた事が知られる。 下(くだ)って弘治2年(1556年)には既に多くの社領神田を有していた旨(むね)の旧記あり。
これらの事実は本社が実に貴(たっと)きお方々を御祭神として奉祀している所以(ゆえん)で古くから世の崇敬厚かったことを物語っている。
(いくめの起源)
種々の説があり何(いず)れを真ともなしえないが
1説には(藤原)景清公 (平安時代の平家側の武将)、日向下向に際し居をこの地に選び閑居され生を卒えられた。 公の没後、公の活けるがごとき霊眼を斎き祀ったと。
1説には当地に古より霊地として眼疾患者を活かすに不思議に著しき霊験あり古人其神徳を奉り生目(活目(いきめ))八幡宮と称(とな)え奉(たてま)ったと。
1説には活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)を奉斎した社であると。
蓋(けだ)し、御子 景行天皇 熊襲征伐の途、御父君垂仁天皇の御命日に偶々之の地にて神霊祭を御営(いとな)みになられたのを住民等歓迎し聖地として永く奉斎し活目八幡宮と称(とな)え奉ったと。
一.御神詠
元禄2年(1689年)3月3日、豊後国(大分県)日田の郡代 池田季隆 礼拝し「かげ清く照らす生目の鏡山、末の世までも雲らざりけり」と和歌を献詠された。
その後御神託により「鏡山」を「水鏡」と改め、御神詠となした。
「かげ清く照らす生目の水鏡、末の世までも雲らざりけり」
参詣(さんけい)の方が御供の神水を目洗水として受けて行かれます。
「境内案内」
本社 拝殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (昭和9年御造営) 1934年
本殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (文政10年御造営) 1827年
末社(南) 八坂神社
末社(北) 若宮神社
古老樹 セキの神
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。

 「市指定天然記念物 生目神社のオガタマノキ」の説明板から、
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿左側の角隅(かどすみ)に孤立木として植栽されたものである。 目通り幹周 3.20 m、樹高 17.50 m あり、その樹冠は東西 15 m余りの巨木である。 本樹の樹勢は壮年期を経過しており、停滞状態の成長を続けている。 県内のオガタマノキは、西都市 三宅 寺崎と高千穂町 岩戸神社 境内にあり、本樹が最大の巨木である。

 「市指定天然記念物 生目神社のクスノキ」の説明板から、
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿右側にあり、左の巨木オガタマノキと対をなしている。 目通り幹周 8.65 m、樹高 25 mに及ぶ巨木である。 国指定クスノキは、県内に6件あり、その他の巨木では既に希少価値が高いものである。

 「生目神楽(いきめかぐら)」が里神楽祭、縁日祭で奉納されます。 平成15年に宮崎県指定文化財 (工芸品)に指定された鎌倉時代(1248年)作の「宝治銘神面」は土持右衛門尉田部通綱が奉納したもので宮崎県最古の有銘仮面です。 平成15年に宮崎県指定文化財 (工芸品)に指定された「天文銘神面」は伊東の支流と思われる石塚祐政が天文5年(1536年)に奉納したものです。



写真A: 生目神社の鳥居(とりい)です。 狛犬(こまいぬ)の像、石碑なども見えます。
宮崎県 宮崎市 大字生目 亀井山 345番地に生目神社はあります。
生目神社は昔から目の病気に霊験あらたかであると伝えられています。
生目神社は亀井山という丘の上にあります。



写真B: 生目神社の石灯籠(いしどうろう)、鳥居(とりい)、拝殿(はいでん)などが見えます。
生目神社の周囲は豊前 宇佐八幡宮の神領地である宮崎庄に含まれていたので、庄園(しょうえん、荘園のこと。)の鎮守として八幡宮を勧請したのが創建と考えられています。
鳥居(とりい)の左上の大きな木は市指定天然記念物 オガタマノキです。
左手前に神楽殿が見えます。



