山路毘沙門天立像、長谷観音像 (山路びしゃもんてん立像、山路ビシャモンテン立像、やまじびしゃもんてんりつぞう、はせかんのん像、鞍馬毘沙門天宮、くらまびしゃもんてん宮、長谷観音、長谷寺)  (西都市大字三宅 山路と西都市大字三納 長谷)







<標高、位置>  山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮は
標高 約50 m
 北緯32度07分38秒  東経131度21分44秒

<標高、位置>  長谷観音像がある長谷観音(長谷寺)は
標高 約210 m
 北緯32度08分32秒  東経131度20分36秒


 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮は西都市大字三宅 山路にあります。 毘沙門天(びしゃもんてん)は四天王(仏法を守護する4人の守護神)の一人で多聞天とも呼ばれます。 日本では財宝や福徳の神様とされ、七福神の一つです。 吉祥天(日本では、弁財天(弁天様)と混同されてもいます)の夫ともされ信仰されました。 特に、戦勝を願う神として、武士階級の人々の信仰を集めたようです。 都於郡城主 伊東義祐公は、北方鎮護のため、この地が都於郡城の真北にあたることから平安京の北方守護神、鞍馬寺本尊毘沙門天のご分霊を歓請して山路鞍馬寺を建立、富貴栄と武運を祈願しました。 この寺は真言宗仁和寺派に属していましたが明治4年に廃寺となり今日に至っています。 この鞍馬寺の本尊である毘沙門天立像(1.9メートル)は室町時代後半頃に作られ極彩色の鎧(よろい)を着用して右手に宝棒を持ち左手の上には宝塔をささげ足下に天邪鬼を踏んでいます。 そして脇侍として左右に吉祥天像(毘沙門天の妻あるいは妹とされる)と弁財天像(女神、弁天様)が配されています。

 長谷観音像のある長谷観音(長谷寺)は西都市大字三納 長谷にあります。 長谷寺は養老元年(717年)、大和長谷寺の徳道上人が諸国行脚の途中この地に立ち寄り、建立したと伝えられています。 都於郡城第7代城主伊東尹祐は寺院の再興をはかり、伊東氏累代の祈願所として再び寺は栄えましたが、伊東氏の滅亡と共に次第に荒廃し、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって明治4年(1871年)に廃寺となりました。
 明治11年(1878年)、地元の人々によって堂宇が再建されましたが、昭和20年(1945年)の枕崎台風によって再び倒壊。 しかし、このときも三尊像の頭部は無傷で残った。 現在の堂宇は昭和56年(1981年)地元の人々の浄財により再建されたものです。 境内には六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。


写真A: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮はこの近くにあります。 西都市にある上山路のバス停。 右奥に、上山路自治公民館の建物が見えています。 道を手前に行くと、西都市の中心部、この十字路を右に行くと西都原古墳群、左に行くと綾町(あやちょう)に行きます。 毘沙門天立像へはこの道を先に進みます。



写真B: 西都市の上山路自治公民館のそばの十字路。 道を手前に行くと、西都市の中心部、この十字路を右に行くと西都原古墳群、左に行くと綾町に行きます。 毘沙門天立像へはこの道を先に進みます。



写真C: 上山路自治公民館にある猿対策の看板。 このあたりにも日本猿が住んでいるようです。



写真D: 上山路自治公民館にある山路毘沙門天立像の標識。



写真E: 上山路自治公民館。



写真F: 上山路自治公民館前の道のそばにある「県指定 山路毘沙門天立像(やまじびしゃもんてんりつぞう)」の説明板。 地図も載っています。
都於郡城第13代藩主、伊東三位入道義祐が都於郡城の北方の鎮護の神として、上山路寺(鞍馬寺)を造ったときに持ち込まれた本尊と思われます。 像は高さ1.53 m の寄木造りの立像で、脇仏の吉祥天とともに堂宇に安置されています。 制作年代は、形式などから南北朝時代末頃と推定されます。



写真G: 上山路自治公民館。 山路毘沙門天保存会の看板もあります。



写真H: 上山路自治公民館の近くの交差点にある道路標識。 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮は三納(みのう)方向に進みます。



写真I: 県指定 山路毘沙門天立像(やまじびしゃもんてんりつぞう)入り口の看板。 ここを右に入ります。



写真J: 行く途中に「山路弘法大師」の標識があります。



写真K: 札所一番 山路弘法大師と書いてあります。 山路毘沙門天立像があるところは、明治4年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)までは鞍馬寺でした。 鞍馬寺が真言宗であったことから参道にお大師様(空海)関係の石仏などが数多くあるものと思われます。



写真L: 山路弘法大師の建物。



写真M: 山路弘法大師の建物。



写真N: 山路弘法大師の建物の中。



写真O: 山路弘法大師の建物の中。



写真P: 山路弘法大師の建物の中。



写真Q: 山路弘法大師の建物の中。



写真R: 山路弘法大師からの景色。 山路川の橋も見えています。



写真S: 山路弘法大師の水道と御手洗(みたらい)。



写真T: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮へはこの右側の道を先に進みます。 この道は車は通れません。



写真U: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の参道。 孟宗竹(もうそうだけ)の竹林もあります。



写真V: 参道沿いには石仏があります。



写真W: 参道には「大師霊場復元紀念碑」と彫(ほ)られた石碑があります。 山路毘沙門天立像があるところは、明治4年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)までは鞍馬寺でした。 鞍馬寺が真言宗であったことから参道にお大師様関係の石仏などが数多くあるものと思われます。



写真X: お大師様に関連する石像が数多くあります。 まわりの景色にとけ込んで趣(おもむき)があります。



写真Y: 参道の途中にもトイレがあります。



写真Z: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の参道。



写真AA: 昔からの階段もあります。



写真AB: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の参道にある石仏。



写真AC: 石像。



写真AD: このあたりの参道は、右手は山、左手は谷になっています。



写真AE: 左手の谷側にはヒモが張ってあります。



写真AF: 参道には金属の柵(さく)があるところもあります。



写真AG: お大師様 関係の石仏。



写真AH: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の参道は苔(こけ)むしたところもあります。



写真AI: 参道には像が安置された建物もあります。



写真AJ: 参道にある石仏。



写真AK: 参道にある木像。 木像は石像に比べて数が少ない。



写真AL: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の参道。



写真AM: 参道の先に橋が見えてきました。



写真AN: 峡谷にかかる参道の橋。



写真AO: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の参道にある橋。



写真AP: 橋から峡谷の底を見下ろす。



写真AQ: 参道にかかる橋から谷の底を望む。 蔓(つる)も見えています。



写真AR: 参道の坂には足がかりが造ってありました。



写真AS: 参道には孟宗竹(もうそうだけ)を組んで造ったベンチがありました。



写真AT: 「火の用心 毘沙門天保存会」と書かれた看板。



写真AU: 木の根にある弘法大師関係の石像。



写真AV: 参道から少し離れたところにも石仏があります。



写真AW: 石像。



写真AX: 参道にある苔むした石仏。 竹の割ったものはお賽銭などを入れる容器です。



写真AY: 参道にある石仏。 竹の割ったものはお賽銭などを入れる容器です。



写真AZ: 山路毘沙門天のある建物に行く参道にある石仏。 竹の割ったものはお賽銭などを入れる容器です。



写真BA: 参道にはクマザサもありました。



写真BB: 参道にある石仏。 竹の割ったものはお賽銭などを入れる容器です。



写真BC: 参道のそばの木に吊してある看板。
「皆さん、この話は620年くらい前の南北朝後期から室町後期まで約200年に及ぶ戦乱の頃のこの山の様子です。 その間に都於郡城の城主は9代変わりました。 最後の義祐(よしすけ)公を含む各代殿様は皆一様に大勢のお供やお坊さんを引き連れて時折この参道を行きお参りしていたそうです。 さて、それは何のためだったのでしょうか。 戦いに望んだら勝つこと (今は受験、競技、選挙など)、農産物がよく実ること、商売など繁盛すること、病気もせず災難を受けないこと。 あらゆる願いを叶えてもらうこと。 一晩でも二晩でもお祈りする。 そして領民が富み栄え豊かな生活が出来ることを願いながら通ったのがこの道だそうです。今、私達はお殿様とあまり変わらない願い事を考え同じ山道を歩いています。」 と書かれています。