写真C: 右から社務所、鳥居(とりい)の奥に拝殿、左に門前町の店、旅館があります。 左端(ひだりはし)は神楽殿です。
生目神楽(いきめかぐら)が里神楽祭、縁日祭で奉納されます。 平成15年に宮崎県指定文化財 (工芸品)に指定された鎌倉時代(1248年)作の宝治銘神面は土持右衛門尉田部通綱が奉納したもので宮崎県最古の有銘仮面です。 平成15年に宮崎県指定文化財 (工芸品)に指定された天文銘神面は伊東の支流と思われる石塚祐政が天文5年(1536年)に奉納したものです。



写真D: 「日本一社 生目神社御由緒」の説明板です。
 一.御祭神
(主祭神) 品陀和気命(応神天皇)、藤原景清公(平安時代の平家側の武将)  (御相殿) 彦火瓊々杵尊、彦火々出見尊、鵜茅葺不合尊
一.祭日
旧正月15日16日17日 縁日祭(一年で一番賑(にぎ)わい、参拝者はひきもきらず日に万を超える。)
毎月1日15日 月祭
一.御由緒
 本神社は古来、生目八幡宮(活目とも書く)と称(とな)えていましたが、明治維新に至(いた)り、生目神社と改称せられた。 (旧県社)
(御霊験のこと) 昔より眼疾(がんしつ)に霊験あらたかなりとして崇敬殊(こと)に厚く、「日向の生目八幡様」として、広く知られ、九州はもとより、北は北海道、本州から直参(じきさん)祈願(きがん)される参詣者(さんけいしゃ)も多い。
(御創建のこと) 本神社の創建に関しては、元亀(1570-1573年)、天正(1573-1592年)の兵火で古書、棟札等が焼失し尽(つ)くし詳(つまび)らかではないが、「宇佐大鑑」には天喜4年(1056年)に既(すで)にこの八幡社が建立されてあったと記(しる)され、なお僅(わず)かに残された棟札によっても、宝徳2年5月(1056年)に既(すで)に遷宮祭が行われた事が知られる。 下(くだ)って弘治2年(1556年)には既に多くの社領神田を有していた旨(むね)の旧記あり。
これらの事実は本社が実に貴(たっと)きお方々を御祭神として奉祀している所以(ゆえん)で古くから世の崇敬厚かったことを物語っている。
(いくめの起源)
種々の説があり何(いず)れを真ともなしえないが
1説には(藤原)景清公 (平安時代の平家側の武将)、日向下向に際し居をこの地に選び閑居され生を卒えられた。 公の没後、公の活けるがごとき霊眼を斎き祀ったと。
1説には当地に古より霊地として眼疾患者を活かすに不思議に著しき霊験あり古人其神徳を奉り生目(活目(いきめ))八幡宮と称(とな)え奉(たてま)ったと。
1説には活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)を奉斎した社であると。
蓋(けだ)し、御子 景行天皇 熊襲征伐の途、御父君垂仁天皇の御命日に偶々之の地にて神霊祭を御営(いとな)みになられたのを住民等歓迎し聖地として永く奉斎し活目八幡宮と称(とな)え奉ったと。
一.御神詠
元禄2年(1689年)3月3日、豊後国(大分県)日田の郡代 池田季隆 礼拝し「かげ清く照らす生目の鏡山、末の世までも雲らざりけり」と和歌を献詠された。
その後御神託により「鏡山」を「水鏡」と改め、御神詠となした。
「かげ清く照らす生目の水鏡、末の世までも雲らざりけり」
参詣(さんけい)の方が御供の神水を目洗水として受けて行かれます。
「境内案内」
本社 拝殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (昭和9年御造営) 1934年
本殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (文政10年御造営) 1827年
末社(南) 八坂神社
末社(北) 若宮神社
古老樹 セキの神
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。
と書かれています。