写真BD: サツマイナモリの花が参道に咲いていました。



写真BE: 参道には、五輪塔の上部の石造物と思われるものがあります。



写真BF: 参道にある石仏。



写真BG: 参道にある石仏など。



写真BH: 参道にある石仏。



写真BI: 参道の先に赤い鳥居(とりい)が見えてきました。



写真BJ: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮が見えてきました。



写真BK: 石造物の部品と思われるものがあります。



写真BL: これは五輪塔の一番上部の部品かもしれません。



写真BM: 墓石と思われるものもあります。



写真BN: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮。 西都市大字三宅 山路にあります。



写真BO: 円筒形の石造物がいくつかあります。



写真BP: 円筒形の石造物。



写真BQ: 五円の硬貨が2つ供えてあります。



写真BR: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮。



写真BS: この円筒形の石造物は、僧職者の墓かもしれません。



写真BT: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある石造物。



写真BU: トイレもあります。



写真BV: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の石灯籠(いしどうろう)。



写真BW: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の石灯籠と石碑(せきひ)。



写真BX: 石造物。



写真BY: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮(くらまびしゃもんてん宮)にある石碑(せきひ)。



写真BZ: 石碑の下部。



写真CA: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある石碑。 「鞍馬寺毘沙門天顕彰碑」
「所伝によると都於郡城主 伊東義祐公は、北方鎮護のため、この地が都於郡城の真北にあたることから平安京の北方守護神、鞍馬寺本尊毘沙門天のご分霊を歓請して山路鞍馬寺を建立、富貴栄と武運を祈願した。 この寺は真言宗仁和寺派に属していたが明治4年に廃寺となり今日に至っている。 なお義祐公は戦国武将の常道であった京好みにならい都の文化を西都、佐土原地方にもたらした城主でもある。 この鞍馬寺の本尊である毘沙門天立像(1.9メートル)は室町時代後半頃に作られ極彩色の鎧(よろい)を着用して右手に宝棒を持ち左手の上には宝塔をささげ足下に天邪鬼を踏んでいる。 そして脇侍として左右に吉祥天像と弁財天像が配されている。 また都於郡城の伊東氏はこの山路の鞍馬寺とともに三納の長谷寺(はせでら)に対してに尊崇の念が厚かった。 このように毘沙門天像とその脇侍像は都於郡伊東氏の残した文化遺産としては極めて貴重であり、今後ともその保存顕彰に努めなければならない。 昭和62年4月吉日 西都市妻町住人 日高正清 記」 と書いてあります。
この鞍馬寺が真言宗であったことから参道にお大師様関係の石仏が数多くあると思われます。



写真CB: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある御手洗(みたらい)。



写真CC: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿と御手洗(みたらい)。



写真CD: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある御手洗(みた
らい)。



写真CE: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿。



写真CF: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿。



写真CG: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿。



写真CH: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある御手洗(みたらい)。



写真CI: 社殿のそばにも石造物があります。



写真CJ: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある石造物。



写真CK: 社殿のそばに孟宗竹(もうそうだけ)で作ったベンチがあります。



写真CL: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある表札。



写真CM: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある看板。 「西都市指定重要文化財 山路毘沙門天立像 脇侍 弁財天像 吉祥天像」と書かれています。



写真CN: 鈴が格子の手前に見えています。



写真CO: 鈴と看板も見えています。



写真CP: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿の中。 山路毘沙門天立像も格子(こうし)の奥に見えています。



写真CQ: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿の中。 山路毘沙門天立像も格子(こうし)の奥に見えています。



写真CR: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿の中。 山路毘沙門天立像も格子(こうし)の奥に見えています。



写真CS: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿の中。 山路毘沙門天立像も格子(こうし)の奥に見えています。



写真CT: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿の側面。



写真CU: 社殿のそばにある石造物。



写真CV: 社殿のそばにある石造物。



写真CW: 社殿のそばにある石造物。



写真CX: 水タンクと思われるものもあります。



写真CY: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿。



写真CZ: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿の側面。



写真DA: 社殿のそばにある石造物。



写真DB: 山水が湧き出ているところが社殿の右手にあります。



写真DC: 山水が出ているところにある石像と御手洗(みたらい)。 シキミの枝も供えてありました。



写真DD: 山水がたまっています。



写真DE: 赤い鳥居と石碑(せきひ)などが見えています。



写真DF: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿。



写真DG: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある社殿。



写真DH: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の境内。



写真DI: 社殿の下の階段には手すりもあります。



写真DJ: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮にある赤い鳥居、石碑(せきひ)、御手洗(みたらい)など。