写真E: 「日本一社 生目神社御由緒」の説明板です。
 一.御祭神
(主祭神) 品陀和気命(応神天皇)、藤原景清公(平安時代の平家側の武将)  (御相殿) 彦火瓊々杵尊、彦火々出見尊、鵜茅葺不合尊
一.祭日
旧正月15日16日17日 縁日祭(一年で一番賑(にぎ)わい、参拝者はひきもきらず日に万を超える。)
毎月1日15日 月祭
一.御由緒
 本神社は古来、生目八幡宮(活目とも書く)と称(とな)えていましたが、明治維新に至(いた)り、生目神社と改称せられた。 (旧県社)
(御霊験のこと) 昔より眼疾(がんしつ)に霊験あらたかなりとして崇敬殊(こと)に厚く、「日向の生目八幡様」として、広く知られ、九州はもとより、北は北海道、本州から直参(じきさん)祈願(きがん)される参詣者(さんけいしゃ)も多い。
(御創建のこと) 本神社の創建に関しては、元亀(1570-1573年)、天正(1573-1592年)の兵火で古書、棟札等が焼失し尽(つ)くし詳(つまび)らかではないが、「宇佐大鑑」には天喜4年(1056年)に既(すで)にこの八幡社が建立されてあったと記(しる)され、なお僅(わず)かに残された棟札によっても、宝徳2年5月(1056年)に既(すで)に遷宮祭が行われた事が知られる。 下(くだ)って弘治2年(1556年)には既に多くの社領神田を有していた旨(むね)の旧記あり。
これらの事実は本社が実に貴(たっと)きお方々を御祭神として奉祀している所以(ゆえん)で古くから世の崇敬厚かったことを物語っている。
(いくめの起源)
種々の説があり何(いず)れを真ともなしえないが
1説には(藤原)景清公 (平安時代の平家側の武将)、日向下向に際し居をこの地に選び閑居され生を卒えられた。 公の没後、公の活けるがごとき霊眼を斎き祀ったと。
1説には当地に古より霊地として眼疾患者を活かすに不思議に著しき霊験あり古人其神徳を奉り生目(活目(いきめ))八幡宮と称(とな)え奉(たてま)ったと。
1説には活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)を奉斎した社であると。
蓋(けだ)し、御子 景行天皇 熊襲征伐の途、御父君垂仁天皇の御命日に偶々之の地にて神霊祭を御営(いとな)みになられたのを住民等歓迎し聖地として永く奉斎し活目八幡宮と称(とな)え奉ったと。
一.御神詠
元禄2年(1689年)3月3日、豊後国(大分県)日田の郡代 池田季隆 礼拝し「かげ清く照らす生目の鏡山、末の世までも雲らざりけり」と和歌を献詠された。
その後御神託により「鏡山」を「水鏡」と改め、御神詠となした。
「かげ清く照らす生目の水鏡、末の世までも雲らざりけり」
参詣(さんけい)の方が御供の神水を目洗水として受けて行かれます。
「境内案内」
本社 拝殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (昭和9年御造営) 1934年
本殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (文政10年御造営) 1827年
末社(南) 八坂神社
末社(北) 若宮神社
古老樹 セキの神
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。
と書かれています。



写真F: 生目神社のお札、お守りなどを売っている所です。 社務所。



写真G: 宮崎県 宮崎市 大字生目 亀井山 345番地にある「生目神社 (いきめじんじゃ)」の拝殿です。 しめ縄、御幣(ごへい)、石灯籠(いしどうろう)、「奉納 生目神社」と書いてある幟(のぼり)もあります。
拝殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (昭和9年御造営) 1934年。



写真H: 「みやざきの巨樹百選(生目神社の大イチョウ)」の説明板も生目神社の大イチョウの手前に見えます。
樹木名 イチョウ、樹齢 300 年、幹周 624 cm、樹高 34 m、所有者 神社。
平成4年3月認定 宮崎県
と書いてあります。 左に石碑(せきひ)と石灯籠(いしどうろう)も見えます。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真I: 「みやざきの巨樹百選(生目神社の大イチョウ)」です。
樹木名 イチョウ、樹齢 300 年、幹周 624 cm、樹高 34 m、所有者 神社。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真J: 「みやざきの巨樹百選(生目神社の大イチョウ)」です。
樹木名 イチョウ、樹齢 300 年、幹周 624 cm、樹高 34 m、所有者 神社。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真K: 宮崎県 宮崎市 大字生目にある「生目神社」の境内です。 左は拝殿、石灯籠(いしどうろう)、石碑(せきひ)、絵馬(えま)をかけてある所、外灯などが見えます。



写真L: 生目神社の拝殿です。 宮崎県 宮崎市 大字生目 345番地にあります。
拝殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (昭和9年御造営) 1934年。



写真M: 「みやざきの巨樹百選」の説明板と大イチョウが見えます。
樹木名 イチョウ、樹齢 300 年、幹周 624 cm、樹高 34 m、所有者 神社。
平成4年3月認定 宮崎県
と書いてあります。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真N: 生目神社の大イチョウの左に記念碑の石碑(せきひ)、石灯籠(いしどうろう)などが見えます。 左端は鳥居(とりい)です。



写真O: 左は生目神社の社務所の建物です。 日の丸の旗が見えます。 鳥居(とりい、昭和9年9月建立)があります。 参道の奥にも鳥居が見えます。



写真P: 生目神社の鳥居(とりい)に昭和9年9月建立と彫(ほ)ってあります。



写真Q: しめ縄がしてある御神木のそばに「生目神社のクスノキ」と書いてある標識棒があります。 左に末社(若宮神社)があります。 その手前にセキの神があります。 右は市指定天然記念物 「生目神社のオガタマノキとクスノキ」の説明板です。 生目神社の境内です。
「市指定天然記念物 生目神社のクスノキ」の説明板から、
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿右側にあり、左の巨木オガタマノキと対をなしている。 目通り幹周 8.65 m、樹高 25 mに及ぶ巨木である。 国指定クスノキは、県内に6件あり、その他の巨木では既に希少価値が高いものである。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真R: 「市指定天然記念物 生目神社のオガタマノキとクスノキ」の説明板です。
「市指定天然記念物 生目神社のオガタマノキ」の説明板です。
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿左側の角隅(かどすみ)に孤立木として植栽されたものである。 目通り幹周 3.20 m、樹高 17.50 m あり、その樹冠は東西 15 m余りの巨木である。 本樹の樹勢は壮年期を経過しており、停滞状態の成長を続けている。 県内のオガタマノキは、西都市 三宅 寺崎と高千穂町 岩戸神社 境内にあり、本樹が最大の巨木である。

「市指定天然記念物 生目神社のクスノキ」の説明板です。
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿右側にあり、左の巨木オガタマノキと対をなしている。 目通り幹周 8.65 m、樹高 25 mに及ぶ巨木である。 国指定クスノキは、県内に6件あり、その他の巨木では既に希少価値が高いものである。

オガタマノキ(古来 日本民族の神木)、クスノキ(地域住民の民俗的神木)の両木が、生目神社に植栽された歴史的意義は大きいものである。
昭和55年3月10日 宮崎市教育委員会
と書かれています。



写真S: 左はオガタマノキと楠(くすのき)の説明板です。



写真T: 生目神社の境内にある木です。



写真U: 生目神社の境内にある木。



写真V: 生目神社の境内にある木です。



写真W: 右は御神木(ごしんぼく)の楠(くすのき)で、しめ縄がしてあります。 左端は生目神社の本殿です。 その右に末社(若宮神社)が見えます。 その手前にセキの神があります。
本殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (文政10年御造営) 1827年。