写真DK: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮から平地に降りてきました。 山路川にかかっている毘沙門橋(びしゃもん橋)です。



写真DL: 山路毘沙門天立像がある鞍馬毘沙門天宮の参道の左手は谷川になっています。 谷川の水面が光っています。



写真DM: 西都市大字三納 長谷にある三財川にかかる観音橋。 「長谷観音(はせかんのん)」へはこの橋を渡ります。



写真DN: 西都市三納の観音橋。 西都市大字三納 長谷にある「長谷観音」はこの橋を渡って先に進み山を登っていきます。



写真DO: 観音橋は三納川にあります。



写真DP: 三納川を渡ってこの坂道を登ります。 車だと長谷観音(長谷寺)はまもなくです。



写真DQ: 道の途中に地図の看板がありました。 長谷観音や長谷ダム、山路毘沙門天も載っています。



写真DR: 地図の部分拡大図。 西都市三納の郵便局、小学校も載っています。



写真DS: 地図の部分拡大図。 西都市三納の郵便局、小学校も載っています。



写真DT: 長谷観音(長谷寺)に行く道に山桜が咲いていました。



写真DU: 長谷観音(長谷寺)の近くにある山桜。



写真DV: 長谷観音(長谷寺)の近くから、今来た道を振り返った風景。



写真DW: 西都市大字三納 長谷にある長谷寺(長谷観音)の近くにある山桜。



写真DX: 長谷観音(長谷寺)の東屋(あずまや、右)と左の木立の中に山門が見えています。



写真DY: 看板の所が長谷観音(長谷寺)の入り口です。



写真DZ: 「山に火をつけるな 西都児湯森林管理所」 と書かれています。



写真EA: 右に行くと長谷観音(長谷寺)です。 看板が見えています。



写真EB: 長谷観音(長谷寺)の入り口です。



写真EC: 「県指定 長谷観音像(はせかんのんぞう)」の説明板。
「長谷寺は養老元年(717年)、大和長谷寺の徳道上人が諸国行脚の途中この地に立ち寄り、建立したと伝えられている。 大永2年(1522年)の大火により、寺は宝物・古文書などをほとんど失ったが、三尊像は頭部のみが無傷で残った。 
 都於郡城第7代城主伊東尹祐は寺院の再興をはかり、伊東氏累代の祈願所として再び寺は栄えたが、伊東氏の滅亡と共に次第に荒廃し、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって明治4年(1871年)に廃寺となった。
 明治11年(1878年)、地元の人々によって堂宇が再建されたが、昭和20年(1945年)の枕崎台風によって再び倒壊。 しかし、このときも三尊像の頭部は無傷で残った。 現在の堂宇は昭和56年(1981年)地元の人々の浄財により再建されたものである。 指定日: 平成14年3月28日指定。 所在地: 西都市大字三納 長谷。 本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。 西都市教育委員会」 と書いてあります。



写真ED: 長谷観音緑地環境保全地域の看板。
「本地域は、洪積層の段丘礫層上にローム層が堆積したとみられる海抜60−200 m に位置し樹齢200−300年生のしい、かし類の広葉樹林が長谷寺を囲む地域で、歴史的、文化的遺産と一体となった良好な自然環境である。 この優れた環境を保護するため、緑地環境保全地域に指定し適正な管理を図るものである。 昭和59年3月24日 宮崎県知事」 と書かれています。



写真EE: 長谷観音(長谷寺)の山門。 この右奥にもう一つ山門があります。



写真EF: 和尚さんの住宅と思われる建物も見えています。



写真EG: 長谷観音(長谷寺)の山門。 初瀬山と書かれた額が掛けてあります。 初瀬山 長谷寺です。 この山門を通って、階段を登ります。



写真EH: 階段には手すりが付いています。



写真EI: 初瀬山 長谷寺の山門。



写真EJ: 山門の天井(てんじょう)の様子。



写真EK: 山門の天井。



写真EL: 階段の先に御手洗(みたらい)が見えてきました。



写真EM: 階段の途中に石碑(せきひ)があります。 奥に車道のガードレールも見えています。



写真EN: 階段には外灯(照明)もあります。



写真EO: 右先に長谷観音(長谷寺)の本堂が見えてきました。



写真EP: 長谷観音(長谷寺)の御札受所(御休憩所)の建物、古い供養塔、石碑、右奥に六地蔵塔も見えています。



写真EQ: 階段の上から見た山門。



写真ER: 長谷観音(長谷寺)の御手洗(みたらい)。



写真ES: 長谷観音の鐘楼(しょうろう)。



写真ET: 長谷観音の鐘突堂(かねつきどう)。



写真EU: 長谷観音の石灯籠(いしどうろう)と御手洗(みたらい)。



写真EV: 長谷観音の石灯籠。



写真EW: 古い供養塔と思われます。



写真EX: 古い供養塔と思われます。



写真EY: 古い供養塔と思われます。



写真EZ: 古い供養塔と思われます。



写真FA: 境内にある厄払い記念碑。



写真FB: 西都市大字三納 長谷にある長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔(長谷六地蔵塔)。 境内には階段を上がって右手に、六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。 



写真FC: 長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔。 境内には階段を上がって右手に、六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。



写真FD: 長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔。 境内には階段を上がって右手に、六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。



写真FE: 長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔。 境内には階段を上がって右手に、六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。



写真FF: 長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔。 境内には階段を上がって右手に、六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。



写真FG: 長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔。 境内には階段を上がって右手に、六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。



写真FH: 長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔。 境内には階段を上がって右手に、六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。



写真FI: 長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔。 境内には階段を上がって右手に、六地蔵塔(長谷六地蔵塔)があります。 これは高さ2.4 m で、碑文(ひぶん)から妙鏡・妙海尼の供養塔。



写真FJ: 長谷観音(長谷寺)の六地蔵塔と御札受所(御休息所)。



写真FK: 長谷観音(長谷寺)の御札受所(御休息所)。



写真FL: 長谷観音(長谷寺)の本堂。



写真FM: 左は本堂、右は御札受所(御休憩所)。



写真FN: 長谷観音(長谷寺)。



写真FO: 長谷観音(長谷寺)の境内(けいだい)。



写真FP: 長谷観音(長谷寺)の境内(けいだい)。



写真FQ: 長谷観音(長谷寺)の本堂前にある線香をたくところ。



写真FR: 長谷観音(長谷寺)の本堂など。



写真FS: 長谷観音(長谷寺)の本堂。



写真FT: 長谷観音(長谷寺)の本堂。



写真FU: 本堂前にある線香をたくところ。



写真FV: 本堂前にある線香をたくところ。



写真FW: 本堂前にある線香をたくところ。



写真FX: そばにはロウソクを立てるところもあります。



写真FY: 本堂には「泊瀬山 長谷寺」と書かれた額があります。 山門には初瀬山と書かれています。 ここは、西都市大字三納 長谷です。



写真FZ: 泊瀬山 長谷寺の本堂。



写真GA: 泊瀬山 長谷寺の本堂。



写真GB: 本堂のそばにある石灯籠。



写真GC: 本堂のそばにある石灯籠。



写真GD: 線香をたく台とロウソクを燃やすところ。



写真GE: 長谷観音(長谷寺)の境内。



写真GF: 長谷観音(長谷寺)の境内。



写真GG: 長谷観音(長谷寺)の境内。



写真GH: 長谷観音の本堂。 お賽銭箱(おさいせんばこ)も見えています。



写真GI: 長谷観音(長谷寺)の本堂。



写真GJ: 長谷観音(長谷寺)の鐘。



写真GK: 長谷観音(長谷寺)の本堂の中。



写真GL: 長谷観音(長谷寺)の中。



写真GM: 長谷観音(長谷寺)の中。



写真GN: 線香などが置いてあります。 「御灯明 50円」と書いてあります。



写真GO: 長谷観音(長谷寺)の中。



写真GP: 長谷観音(長谷寺)の本堂の中。



写真GQ: 長谷観音(長谷寺)の本堂の中。 「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の絵が額に入れて掛けてあります。 壁には古い写真もあります。 この写真には昭和10年の本堂、菩薩像、旧山門 桜馬場が写っています。



写真GR: 長谷観音(長谷寺)の中。



写真GS: 長谷観音(長谷寺)の本堂にある「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の残っている頭部が見えています。