写真X: 右が生目神社の本殿です。 左は拝殿です。
本殿 流造木造(台湾檜材他) 銅板葺(ふき) (文政10年御造営) 1827年。



写真Y: 生目神社の拝殿です。 右から見たもの。



写真Z: 生目神社の拝殿。



写真AA: 宮崎市 大字生目にある生目神社の境内です。



写真AB: 「市文化財 楠(くす) 樹令 約1000年」と書いてあります。



写真AC: 「生目神社のオガタマノキ、宮崎市指定 天然記念物」と書いてある標識棒があります。 そばに末社(八坂神社)があります。 御神木のオガタマノキにしめ縄(なわ)がしてあります。 末社の左下に狛犬(こまいぬ)が見えます。 左端に境内補修工事記念碑があります。
「市指定天然記念物 生目神社のオガタマノキ」の説明板から、
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿左側の角隅(かどすみ)に孤立木として植栽されたものである。 目通り幹周 3.20 m、樹高 17.50 m あり、その樹冠は東西 15 m余りの巨木である。 本樹の樹勢は壮年期を経過しており、停滞状態の成長を続けている。 県内のオガタマノキは、西都市 三宅 寺崎と高千穂町 岩戸神社 境内にあり、本樹が最大の巨木である。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真AD: 「生目神社のオガタマノキ、宮崎市指定 天然記念物」と書いてある標識棒があります。 そばに末社(八坂神社)があります。 石灯籠(いしどうろう)も見えます。
「市指定天然記念物 生目神社のオガタマノキ」の説明板から、
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿左側の角隅(かどすみ)に孤立木として植栽されたものである。 目通り幹周 3.20 m、樹高 17.50 m あり、その樹冠は東西 15 m余りの巨木である。 本樹の樹勢は壮年期を経過しており、停滞状態の成長を続けている。 県内のオガタマノキは、西都市 三宅 寺崎と高千穂町 岩戸神社 境内にあり、本樹が最大の巨木である。
右は末社です。 左に石碑(せきひ)があります。 石垣(いしがき)、石段、石灯籠(いしどうろう)も見えます。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真AE: 「生目神社のオガタマノキ、宮崎市指定 天然記念物」です。
「市指定天然記念物 生目神社のオガタマノキ」の説明板から、
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿左側の角隅(かどすみ)に孤立木として植栽されたものである。 目通り幹周 3.20 m、樹高 17.50 m あり、その樹冠は東西 15 m余りの巨木である。 本樹の樹勢は壮年期を経過しており、停滞状態の成長を続けている。 県内のオガタマノキは、西都市 三宅 寺崎と高千穂町 岩戸神社 境内にあり、本樹が最大の巨木である。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真AF: 「生目神社のオガタマノキ、宮崎市指定 天然記念物」です。
「市指定天然記念物 生目神社のオガタマノキ」の説明板から、
指定年月日 昭和48年3月12日
 本殿左側の角隅(かどすみ)に孤立木として植栽されたものである。 目通り幹周 3.20 m、樹高 17.50 m あり、その樹冠は東西 15 m余りの巨木である。 本樹の樹勢は壮年期を経過しており、停滞状態の成長を続けている。 県内のオガタマノキは、西都市 三宅 寺崎と高千穂町 岩戸神社 境内にあり、本樹が最大の巨木である。
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真AG: 右に大イチョウのしめ縄(なわ)が見えます。
「みやざきの巨樹百選」の説明板です。
樹木名 イチョウ、樹齢 300 年、幹周 624 cm、樹高 34 m、所有者 神社。
平成4年3月認定 宮崎県
と書いてあります。 
生目神社の名木
(おがたまの木) 幹周 3.5 m、樹高 20 m
(銀杏(いちょう)) 幹周 6 m、樹高 30 m
(楠(くすのき)) 幹周 11 m、樹高 25 m
(樹令) いずれも数百年から千年内外で老楠は明治3年当局から諸神社の楠材伐採の布令があったのに対し、神慮を配し、玄米3石8斗を償(つぐな)い免除を得た旨(むね)の碑(ひ)があり、樹令の古老なるを推測しうる。



写真AH: 宮崎県 宮崎市 大字生目 345番地にある「生目神社 (いきめじんじゃ)」です。



写真AI: 生目神社の門前町にある日の出旅館です。 1階に生目ようかん、うどん、そばも売っています。
日の出旅館の左の細い道をしばらく進むと「目によく効く湧(わ)き水」の所に行きます。



写真AJ: 宮崎市 大字生目にある生目神社の参道です。 右端が日の出旅館。 日の出旅館の左は神楽殿です。 奥に鳥居(とりい)も見えます。 石灯籠(いしどうろう)もあります。



写真AK: 生目神社の駐車場です。 右上に鳥居(とりい)、階段も見えます。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)