写真GT: 長谷観音(長谷寺)にある「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の残っている頭部が見えています。



写真GU: 長谷観音(長谷寺)にある「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の残っている頭部が見えています。



写真GV: 長谷観音(長谷寺)にある「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の残っている頭部が見えています。



写真GW: 長谷観音(長谷寺)にある「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の残っている頭部が見えています。



写真GX: 長谷観音(長谷寺)の本堂に掛けてある古い写真。 昭和10年の本堂、菩薩像、旧山門 桜馬場が写っています。



写真GY: 長谷観音(長谷寺)の本堂の中。 「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の絵が額に入れて掛けてあります。



写真GZ: 長谷観音(長谷寺)にある「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の残っている頭部が見えています。



写真HA: 長谷観音(長谷寺)にある「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の残っている頭部が見えています。



写真HB: 長谷観音(長谷寺)にある「本尊十一面観世音像 高さ6 m。 脇侍: 聖観世音菩薩像 高さ5.5 m、勢至菩薩像 高さ 5.5 m。」の残っている頭部が見えています。



写真HC: 本堂。



写真HD: 「長谷観音鐘楼堂建設記念碑」 昭和61年7月吉日と書かれています。



写真HE: 長谷観音堂落成記念碑。



写真HF: 長谷観音の本堂。



写真HG: 長谷観音の本堂の前付近。



写真HH: 境内。



写真HI: 長谷観音の石碑。



写真HJ: 昭和62年度厄払い記念碑。 外灯3基寄贈と書かれています。



写真HK: 平成二年厄払い記念碑。 (外灯2基寄贈)昭和41年度 三納中学校卒業生と書かれています。



写真HL: 長谷寺の建物。 右は本堂。



写真HM: 長谷寺の建物。



写真HN: 長谷寺の建物。 左は御札受所(御休憩所)、奥に鐘楼が見えています。



写真HO: 境内の車道の近くにトイレと水道があります。



写真HP: 境内にあるトイレ。



写真HQ: 境内にある水道。



写真HR: 長谷観音の本堂。



写真HS: 長谷観音(長谷寺)の鐘(かね)。



写真HT: 長谷観音(長谷寺)の鐘楼。 この上に鐘が吊されています。



写真HU: 長谷観音(長谷寺)の鐘(かね)。



写真HV: 長谷観音(長谷寺)の鐘(かね)。



写真HW: 長谷観音(長谷寺)の鐘(かね)。 長谷寺と書かれています。



写真HX: この鐘には、昭和61年4月吉日と書かれています。



写真HY: 入り口の山門に戻ってきました。



写真HZ: 左手に住職さんのお宅があります。 この道の先にもう一つの山門があります。 手前には上の写真の山門があります。



写真IA: 二つめの山門が奥に見えてきました。 道に日向夏(宮崎特産の黄色の大きな蜜柑(みかん))がいくつか落ちています。 左手の上に日向夏の木があります。



写真IB: 山桜の花びらも地面にありました。



写真IC: 日向夏ミカンが約10個道に落ちてるのが見えています。 先には第2の山門が見えています。



写真ID: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門。



写真IE: そばには墓もあります。



写真IF: 長谷観音緑地環境保全地域の看板。
「本地域は、洪積層の段丘礫層上にローム層が堆積したとみられる海抜60−200 m に位置し樹齢200−300年生のしい、かし類の広葉樹林が長谷寺を囲む地域で、歴史的、文化的遺産と一体となった良好な自然環境である。 この優れた環境を保護するため、緑地環境保全地域に指定し適正な管理を図るものである。 昭和59年3月24日 宮崎県知事」 と書かれています。



写真IG: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門。



写真IH: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門。



写真II: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門のそばにある古い供養塔。



写真IJ: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門の先に続いている道。



写真IK: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門。



写真IL: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門の上部。 第1の山門とよく似ています。



写真IM: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門の上部。



写真IN: 第2の山門の近くに古い瓦(かわら)がありました。



写真IO: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門の近くには広場があります。



写真IP: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門の近くには広場があります。 西都市の市街地が見えています。



写真IQ: 長谷観音(長谷寺)の第2の山門の近くには広場があります。 西都市の市街地が見えています。



by 南陽彰悟 (NANYO Shogo)